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がんと戦うT細胞免疫の活性化と、
根本的な制御システムを明らかにする
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今日のちくま研(日記)
2024年4月8日再開。不定期更新しますが、日付をさかのぼって書くかもしれません。
2025年4月30日(水)
午後の授業をしに行ったら普通に学生が食事していて、教室に美味しそうな匂いが充満していた。
2025年4月29日(火)
数日、日本語でしゃべるだけで、英語が出てこなくなりヤバイ。
2025年4月28日(月)
新竹へ帰還。
2025年4月27日(日)
奥さんと新幹線に乗り、南の街、高雄へ旅行。
海辺の町で、フェリーに乗って島に渡ったり、ヤシの木のビーチでビールを飲んだり、路面電車に乗って現代美術館に行ったり、龍の口から入って虎の口から出てくるパワースポットに行ったり、変なオブジェが乱立する倉庫街に行ったり、遊覧船に乗って夜景を見たり、刺身を食べたりした。
むちゃくちゃ楽しかった。
2025年4月26日(土)
雨の中、校内で行われたジョギング大会(5KM)に参加。学内を走ると言っても、2回心臓破りの坂がある本格コース。
3300人も走ったが、教員の部は80人しかいなかったそうで、10位に入賞する事ができた。
(なんと、総長が5位だった。)
急性筋肉痛で、痛み止めを飲まなくてはいけなかった。
2025年4月25日(金)
奥さんが台湾に遊びに来て、日本人会で良く行く店に行ったらちょうど日本人会をやっていて、鉢合わせした。
前に誘われていたのを忘れていた。
2025年4月24日(木)
同僚が肺がんの研究についてセミナーをした。もう12年いるベテランだが、スゴイ量のデータで圧倒される。私ももっと実験しないと。
2025年4月23日(水)
健康診断で、いつも食べている学食の三階に行った。1年前(昨年4月19日)から体重も血圧も変わっておらず、自分は学食でできている。
2025年4月22日(火)
朝から普通に暑くて29℃。Realfeelという尺度では33℃だったらしい。授業の教室ではすでに冷房が効いており快適だった。
2025年4月21日(月)
健康診断の通知で、「心電図をするのに、パッドがくっつかないので、胸毛を剃ってきてください」というメールが来ていた。
2025年4月20日(日)
夕食で街へ出た後、タクシーで帰ろうと思うが雨が降っているからか来ないし予約も取れない。次に来るタクシーが30分後、と言われて、コンビニで一杯飲みながら待った。
2025年4月19日(土)
Rを使ったデータ解析を教えると、面白いからか学生がどんどんやってくれる。エラーの対処法などを見ていると細胞培養とかより明らかに得意そうだ。しかしデータ解析はただの解析。
2025年4月18日(金)
夕方にジョギングに行って、最後に学部前の登り坂(200Mくらい?)をダッシュで登ったら死にそうだった。その後、効果が出て気持ちよくなる。
2025年4月17日(木)
朝は7時からセルソーティング。
機械の横には、
「クオリティチェック(QC)が一回で通過しますように。」
「ソーティング中に機械が詰まりませんように。」
と、
願をかけたポテトチップス
が4袋も置いてある。(昨年11月4日の日記参照:どうやら台湾での重要なおまじない)
なのに、QCは1時間以上通らないわ、ソーティング中に詰まるわ。
まあ、実験はできたが、
ぜんぜんポテチの効果ないじゃん。
と。学生と大笑いした。
2025年4月16日(水)
ここ数か月、自宅のトイレが壊れており、どう考えても便器(馬桶という)の下から水が漏れている。
管理人さんに報告すると、昨日私がいない間に、なんと便器を全部取り替えてくれた。
「設置してから1日は使わないで。今晩は、X階にあるYY号室(空き部屋)のトイレを使えるように、カギを開けとくから。」
夜に2回、
やむを得ずYY号室に行った
のだが、推定数か月は住人がいないらしく、カビが生えている。なぜか冷蔵庫だけ電源が入っており「ブ〜〜ン」とうなっていて、むちゃくちゃ怖かった。
2025年4月15日(火)
最近、少し帰るのが遅くなるとバランスの取れた夕食を食べそびれる事があるので自炊した。日曜日に作ったものを3日間食べており、むしろ食事が偏る。。。
2025年4月14日(月)
授業のリハーサルをする必要があり、自宅のパソコンを持っていったら忘れてきた。まあ、一晩くらいパソコンを見なくてもいいだろう。
2025年4月13日(日)
自転車に乗るときのサングラスが壊れたので、大学の向かいにある眼鏡屋に買いに行った。
暗いと見えなくなるので無色のサングラス。
飲み物食べ物以外の「物」を、久しぶりに買った。
2025年4月12日(土)
日中、すごくいい天気だったのに夕方に風が吹き始め、帰宅してからは吹き殴りの大雨が降っている。台湾ぽい。
2025年4月11日(金)
学生が、教えなくても勝手に実験してくれるようになってきた。
とりあえず何か
やってくれていると先生は助かる。
2025年4月10日(木)
こちらで初めてマウスに免疫。久しぶりに、2本の注射筒をシュポシュポやった。エマルジョンができると、すごくうれしいわけではないが有意にうれしいのは変わらない。
2025年4月9日(水)
台湾の「レシートくじ」が初めて当たった。900円分くらいもらった。うれしい。
2025年4月8日(火)
昼休みに学食までダッシュしたら1時間後に大腿四頭筋がつりそうになった。
2025年4月7日(月)
細かい仕事が多い日。終わらなかったので、若者風に、やる事リストをスマホで撮って帰った。帰ってもやらなかったけど。
2025年4月6日(日)
朝に3kmぐらいジョギングした。この程度でも十分しんどい。
2025年4月5日(土)
休日の夜に、チャットGPTに研究のことを相談していると、AIもだんだん打ち解けてきたのか、返答が知り合いのオカダさんみたいになってきた。
2025年4月4日(金)
清明節という台湾の
「お盆」
にあたる祝日で、みな、お墓参りに帰るホリディ。
数日前に、
「高速の南行きは、3人乗りかそれ以上でないと乗ってはいけません」
と、渋滞を抑制するための看板が出ていた。
2025年4月3日(木)
1年前は大地震が起こったが、今日は
台湾にキムタク
が来て
「台湾YAHOO」
で大ニュースになっていた。
数日前は廣末
が来たらしい。まあ、どうせ彼らも新竹までは来れないだろう。
ワハハ。
2025年4月2日(水)
今日の授業の話。学生が免疫学に関する研究を紹介するセッションで、
ヘビ毒の治療抗体を作る論文
を発表した。
年間数十万人が、ヘビ咬傷で死亡したり後遺症に苦しんだりしているとは、私はもちろん知らないのだが、、、
それより、台湾含む、
アジアの学生たちが毒蛇にむちゃくちゃ詳しくて
、学生同士の
討論が過去最大レベル
に盛り上がっていた。
意外な所に授業盛り上がり要素がある。
2025年4月1日(火)
台湾で1周年記念。普通の1日だった。
2025年3月31日(月)
本日締め切りの書類関係で、ある必要書類(動物実験計画の受理証明)だけが来ない。学部と本部を徒歩2往復して、やっと出してもらった。朝からジャージ姿で来てよかった。
2025年3月30日(日)
冷たい雨が降る1日で、そういえば2年前の同じ日に、セミナー旅行に来た時もこんな天気だったのを思い出した。
日本時間の7時、台湾時間の6時に起きると雨降りで薄暗く、付近を散歩すると、夜間の強風で道が大量の落ち葉でグチャグチャになっていた。
その後1年たって定住することになり、思っていたより快適なことがわかった。
2025年3月29日(土)
朝、出かける前にシャワーしようとしていると、大音量の警告音に続き、部屋中に「XXXXXX YYYYYYY ZZZZZZ!!(中国語)」というメッセージが放送され始める。
すぐ止まるだろうと思っていたが、いつまでも繰り返されるのと、どうも私がいる階の室内と廊下で鳴っており、全館に響き渡っている。
学生に電話をかけ、「これって何て言ってるの?」「火事だから避難しろと言っています。」
服を来て外に出ると、何人かの知り合いが外に出ていた。。
警察が来て警報は解除されたが、誤報はやめてほしいのと、できれば英訳もつけてほしい。
2025年3月28日(金)
昨日32℃だった気温が急低下して17℃。私は快適に過ごせたが、
留学生が凍えて
いた。
2025年3月27日(木)
吉村研で合成ペプチドを注文していた中国の会社に、久しぶりにメールして、
台湾の大学
に移ったんだけどOKですか?と聞いたらむちゃくちゃ愛想良くて、
ペプチド30mg無料
で合成してくれた。
「送料込み」、でなく、「送料のみ」
だ。
どういうことなのかわからないが、台湾で顧客開拓出来てうれしいのだろうか。
今日、
「粉末」
という品名でペプチドが届いた。
2025年3月26日(水)
新しく移動するラボ予定地で業者さんと打ち合わせ。楽しい。
2025年3月25日(火)
そろそろ講義のネタが無くなってきた。「来週、何を話すかまだ決めていません。チャットGPTに相談します。」と言ったら、その部分だけ笑いをとる。
2025年3月24日(月)
今日は実験出来る日。アホな話を交えながら教えるのと、自分でも内緒で実験した。
2025年3月23日(日)
台湾には花粉症が無い、と思っていたら鼻がガビガビする。黄砂かもしれないが軽度。
2025年3月22日(土)
天気が良く、ゆったりした土曜日だった。午後に、企業ブースから、楽しそうな景品をいっぱいもらった学生たちが帰ってきていた。こうやってみんな、大学で研究せず会社に行ってしまうのね。。。
2025年3月21日(金)
夕方ジョギングに行ったら、陸上競技場の周辺に無数のテントが張られていた。半導體のTSMC含む、企業による大規模な卒業生獲得イベントなのだそうだ。
売り手市場なのだと思う。
2025年3月20日(木)
最近、授業が無い日はむちゃ気楽だ、ということを実感。来学期も、月火水に授業して、木金土日は授業無しになるよう設定してみた。
2025年3月19日(水)
昨日、ちょっと難しい授業をしたら、学生の感想に、「今日は内容が盛りだくさんで着いていけませんでした。
ちゃんと復習します。
」と書いてあった。
自分が学生だった時を考えると頭が下がる。
2025年3月18日(火)
受け持っている大学院講義は、シラバス(授業内容)が会議で承認され、受講希望者が3人以上集まりさえすれば、
何を授業しても良い
ことになっている。でも時間数は多いので、毎回何を話すか決めるのが大変。
今日、5回目の授業がやっと終わったのに、9月からのシラバス提出期限が今日だった。出来るかどうかは別として、何か開講するしかないというジェットコースター。
2025年3月17日(月)
謎の動物に、卵が食い荒らされた話(3/3)をしていたら隣の学生(知らない人)が、粘着トラップを持ってきてくれた。誰から聞いたのだろう。ある日、自分の部屋でネズミがくっついていても困るのでもらわなかった。
2025年3月16日(日)
出張や学会などが無い日曜日でゆっくりできた。こちらは、コンビニでビールを買ってそのままイートインで飲むのがOKぽい。真似するとやめられない。
2025年3月15日(土)
計画性の欠如により朝6時から実験することになった。昼過ぎで帰った。
2025年3月14日(金)
学生2人と、夕食を食べに行った。
9月にjoinしたメンバーの歓迎会だが、いままで機会が無かったので、3人の歓迎会、という名目で。
2025年3月13日(木)
毎週木曜日の学部セミナーがおもしろい。
今回は米国で?十年やってきた先生で、研究の話も面白かったのだが、研究を目指す学生向けのメッセージで、どれほどリジェクションを食らっても、あきらめてはいけない、というメッセージが刺さった。
「Rejection is normal. You are not a loser. You truely lose when you give up.」
不思議なことに、研究者で似たような考えの人が多いように思う。
「Something which did not kill you makes you stronger!(何があっても、死にさえしなければ成長できる)」
とも言っていた。ドラゴンボール、のようだ。
2025年3月12日(水)
用事で街中へ出たついでに、久しぶりに新竹グルメを楽しもうと思ったら、目当ての店がとっくに終わって店員さんたちが食べていた。
夕食は5時から8時までしか開いてない店多い。
これこそワークライフバランス。
2025年3月11日(火)
昨日学部緊急LINEに、「数匹の野良犬がキャンパスで見つかったので罠を仕掛けた」というメッセージが来て、罠の写真が添付されていた。
檻の中に中にエサが置いてあり、入るとガシャーンと閉まる、「イヌ捕り」っぽかった。
今日、午前中に、「無事つかまりました」と、檻に入った犬の写真と、檻をつかんだ用務員さんに、犬が尻尾を振りながら吠えている動画が投稿されていた。
2025年3月10日(月)
大田駅までのタクシーで、私がクレジットカードで払ったのだが、相乗りした先生が100ウォン硬貨と日本の100円玉半々くらいで割り勘してくれていた事に、帰って財布見てから気づいた。こういうセンス好き。
2025年3月9日(日)
韓国の真ん中位にある、大田という所に滞在していた。学会を少し早引けして、ソウル散策。15年前に行ったような所が、格段に整備されており別世界になっていた。
2025年3月8日(土)
学会発表。いつになく緊張する。これは気の持ちようのせいで、自信満々で発表するにはもっとデータが必要なのだろう。
韓国の研究者とかなり深く交流できたので目的達成できた。
2025年3月7日(金)
韓国の新幹線に初めて乗った。チケットを買って、改札も通らず乗る。座るべきところに乗っていれば、検札も求められないそうだ。
2025年3月6日(木)
いろいろやる事があるのに、学生たちに留守番を任せて旅だってしまった。
カムサムニダ。
2025年3月5日(水)
授業の間に、何度も学生からLINEメッセージが来ると思っていたら、私がどこかで昼寝をしていると思い、起こそうと思っていたそうだ。
なんたる誤解。
2025年3月4日(火)
午後3時半の授業をするのに3時15分まで授業スライドを作った。本当に自転車操業。
2025年3月3日(月)
コンビニで買った個包装の「煮卵」を、大学の自室の引き出しに入れてちょくちょく食べていたら、今日、何かの動物に荒らされて食べ散らかされているのに気づいた。むちゃ怖い。
2025年3月2日(日)
春を通り越して、けっこう暑くなった。出先から帰ってシャワーをしてコーヒーなどを飲みながらエアコンが効いた部屋で仕事すると気持ちいい。(仕事が進むかは別として)
2025年3月1日(土)
1年35組から獣医学部卒業まで、大学6年を共にした友人が訪問。タクシーとレンタル自転車で、台湾海峡を見に行った。
2025年2月28日(金)
祝日だったらしい。2人に増えた学生に実験を教えた。
2025年2月27日(木)
オンラインショッピングサイトの蝦皮(ショッピー:2/5参照)で、春節の前に注文した電子レンジが、なかなか来ないと思っていたら、2月上旬に、
「納品は3月になるけどそれでも注文しますか?」
というメッセージが来ていたのだった。
なんじゃそりゃ!と思ったが、もう3月近いので「OK〜〜謝謝〜〜」と押しておいたら今日来た。
思ったより早く納品になりラッキー!?
