2015.01.14

「手による聖体拝領」 は御聖体に対する現実的な加害である
Part 5

 次は、アメリカはミシガン州デトロイトの Assumption Grotto Catholic Church(聖母被昇天洞窟教会)の主任神父様の或る日のエッセーです。「或る日の」としたのは日付が分からないからです。しかし、TLDM がこれをアップしたのは2010年3月9日らしいです。──ともかく、御聖体に対する “態度” という事に於いて、前回のクィンタナ大司教と如何に違うかを確認して下さい。

TLDM

ペローヌ神父の

 

牧者の

ディスカント

descant

Fr. Eduard Perrone

おそらくあなたは、教皇様が跪いた拝領者の舌に御聖体を与える実践を始められたことをご存知でしょう。疑いもなく彼は、御聖体に対する濫用のことをしばしば聞いたのであり、そして一つの修正として彼自身の模範を示しているのです。全世界に於いて二、三の勇敢な司教だけが、自身の教区で教皇様のこの実践を命じています参照。今、教皇様は典礼に関する一つの文書を公布しようとしておられるという噂が出ており、教皇様は古い実践への回帰を奨励するのではないか、更には「手による聖体拝領」を全く禁止しさえするのではないか、という希望を掻き立てています。

幾らかの人達は私にこう話しました。あちこちで聖職者が、豚インフルエンザの感染の恐れを口にしながら、御聖体を舌に与えるのを拒否したと。しかしながら不思議なことに、そのような感染の恐れがもっとありそうな地域でも、平信徒のためのカリスからの御血の拝領はしばしば続けられています。また、もっと心配されていいだろう事は、御聖体を手で受けている人達は、拝領する前に、教会のドア、信者席、聖水盤、聖歌の本などに(そして “平和の挨拶” でしばしば他者の手に)触れているだろうという事です。何故、このような事には何の心配もないのでしょうか。ひょっとして、“感染の恐れ” と云うのは「手による聖体拝領」を押しつけるための単なる口実でしょうか。不思議です。

ここに、聖体拝領の伝統的な方法を保持しなければならないことに関係するばかりでなく、聖体拝領の際に一層大きな敬意を持たねばならないことを主張する、重大な問題があります。もっとはっきり言えば、それは主の御体に対する冒涜に関係したことです。Latin Mass Magazine の2009年秋号(私はこれを皆さんに推薦します)は、「手による聖体拝領」によって失われるホスチアの欠片に関する一つの実験から導き出された結論を報告しています。短い要約によれば、黒い手袋(発見を容易にするために着用された)と聖変化されていないホスチアを使い、100回の聖体拝領〔擬似的〕をしたところ、黒い手袋の上に合計118個のホスチアの欠片が数えられたということです。

問題は何でしょう? カトリック信仰は、ホスチアのどの部分にもキリストの全てが完全に含まれていると教えています訳注1。つまり、主のすべての人間性(御体と御霊魂)と御神性が御聖体のどの小片にも含まれているということです。ここから帰結する事として、司祭は主の御体と御血が汚[けが]されないことを確実にする重大な責務を負っています。しかし、御聖体の欠片が拝領者の手の中に落ち、そして食されずに残った時は、常に、それは床や信者席や衣類の上に落ちるに違いありません。考えてもみて下さい、もし福音書に記されている奇跡的増加のパンが、そのパン切れを集められたのなら、ましてホスチアの小片は一層注意深く集められ拝領されねばならないのではないでしょうか。この故に、舌で受ける御聖体拝領のみが行なわれていた時にも、教会は拝領者の顎の下で保持されるべき拝領用受け皿(パテナ)の使用を指示したのです。(ご存知のように、当教会はこの安全装置を保持しています)

問: 主の神聖な御体は、私達の多くの教会で、知らずにそうしている人達によって──御聖体を手で受けている人達によってばかりでなく、拝領者たちの通り道に落ちた御聖体の欠片を踏みつけている人達によっても──[けが]されていないでしょうか。もしそれが最もあり得る結論ではなくしてただ遠い可能性というだけに留まるなら「手による聖体拝領」の許可は取り消されてはならない、ということになるのでしょうか。

教皇様がお示しになった模範が普遍教会によって再び守られるようになるよう望みましょう。私達は、かつては何処にでも見られたイエズス・キリストのまことの御体と御血の拝領に於ける敬意から遠く離れた地点にまで来てしまいました。

エドアルド・ペローヌ神父(主任司祭)

このビデオの中でお話しになっています。私は英会話が聞き取れませんが、それでも「アルフリンク」という名が出て来るのは分かります。

https://www.youtube.com/watch?v=BYgYdUTmQKc
or https://www.youtube.com/watch?v=0Hjhf3gB1Hk

また、『フマネ・ヴィテ』研究所HPの記事にも登場します。
Call to Action と Call to Holiness  そして日本のカトリック教会は?
お名前は「エドゥアルド・ペローネ」となっています。「CTH」の項です。そのメンバーには以前見たジョン・ハードン神父様のお名前も挙がっていますね。

訳 注

[1]  次はトレント公会議の決議文ですが、現在の『カトリック教会のカテキズム』もその1377番で、あまり気乗りしなげに注を引くことによって、この条文を指し示しています。

1641 そのため、全キリストが両形色の中に、そしてまた一つ一つの形色の中に実際に含まれている。全キリストがパンの形色の中に、パンの形色のどの部分にも含まれ、全キリストがブドー酒の中に、ブドー酒の形色のどの部分にも含まれているのである(第3条)。

参照

1641 そのため、同じものが両形色のどちらか一つの形色の下に、そしてまた両方の形色の下に含まれているということは極めて真実である。実に、完全な全てのキリストがパンの形色の下に、しかもパンの形色のいかなる部分の下にも、また、同じ全てがブドー酒の形色の下に、しかもブドー酒の部分の形色の下に存在する(第3条)。

参照

Wherefore, it is very true that as much is contained under either form as under both. For Christ is whole and entire under the form of bread and under any part of that form; likewise the whole Christ is present under the form of wine and under all its parts.

参照

Wherefore it is most true, that as much is contained under either species as under both; for Christ whole and entire is under the species of bread, and under any part whatsoever of that species; likewise the whole (Christ) is under the species of wine, and under the parts thereof.

参照

1641 876 - Quapropter verissimum est, tantundem sub alterutra specie atque sub utraque contineri. Totus enim et integer Christus sub panis specie et sub quavis ipsius speciei parte, totus item sub vini specie et sub eius partibus exsistit (can. 3).

参照

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