2009.07.22

米国聖公会の大聖堂の惨状

米国聖公会の全ての教会がこのようではないだろうことは勿論だが、ニューヨークのマンハッタンにある彼らの大聖堂は全くの地獄の会堂となり果てている。
(しかし、これは聖公会信者個々のことではない。)
本当は「なり果てた」のではなく、初めからそうだったのだろう。
上の写真、建物の正面の一番上に、ピラミッドがある。
目の部分にもしっかりと何かが ─ さすがに目の形はしてないが ─ 有る。
公称を The Cathedral Church of Saint John the Divine in the City and Diocese of New York という。(以下、「聖ヨハネ大聖堂」と言う。)
公式サイト(A House of Prayer for All People とある)
Wikipedia
この大聖堂の異常を The Vigilant Citizen というサイトが伝えている。
その記事の前半部分を日本の ChemBlog-ケムログ さんが翻訳し、
それを さてはてメモ帳 さんが紹介している。
後半部分を訳してみた。
私もケムログさんと同じく言う──「誤訳があるかも知れません。」
しかし持ち前のいい加減さで乗り切る。
気色悪い画像やビデオはここには表示しないことにする。
その前に、この大聖堂の概要。
その規模は世界最大級。1887年、当時のニューヨーク主教が同じマンハッタンにあるカトリックの聖パトリック大聖堂に対抗心を燃やし(?)その建設を思いついたらしい。翌1888年に設計が始まり、1892年に着工。スペインのサグラダ・ファミリアのように長年月をかけて建設されるもので、いまだに未完成。2001年12月18日に一部が火災になり、修理のために一時期閉鎖される(部分的には利用されていたのかも知れないが)。2008年11月、フルに再開される。その時の祝賀行事で、次期国務長官に指名される前のヒラリー・クリントンが壇上から祝辞を述べた。
(文中の赤文字は管理人)
2 - 異教の彫刻
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ご覧になりたい方は
The Vigilant Citizen
「疲れた月」の側面
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かなり気味の悪い人体
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この彫刻は善と悪の戦いを象徴し、異教の中に見出される多くの要素を特徴的に表わしている。太陽崇拝、神話的生物、そして太陽と月の二元性など。この彫刻は「平和の泉」と名付けられているけれども、ファンタスティックで、奇怪で、歪められたグロテスク芸術のスタイルを採っている。笑みを浮かべている太陽からあらゆる種類の動物が現われている。これは太陽崇拝の基本的な考え方を表わしている(命の与え手としての太陽)。偶像を東に向けて置くことは古代の異教の伝統である。また、この彫刻の上にはDNAのシンボルのような怪しげなものもある(それはカテドラルの入口にもある)。私達は皆、クリスチャンの人々がそうであるように、遺伝子組み替えが行なわれた時どのようなことになるかを知っている。私達はまた、ジョン・レノンの歌詞「世界はやがて一つになるだろう」をもここに見る。気味悪いと思わないだろうか? 引き続き以下を読んで下さい。
奇妙な儀式
A)悪鬼の行列
毎年、ハロウィンに、聖ヨハネ大聖堂は「悪鬼の壮大なる行列」という奇妙な催し物のホストとなる。それは基本的にまさにカテドラルの聖域内で行なわれるパレードであり、そこで人々は、悪魔、悪鬼、怪物、そして他の気味の悪いもののコスチュームを着、恐ろしげなオルガン演奏に合わせてそこらを歩き回る。オカルト・グループが密室の中で行なう奇怪な儀式と似ている。悪魔やサタンのコスチュームの他には(既にこれだけでもカテドラルのためにはあまりにも奇怪と言うべきだが)、キリスト教を嘲りの対象としているかのようなコスチュームもある。
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あなたには、これがイエズスの磔刑に見えるだろうか?