2025年2月26日(水)
夕方に、ラボ説明会がありポスター発表。今回の発表は学部生対象で、彼らはどこかの研究室に所属しなくてはいけないので来てもらえれば価値がある。
英語でしゃべって、最後に「我的中文不好!(私の中国語はダメです)」と言ったら、「あなたの言っていることは十分わかります。」と上手な英語で言われた。
2025年2月25日(火)
午後は授業。
調子よくしゃべれている時は
快感。
話すことが無くなるのが
恐怖。
学生の勉強になっているかは
不明。
2025年2月24日(月)
独立してから、書くべき作文が多い。初めてChot GPT(ちょっとGPT:仮名)に、ちょっと課金してしまった。。
2025年2月23日(日)
デトックスのため、水を飲んでだいぶ歩いた。
2025年2月22日(土)
はっきりと二日酔いの一日だった。学生とマウス室で実験があったが、集中力ゼロ。
2025年2月21日(金)
街中の飲み会に行くのに、大学の裏にある道をず〜っと歩いた。
無数のスクーターが、途切れなく追い越していく。全台湾でいうと、何百万台いるのだろう。
「どこまでも続く(スクーターの)赤いテイルランプが綺麗で」
2025年2月20日(木)
学部セミナーシリーズが始まり、多くの学生と(一部の)先生が一番大きな教室(ワトソンホール)に集った。
あんなに広いのに、各々の学生が座る場所が登録されていて、出席などが管理されていると知ってびっくりした。
隣の席の先生に、「あなたはどこに座ってもいいからね!」と言われた。
2025年2月19日(水)
講義が始まり、この1か月ほとんど発声していなかったのに、急に大量の言語を話す必要が生じる。脳と喉がジェットコースター状態。
2025年2月18日(火)
昨日から新学期始まる。学生が一気に増えたが、9月(前期)ほどではない。
2025年2月17日(月)
台湾は贈り物文化で、ちょっと話しに来た先生や学生にお菓子や果物などをもらう事がよくある。
日本人として、
これまでに何もお返ししていない事
が、すごく申し訳ないと思っている。
2025年2月16日(日)
小春日和でさわやかな風が吹く気持ちいい一日だった。どこにも行かなかったけど。
2025年2月15日(土)
数日前、大学犬の一頭がお尻やわき腹が傷だらけになり、エリザベスカラーを付けられ、学生に連れられていた。聞くと隣の大学から流れてきた犬に噛まれたそうだ。(少し前に見た黒犬の軍団?:1月23日参照)
大学犬はトレーニングや様子を見て、「絶対無害」な個体だけが放たれているはずなのだが、犬同士の相性や縄張り争いまでは予測できないと思う。
(あと、単純に犬が嫌いな人にとっては、その辺を歩いているだけで嫌だろう。)
その後、被害犬は犬舎に入れられたのか、数日姿を見ていない。
放し飼い制度がどうなるか注目。
2025年2月14日(金)
新学期に向けての仕事が、やっとエンジンかかった。かけないといけないエンジン。
2025年2月13日(木)
今週は、ラボに来たい留学希望者の面接を数件した(テレビ会議)。良さげな人もいる。
しかし、外国人の大学院生は書類選考でほとんど決まるので、学問の素質より、大量の書類を自分で用意できるかどうかが淘汰圧になっている気がする。
もちろんそれだけでは無いのだが、入学しても、卒業しても、研究者になっても先生になっても事務能力は必要なので、いいことなのかもしれない。
2025年2月12日(水)
帰宅時、今年になって初めてくらいの雨が本降りでとまどう。用務員さんの配慮か、学部の入口に、「置き傘」が段ボール1箱分くらい置かれていて助かった。
2025年2月11日(火)
年末にシークエンス解析を委託した18検体の結果が、ほとんど1.9Gbくらいのサイズで納品されたのに、
1サンプルだけなぜか巨大(20Gb)。
「これは不自然だろう」、と
文句
を言ったら、セールスの人が申し訳なさそうに、
元ファイルを1/10に「カット」
したデータを、
「私(〇〇〇)の私的なディスク」
というディスクに入れて持ってきた。
(彼女が、正月に東京へ旅行した写真なども入っているらしい)
結果はちゃんと出ているのだが、これはデータ処理の方法として適切なのだろうか。
2025年2月10日(月)
自分ができそうな実験ばかりしていて、大事なデスクワークから逃避している。
2025年2月9日(日)
髪の毛がぼさぼさ。これまで
「ちょっと帰国」のたびに散髪
に行っていたが、新学期などの事情もあり、次回帰国の見通しが全く無い。
大学内には、学食の2階に
「只要90元!」(たったの90元!:450円くらい)
という、学生向け散髪屋があるのだが安すぎてむしろ怖い。
街中で、日本人がやっているという所を教えてもらい行ってきた。(すっきりした。)
新竹駅前では、春節前から始まった新年イベントがまだ続いていた。新年長すぎ。
2025年2月8日(土)
学生と実験した。社会の仕組みとして、昔所属した研究室の様に
学生に「土曜日は平日です!」とは公言できない
ようになっている(そんなことを言ったら誰も来ない)。研究室主催者にとっては有利な時代だったと思う。
2025年2月7日(金)
携帯電話代が、やっと自動引き落としになった。。
2025年2月6日(木)
共同機器室で、いま抽出したRNAの濃度を測っていると、私の授業を履修した
留学生
が来て、
「教授(と、名の付く人)が実験してるのを、初めて見た。」
と言ってた。
世界には、Assistant Professor(助教)とか、Associate Professor(准教授)が実験しなくていい国が有るらしい。
2025年2月5日(水)
台湾へ来た時
「蝦皮」
という言葉を見ると、
「エビの抜け殻?何これ?」
と思ったが、実はオンラインショッピングサイトだった。
「
蝦皮
(シァピー)」と
「ショッピング」
をかけているらしい。
最近自宅向けに蝦皮で注文したつもりが、配達先を間違っており、24本の麦茶がラボに届いた。
ラボが、麦茶飲み放題。
2025年2月4日(火)
今年になって多分一番の冷え込み。昼間、外で会った同僚に、「おまえはそんな薄着で寒く無いのか」と言われたが、帰りは薄着だと寒かった。12℃(も)あったが湿度が高く、風があるため寒く感じるのだろう。湿気があって良いことがあり、日本で悩まされていた肌荒れ(手足の痒みや、手の湿疹)と静電気がほとんど無い。花粉症も無さそう。一人の人間が日本と台湾を往復すれば、アレルギーやアトピーに関する貴重な実験データが取れそうだ。
2025年2月3日(月)
春節中に一人でやっていた実験が残念な結果。でも、やらなければずっと妄想で終わっていたので良しとする。
2025年2月2日(日)
休暇は今日で終わり。(と、信じたい)
いつも行くコンビニのおばちゃんも戻ってきていたのだが、むっちゃ咳をしている。「ユアthroat (喉) OK? 小心(気を付けて)!」。と、英語中国語混じりで言ったら、「ワッハッハ、ゲホゲホ」と、満面の笑顔だった。
小心、が、「お大事」にという意味も含んでいるかはわからないが、これまでの、強面の会話よりは少し親しくなった気がする。
2025年2月1日(土)
1週間以上黙々としていたら、知らない間に
声が出せなくなっている
ことに気づく。
昨日、奥さんと久しぶりにテレビ会議をすると、今日は声が戻っていた。
これが単身赴任の春節というものか。
2025年1月31日(金)
春節休暇中ではあるが、1月末日で上半期が終わった。今期で退任する学部長が、
「私は今日までなのでさようなら」
と、いうメッセージを、学部教師全員のLINEグループに送った後、グループから退会していた。
(あっさりしている)
日本人の私は、この人がいたから採用してもらったと思う。大恩人だ。
「今までお疲れさまでした」
メールすると、いつになく熱い返信が来た。
2025年1月30日(木)
旧正月2日目。6日くらい自炊したが、スーパーは開いていたし、今日はすでに、良く行くラーメン屋などが開いていた(超満席だった)。心配していた食糧危機は脱したと思う。(大げさ)
2025年1月29日(水)
日本で正月に、「田舎へ帰って」というのは、台湾では「台北(大都会)から地方へ」という人が圧倒的に多いみたい。
東京のアナログだ。
台北は北なので、必然的に、南に里帰りする人が多いことになる。
では、新竹が実家な人はどうしているか。
今日、海までサイクリング(昨年8月25日参照)すると、市場がむちゃにぎわっていた。
みな、楽しんでいるのね。
2025年1月28日(火)
大晦日で、家にいても色々な所で花火が上がっているのが見えた。
2025年1月27日(月)
メールがほとんど来なくなった。
2025年1月26日(日)
こちらに来て、ゆで卵すら作ったことが無かったが、必要に迫られ料理をすることにした。空腹なら大体のものは美味しく食べられる。
2025年1月25日(土)
あまり春節の過ごし方について考えていない。同じ階の同僚が、繁華街のイベントを教えてくれた。
