2015.01.14

「手による聖体拝領」 は御聖体に対する現実的な加害である
Part 3

5. 長年「臨時聖体奉仕者」をしていた人による実験

〔 〕と * は管理人による付加

The Angelus Online / Fatima Crusader

欠片の研究

〔抜粋〕

2002年4月17日
(聖アニセトゥスの祝日)

チャールズ・セント・ジョージ
(カンザス州)

この日、一つの短い科学的な実験が行なわれました。もしそういう事があるならば、御聖体の欠片[かけら]は一般的にどの程度ホスチアから剥離するものであるか、そうして、特に今日のアメリカのカトリック教会で行われている「手による聖体拝領」の実践の結果として、それは剥離した後、どの程度のものが失われ、冒涜され、侮辱されていることであろうか、ということを実証的に確かめるための実験が。

この実験で、私の十代の息子ジョセフが助手を務めました * 。私が聖体奉仕者の役を務め、彼が拝領者の役を務めたのです。この実験のために、私はミズーリ州の Catholic Supply of St. Louis から、直径1-1/8インチ ** の白い祭壇用パン1000(アイテム番号57212)を一箱購入しました。

* 二人の顔写真が The Angelus Online にあります。

** 1インチ+1/8インチの意。=28.575mm

それは彼らのウェブサイト参照で次のように広告されています。「私達は他に類を見ない最高品質の祭壇用パンを提供することを喜びとしています。私達のパンは全て、慎重に型で固められた、剥離を防ぐへり(edge)を持っています」。この重大な結論 *(多くの人々は無邪気にこれを信じているのですが)の信頼性が疑わしいものと思われたことが、私達にこの実験をしようと決心させた一つ理由となりました。

* 下線部のことだと思われます。

この実験のために、ジョセフと私は、自分の手と指を入念に洗い、且つそれらを糸屑の出ないタオルを使って渇かすことで、準備しました。次に私達は、ホスチアに触れることになる自分達の指先とジョセフの左の掌[てのひら]を、パンの欠片と見間違えられる可能性のあるどんな他の物も付着していないことが確実になるよう、チェックしました。私は、各「聖体拝領」が済むごとに、その三つの場所(私の指先、ジョセフの掌、そしてジョセフの指先)にパンの欠片を探すことにしました。そして更に、「聖体拝領」を25回やって結果を集計すること、そしてどの場所に何個の欠片が発見されたかを記録することにしました。私達は、私とジョセフの両者共が「肉眼で見ることができる」欠片だけを数えました。

祭壇用パンの一つの包みの中身を、小さなプラスチックのカップの中に慎重に移しました。聖体奉仕者の時に訓練されたことを思い出しながら(神よ、赦し給え)、私は自分の右の人差し指と親指でホスチアをそっと取り上げ、そしてそれを、手渡すことを確実にするだけの力を以って、ジョセフの左の掌の上に置きました。ジョセフは、彼が出席したミサの聖体奉仕者たちはこれほど穏やかにはホスチアを彼の掌に渡さない、とコメントしました。彼はそれから、彼の右の人差し指と親指でホスチアを取り上げ、そして、彼の指が彼の舌につかないようにしながら、舌の上にそれを置きました。そしてそれから彼は、私達が二人で調べている間、自分の右の人差し指と親指をくっつけたままにし、また、左の掌を上向けたままにしていました。私達は、最初に私の右の人差し指を、次に私の右の親指を、次にジョセフの左の掌を、次に彼の右の人差し指を、そして最後に彼の右の親指をという順番で、複数の手順と接触によってホスチアから剥がれて私達に付着した欠片を探しました。私達は、次の「聖体拝領」に進む前に、同じ欠片を二度数えることがないように、見つけられたどんな欠片も鋭いナイフの刃を使って注意深くこそぎ落しました。

私達の調査結果はどんなものだったでしょうか? カップから一つずつ取り上げられ、そしてジョセフの掌に乗せられ、そしてその掌から取り上げられ、そして彼の口に持って行かれたそれら25個のホスチアから、幾らかの欠片がホスチアから剥がれたでしょうか? 私達はその数の多さに動揺しました。私達は、25回の「聖体拝領」から、総合計92個の肉眼で見える欠片を発見しました。平均すれば、1回の「聖体拝領」につき3.68個ということになります。欠片の最も大きなものは、0.06インチ、言い換えれば1.5ミリメートルの大きさでした。

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実際の大きさ

上の写真に、私達が見つけ、数え、そして保存した10個の実際の欠片が映っています。下の表に詳細を書いたように、私達は、私の指先から27個、ジョセフの掌から47個、そしてジョセフの指先から18個の欠片を見つけました。ただ一度、22回目の「聖体拝領」では、肉眼で確認できる欠片は一つも見つかりませんでした。他方、6回目、15回目、16回目の「聖体拝領」では、最多の7個が数えられました。

Test
No.

聖体奉仕者の指

拝領者の掌

拝領者の指

1

3

2

0

2

2

2

2

3

0

1

2

4

0

2

4

5

0

3

0

6

1

5

1

7

1

0

1

8

2

2

0

9

1

0

1

10

4

1

1

11

1

1

0

12

1

1

0

13

1

0

2

14

0

2

0

15

1

6

0

16

2

5

0

17

0

2

0

18

1

0

1

19

1

2

0

20

1

1

2

21

1

1

0

22

0

0

0

23

1

2

0

24

1

3

0

25

1

3

1

合計

27

47

18

総合計: 全25回の「聖体拝領」から肉眼で確認された欠片が92個。

この調査結果が、我らの主の御為に役立ちますように。そして、今も彼を愛している人達の助けとなりますように。

 この実験者は「手による聖体拝領」に於ける〈聖体奉仕者〉と〈拝領者〉に関して統計を取りました。しかし、この実験が「手による聖体拝領」と「舌で受ける御聖体拝領」の “比較” という視点から行なわれたものなら、注目すべきは特に〈拝領者〉であり、そして実験者は「舌で受ける御聖体拝領」に関しても〈拝領者〉のデータを取るべきだったでしょう。

──という論評の馬鹿馬鹿しさからも分かるように、「手による聖体拝領」が御聖体を危険にさらす可能性と「舌で受ける御聖体拝領」が御聖体を危険にさらす可能性は、ひどく違います。

 次のように言う人があります。「舌で受ける聖体拝領だって、司祭の手が聖器と拝領者の舌の間を行き来する間に、風に吹かれるか何かして聖体の欠片が床に落ちる可能性は皆無ではないだろう」。
 「皆無ではないだろう」と言われれば、それはそうかも知れません。しかし、この故に「だから、同じだ」と結ぶのは、ちょっと話にならないほど “乱暴” なことでしょう。“横着” な言い方でしょう。

なお、上は抜粋でしたが、もう少し多い翻訳(教皇様への書簡を含んだもの)が「みこころネット」さんにあります。
ある聖体奉仕者の告白文字化け?

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