表題は変えないけれど、この人そのもののことを少し。
(他のいわゆる「神学者」のことも念頭に置きながら)
Edward Schillebeeckx ![]() |
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スーツ着て煙草プカー。
この人は「学者」です。(良く言って、ですよ?)
「神父様」であるよりも。
そして、神学会(界)などというものには、実際、右上のようなものも多いのであります。何のために(また誰のために)論じているのか分からないくらい。
人間は、何のかのと云っても、一番大事なのは「動機」であります。(別の言葉で言えば「情動」)
動機さえ清ければ、少々間違っていても、救われるかも知れない。
しかし、このような人達は、いったい何に仕えているんだか。
( "フリーメイソン" のことがなくてもですよ?)
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カトリック信者の中にも、この人が左の書を物しているというので、評価する向きもあるようですけれども、人間なんて、そんなことでは分からんもんでございますよ。 私達は既に彼の発言を幾つか見て来たのでした。 |
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Wikipedia はこう書いていました。
(スキレベークスは聖務聖省から或る件で容疑者とされた)
この結果として(as a result)スキレベークスは、神学準備委員会(オッタヴィアーニ率いる)によって準備された概要について、ほとんど全く否定的な論評を匿名で書いた。
これは Wikipedia の筆者が書いていることだけれど、もし本当に彼の心の中にそのような "動き" があったのだとしたら、彼の情動の芯はただ、在野の学者が心の内に燃やすプライドの焔であるだけです。「神父」のものではありません。
そして、ここを見てくれているような人なら既に知っていることでしょうが、ルフェーブル大司教様の証言によれば、スキレベークスは或る時こう言ったそうです。
私たちは公会議で曖昧な用語を使ったが、私たちはそこから後でどの意味で取り出せばよいか知っている。
We have used ambiguous terms during the Council and we know how we shall interpret them afterwards.
もしルフェーブル大司教様のこの証言が真実ならば(私は真実だと思いますが)、ここに「後で(afterwards)」という言葉がある故に、これは物凄く狡猾な精神の存在を意味しています。
「私達は後から自分達の好きな意味を引き出すことができるように、公会議で故意に曖昧な言葉を使った」という意味ですから。
多くの善人は悪を見ることに鈍いけれども、彼が本当に何気なしにでもこのような事を言ったのだとしたら、ほとんどこれだけで、彼は「神父」という名を返上しなければならない、と言えるほどです。
第二バチカン公会議文書 各国語版入口(バチカン公式サイト)