2025年1月24日(金)
9連休を控え、(たぶん)本日が学食の最後の日だった。「葱爆羊肉」を食べた。
2025年1月23日(木)
キャンパスには
放し飼いの大学犬
がいる。(1/6日記参照)
犬好きだが寮生活なので飼えない学生が、
「犬クラブ」
を作って、ワクチンや不妊手術などを含め、管理して世話しているそうだ。
現在、人を噛まない、などの基準を満たした6〜7頭が放し飼いになっていて、学内の違う場所に定住している。
よく、学食の周りにいる2頭は、ほとんどの時間昼寝しているが、思い立ったように2頭仲良く学内を移動している。
平和だ。
人間に対して全く愛想が無い
のは、散歩に連れて行く人に媚びなくても、いつでも自由行動できるからなのかもしれない。エサも、定時になると
学生が持ってきて据え膳
するので、犬は有難そうにせず、淡々と食べている。
昨日、見たこともない真っ黒な首輪をしていない犬が4頭、その2頭のエリアに向かって移動していた。明らかに大学犬ではなさそうだったが、どこから来たのだろう。出会ってどうなったのだろうか、と思いながらラボに行った。
2025年1月22日(水)
夜中に激しく足がつり、飛び起きてそ睡眠不足。眠気解消にコーヒーを飲みすて、昼食も食べられないくらい気分が悪くなった。学生に、先生今日は具合悪そう、と言われた。
2025年1月21日(火)
住居の管理人さんから
「春節休みの注意事項」
に関する全員メールが来て、多くはゴミの回収などに関する一般的な内容だったが、
「4.防火に注意。宿舎区域で爆竹禁止」
と、いうのがあった。それっぽい。
2025年1月20日(月)
申請していた、台湾のクレジットカードを入手した。オンラインショッピングで初めて注文したもの。「ネズミの床敷」
2025年1月19日(日)
家から自転車で下っていく途中に、急に横断した変な鳥(
ストレンジバード
と呼んでいる)を轢きそうになった。この鳥は、なんで飛べるのにあまり飛ばないのだろう。
2025年1月18日(土)
きのう、個人宅に招待してもらった飲み会の、残りの酒があるので一人で飲んで潰れた。あると飲んでしまう。安売りでまとめ買いなどはしてはいけない。
2025年1月17日(金)
朝起きると、家(新進教員乃宿舎)がなぜか停電になっており、2週間くらい前の悪夢がカムバック。
ブレーカーなどをいじっていると勝手に回復したので安心した。
2025年1月16日(木)
デスクワークの合間に実験もした。
実験は(体に良い)有酸素運動だと思っている。
しかし実験室間を走り回って、
「必死感」
を学生に見せるのは、先生もそろそろやめたい。
2025年1月15日(水)
ここのところ寒い日が多く、凍えるほどではないのだが、事務仕事などをしていて、ふと気が付くと身体がかなり冷えており、あまり良くない。
(
10℃前後なのに死者が出ているもよう
)。
今日、エアコンを
「暖気」にしても冷気しか出ない
と思っていたら、冷房専用のエアコンを買っていたのに初めて気づいた。
昔の吉村研は、
「冷暖房完備!快適に仕事(実際は、鬼の様に実験)ができます」
と、学生を勧誘していたと聞いたことがあるが、うちには暖房が備わっていないことを初めて知った。
家に帰ると暖房が使えて快適。
2025年1月14日(火)
PCRで学生にお手本を見せようと思ったが、ぜんぜん綺麗なバンドが出なかった。なさけなや。
2025年1月13日(月)
学内の、梅園の梅が五分咲き?くらいに咲いている。日本にいるときは、桜(花見)にしか興味が無かったが、国立清華大學の梅園は、大学を開校した
Dr.梅(初代校長)
を記念した特別なもので、観光地としても立派。
ちなみに、私の名前に含まれる
「竹」
は、隣の大学(交通大學)のシンボルで、スポーツの対校戦
「梅竹戦」
があるらしい。敵だ。
2025年1月12日(日)
台湾と違う国に留学している元同僚とテレビ会議した。酒も飲んでいないのに3時間半。日本語は楽だが、声が枯れた。
2025年1月11日(土)
年が明けてから曇天続きで寒くなったが、動いているとちょうど良い感じ。朝と午後にジョギングした。
2025年1月10日(金)
朝に、セブンイレブンでLサイズホットコーヒーアメリカンを頼んでいるとたまたま学部の先生がいて、
「大学の身分証見せると15%オフだよ。」
そうかー、今まで、ほぼ毎日コーヒーを買うのに知らなかった。
2025年1月9日(木)
昨夜私たちが酒を飲んでいる間に停電が復旧。PCRも動作確認でき、新年快楽。
2025年1月8日(水)
湖畔のホテルで、学部の忘年会があった。気分的には新年会だが。。。
2025年1月7日(火)
学部で起こった停電は原因もわからず3日目。
家でデスクワークを決め込んでいたが、11時ごろ、
「学部全員LINE」
に、
「非常用発電機まで故障した!」
という知らせが届き、ざわつく。
学部への電力供給がほぼゼロになり、実験はあきらめるとしても、学部内に数百個はある冷凍庫のサンプルが溶ければ多くのラボが飛ぶ。13時、
「ドライアイスが必要なら、ここまで行って購入して下さい。」
と、ドライアイス工場への案内が出る(各自か)。若手教授が車で連れて行ってくれた。手厚い。
夕方に、台北から巨大なレンタル発電機が運ばれてきて、昨日の状態までは戻ったらしい。
2025年1月6日(月)
私が
「若手研究者」
だった時に購入したPCR(サーマルサイクラー)を、このたび台湾へ持って行った。
公式には引退したが、まだまだ使える!
今日、抱っこしてラボまで運ぶのだが、でかいし重い。
休憩地点で記念写真を撮った。
ラボに設置して、
すぐに仕事に使う予定
だったが、なんと昨夜の停電が復旧しておらず、緊急用発電機の燃料もヤバいので、実験禁止令が出ていた。
2025年1月5日(日)
日本で日本らしい正月休みをフルで過ごした。
今日から仕事モード。というか、仕事に戻るための準備をしにラボへ行った感じ。
19時ごろ
「バチン!」
と、学部中の電気が落ちる。こわっ。
廊下に出ると、隣のラボの学生がいたのでほっとした。建物内は非常電源ですぐに復旧したが、キャンパスの6分の1くらいの範囲が停電したとのことだった。
学部から大学中心部への道で、街灯がすべて消えており、
「クライモリ」
状態の中を自転車で帰った。
2025年1月4日(土)
年末に帰国すると言ったら、複数の同僚に「2月(新学期)に戻ってくるんだよね?良いお年を!」と、聞かれた。
給料をもらっているのに、もしかして、まる1か月休んでもOKぽい雰囲気。
自由すぎる。
まあ、台湾へ戻った。
2025年1月3日(金)
今年の目標。あまり頻繁にメールチェックしないこと。なかなか出来ないのだが、、、
2025年1月2日(木)
大学の友人と、駅で待ち合わせしてカラオケに行った。彼とは今まで何度カラオケに行ったのだろう。
2025年1月1日(水)
新宿へ買い物に行った。ラボで使うビニールテープを買った。
2024年12月31日(火)
午前に明治神宮にお参りした。
大晦日だが、あまり神社や寺にお参りしないので、今年366日目になって初めて初もうでした、とも言えるかもしれない。
来年も楽しく過ごせるよう。皆様も。
2024年12月30日(月)
新年に飲む酒を買いに行くと、カリフォルニアワインのコーナーで、誰かがものすごく真剣に選んでいた。私もこのコーナーが見たかったので、後で行こうと思ったが、よく見ると吉村ラボの同僚だった。久しぶりに(酒屋の中で)盛り上がった。
2024年12月29日(日)
パソコンで仕事を持ち帰ってきたつもりが、帰ってくると中々取り組まない。
2024年12月28日(土)
我昨天去回國来日本(わたし、きのう、帰国した、日本に来た。)。同じような仕事をしている仲間と飲みに行った。
2024年12月27日(金)
慶應から送った、すごく古いRealTime PCRを、台湾で初めて使ってみると、増幅シグナルがまったく検出できず、輸送の際に故障した可能性があった。
運んだのに廃棄か……。
cDNAができてなかった可能性やPCR酵素がダメだった可能性、PCRプレートが機械に合わなかった可能性もある。
1.他の研究室にある機械で試す。
2.ちゃんと増幅ができるサンプルで試す。
3.増幅ができているか、PCR産物を電気泳動してみる。
こんなトラブルシューティングは、たぶん4〜5時間くらい実験すれば出来るはずなのだがダラダラして、学生も巻き込み2週間かかった。
実験1はシグナルが出ず、
実験2は出て、
実験3は出なかったので、
機械は壊れていない事がわかった。うれしい。
2024年12月26日(木)
夕方ジョギングに行ったら、大学内にある梅園の梅が咲き始めていた。
2024年12月25日(水)
昨夜は同じ学部で、同じ宿舎に住んでいる若手教授たちのクリスマスパーティーに呼んでもらった。
みな40歳前後。
「好きな飲み物だけ持ってきてください」
と、言われていたが、もしかしてほとんどの人がノンアルコール?
