2011.12.31

「自由・平等・友愛」 に対して明白に好意的であったヨハネ・パウロ2世教皇様 9

前教皇様のことを「責める」ためではなく、あくまで天主様の御心を訪ねるために最近の一人の(しかし傾向が顕著な)教皇様の御事を検討させて頂きます。
キアラ・ルービックも「自由・平等・友愛」である
ワールド・ユース・デイの何が問題なのか」の中で言及されていたキアラ・ルービック(Chiara Lubich)も「自由・平等・友愛」の人である。つまり、そのワンセットの言葉を使うことに躊躇しない... どころか、積極的に使う人のようである。
確かに、彼女は聖職者でもなく、私達にとってそれほど大きな存在ではない(特に日本人の私達にとっては)。しかし、それでも、彼女は近年の教会の状態を示す分かり易いシグナルである。
彼女はその言葉を使うことを躊躇しない
彼女の講演を伝える記事
自由、平等 ... 友愛に何が起こったのか?
キアラ・ルービック
フォコラーレ運動の創始者
ユネスコ平和教育賞19986年受賞者
主催: Rt Hon Tom Clarke MP, Alistair Burt MP, & Lord David Alton
於: ウェストミンスター宮殿 2004年6月22日
ウェストミンスター宮殿という不吉な場所で、彼女は「自由・平等・友愛」があたかも何か善いものであるかのように話したようである。
故人のことをあまり叩きたくはないけれども……本当に、信じられないような警戒のなさ、あるいは気づきのなさである。
そして、当然のごとく、ユネスコ(国連)である
 
ユネスコ平和教育賞 受賞風景
そして、当然のごとく、熱心なエキュメニストである
 
イスラムのモスクで
 
おそらくヒンズー教徒と
そして、当然のごとく、このような結果に。(信者への影響)
A Tribute to Chiara Lubich
つまり、上は信者が彼女を讃えて作った動画だろうが、画面に現われている言葉に注意して頂きたい。universal unity、である。
そして、当然のごとく、JPII教皇様のお気に入りである
 
二人は意気投合する
***
パリ、1980年6月1日。ユネスコ本部で、13人のノーベル賞受賞者たちを前に、ヨハネ・パウロ2世は、フランス革命のフリーメイソンのモットーを賞讃し、フランス人を驚かせた。「『自由、平等、友愛』は、深くキリスト教的な概念です」
ただし、ユネスコ本部でのこの発言については Chiesa viva (PDF) だけが言っているようで、裏が取れなかった。日付も、教皇様がユネスコ本部に言ったのは6月1日ではなく6月2日のようである。
しかし、教皇様が国連に好意的だったことは紛れもない事実である。
それは日本語環境でも容易に確認できる。
例えば、次は、1981年2月25日、広島市公会堂での教皇様のスピーチから。
国連大学はその憲章により国際連合ならびにユネスコと結びついておりますが、この大学は全く独特の機関でありまして、研究、高等教育、知識の普及という面において国際連合の崇高な目的に寄与すべく設置されたものであります。それは全地球的、全世界的機関たることを目標として創設されたものであります。先々代の法王パウロ六世と私は、この気高い事業に対する敬意と、その未来に託する希望を一再ならず表明してまいりました。
しかし、今日では、国連というものが最初からフリーメイソン製(ロックフェラー製)であったことを多くの人が知っている。参照
そしてそれはルシス・トラスト(Lucis Trust)や理解の寺院(Temple of Understanding)といったオカルト組織とも深い関係にある。参照
そのような国連の真の姿は、インターネットができて初めて多くの人が知るに至ったのだと思う。
しかし、では、ヨハネ・パウロ2世教皇様には知るチャンスがなかったのだろうか? その教皇職の大部分において、今ほど情報が発達していなかったから?
否、教皇様にもそれに気づくチャンスはあった。
ベイサイドの聖母が大声で叫んでおられたからである。
あなた方の都市の中にいる毒蛇の群れ[国連]を、直ぐに取り除きなさい!
1972年2月1日
あなた方の国は、その連合、国連から離れなければなりません。
1975年9月13日
ベイサイドのメッセージは教皇様に手渡された。1979年のことである。参照
しかし、教皇様が信じなかったことは明白である。
それは何故か。
その理由は、あなたがそれを信じられない理由と同じである。
一言で言えば、「常識」に囚われるからである。
詳しく話すつもりはないが、例えば福音書中の「魚とパンの増殖の奇跡」を「まともに」「自分で」信じている筈の人が聖書から目を離した途端一瞬にして「ただの人(常識人)」に戻るというのであればまったく「奇異」な話だが、当のご本人たちは少しもそう思わないという “不思議現象” がある。まずこの辺から話を掘り下げつつ始めなければ全体が無益であるというのは真である。
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