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司祭の怪物。うしろには不気味な磔刑像が浮かんでいる。
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悪鬼たちがパレードしている間、説教壇に立っていた「司教」
悪魔主義の儀式は、キリスト教の儀式を歪めることによってそれを嘲るものではないだろうか? そう、ここに見られるのはその最たるものである。行列はドイツの Perchten の行列のように異教の伝統である。Prechten の行列は多くの点で聖ヨハネ大聖堂の行列と非常によく似ている。
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ドイツの Perchten の行列
動画
このイベントに参加した旅行者が撮ったビデオ
B)動物の祝福
もう一つの奇怪な儀式、それは毎年9月に行なわれる動物の祝福である。人々はカテドラルの聖域の「内」と外に、(彼らの言によると)「神を礼拝している」動物たちをわんさと持ち込む。動物たちはいつから聖書その他を読むようになったのか? 今までは決してそうしなかったのに。
カリフォルニア森林管理協会の1996年の記事がその様子を伝えている。
… 山羊、馬、そして他の動物たちが、祝福されるために祭壇前に引いてこられた。ラクダと象が、堆肥と虫の入ったボウルと共に、礼拝者の行進よろしく通路を歩いた。
教会内で行なわれるこの儀式は、もう一つの異教の儀式と言える。皆白いローブを着ていることに注目して下さい。
祝福を受けている時、この馬が粗相をしませんように。
この牛は外で人々からえらく誉められる。
あなたはこれらの白いローブに気づいただろうか?
異教の儀式の次の写真を見て下さい。
Lucia 祭 (スウェーデン発の儀式らしい)
ギリシャの異教の儀式
類似性に気づきましたか? そうです、白いローブ!
(私はこれに同意しない。白は一般に人間に「清浄」を連想させる。
この筆者の連想は過剰だと思う。)
さて、次は聖ヨハネ大聖堂での実際のミサを撮ったビデオです。
(ミサではないような気がするが.. いや、わからんか。。)
ここには異教の儀式との不気味な類似があります。
そして、われわれは、馬、猿、そしてシルビアおばさんのバレリーナ
のように着飾ったプードルを祝福したというわけである。
C)自転車の祝福
私はこれについては話す気もしない。あまりに馬鹿げている。
今や環境問題がわれわれの宗教となった。
だが、人々はまだそれに気づいていない。
D)ポール・ウィンターの冬至の祝い
これ以上に太陽をあがめることはできない。
この有名なニューエイジ・ミュージシャンは冬至を祝う。しかし、これは最も古い異教の儀式の一つである。彼は自分のWebサイトでこの講演について次のように言っている。
古代では、観察者たちは太陽が地平線に沈むのを毎日見、そして太陽が完全に消滅してしまって彼らを暗闇の中に取り残すのではないかと恐れました。
人々は、太陽が戻って来るのを誘おうと、特別の儀式を行いました。焚き火とキャンドルは、その模倣的な魔力で、弱まる太陽を護り、暗闇の精を防ぐのを助けました。これらの象徴は私達の現代的な季節ごとの習慣の中にも残っています。ハヌカ祭やクリスマスのキャンドルは、古い火の儀式──それは地球の蘇生の神秘を祝うものですが──と関係があります。
そう、それ故彼は異教徒である。彼はそれを誇り、カテドラル内でそのパフォーマンスを行なう。ここに「きよしこの夜」の彼流の表現を撮ったビデオがある。私に答えて下さい。ここでは誰が、また何が礼拝されていますか?