遠慮がちに白ワインと赤ワインを差し入れ。グラスも無いかなーと思って持っていったら、すでに10本以上ワインが持ち込まれ、ワイングラスも完備だった(酒しかない)。
みんな飲むときは飲むのね。。。
「ニューヨークに18年住んでいて、急に新竹に住むとどれだけ残念か」
、といった話を聞いていると、気が付いたら5時間くらい経っていた。
2024年12月24日(火)
クリスマスなのでアメリカの上司に挨拶と近況報告したら、
普段より長いメール(すこしエモーショナル)
が返ってきた。
簡単には、
「お前を応援する」
という内容だったが、英語ネイティブの人が機嫌よく書くメールは、一人の日本人が理解できるレベルを超えている。
2024年12月23日(月)
歯の詰め物が取れて、台湾で恐れていた事の一つ、歯医者に罹らなくてはいけなくなった。日本人っぽい名前を冠した所に行ったら、日本語は通じるわ親切だわで、心配無用だった。
2024年12月22日(日)
毛布を買いに街に出た。猫耳パーカーをかぶっている人が多い。流行っているのだろうか。
2024年12月21日(土)
4月に日本から送って、いまやっと良かったと思っている物は冬用のズボンだ。たぶん3か月くらい着る。
2024年12月20日(金)
秋学期(前期)が終了。授業が一通り終えられてほっとする。
2024年12月19日(木)
昼食から帰ってくると、ものすごく大きな声で電話がかかってきた。
間違い電話かイタズラだと思って切ったら、ラボの前で黒猫雅瑪多(ヘイマオヤマドゥオ)が待ち構えていた。
台北からマウスのgenotyping用サンプルが届いた。やる事が一つ増えたが、経験上できそうな仕事なのでうれしい。
2024年12月18日(水)
とても寒くなった。とはいっても、12℃くらいある(10℃は極寒)ので、東京などの話を聞いていると大したことはない。それより風が強い。台風でもないのにごうごうと風音がしている。
2024年12月17日(火)
午前中はてきぱきと実験した。いちばん得意だった実験が、台湾のチクマラボで一通り出来るようになったのは大きな進歩だと思う。
2024年12月16日(月)
なかなか取り掛からなかった実験が、とうとう夢にまで出てきたのでやり始めた。デスクワークも良いが、フットワーク(手を動かすのでハンドワークか)があまり重くなるのは避けたい。
2024年12月15日(日)
「国民死刑投票」という韓国の連続サスペンスドラマを(1時間 x 4話)観てしまった。12話は遠い。
2024年12月14日(土)
昨夜は日本人飲み会で、10人中同じ大学の出身者が2名もいた。何学部卒で部活は…と自己紹介していると、共通の知り合いが何人もいて、出身大学が同じ、というのは急速に打ち解ける。
2024年12月13日(金)
朝、学部の自販機で飲み物を買ったら同じペットボトルがドバドバととめどなく出てきた。「ラッキー!」と思ったが、出すぎて取り出し口が開かなくなり、用務員さんに連絡して業者に電話してもらう案件となった。
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2024年12月12日(木)
一つ仕事が終わったので、隣の大学へジョギングに行った。
2024年12月11日(水)
今日も学内を走った。昨日で慣れたのか、気持ちよく走れるしその後仕事も進む。季節も良いので、しばらくマイブーム(死語?)になりそうだ。
2024年12月10日(火)
英作文に疲れ、夕方学内を走ったら、同僚でだいぶ上の先生が、Tシャツ短パンで体操していた。(うれしそうだった)。
2024年12月9日(月)
夕食に、買ってあった「うなぎの缶詰」を食べた。3個で450円くらい。おいしいのだが、想像しているウナギとはだいぶ違う。甘辛く、背骨も入っていて、サンマの缶詰のようだ。
"Everything tastes like KANZUME."(すべての缶詰は缶詰の味がする by キアヌ・リーブス)
2024年12月8日(日)
大学内の家とラボを往復しただけの普通の1日だった。
2024年12月7日(土)
夏場は少なかった多数のリスを見かける。
「タイワンリス」
は、かわいいシマリスとは違い、ねずみ色で、ゲームに出てくる
「どくろイーター」
という敵に似ている。
昨朝は学生寮の前で、4匹のリスをネコが狙っていた。ネコは飼い猫だと思うのだが明らかに狩りモード。
どうなるかしばらく見ていたが、向こうから知り合いの学生が来たので最後まで見なかった。
2024年12月6日(金)
はるばる米国から研究者仲間(知る人ぞ知る、あつお)が来て講演をしてくれた。
時期は違うが吉村研在籍者なので兄弟子だ。
サイエンスと哲学の両面から盛り上げてもらい、非常に助かる。
終わって街へ小籠包を食べに行った。
2024年12月5日(木)
午後は学生と実験。10年以上前に買った試薬や、海を渡って届いた道具がちゃんと動いて感動した。いま一番向き合うべきデスクワークから逃避している。
2024年12月4日(水)
今週は普通に暑い。授業のあと、学生と話していると、昨年は8℃くらいだったと言ってた。彼も留学生で2年目なので今年と去年、どちらが普通なのかわからない。
2024年12月3日(火)
愛用の自転車のチェーンがすでに錆びてしまった。湿度が高いからだろうか。デスクワークの間に、オイルを買いに行った。
2024年12月2日(月)
今日の中国語は、
「私は具合が悪い」
という章を習う内容で、病院に行くときの会話だった(まじで有用)。「鼻水」は「ビーシュイ」、これだけはわかる。
2024年12月1日(日)
台湾に帰還。いつも、LINEで予約すると空港シャトルを手配してくれる人が、今回は直々に迎えに来てくれ初対面だった。この人と私、どちらもおっさんが、ウサギやクマのスタンプで「OK〜〜」とか「サンキュー!」とかやっていると思うと素敵。ただ、あまりにも彼の運転が達者(高速、一般道問わず猛スピード、車間距離短め)なので、新竹まで冷や冷やしっぱなしだった。
2024年11月30日(土)
新宿のライブハウスへ、知り合いのバンド演奏を観にいった。アマチュアとは言っても数十年やっているそうだからベテラン。65歳とかになっても、2時間起立して歌える体力があるだけですごいと思う。(もちろん芸術性はそれ以上。)
2024年11月29日(金)
12月は研究費申請、1月は、、、空き時間にこれとこれを、、、、と、やる事が多く気合を入れるべきなのだが、ホームシックに負けて羽田行きの飛行機に乗ってしまった。
2024年11月28日(木)
今週は何かと、東京ドームで開催された
世界野球
(台湾が、日本を決勝で下し優勝)が話題になり盛り上がった。同僚の話によると、台北ー東京の航空券が往復30万円に高騰したり、それでも売り切れたので、
シンガポール経由
で東京まで行った台湾人がいたり、という事だった。熱狂だ。
2024年11月27日(水)
ここ数日寒くなった。初めて上着を着た。
2024年11月26日(火)
この1年半で、デスクトップパソコンが2台壊れる、という憂き目にあった。
原因はわからないが、長距離移動させたり、電圧が不安定だったりするのかも。
研究室で使うパソコン(自分用、データ解析用、機器の操作用)が足りなくなり、このたび台湾で初めてノートパソコンを購入した。
キーボードには、ひらがなの代わりに、
「ボポモフォ」
が印刷されている。
新鮮だ。
2024年11月25日(月)
朝8時に、多数の先生や学生と貸し切りバスで出発。国家衛生研究院(NHRI)、という所で発表する。
週末に豪遊して、仕事の事をまったく考えなかったので、頭が戻るのに半日かかった。発表が夕方なので助かった。
2024年11月24日(日)
自転車を借りて新竹の海岸をサイクリングした。
2024年11月23日(土)
週末は台北へ。東京の奥様と合流して夜市などに行った。
2024年11月22日(金)
学生に実験を教える。一番大事なのは、サンプル(ねずみ)を間違えない事だと。
2024年11月21日(木)
同じ教師宿舎の同じ棟に住んでいる日本人の先生と初めて話した。彼は18年もいるそうで、いままで会わなかったのが不思議。
2024年11月20日(水)
18時にラボ散会。学生は日本語レッスンへ。私は中国語教室へしばかれに。(芝刈りとかけているっ!)
2024年11月19日(火)
デスクワークの合間に、日本から持って来たダンベルで少し運動した。
2024年11月18日(月)
今天比昨天冷、下雨。休息的時候、我去茶館喝珈琲了半小時了。
(中国語教室から帰って来た時だけ、そのモードになっている。)
カツを入れるの喝、が、「飲む」という意味なのがしっくりこない。
2024年11月17日(日)
夕方に大学のグラウンドを走った。涼しいし湿度も低く、いい季節だ。
2024年11月16日(土)
「ウサギ」という台風は、大したことがなかった。日本にいたときは、台湾はものすごく台風ばかり来ているように見えるが、余程直撃しないと被害はないらしい。
2024年11月15日(金)
注文した試薬が届かない。朝にLINEで催促したら、
「黒猫(ヘイマオ)が独身の日セール(11/11)でパンクしているので、試薬の配達が超遅れている」
とのことだった。
2024年11月14日(木)
実験も発表もミーティングも授業も中国語も無い平和な1日だった。
2024年11月13日(水)
夏頃に日本人飲み会で、
中国語をどうやって勉強
している、という話になった。企業から来て頑張っている人が、毎週2時間授業を2回受けていると言った。
週4時間か、それはすぐに中国語ペラペラになるだろう、と思っていた。
いま、同じくらい授業を受けており、考えが間違いだとわかった。。授業 + 努力も必要だと。。。
2024年11月12日(火)
学内で、
中国語が話せなくてもできる委員
にしてもらっている。
委員会があり、自分が出すべき決断を迷って、
「持ち帰っても良いですか?」
と聞いた。
他の人から、
「今決めた方がいい。君の時間を無駄にするな。」
と、アドバイスされた。
そういうものなのかもしれない。
2024年11月11日(月)
学生に、細胞からRNAを取る取り方を教えた。昔はどんなだったとか、苦労話をしても、もう通じない事は承知している。
2024年11月10日(日)
土日に落ち着いてやろう、と思っていたことは土日になるとやらないことが多い。「一人鍋物」、を食べに行った。
2024年11月9日(土)
来春の、修士課程入学希望の面接試験があった。
私は面接しないが、他の先生に勧められて1階の廊下に研究室勧誘のポスターを貼った。
受験生は台湾出身者。
すでに来ている学生から、
「研究室が英語だと台湾人はあまり来ないかも知れません」
と、(日本語で)言われていたので、今回は英語と、ちょっと中国語が混じったポスターを作った。
午後は、海外の研究室希望者をweb面接する。こっちは英語。
2024年11月8日(金)
大学内は、
「電動キックボード天国」
で、各所に青緑色の「電動・」が停まっているステーションがあり、登録すれば、これを借りてどこでも行ける。
個人で買っている人もいて、こちらはいろんな色。特に、黒いやつは、「借り電動・」に比べるとはるかに速く、上り坂も「ピューーーー!」と軽快に登っている。
今まで、これはキャッキャ言いながら楽しく乗るものだと思っていたが、日常の移動手段なので、学生が皆、すました顔をして乗っておりシュールだ。
私はいまのところ乗ったことがない。
2024年11月7日(木)
午前はオンライン授業(10月15日参照)。毎回家に帰って自宅のノートパソコンでやっている。
このたび、やっとラボの自室のパソコンにカメラを付けた。
2024年11月6日(水)
ニュースを見ていると、トランプ氏は中国語で川普(チュエン プー)らしい。なんかかわいい。
2024年11月5日(火)
ラボの中で時間が過ぎるのが早い。大したことはしていないのに。
2024年11月4日(月)
多数の検体をソーティング(流式細胞儀:FACSで、目的の細胞だけを集める作業)する。
機械の前に、
「どうか機械が詰まりませんように。どうかQCが一回でパスしますように。どうかソーティング調整が一回でうまく行きますように」
という、願いを書いた
ポテトチップスの袋
がいくつも置いてある。
ポテトチップスに願掛けをする意味
は不明。しかし、機械が機嫌を損ねず、うまくソーティングしてくれる願いは、日本でも台湾でも共通のようだ。
2024年11月3日(日)
海岸までサイクリングして、帰ってコーヒーを飲んで一番頭がハッキリしている状態でデスクワークした。
2024年11月2日(土)
午後3時から、日本人会の「バーベキューパーティー」に初めて参加した。すっかり涼しくなった隣の大学内の焼肉サイトで、陽光の下、お酒を飲むのは最高。
台湾人の「美人3人組」に、
三個美女!
