この報告書の提出では、まず前の日に東京で大手ゼネコンと打ち合わせ、名古屋の会社に戻り、社内報告をしました。次の日のブルートレーンに乗って最終確認の打ち合わせ会に参加した九州大牟田の会社に向かいました。

 大牟田で一泊した次の日の夕刻、報告書の提出先がある函館に向かう為、名古屋に戻る夜行列車の車中の人となりました。更に次の日の夕刻、我が家に一旦立ち寄り、午後9時頃の最終の新幹線に飛び乗りました。

 記憶では、東京駅から30分で上野発午後11時54分発の「寝台特急ゆうづる?号」にぎりぎりで間に合い、夜が開けて日が高くなった午前10時頃青森に着き、青函連絡船で4時間、函館駅に関係者の方の迎えで函館の宿に入った。

 大牟田で一緒だった会社の部長さんは、飛行機で九州から飛んでこられていて、この宿で最終の打ち合わせを簡単に行い、その夜、函館の夜を楽しましていただき、こんな世界もあるんだと妙に感心していました。

 「君は、汽車に乗りっぱなしで大変だろう、飛行機で帰れるようにするから」と部長さんの計らいで、帰りは飛行機で羽田まで帰り、新幹線で豊橋の我が家に戻る事になりました。

 函館から羽田をマクドネル・ダグラス DC-10で一時間のフライト、乗り換えに30分、こだまで東京と豊橋間を2時間30分と合計4時間で函館から豊橋に帰って着ました。4時間という時間は、青函連絡船で函館青森間の所要時間で飛行機は早い!と実感させられました。

 これまでの人生で唯一の飛行機体験で
、これ以後、飛行機の乗る機会はありませんでした
      青函隋道 (本州側 青函トンネル入り口公園)

  一般には、青函トンネルと呼ばれるが「青函隋道」表示されている

     32年前 思い出の仕事である。(自慢の?)。(1973年10月)

 ここに、書いた内容については、何せ32年もの前のことを思い出しながらなので個々の詳細については、間違い、勘違いもある事と思う。
青函トンネル公式パンフレット    掘削試験結果の報告書

         大切ににしまって置いた記念の資料
    注:各画像のクリックで詳細画像にジャンプします

2008.5.20
1973年の竜飛写真追加

平成17年春にNHKでTV放送されたいたプロジェクトX

   「友の死を乗り越えて」 青函トンネル・24年の大工事

の再放送をうるうるしながらみて、若かりし日にこの工事のほんの片隅に参加した時、このトンネルが完成したならば、必ず来ようと誓った思いが眠りから目覚めた。

 この夢を果たそうと思い立ち、この親父のロマンの為に、モービル運用で親子3人、往復2400KMの家族旅行となった

 平成17年9月12日に32年ぶりに竜飛岬を訪れて、昔の思い出に浸った
 記念として、当時の資料も少しは持っているのでこれを改めて眺め、再度まとめて直してみた
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