動画
(見るに値しない)
理解の寺院(The Temple of Understanding)
(さて、A House of Prayer for All People との関連である。)
聖ヨハネ大聖堂は「理解の寺院」公式サイトの本部である。「理解の寺院」は異宗教間における努力を行なうもので、人々を伝統的宗教から離れさせ、ニューエイジ哲学、新異教主義、そして組織化された諸宗教の伝統のごた混ぜの中へと誘導しようとするものである。創立者 Juliet Hollister を支援した「友人たち」の中には、ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー二世(1874-1960)、第十四代ダライ・ダマ、教皇ヨハネ二十三世、エレノア・ルーズベルト、国連事務総長ウ・タント、国際家族計画連盟、そしてユダヤ教神学院などが含まれている。ニューエイジ・グルであり、「理解の寺院」の支持者である Jean Houston(一時期、ヒラリー・クリントンの霊的アドバイザーだったらしい)は、その著書「トロイの木馬」で次のように書いている。
この寺院の目的は、全ての宗教、信仰、そして儀式、それらの受容と包含の両方を促進することを通じて世界統一宗教の実現を助けることです。「理解の寺院」の瞑想ルームは「啓蒙の広間(Hall of Illumination)」として知られねばなりません。そこでは、イルミナティ、知恵のマスター、「理解の寺院」のわれわれのリーダーが、市民を新しい人道的(humanistic)礼拝の中で訓練するでしょう。… 新しいタイプの神秘家を作るために。
この寺院は国連からの完全な公認を受け、国連の「スピリチュアル」部門における主要なアクターとしての役割を務めてきた。「理解の寺院」のディレクターあるいはアドバイザーとしてリストされている十二人の者が、国連のグローバル・フォーラムのメンバーになっている。これらのフォーラムは、地球を礼拝することをベースとする新異教的な世界宗教を公然と支持する数多くの話者たちを受け入れている。それら話者の一人である James Lovelock は、「ガイア」(女神としての地球を表わす古代語)は命の与え手であり、彼女自身を癒す力を持っている、と述べた。そしてまた、人類はガイアにとっては癌である、「彼女が癒さなければならない彼女自身のあまりに重大な病気である」と述べた。言い換えれば、人類は女神ガイアにとっては寄生虫であるということである。
アル・ゴアは聖ヨハネ大聖堂に数回ゲストとして呼ばれている。彼はそこで、恥ずべきことに、「神は地球と別ではありません」と言った。ところが、キリスト教では、ユダヤ教では、またイスラム教では、神は実際、地球とは別のものである(天国におられる)。もしあなたがゴアのフレーズを解読するならば、
神 = 地球 = 地球が神
ということになる。
ゴアは異教グループから何度となくその著作と講演への賛辞を受けている。「全世界の教会」は、クリントンとゴアの1996年における勝利に対し祝辞を送り、その中で次のように言っている。
私達は新異教徒です。新異教徒、これは古代の自然宗教の広汎な再建を意味し、また、多くの文化の原型を他の神秘的な秩序、あるいはスピリチュアルな秩序と結合させることを意味しています。──そして、私達の信条と価値観は、あなた方が自分の信条であり価値観であると述べているものと何ら変わるところがありません。あなたの本『調和のうちにある地球』は、私達が親愛の情を持っている全ての人々にとってのマニフェストとして、私達の人々から誉め称えられています。… 私達がいるこの場所に、あなたを支持する50万の新異教徒たちがいることを知って頂きたいと思います。彼らはあなたに投票した人達です。そして彼らは、地球の救済と偉大なる家族の再統一を目的とするあなたの政策を支援するために結集するでしょう。
「理解の寺院」の監督委員会のもう一人のメンバーは Thomas Berry である。彼の信条によれば、世界は今や新しい「分裂を過去のものとした」信仰システム、「キリスト教信仰の後の」とさえ呼ばれる一つの信仰システムへと呼ばれている。そこでは地球は一種の生命体とみなされ、人類は彼女の意識としてみなされる。
オーケー。では、これらは一体全体何を意味しているのか?