と言ったらキャーキャー喜ばれた。
9時に散会になり、2次会へ、と誘われたが
「シン・酔っ払い」
になったので帰った。
2024年11月1日(金)
台風一過、学内の道路に落ちている大量の物(主に、木の枝や葉)を、業者の人たちが慣れた感じで吹き飛ばして掃除していた。
2024年10月31日(木)
猛烈な台風が来て、なんと今年5日目の台風休暇(公務停止、学校停止)になった。朝、気にせずラボに行ったら、風音がどんどん増してきて、さすがにヤバイと思い帰宅した。その後3時間くらいで暴風のピークが来た。引きこもって正解だった。
2024年10月30日(水)
中国語授業に来ている学生が、急に厚着になった。彼らの多くは、台湾よりもっと暑い国から来ているので、25℃だと寒く感じるのかもしれない。
2024年10月29日(火)
台湾はなぜか
「LINE」
をみんなが使う社会。
学部でも70〜80人のメンバーが、
「6階のこの部分から雨漏りしています。すぐに対処します(緊急連絡)」
「ハッピー祝日エンジョイ!」
「○○先生が、XX賞を受賞しました!(お祝いニュース)」
など、何かにつけて
「全員LINE」
を送りあう。
祝われた先生は、ヒツジやクマがお辞儀している
「ありがとうスタンプ」
を返送したりする。
平和だ。
今日、
「実験でラパマイシンが使いたいのですが、数マイクログラム分けてもらえませんか?」
と、送った。
すぐに先生の一人から、
「うちにある。学生に連絡して取りに来てください」
と、いう返事が来た。
クマのスタンプは送らなかったが、試薬を分けてもらえるのは助かる。
4月には、
「余っているパソコンモニタがあれば貸してください。」
と、言って2か月借してもらった。
あまりやりすぎるとダメかもしれない。
2024年10月28日(月)
学会参加は良いこともあるが、帰ってくると仕事が溜まっているのが困る。
2024年10月27日(日)
学会は色々な先生の話を聞いて勉強になった。少し早退して実験した。
2024年10月26日(土)
学会のGet together partyで、チリから来た先生と話した。台北まで来るのに丸3日かかったそうだ。これはキツイ。台湾で、「碁盤」を買いたいと言われたのだが台湾人に聞いても難題だった。代わりに麻雀牌をすすめたが、興味無さそうだった。
2024年10月25日(金)
なけなしのデータを発表した。2017年の秋に、東京でちょっとだけ話した台湾の教授が覚えていてくれて、わざわざポスターを見に来てくれた。律儀だ。午後はフリータイムで、数名で観光地を歩き回る。
2024年10月24日(木)
朝は雨の中、学会場まで歩いたが意外と遠い。
同伴した学生の方が良い所に泊まっていたようだった。
学会場に着くと、昨日来ていた日本人の先生方はほとんど帰ってしまっていた。。。(日本の先生は、なんて忙しいんだろう。。。)
帰らなかった吉村教授が夕食をおごってくれた。
2024年10月23日(水)
仕事が終わってから、バスで台北へ移動する。免疫学の国際学会で、もとボスの吉村教授ふくめ、日本の知り合いと再会。なつかしい。
夜9時を過ぎてから、学生が選んでくれたホテルを探すのに一苦労した。着いたところは街のど真ん中、1階は綺麗なお店なのに、泊まる14階が廃墟のような空間。栄えているところと、そうでないところのギャップを同じビルの中で感じる。
部屋はきれいでほっとした。
2024年10月22日(火)
フィリピン辺りを通る台風のせいか、夕方から強風で、自転車で街中を走っていると横風で転倒しそうになる。
「台湾の日本人教師が交通事故で。。。」というニュースにならない様にしたい。
2024年10月21日(月)
18:30から始まる中国語の授業では、隣にインドネシアの学生に座ってもらい、先生が課す
「中作文」
などを手伝ってもらっている。
試しに、
「スラマパギー!」
とあいさつしてみたら、「それは、おはようだから、この時間はスラマサレです」と言われた。
中国語教室で、インドネシア語も学ぶ。
2024年10月20日(日)
大阪から帰ってきたら、桃園空港からの車内で「大阪しぐれ」がかかっていた。
2024年10月19日(土)
帰国のお土産には、新竹のお菓子屋さんで定番のパイナップルケーキを買った。
今回は空港に無い、「土パイナップルケーキ(土鳳梨酥)」というのを売っていて、なんじゃこりゃ?、と思ったら、その土地で採れた、という意味だった。
「地酒」みたいなものだった。
2024年10月18日(金)
関西方面へ帰国。用事の合間に、研究を続けている同級生とお茶した。
2024年10月17日(木)
共通の滅菌機の使い方が悪いと、我が研究室が2週間の使用停止処分を受けてしまった。この年になってお叱りのメールをもらったり、謝罪するのも新鮮。
2024年10月16日(水)
朝、むちゃくちゃ多くの人が学内警察署の前に並んでいた。
大学のFACE BOOKによると、放置されて撤去し、所有者が現れない自転車400台を、希望者にあげる、というイベントだったようだ。
セカンドマシンがほしいので並べばよかった。
2024年10月15日(火)
東京医科歯科大学(ドンジンイーカーツィーカーダーシュエ)と東京工業大学(ドンジンゴンイェダーシュエ)から新生した、東京科学大学(ドンジンカーシュエダーシュエ)のオンライン講義を担当した。
「最近まで近くに住んでいました」
と、自己紹介した。
2024年10月14日(月)
中国語の授業で、黄色、とか、緑色、とか、色の名前を覚える場面が出てきた。
「色」は、「ソォァー(カタカナで表現できない)」と、読むのだが、「これって、
ツーイーソー
とか
リューイーソー
(麻雀用語)のソーじゃん。」と思うと、
楽をして一字覚えられラッキー
。
ちなみに赤ワインは
「紅酒(ホンジョウ)」
で、
「赤ワインが好きな本庶先生」
、と覚えると
一発で頭に入り、一生忘れない
。
2024年10月13日(日)
夕方に、DeepLで
「今日1時間マッサージを予約できますか?」
を翻訳してもらい、ChatGPTで読み方も付けて、電話でそのとおりにしゃべったら、
「おまえ日本人でしょ。」
と言われたけど予約できた。ビェンリー(便利)だ。
2024年10月12日(土)
久しぶりに街まで自転車で、命がけ買い物に行った。車道のギリギリ右側(日本でいう左側)を走らないと、さらに右からスクーターが抜かしていく。クレイジーだ。
2024年10月11日(金)
涼しくなった。ラボまで歩いても、汗一つかかなかった。
2024年10月10日(木)
国慶節という、建国記念日の祝日で大学はお休み。
大学の近くを、戦闘機がブルーインパルスの様な編隊飛行で飛んでいた。
2024年10月9日(水)
LINEで旧同僚とバカ話で盛り上がった。
2024年10月8日(火)
こちらで初めて使う機械の、日本語のマニュアルを日本からおくってもらい感謝している。中国語だと、
一部想像
で補完しながら読まないといけない。
2024年10月7日(月)
細胞(シーバオ)の世話をした。
2024年10月6日(日)
久しぶりに晴れたので、市場に出ている
屋台で買い食い
する。かねてから、看板やメニューに
甜不辣(甘い。辛くない)
と書いてあって、何だろうと思っていたが気にしなかった。店に並んでいる揚げ物の前で、何気なく、
「ティエン・ブー・ラー」
と読んでみたら、
「天ぷらか!」
とわかった。当て字だった。
民明書房
なみだ。
2024年10月5日(土)
朝にラボで少し仕事をして、走って帰ってくるときに向こうから学生がやってきた。土曜日にも交代でラボに行き、
いろいろ
やっていれば、いつかはポジティブデータも出るかもしれない(やらないと出ない)。午後は、気が乗らなくて投げ出していたデスクワークが、ほんの少し進んだ。
2024年10月4日(金)
同僚に、「台風ホリデーはどうだった」と聞くと、子供とずっと家にいたのでものすごく疲れた、と言っていた。
2024年10月3日(木)
昨日は、
熊本大学
とのオンライン研究交流会があり、私も発表させてもらった。
先週の阪大(9月25日参照)ホストの先生によると、日本人が台湾側にもいると
緊張感がほぐれる
ので楽だそうだ。こんな事で利用してもらえれば本望だ。
清大-熊大(チンダァ-ションダァ)交流
は、次回はガチでどちらかに現地訪問になる雰囲気だった。
2024年10月2日(水)
台湾のYAHOOで、
「史上ない超大型台風が襲来。危険!」
というニュースがある一方、
「台風が大したことが無いので、家にいる親が子供の世話で泣いている。お父さんは働きに行きたい」
という記事もあった。
2024年10月1日(火)
夜7時半ごろから、私たち新人教師と学部生が、ピザを(大量に)食べて交流するというイベントがあった。
担任することになっている1年生の2人目に会えたり、
「俺のばあちゃんは日本人なんだ。だから俺は日本語もしゃべれる。かっこいいだろ?」
と、日本語で突撃してくるきっぷが良い学生がいたりと、面白かった。
会の途中、台湾で最後まで発表がなかった新竹に、
「明日は台風でお休み」
の発表が出て、学生がガチでピョンピョン飛び上がり喜びを分かち合っていた。
(実は私も、中国語の授業が無くなってほっとしている。)
2024年9月30日(月)
新学期から、学生の「担任」をすることになり、一人目(学部1年生)と面談した。毎年の入学生から3名ずつ受け入れて、彼らが無事4年終えて卒業するまで担任するので、12名になるらしい。
もし、悩み事があったら相談してねー。と、解散した。
先月末の新人教師キャンプで聞いた話によると、今の学部生の代は、みな幼稚園から英語を習っているのだそうな。それをやっていない修士コースは、中学生から英語を始めたので(私と一緒)、世代間で英語力に絶対的な段差があるらしい。
英語ペラペラの学生に教えるのなら、中国語以前に英語力をつけないといけないと思う。。。
2024年9月29日(日)
良く寝たのでスッキリ。3時間くらい自転車でうろうろして、コーヒーを買って明日からの準備をした。
2024年9月28日(土)
週末の夜は10時間ほど寝てしまった。大谷翔平も毎日それくらい寝ているらしいのでいい事にする。
2024年9月27日(金)
朝8時出発、夜10時帰新竹で、台北への遠足があった。私も混ぜてもらったが、改めて台湾の人のおもてなし体質はすごい。観光地の合間合間に、クッキーや飲み物、ドライフルーツを買って食べさせてもらった。3日間ご一緒すると、初対面の日本人ともかなり良く知り合う。
2024年9月26日(木)
昨日は、
阪大理学部
と、
わが清大生命科学医学院
の交流シンポジウムが開かれ、私はなぜか清大側の演者になった。
人選が微妙なので、「私は日本人ですが、
ハーフ台湾人
です」と自己紹介してから発表した。
本日朝の学部セミナーでは、発生学の先生が250名の学生(と先生)に素晴らしい講義をしてくれ、偶然だが2週連続で、日本人がこのセミナーで発表したこととなった。たぶん史上初だと思う。
2024年9月25日(水)
大学間の国際交流で、日本國大阪大學から先生や学生が多数訪れる。夕食で美味しいものが食べられるチャンスだったが、
中国語の授業
があったので不参加。
授業では今回も相変わらず打ちのめされる。
先生に
「ジュウマシェンシェン!(竹馬先生!:竹馬さん、の意)」
と当てられるのがこんなに怖いのは、30年前くらい前の、獣医伝染病学の講義の時以来だ。
2024年9月24日(火)
実験できるようになってから、私と学生一人しかいないのに、細胞の培地や培養ディッシュがどんどん消費されて行く(ゴミも大量に出る)。
活発に研究しており、研究室としては良いことだと思っているが、業者さんに追加注文したり新しいものを注文するのが大変だ。
いま、思ってみると、アメリカにいたときの上司(ブルーストーンさん)は大きなラボを運営していたのに、当時、すべての部下に
「買いものリスト」
をエクセルで提出させ、彼が承認したものだけ注文していた。(ダメ、と言われたこともある)。
当時、50歳くらいだった上司が、ノーベル賞級の論文をばんばん書いて、研究室の買い物も全部やっていたと思うとスゴイ。
2024年9月23日(月)
同じ階の廊下で、サバティカル休暇を取ったという先生に出会った。
あれ、いつからどこにサバティカルに行くんですか?と聞いたら、『どこへも行かない』そう。
授業をしなくていいし、会議にも出なくていい。大学にはたまにきて学生と研究のミーティングをしたり、先生仲間とテニスをしてあそぶのだそうな。
満面の笑みで、嬉しそうに語ってくれた。こういうのいいな。
2024年9月22日(日)
日本からずーっとつながっている雨雲の影響がすごい。アパートのすぐ近くのバス停から乗って街に行った(70円くらいで行けるので。)最近知り合った先生もバス停にいて、だいぶ話をした。
2024年9月21日(土)
雨の土曜日にラボでも仕事があると買い物に行けず食料不足になる。ゲストが来ている間は、飲食が充実していたので、ちょうど良いかも。
2024年9月20日(金)
昨日、学部セミナーの司会で、
「大家好〜〜!我是竹馬俊介老師〜〜 (以下英語)New teacher in Life Science 〜〜〜」
(みなさんこんにちは。私は竹馬俊介先生です。生命科学部の新人教師です。)
と、やってみたところ、今日は知らない学生からお辞儀されるようになった。
いい副作用だ。
2024年9月19日(木)
