2011.12.31

「自由・平等・友愛」 に対して明白に好意的であったヨハネ・パウロ2世教皇様 8

前教皇様のことを「責める」ためではなく、あくまで天主様の御心を訪ねるために最近の一人の(しかし傾向が顕著な)教皇様の御事を検討させて頂きます。
大統領自由勲章
前回、バチカン関係者の言葉として「教皇はどのようなタイプの賞または勲章も受けるべきではない」とあったけれども、しかし教皇様は、2004年6月4日、マムシの末の一人から、一つの勲章を受けておられる。
 
 
 
 
その名も
大統領自由勲章
Presidential Medal of Freedom
Wiki-en)(Wiki-ja
ナントカの一つ覚えみたいに、自由、自由、自由。あたかも「自由」それ自体が神ででもあるのように言うこの態度を、私達は「白雉的」と称さなければならない。(最初に私達のことを「ゴイム」とか言い、「分かるまい」とか言い、馬鹿扱いしたのは彼ら似非ユダヤ人達であるが。シオンの議定書)(似非ユダヤ人: 黙示録 2:9, 3:9)
しかし、教皇様はこれをお受け取りになった時(一番上の写真)、ブッシュに次のような謝辞を述べておられるのである。バチカンの公式サイトから──
ミスター・プレジデント、私はこの御親切な御処置に感謝申し上げます。
このメダルが象徴する、自由、平和、そしてより人道的な世界に対する望みが、全ての時と所において、善意の男女を鼓舞しますように。
アメリカに神の祝福のあらんことを!
確かに、この言葉は「儀礼的」なものであり得る。「大騒ぎ」までする必要はないかも知れない。しかしそれでも上の御言葉は、教皇様の御目の「イノセントさ」を示す、教皇様が残念ながら若干「盲目」であられたことを示す、一つの “しるし” ではあるだろう。教皇様もまた、程度の差こそあれ、“言葉” として明確に現われなくとも内なる心の御 “態度” において、「自由」それ自体を半ば神であるかのように(全くではないとしても)扱っておられたからである。「自由・平等・友愛」を標榜する者らの内心、企みに、十分な警戒をお持ちでなかったからである。だから上のような言葉が言えるのである。
茶番
話は違うが……彼らがアワードやらプライズやら各種表彰制度を創設し、誰彼を捕まえては「讃え」たがるのは、本当はその対象たる相手のためではなく、自分たちのためである。誰かを表彰することによって自分たちを「評価者」として権威づけることが出来るからである。そして自分たちの標榜する謂う所の「諸価値」にも公衆の面前で重みをつけることが出来るからである(あたかもそれが「普遍的」な重みでも持つかのように!)。善意を装ってはるが、騙される勿れ、それは単なる自己宣伝、その底には卑しい魂胆(心理的策謀)がある。我らが彼らに投げ付けるべきは、国連に投げつけるべきは、ついでに「格付け会社」にも投げつけるべきは、ただ次の言葉である。
「上から与えられていなければ、あなた方は誰に対しても何の権威もない」
(ついでに言えば、ユネスコの「世界遺産」もである。私は常々思うのだが、日本人は何でそのような外部の ─ 国外の ─ 機関に評価されて有り難がっているのだろう。矜持を持て、矜持を。)
世間の一部では、この大統領自由勲章は Masonic Medal of Freedom と呼ばれている。その通りだろう。主宰・配布している者らがフリーメイソンなのだから。
しかし、それはこの勲章の形からも分かるようである。
……ということだろう。
五芒星が正五芒星(regular pentagram)であろうが逆五芒星(inverted pentagram)であろうが、彼らにおける含意は同じだろう。
アメリカ軍の名誉勲章(Wiki-ja)についてのアメリカ人の声
なぜアメリカの名誉勲章はサタンのシンボルのようなんだ?
なぜ星は不自然にひっくり返っているんだ???
何か知ってます?
なぜアメリカの兵士たちは合衆国政府からサタニックなシンボルの勲章でもって讃えられるのか? そのような勇敢さをこのような悪魔的シンボルでもって報いるとは、嘲りではないのか? 名誉勲章は、国軍に勤めている個人に、「敵軍」に対する行動における勇敢さのために与えられる最高の賞だ。それなのにそれはペンタグラムなんだ。なぜ?
ちなみに、大統領自由勲章はマザー・テレサも1985年に受けている。(Wiki-en
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