もしあなたが私の以前の記事、ジョージア・ガイドストーン(参照)とデンバー・エアポートについての記事を読んでいるなら、あなたは既に、強力な秘密主義グループが新しいタイプのグローバルなスピリチュアリティを求めて普通でないモニュメントやアートを置いていることに気づいているだろう。この宗教のシフト(移行)を社会的に受け入れ易いものにするために、いくつかの言葉と表現が使われている ──「平和」「自然との調和」、あるいは「無限とのハーモニー」などである。あなたはどうしたら「平和」に反対することができるだろうか? いや、あなたには反対できない。しかしながら、これらのしきりに口にされる言葉は、彼らがその目的を達成するために使おうとしている幾つかの意味を隠し持っているのである。「平和」とは、ただ一つの統一政府ができた時にだけ実現するであろうものを、「自然との調和」とは、世界の人口が削減された時にだけ実現するであろうものを、そして「無限とのハーモニー」とは、世界が新異教的なヒューマニズムを受け入れるために伝統的な宗教を手放した時にだけ実現されるであろうものを、それぞれ意味している。
聖ヨハネ大聖堂は、グローバル・シフトのスピリチュアル部門の鋭敏なセンターとして機能している。数多くの対話集会と国連サミットを通して、「理解の寺院」は、全てのメジャーな宗教からやって来た指導者たちを、彼らが協力して一つの普遍的なメッセージを考案させるために、再会させている。そのメッセージは、後に、ローカルな宗教のネットワークを通して人々に伝えられるであろう。ゆっくりと、しかし確実な方法で、全ての宗教信仰が同じ価値セットの方へと傾斜しつつある。そして、それらは結局はヒューマニズムの中に収束されるであろう。
「理解の寺院」での異宗教間会議
一つの例は、カテドラルで行なわれている Madeleine L'Engle のコースである(彼女はまた「理解の寺院」の創設者の一人でもある)。彼女の教えは、シャーマニズム、体外離脱体験、アストラル旅行、タロットによる未来予測、地球礼拝、サイキック能力、ヨガ、タントラ・ヨガ(黒魔術の性的形態)、そして占星術などを含んでいる。これらほとんど全ての実践が、何世紀もの間キリスト教から厳しく非難されて来たにも拘らず、このカテドラルでは未だに受け入れられている。その種のコースは、世界中でいろいろな寺院で企画実行され続けている。
しかし、グローバルに受容されることを必要としている価値の中で主要なものは、環境保全主義である。自然の損耗に関する切迫感と恐怖を作ることによって、そうでない時には普通嫌われる法律も通し易くなり、環境のための税金も引き上げ易くなり、大衆の目をそれぞれが属する宗教の規則から地球を礼拝することの方にシフトさせ易くなる。このニューエイジ・スピリチュアリティを受け入れている人々は、家族計画連盟や優生学といった議論の多い計画にもずっと受容的なようである。自然をあなたの宗教とする時、あなたは人間の命を寄生的な存在とみなすようになる。そして、人口の大幅な部分が死に至っても、それをずっと容易に合理化するようになるだろう。
結論へ
もしあなたが今回のこの記事から一つの事を受け取るとするなら、それは「聖ヨハネ大聖堂はキリスト教の教会ではない」ということである。事実、それはまさしく宗教の根絶に向かって働く人々のために場所を提供している。そして、その人達はそこで大きな仕事をしている。初めに私が言ったように、私はどんな信仰をも──それがイスラム教であろうが、キリスト教であろうが、ウィッカであろうが(だが、ウィッカは魔女集団である)──非難しない。全ての信仰がそれぞれの教えの中に知恵を持っている。しかし、人々の信仰に干渉し、彼らを騙して他のものを礼拝させることは、全くの、壮大な、聖書規模の、GI Joe の Cobra、あるいは He-Man Evil の Skeletor(このへんはアニメ関係?の話らしい)のようなものだ。ある人は、サタンは偽りの達人である、と言う。そう。ミサのためにこのカテドラルに入って行く人達は、彼らには想像もできない方法によって騙されているのだ。パウロはコリント人に警告した。
こういう連中は、偽使徒、腹黒い働き手、姿を偽ってキリストの使徒のように自分を見せかける者です。しかし、驚くには当たりません。サタンでさえ、姿を偽って光の天使のように自分をみせかけるのです。ですから、サタンに仕える者たちが姿を偽って、神との正しい関係のために仕える者のように自分を見せかけても、大したことではありません。そういう連中の最期は、その行ないにふさわしいものです。