日本より友人来る。講演をしてもらった。
今までわからなかったことを明らかにするってこういう事
だよな。と思う内容で、むちゃくちゃ好評だった。
10名以上の学生と、先生方からも質問があり、
こんなに長い質疑応答を聞いたことが無い。
2024年9月18日(水)
受け持ちの授業で、出席を取るかわりに感想を提出してもらった。eeClassという、まだ慣れない電子システム。学生から、「先生の用意したフォーマットでは提出できない」という指摘があり、宿題BOXを作り直した。
2024年9月17日(火)
中秋節の祝日でお休み。各祝日の意義はそのうち理解しよう(焼肉がキーワードらしい)。午後から強風が吹き始めた。
2024年9月16日(月)
仲良しの5研究室くらいで回している合同ミーティングに初めて参加した。先生が前に座って、学生はできるだけ後ろの方に、というのは世界共通なのだろうか。
発表は英語。学生に
「君の研究の意味がわからん」
と、救いようのないコメントをする先生も居て、懐かしい昔を思い出した。私はうれしかったが学生には恐怖だろう。
2024年9月15日(日)
筑波大学にいたという教授に、海岸までつながっているサイクリングロードを教えてもらった。海岸まで10km, 海岸沿いも数十キロ、信号無しの道があるのは助かる。いろいろ妄想しながら走っていても、ヒヤリハットが減りそうだ。
2024年9月14日(土)
長文のメールが来て、深刻な内容っぽかったので翻訳して読んだら迷惑メールだった。大量に受け取るメールの中で、まず、大事なメールか判断するのに時間がかかる。
2024年9月13日(金)
週末は中秋節という節句で、来週火曜がお休み。実家に帰るため、駅に向かうバス停に学生が多く並んでいた。
2024年9月12日(木)
中国語の先生に言われた教科書を買ってきた。漢字ドリル、が付いており、空き時間に小学校以来、漢字練習をした。日本人だからまあまあ漢字がわかるものの、ベトナム人やインド人には厳しいと思う。
2024年9月11日(水)
新学期に紛れて、自分も学生になってみた。遅い時間に開講される中国語のクラス。初回は予想通り打ちのめされる。
2024年9月10日(火)
昨日、学生が減ったと書いたの、あれは間違いだった。朝7時半も、夜7時半も食堂とコンビニがすごい人だった。
私は並ぶのが苦手なので、夕食は
一番人が居ない店
で買う。若者がみな、男女8人くらいのグループを作って、
キャッキャしている
一方、ぼっちなのでテイクアウトして家で食べる。
楽しい。
2024年9月9日(月)
新年度が始まって1週間。もうコンビニや学食から、学生が減ってしまった。新入生歓迎行事などが終わり、受講するクラスなどが決まったからかもしれない。
2024年9月8日(日)
週末は二日連続、出先から帰る途中で大雨に会った。思ったよりも雨が降らないので油断していた。イッツタイワン。
2024年9月7日(土)
老眼鏡の柄?が何度も外れるので買った店に持って行った。
「我要この眼鏡、FiX!FIX!」
と、眼鏡と、外れた柄と、ネジを見せプレゼンしたら通じた。
それくらいは中国語で言えたかも、とも思う。
2024年9月6日(金)
免疫の先生に、共通機器であるセルソーターの使い方を教えてもらった。
3年前に、台湾のお金持ちが寄付した金で買ったという事で、免疫研究者が少ないため、使い放題になるかも、というのは好材料。
一方、ウエスタンブロッティングの発光イメージャー(LAS4000:写真を撮る機械)は激混み。
丸一日予約が埋まっている。
今も昔(数十年前)も、ウエスタンは時間がかかるが、お金もかからずやればデータが出るので、初歩の学生に与えやすい実験方法なのだと思う。
2024年9月5日(木)
抗体1マイクロリットル(1立方mm)を、バッファーで(およそ)1:1000希釈するのに、学生に
「先生、それはできません。私たちのピペットマンは、2〜20マイクロリットルしか測れません。」
と言われた。
「それは、何とかして1マイクロ取るんや。2マイクロ吸って、半分吐き出せば1マイクロやろ。1マイクロ、見てわかるやろ。」
と言った。
学生は納得して帰って行った。
でも、そもそも昔のP20って、2マイクロは測れても1マイクロは測れなかったのだろうか。
大学院生時代からの常識くつがえる。
2024年9月4日(水)
今日、台湾で初めて学生の講義をした。
外国人教師デビュー
だ。
講義は普通に行った。
2024年9月3日(火)
7時過ぎに家を出たのに、学内の食堂とコンビニが学生で満杯。いつもの店員さんが、ああ、あなたは大熱美ね(8/21参照)、と、自動的に作ってくれるのに、「今日はアイスコーヒー」と言えない雰囲気。
そうでもしないと20人以上並んでいる客をさばけないのだろう。
ちなみに、1限の講義は8時開始で、学生も教師も、1限は避けたいのだそうだ。
2024年9月2日(月)
新学期始まる。
ものすごい数の新入生がいる。どこでも最初はこんな感じなのだろう。
今までいた学校では、1か月くらい経つとだんだん減ってきていた。
2024年9月1日(日)
8月中、仕事の「借金・負債」は、作らずに済んだが「貯金」ができる状態ではない。9月に向けて貯金しようと、夕方少しパソコンに向かったが寝てしまった。
あと、もう9月だから8月中の貯金ではなく、9月の仕事が普通に始まった、というだけだった。。。
2024年8月31日(土)
1泊2日の濃密な研修で、毎食豪華料理が出たので夕食、朝食、昼食と大量に食べた。(まじめな合宿なので、なんとノンアルコール)
同室の外国人教師も大量に食べていて、「栄養を取るチャンス」、と盛り上がった。
2024年8月30日(金)
新人教師の研修合宿に参加。
「給料ルール」、「性的平等」、「学生のこころのケア」
などを含む、聞いておくべき講義を聞けた。
「英語での上手な教え方」「台湾で研究費を獲得するコツ」「良い教師になるには」
、は、もう少し早く聞いておくべきだった。
2024年8月29日(木)
ラボ入口の張り紙が効いたか(6月21日日記参照)、業者さんのアポなし突撃は一段落し、なじみになった人も最近は学生が応対してくれるようになったのでとても楽になった。
今日久しぶりに来た人に、
「英語の名前は無いの?」
と聞かれた。
答えは「ノー」だ。
どうも、自分に英語名をつけて、
「俺の事は『ヘンリー』と呼んでくれ!」
と、やる気がしない。
アメリカに行った時に
『ショーン(俊介なので)』
は、一度考えたことがあるが、上司にも最後まで
「シュンスキー」
と正しく呼ばれて終わった。
ちなみに同僚の、一部の先生からは、
「ジュウマ(竹馬)」
と呼ばれているが、これは納得できる。
2024年8月28日(水)
一番やるべきだけど気が進まないことを後回しにして、簡単に終わりそうなことから片付けて行くと少し気が楽になり、気が進まなかったことにも向き合えるようになった。
良循環だ。
簡単に終わりそうな仕事にもつまづくと、あせって泥沼になる。
2024年8月27日(火)
食堂でしゃべっている学生とかが、話し始めに
「ネガー」「ニャガー」
とよく言っているのを聞くが、「ネガー」を調べてみたら、
「えっとー」「あのー」「そのー」
みたいなつなぎ言葉だった。(ネガーは、「あれ」と言う意味。)
英語だったら
「アー、アー、ユーノウ、ユーノウ、イッツライク、イッツライク」
みたいなもんだと解釈すると「ネガー」も、急にわけがわかる。
「えっとー、あのー、」
の次にでてくる本文は全く理解できないが、あまり難しいことをしゃべっているわけではないと思う。
2024年8月26日(月)
にわかにキャンパスに学生が増えて、学食などが大賑わい。来週から始まる新学期に向けてだと思われる。
8月中に成し遂げるべきことが終わっていない。
2024年8月25日(日)
新竹市の海、「南寮(ナンリャオ)」から、南に続く「17公里海岸線自行車道」をサイクリングした。
市内は
轢かれそうで怖い
ので、とても良く整備された自転車専用道は嬉しい。
17キロ走って、ここで終わりかと思っていたら自転車道は南の苗栗までまだまだ(51km)続いているようだった。たぶん、何日もかければ自転車で楽しく台湾1周できるのだろう。
次の町まで行くのは良いが
帰れなくなると困る
ので帰ってきた。
行程はずっと平らで、木漏れ日の道や海岸線が交互に現れる。道に全くデコボコがない! 多摩川サイクリングロードよりは間違いなく安全。
補給もしっかりしていて、前回はこの辺に、移動かき氷屋さんがあった。右の海は台湾海峡。水平線が見えるが向こうは中国。
南の街、ミャオリーとの境界だった。このあと新竹に帰って、たぶん合計50〜55km走行した。
2024年8月24日(土)
昨日は「乾杯しましょう、乾杯しましょう!」と調子に乗って焼酎を多量に飲んだ。酒が抜けたと思うまで丸一日かかった。午後には細胞培養しに行ったが、「不摂生な中年男性特有の苦手な臭い」は、少なからずしたと思う。
2024年8月23日(金)
日本人飲み会で、ちゃんとしたカラオケスナックに連れて行ってもらった。
こちらに来て常々思っていることだが、
「日本人の男はお金持ちでスケベ」
と、たぶん思われている(AKBの格好が好きとか)。
2024年8月22日(木)
私は現在、80名ほどの教師(独立研究者)がいる「生命科学医学院」の下で、15人ほどの人員で構成される、「生物科技研究所(バイオテクノロジー)」にいる事になっている。
研究所、と言っても独立した建物や区画があるわけではなく、構成員のラボが学部内に散らばっているので、実感は無い。
数日前に、研究所の上司から
「最近集まっていないのでランチでもしませんか?」
というお誘いがあり、ロマンチックな湖畔のレストランで、みんなで2時間半くらいランチした。
優雅だ。
2024年8月21日(水)
大学内のセブンイレブンで、毎日同じものを頼んでいたら、「大熱美(ホットコーヒー大サイズ)ですか?」と、自動的に聞いてくれるようになった。(日本のセブンイレブンでも同じだった)「いつものやつ」、ができるのは良いが、たまには他の物を注文したい気もある。
2024年8月20日(火)
日本と台湾の間でやり取りしていた書類に、一つOKが出た。
通るまでに言われたのが、
「ちゃんとした地位がある人の文章と署名、ハンコも」
「手紙に大学(日本)のレターヘッドをつけてください。」
「大学の公印(っぽいハンコ)を押してください。」
の、3つだった。
なんとかクリアしたが、台湾の「公印」は、本当に立派なので、見た目が豪華なのも大事かもしれない。
2024年8月19日(月)
もう、25年も使っている機械(FACS)をこちらで使うために必須な講習会に参加した。ちゃんとした講習を受ける事も少ないので勉強になった。最後の試験問題だけは、英語だったので意味がわかった。
2024年8月18日(日)
盗まれていなかった自転車で散策(ポタリング)した。路側帯の幅と同じくらいの巨大なバッタがいた。
2024年8月17日(土)
朝、出かけようと思うと駐輪場から自転車が無くなっており焦る。
鍵がかかるし、同じ大学の先生ばかりが住んでいるので、盗まれるという事はなさそうだが、、、
仕方ないので職場まで歩いていくと、いつもの場所(学部のど真ん前)に停めてあった。
昨夜、忘れて歩いて帰ったらしい。そういえば、昼も自転車で来たことを忘れて食堂まで歩いたのだった。
「私の敵は私です〜。」
2024年8月16日(金)
昨夕、今朝と、花蓮で大きな地震があった。
「全台湾が揺れた」とニュースになっていた。学生と「揺れてる揺れてる」、となった後に、「たまに、地震じゃないのに揺れていると感じる時があるんだよね。」、と言ったが、若者にはその感覚がわからなかったようだ。
2024年8月15日(木)
初めて、携帯電話代の請求書が届いた。
日本にある○○モバイルなどよりも格安である。そういえば電気代も、家にいる間は全室エアコンつけっぱなしなのに、それにしては安い。
電話代は、銀行振替にしてもらったはずなのに、「支払方法:自分で払いに行く」になっていた。。。
2024年8月14日(水)
最近知り合った業者さんが休暇で日本旅行しているらしく、「ラーメン○○に、1時間並んだがすごくおいしくて価値があった。」と、写真を送ってきてくれた。1時間並ぶなんて、私がしないことだ。
2024年8月13日(火)
ほとんど忘れていた頃に、注文していた「遠心チューブ立て」が届いた。今までは、家庭用冷蔵庫の「タマゴ立て」、に、50mlのチューブを立てていたが見た目が今一つだった。QOL(ラボの質)が上昇することも重要。
2024年8月12日(月)
しばらく帰省していた学生が帰ってきて、台南は新竹より暑かったです、と言っていた。どれだけ暑いのだろう。金曜日から始めた実験を引き継いだ。
2024年8月11日(日)
先週木曜日までいた自宅に忘れ物をして、金曜に送ってもらったら今日着いた。このスピード感に感激。
2024年8月10日(土)
オリンピックの射撃競技で、選手が通常使用する耳当てやゴーグルなどの装備を使わない選手が、普通のTシャツで参加して銀メダルを取り話題になっている。
スマホなどのゲームでは、最初は無料で遊べるが敵やライバルが強くて先に進めない。
そこで、普通は電子マネーなどでお金を払って(課金)装備を購入し、自らを強化してプレイするのだが、彼は素朴な格好のままプレイするので、日本人が付けたあだ名が「無課金おじさん」。
無課金で銀メダルはカッコイイ!
