2015.01.17

「手による聖体拝領」 は御聖体に対する現実的な加害である
Part 6

知った限りは「責任」が生じる

もう一度写真を貼っておきます。

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さて、知った限りは「責任」が生じます。もしカトリックの司祭が、そして信者が、これらの証言や実験結果をいったん知ったならば、これからは、今までと同じようなわけには行きません。

これらの実験は、シンプルではあるが、無視できない程度の実証性を持っています。これらの実験は私達に、私達の「現実」を映して教えてくれているのです。あなたが合理的な精神の持ち主なら、これを否定しない筈です。

補足)特にチャールズ・セント・ジョージ氏の実験。彼があのような実験条件から取った統計が「非現実的」だと言うなら、あなたは今後、新聞やテレビで天気予報を見てはなりません。或いは、もし天気予報が明日の雨を予報しているのを見ても、あなたは明朝、傘を持って出るという用心をしてはなりません。もしそのような時傘を持ちたいと言うなら、「御聖体拝領」についても実証的な実験と合理的な推測を参照して下さい。そうでしょう?

ですから、もしこれらの実験結果を知った上で、今後も「手による聖体拝領」を続けるなら、あなたは、あなた自身の掌や指から、毎回の御聖体拝領ごとに、肉眼で見えるほどの御聖体の欠片の幾許かが、床に落ちたり、衣服についたり、他の物についたりして、どこかに空しく失われることに “同意” していることになるのです。

そうしてまた、御ミサに出席している人達の何十、何百、時には何千もの手からも御聖体が同様にそうなるであろうことにも “同意” していることになるのです。

私は意地悪で言っているのではないのです。もしあなたが「大人」なら、「確かにそういうことになります」と言うでしょう。

補足)これに似たような事は以前も書きました。

補足)保守的な信者も「私は個人的には手による聖体拝領を勧めません」などという言い方をしている場合ではありません。率直に反対すべきです。(言い方に気を付けながらも)

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