コリント人への第二の手紙 11 : 13-15
了。
補 足
The Vigilant Citizen は、フリーメイソンがそれ自身の機関誌の1925年の或る号でこの聖ヨハネ大聖堂の建造について誇らしげに語っているのを紹介している。
最も偉大なる大聖堂建設時代において大聖堂と教会堂の主要な建設者であったメイソン員達が、今、アメリカの最も素晴らしき大聖堂建設において突出した役割を担うことは、ことのほかふさわしいことである。(…)この事が大聖堂建設時代のフリーメイソンの記録に付け加えられることは少しも必要でない。というのは、われわれの記念碑的建造物(monuments)自体が、われわれの才能、われわれの教義、われわれのシンボルがそうであるように、われわれの最良の歴史だからである。
つまり、フリーメイソンは、この「聖ヨハネ大聖堂」のことを「われわれの記念碑的建造物だ」と言っているのである。
2008年11月30日、フル再開の祝賀行事で、大聖堂の壇上に立つヒラリー・クリントン。この人は一部で「サタニストだ。イルミナティの高位階者だ。魔女だ」と噂されている。
Wikipedia のこの大聖堂の項に、恐るべきことが書かれている。
1990年、アバンギャルドなミュージシャン、ディアマンダ・ギャラス(Diamanda Galas)は、彼女のパフォーマンスのクライマックスをエイズ感染の犠牲者たちに捧げる『疫病ミサ(Plague Mass)』を演じた。彼女のパフォーマンスは、彼女の全身を牛の血で覆うことと、聖書の言葉と古典文学を再解釈することから成っていた。それは、エイズ感染者たちが宗教的グループと政治的グループの双方から受けた無理解と非難に対する抗議としてであった。
この時の音源が今も販売されているらしい。
あなたがあまり神経過敏な方でないなら、Google の画像検索で「Diamanda Galas」と検索してみるといい。一発で、この人が “まるきりのサタニスト” だということがわかるだろう。あるいは「Diamanda Galas Plague Mass」と検索してみて欲しい。そうすれば、彼女が「聖ヨハネ大聖堂」で演じた(何度も驚かずにはいられない!)という牛の血を全身に塗りたくるパフォーマンスを彷彿とさせる(それそのものなのかも知れない。実際、これはその『疫病ミサ』の音源の販売に使われているCDジャケットのようなものだろう)画像が出て来る。あるいは YouTube で・・・・もういいか。
私がこのように念を押したくなるのは、欧米のハロウィン祭に目くじらを立てる人などがいると、それをつい笑ってしまうような、のほほんな人達、そのようなことにどうしても現実感が湧かない人達が、圧倒的に多いからだ。ハロウィン祭はもともと邪悪なものだが、米国の「キリスト教会」を名乗る大聖堂がその聖域内でそれを行なうのである。のみならず、まるっきしのサタニストを招いて、牛の血を・・・・もういいか。
聖ヨハネ大聖堂にある磔刑像。女性である。
フェミニズムなのだろう。
聖ヨハネ大聖堂で叙階された女性司祭。
ストラの柄に注目してもらいたい。諸宗教共存主義である。
そして彼女の胸にある二つの図柄はフリーメイソンの代表的なシンボルの内の「水準器(Level)」と「直角定規(Square)」ではないか。
ここも少し参照のこと。
シスコ・ホィーラーノート
動物の祝福は特に「聖フランシスコの祝日」に盛大に行われるようだ。
手に手に動物を。
ラクダの祝福
聖ヨハネ大聖堂の敷地内にあるだろう会議場(Synod House)
ジョージ・ワシントンに似てないか。
次のようなことが行なわれているが、それは大聖堂においてではなく
この会議場においてなのかも知れない。
イスラムの礼拝
禅の講習会?
私は、一見して明らかに「サタニズム」と分かるもの(不気味なもの)は、当然、あまり広くは広がらないと思う。けれど、このような宗教多元主義的な動きについては、これからも要注意だと思う。「平和」「愛」「善意」「寛容」「調和」「対話」「理解」「真理」などを謳うだけに、誰も簡単には反対できない。いや、反対できるできない以前に、人はそれを信じやすい。
今後は、こういう雰囲気のものには要注意です。
国連なども、これをやってくるでしょうから。
本当は、カトリックはただカトリックの深部を極めれば良い。
それによって世界にも最大の貢献ができる。
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