研究も、お金を使わず実力と工夫だけでこんな風に行けばいいが、どうしても無いものがあったので隣の研究室に借してもらった。
2024年8月9日(金)
こちらで研究するのに必須な講習に参加。
大学の国際化には必須かもしれないが、「英語版」を用意してくれるのは本当にありがたい。
でも8時間は疲れた。テストも70問くらいあった。
最初の4時間が終わり、午後の部に参加するべく帰ってくると、世話役の人に
「(ニー)ツィファンラマ?(ご飯食べてきた?)」
と聞かれた。
聞き取れたのに、
「YES!」
と答えてしまった。悔しい。
2024年8月8日(木)
夏休みを兼ねた帰国で、
様々な用事
を終え台湾へ戻る。
今回から、入国審査の際、なぜか
「台湾のパスポートを持っている人」
という看板のレーンへ並んで良いことになった。
並ばないし指紋登録も無いので、入国審査が瞬時に終わる。
ちゃんとした身分証(日本でいう、マイナンバーカード)が発行されたからなのだが、台湾のパスポートを持っているわけでも市民権があるわけでもないのに本物の台湾人扱いとは。
やたら規則に厳格なところと、ゆる〜いところを使い分けてくる。
2024年8月7日(水)
慶應で、吉村研の跡地を見学した後、旧メンバーとお昼を食べに行った。
2024年8月6日(火)
東北大から東大へ移動。
2024年8月5日(月)
仙台へ出張。ちゃんとしたサイエンスの議論をしたのが久しぶり。それにしても東京が暑いせいか、仙台が気温31度で、とても涼しく感じるのはもはや感覚異常。
2024年8月4日(日)
台湾の食事は美味しくて満足しているが、意外と口にしない食材が「味噌」。札幌(風)味噌ラーメンが食べられてうれしい。
2024年8月3日(土)
いろいろな用事で東京へ。台湾の方で用意するべき書類が一つだけ間に合わず、これは困ったことなのだがその書類に関わる仕事の分だけ日本ではゆっくりできそう。テレビを見るのも久しぶりで、五輪の柔道を夜2時まで観戦。
2024年8月2日(金)
細胞が光ったとか、光らなかったとかで新しい学生と一喜一憂している。毎回、ここまでは楽しい。そのあとは努力が必要。
2024年8月1日(木)
こちらに来ることが決まってから書類との戦いが多い。
あるあるなのが、何かの申請に必要な証明書が、なかなか発行されないくせに発行されてからの
有効期限が短い
。
身分証明書を取るための就業証明書は、受け取るのに1週間かかるのに1か月以内のものを用意しなければいけないとか。
ボーっとしていると、次々と書類が期限切れになってしまう。
昨日夕方に、修正に修正を重ねた中ボス級の書類にやっとOKが出て、あとは書類を全部印刷して、自分と所長(上司)の署名またはハンコを施して担当部署に持っていくと、最終承認を得られる運びになった。
三十数ページの書類を印刷しながら、
8月から所長が交代
することに気づいてむちゃ焦った。
「貴研究所は今日から所長が代わってますので、今までの修正は無効です。この申請は8月1日付で新規申請とみなされます。やり直してください。
(と言われるのではないかという恐怖)
」
むちゃ走って秘書さんにハンコをもらった。
7月31日付の、旧所長のハンコで今朝持っていくと、問題なく受理され承認された。
2024年7月31日(水)
大学に1か所しかないセブンイレブンは、むちゃくちゃ忙しい。今朝は、「ダァラーメイ」を注文したら、ああ、「大熱美」と通じたが、
大冰美(ダァビンメイ)
を受け取った。アイスコーヒーの方がもちろん美味しく感じる。
2024年7月30日(火)
朝はどれほど暑くてもホットコーヒーを飲むことが習慣。
セブンイレブンで、大杯熱美式珈琲(大きいサイズ、熱い、アメリカ式コーヒー)、略して「大熱美(ダァラーメイ)」下さいと言うのだが、「熱」の発音が巻き舌発音プラス、喉を鳴らして
「ロァー!」
と元気よく上から下へたたきつけるように発音しないと通じない。たぶん、日本人中国語ためらいポイント。
2024年7月29日(月)
夕方に、間借りしている右の方の実験室(7月22日参照)の人たちと、明日の実験室使用(実験室の安全に関し立ち入り検査が入るが、台湾時間なのでいつになるかわからない、など)に関し立ち話した。これだけ、日々中国語に囲まれていると、なんだか最近ちょっと慣れて
聞き取れる
ようになったような
気がする
。本当は、寝る前に教科書を読んだり単語を覚えたりすればいいのだが、そのやる気が無い。
2024年7月28日(日)
自転車で、初めて新竹の海(南寮)まで行った。
いそがしい市中を少し過ぎると公道に入り、信号少なめ、大型車なし、南国感高め、を楽しみながら、漁港まで行けた。
2024年7月27日(土)
日曜日に学部が計画停電だそうで、ようやく稼働したうちの冷凍庫には非常電源がつながっていないことが判明し、業者さんに対応してもらった。対応してもらえただけでもありがたい。
2024年7月26日(金)
台風に伴う休みは(台南を除いて)解除された。
それにしても、雨は良く降った。アパートの前の池が、ほとんど干上がっていたのに水位復活していた。
2024年7月25日(木)
今日も休み。
台風で公共機関や大学が休みになるのは前日のうちに決まるのだが、実際は全く風が吹いておらず、雨さえ耐えれば自由な日。そういう日はデパートなどが家族連れでにぎわうのだそうだ。
秘書さんが、函館の大沼に旅行中らしく、「ここ、すごい天気よくて涼しい」と写真を送ってきていた。
そうだろうなぁ。
2024年7月24日(水)
ケイミー、という。名前はかわいいが強力な台風が台湾を直撃して休校になった。自宅に引きこもってデスクワーク。
2024年7月23日(火)
月曜日、火曜日はメールがいっぱい来るが、たまに重要なものが混ざっているので見落とせない。明日の台風の注意とか。
2024年7月22日(月)
4か月近くたつがラボスペースが無く、両隣のラボを一部借りて実験している。
(良く言えばオープンラボ。)
左の実験室で実験していると、そこの先生が学生に何かを教えている。
「
ザガー!
XXXXXXXXXXXXXX。
ジョシー!
YYYYYYYYYYYYYY!」。
XとYの部分は
もちろん全くわからない
のだが、「
ザガー
」と「
ジョシー
」だけはハッキリ聞き取れるし、明らかに独立している。
「
ザガー
」は「これ」という意味だし、演説の途中で文頭に話す人がいるので、「これは〜」とか、「すなわち!」、「さて!」みたいな意味になるのかと勝手に思っている。
しかし「
ジョシー!
」はわからない。先生は女性なのだが、自分の学生(男子)に、「XXXXX,
女子〜〜〜!
」と、言っているとは考えにくい。
自分の学生と2人になった時に、
「あの、『ジョシー!!』て何なの?」
と聞いてみた。
「漢字では『就是』と書きます。でも日本語で説明するの難しい。
テンションを上げるときに使う。
」と教えてくれた。
そうか隣の先生はテンションが高い人なのか。。。
2024年7月21日(日)
なぜかこちらでもアマゾンで、「ルパン三世VSキャッツアイ」が見れたので観ていた。ストーリーはさすがで、もちろんルパンとキャッツアイが戦うわけではなく、始めはライバル関係だったのだが目の前の共通の問題に立ち向かう上で硬い絆が生まれるという。。。最近は何でもすぐ感動する。
2024年7月20日(土)
少なくとも3週間ほとんど雨が降っていない。4月ごろにはなみなみと水をたたえていた、アパートの前の池が完全に干上がっていた。これが毎年起こる当たり前の事なのか、珍しいことなのかわからない。
2024年7月19日(金)
遅めの昼食に行って帰ってくると、学部の前の車道で、甲羅の直径が30cm、高さ30cmはあるカメが轢かれていた。学生が
「おお」
と自転車を降りて、戻ってきて写真を撮っていた。
事故現場は見通しの良い片側1車線の坂道。なんで炎天下の真昼間にこんなに大きなものが横断しているのに轢かれるのだろう。
自分がカメだったらと思い身が引き締まる。
2024年7月18日(木)
夕食に、大学の向かいにある
「台湾風ステーキ」
(牛俳:ニョウパイ)に行ってみた。
「台湾風」は、ドロドロのスパゲティーに肉が乗っていて目玉焼きが付いている。
野菜ゼロなのに、ポップコーンとスープとピーナッツバターやチョコレートを塗ったパンが食べ放題でジュースや砂糖入りお茶が飲み放題。(ワインが無いのが残念)
800円くらい。
今まで食べたことのないものだった。
2024年7月17日(水)
台湾の外国人居留証をもらって(6月12日参照)、健康保険にもやっと加入できた。これで、病気になった時にお医者さんにかかれる。
秘書さんや知り合いの日本人から聞いたところによると、
外国人が3〜4か月で健康保険取得まで行くのは早い方
だという事で、気を良くして運転免許も取りに行った。
何度も書類不備で
「この書類は不備です。また来てください」
と言われ、涙目で
「なんで?なんで?ワカリマセンワカリマセン。」
と主張する状況は今回は無く、10分ほど係の人が作業した後、台湾の運転免許証をゲットした。
車を運転できるようになった。
2024年7月16日(火)
久しぶりに、元上司の吉村教授からメールが来て、秋に台北で遊ぶ、いや、感動の再開を果たす予定が立った。
2024年7月15日(月)
実験の用意は整っているのに、研究するモノ(細胞とか動物とか)が無い状態が続いている。目的が無いことをやっても仕方がない。やっと、研究材料になるものをもらえる事になった。
2024年7月14日(日)
夜10時なのに、生命科学ビルの中で、先輩学生がロビーやそこここに黒いゴミ袋でカーテンを張って封鎖し、新入生に問題を与えて探検させるという行事を行っていた。
昨日のオリエンテーリングも、キャンパス内を使った新入生歓迎行事だったのかも。(私が大学に入学した時も「北大新歓オリエンテーリング」があり同級生と仲良くなった。)
学生が元気な学校やラボは安泰。大歓迎。
2024年7月13日(土)
大学の中で、地図を持ってうろうろ歩いている人を多く見かけた。中には、ランシャツランパンで、かなり本格的に走っている人がいる。キャンパスを使ったオリエンテーリングをやっているようだった。大学が広いので、さぞチェックポイントがたくさん設置できることだろう。
2024年7月12日(金)
スーパーでよく、「袋いりますか?」とよく言われるので先に、「不要袋子(袋いりません)」と言ってみたが、「我要袋子(袋ください)」と聞こえたらしく、袋もらった。夕方になって元気がなくなって来ると、通じない言葉がより通じなくなる。
2024年7月11日(木)
丘の上にある家に帰るとき、上から、電動キックボードで
「ヘェェーーーイ!」
と、手を振りながら下りてきた人が管理人さん(4/20の日記参照)だった。自分と同じくらいか年上のおばちゃんだと思っていたのだが実は年下かもしれないと思ってしまった。そういう事が最近よくある。
2024年7月10日(水)
ビーカー(試薬を作るビーカー)を注文するのに、英語と中国語を話す業者さんと、日本語と中国語を話す学生に、日本語と英語を話す私が「ビーカー、ビーカー」と言ってもまったく通じなかった。「焼杯(シャオベイ)」というらしい。
一日に一つくらいのペースで言葉を覚えている。
2024年7月9日(火)
デスクワークの間に実験の準備などをした。
2024年7月8日(月)
奥様は、(たぶん満足して)東京へ帰られた。
2024年7月7日(日)
徒歩、バス、タクシー、新幹線を駆使して様々な場所に行った。二人で行くと、一人では行かないレストランに行けるのがうれしい。
2024年7月6日(土)
奥様が、初めての台湾旅行で訪れたので、空港の出口にて
「〇〇様、台湾へようこそ」カード
を持ってお迎えした。
(一度やってみたかった。)
私のラボと、住居に関して多くの貴重な改善案を出してもらった。
2024年7月5日(金)
急がなくても良いが、やらないといけない仕事が送られてきた。早めに終わらせようと思う。
2024年7月4日(木)
ラボで洗う瓶を運ぶための買い物かごが必要になり、いつもの雑貨屋(4月29日の日記)に行った。
この頃何でも、店員さんに「すみません」と話しかけるのに、ブーハオイースー!(不好意思!)、と言うと、その後、お店の買い物かごを指さして
「私、これ、ほしい。どこ?」
などと聞いても、店員さんの対応が、よりフレンドリーになったような気がする。
台湾の人にしたら"Excuse me?"と話しかけられるよりは身構えないのだと思う。
映画
「ロスト・イン・トランスレーション」
で、慣れない東京を独りで歩く
スカーレットヨハンソン
が、「スミマセン」、「スミマセン」、と、言っていたのを思い出した。
2024年7月3日(水)
9月から来る予定の学生が
もう来た
。(困ったわけではない。)壮大な研究計画を説明した後に、
「千里の道も一歩から」
、と、まず試薬瓶を洗ってもらった。
2024年7月2日(火)
午前中にあったセミナーの演者を囲んで、皆でお弁当を食べる会があった。英語だったのでほとんどの話がわかった。新竹が、いかにここ5年で発展して億ションばかりになったとか、有名企業がすべて卒業生を雇ってしまうとか、給料が3倍違うので、市内での格差社会化がすごいとか、わりと洒落にならない話が聴けた。
2024年7月1日(月)
学部内の国際化委員に選ばれて会議に参加した。言葉ができたら何か意見を言えたかもしれない。
2024年6月30日(日)
午前中に、運動も兼ねて大学の裏山などを歩き回った。
新竹(しんちゅう)は風の街。竹林が風でシャッフルし、「カラカラ〜」と、ぶつかりあっているのに感動。
帰りに、コーヒー屋さんの前にある石段に座ってバスを待っていると、日陰なのに石段が熱ーい。
まるで
岩盤浴
だ。
2〜3分座っていると
お尻が温まりええ感じ
になってきた。
日ごろ、シャワーしかしないのでバス待ちの間に、そのまま寝転がっても良さそうだったが、周囲に人がいたのでやめておいた。
2024年6月29日(土)
日本から持って行った仕事用のデスクトップPCが一個壊れて(泣)、もう一個の方を整備するのをサボっていた。
やっと環境ができたので、3月に出た手つかずのデータを解析してみた。差が出ていそうで嬉しいのだが、解析のやり方を思い出している間に疲弊して帰ってきた。
2024年6月28日(金)
3日間、中国語漬けの学会だった。
ポスターは全部英語なので、読めることは読める。
発表はスライドが英語なのは助かる。
しかし演者が中国語で話すと、
「XXXXXXシーバオ(細胞)、YYYYヘテロジェナイエティー、ZZZZイミューンチェックポイント!」
、と、
英語中文交じり
の英語の部分だけわかる。
発表者が面白いことを言って、聴衆が
「ブワッ」と笑う「笑点」
がわからないのが一番困る。
ジョークがわからないのは、言語の問題もあるし、背景を知らない問題(タイワニーズジョークや自虐ネタ?)もあるだろう。
食事や遠足では色々な人と話せて、満足して帰ってきた。
2024年6月27日(木)
生物サマーキャンプ、という全台湾的な合宿に参加させてもらった。
懇親会では、最初(食べ始め)からカラオケで順番に歌う。テレサテンの、
「時の流れに身をまかせ」
は、おっさんしか知らないと思っていたら、若手歌手に歌い継がれているので老若男女区別なく、良く知っているそうだった。
日本でいうと中島みゆきをTOKIOが歌うような感じか。
この学会は、もう39年目で、今年と来年は清大が主催だという事だった、最後に清大のみんなで舞台に出て踊った。
2024年6月26日(水)
朝、発表用のポスターを印刷したが、大学か隣の大学に置き忘れて自転車で探し回った。かなり焦った。
新幹線新竹駅(新新竹?)から、送迎バスで新竹県にあるホテルへ移動。中医大とか台大の、免疫の先生と久しぶりに会った。
2024年6月25日(火)
しばらくカンカン照りで日中35℃、36℃が続いていた。今日は夕方に雷雨があり、これからは、いつまでかわからないが真夏日が続くのかと覚悟している。
それにしても、雷を伴う大雨は怖いしびしょ濡れになる。日本の、YAHOOの雨雲レーダーが、最近よく見ると台湾くらいまで(少なくとも、住んでいる新竹市くらい)の範囲をカバーしていることがわかった。どれくらい正確かはわからないが雨に濡れず帰宅するタイミングの参考にしている。
2024年6月24日(月)
午前中に、動物実験の講習を3時間受けた。ええ年になって、講義をすることはあっても受けることは少ないので新鮮だ。休み時間に、講師の先生(獣医)に名刺を渡して自己紹介しておいた。毎日知り合いが増えるのは楽しい。
2024年6月23日(日)
どれほど徹底した「除蟻消毒」だったのかはわからないが、確かに学部の周りにいたアリが全然居なくなっていた。
同僚からは、パソコンとか研究機器の中にアリが巣を作る可能性を指摘され、さすがにそれは無いだろう、と思ったのだがとりあえず危機は去ったようだ。
夕方に、やることが無くなったので学食でテイクアウト(外帯;ワイ4ダイ4)して帰ってきた。もう日曜だからか、おばちゃんが、通常の1.5倍、入れ物が閉まらないくらいのおかずを入れてくれた。明日からは食べ過ぎないようにしよう。
2024年6月22日(土)
アリの大発生で、急遽、9時から5時まで、職場の建物で「除蟻消毒」作業が行われた(らしい)。あまり気づかなかった。
2024年6月21日(金)
仕事中に、むちゃ業者さんの訪問を受ける(5月11日の日記参照)。
あまり冷たくして、
来てくれなくなっても困る
ので余程忙しいとき以外は応対しているが、他の先生とかは、部屋のドアに
「感染防止のため営業来るな」(中国語)
などと張り紙して、ちゃんと断っている人もいる。
そこで試しに、
「アポなし
セールス
おことわり」
と、ドアに張ってみた。
突撃営業してきた業者さんが、
「これはどういう意味?」
と興味を示していた。
期待通りの成果だ。
2024年6月20日(木)
夜、家にいるとメスのカブトムシが窓にぶつかってきた。
カブトムシだったらいいか
、と思って、家の中で記念写真を撮った。ものすごい力。
2024年6月19日(水)
まだ一つも実験していない。試薬を買っても保存する場所が無いので、普通の家庭用のサンヨーの冷蔵庫を買った。
上が冷凍室で下が冷蔵庫のやつ。台湾三洋はサンラックスというらしく、古くは日本のサンヨーと同じだったみたい(wikipediaの知識)。
伝票の登録を初めて行ったが難解。例えば中国語で品名を入力する事が義務になっており、例えば「冰箱」など、日本で使わない漢字を入力する事がたいへん困難。
「にすいへんに水」などと調べて出てきた文字を一字ずつコピペやっているうちに日が暮れた。
2024年6月18日(火)
先週から学部の連絡網で、建物全体における
アリの大発生
が議題になっていた。
自分のオフィスにもアリがいるので、良くある事なのかと思っていたがそうでもないみたいで、
2〜3年前からはびこった外来種
だと疑われているらしい。どう見ても、日本にいる小さめのアリなのだが、台湾の方が居心地が良いのだろうか。
動物ネタは多い。
2024年6月17日(月)
昨日、京都駅まで乗ったYSKタクシー(仮名)が、「四つ葉のクローバー」だった。本来は、三つ葉のクローバーがシンボルなのだが、
1300台に4台のレア度
だそうだ。
子供の時、発見したことはあるが乗るのは初めてで、運転手さんが
「乗車記念カードとシール」
をくれた。
自分の車が四つ葉
なので、すべての乗客にずっとカードを配っているそうだ。
2024年6月16日(日)
飛行機で台湾へ戻る。
乗り換えで時間に余裕があるのかと思っていたら着陸する飛行機が混んでいて遅れるとのこと。急いで乗り換え場所まで走るも、
台北行きの飛行機も遅れた
ので余裕だった。
最近飛行機、特に羽田が混んでいる。
それでも11時伊丹空港発ー羽田乗り換えー16時、台北着で帰れた。悪くない。
2024年6月15日(土)
朝から今回の出張で2個目の発表。二日酔い+ガラガラ声で発表した。
慶應の最後の最後に大急ぎで発表した論文
で、地味な内容、と自分では思っていたけど意外と受けた。午後4時に解散。クタクタ。
2024年6月14日(金)
午前中に発表して1個目の会議が終わり。基本、他の人の発表を聞くのだが、内容を理解しようと頑張るので疲れる。午後から別の会議。懇親会3次会のカラオケまで参加した。
2024年6月13日(木)
昨日より出張で関西へ、お金をケチったせいで、台北→羽田→伊丹ルート。京都に着いたのは夜10時。今朝は京大で会議。お昼に、本庶先生の新しい建物を見に行った。まだ稼働していないようだ。
2024年6月12日(水)
念願の外国人居留証(IDカード)をゲット。厳しすぎるお役所に6回通った。(プラス台北へ無駄な出張してしまった)役所への道が完璧になった。健康保険にも入れるし携帯を契約できるし免許も取れる。
2024年6月11日(火)
端午の節句が過ぎると暑くなる、というのだが、
過ぎる前から十分暑い。
すでにセミが鳴いている。
毎日、ラボに着くと汗だくで、エアコンを入れてしばらく湿気と温度が落ち着くのを待つ。
昨日の夕方にエアコンを消し忘れて帰ったようで、今日は部屋が冷え冷えで気持ち良かった。規則はわからないが、夜もつけっぱなしにしていたら怒られるだろうな。
2024年6月10日(月)
大学の裏山に登った。とはいっても、ゆるやかな舗装路を2〜3Km歩いただけ。そこここに東屋があり、お年寄りが交流している。平和だ。
2024年6月9日(日)
ラボで使いそうな物(プリンター用紙とか)を買いに、大型スーパーに行くと台湾ウイスキーの試飲をやっていて、むちゃくちゃ美味しかったのだが、何種類も大量にストレートで注いでくれて飲みすぎた。ケチなので買わなかった。
2024年6月8日(土)
月曜日は祝日らしい(昨日知った)。一仕事終わったしワインを飲んで、映画でも観て優雅に過ごそうと思っていたらすぐに寝てしまった。
2024年6月7日(金)
こちらで初めての研究費申請。
20ページの英作文と、図と、研究内容の要約、個人情報(経歴など)、これまでの研究業績と、その要約と、過去5年間で自信のある論文5報のPDFと、その論文が社会に何をもたらしたかの要約、当申請と他の研究費との兼ね合い、各種承認済み倫理申請の書類。
これを電子システムに全部アップロードして、最後にPDFファイルをチェックして、事務に送信して終わり!
と、思ったら、
肝心の研究費を一円も計上していない
ことに気づいた。。。
物の値段を調べたり、学生の人件費を調べたり、旅費を調べたりと、○○時間かかる。
まあ終わった。
2024年6月6日(木)
今日は学食。ごはんと、3種類の副菜と1種類の主菜を選ぶのだが、もうええ年なのでご飯を少くしてもらっている。若者は3倍くらい食べているが同じ値段(一食400円くらい)。
2024年6月5日(水)
同僚がランチに誘ってくれ、学食よりもちょっと良いレストランに行った(学内だが、知らなかった)。久しぶりに魚を食べられて嬉しい。
2024年6月4日(火)
数日前に見たヤモリ(5/22参照)が、どうも家に住み着いている。
なぜそう思うかというと、「糞」が、一日1個、部屋のどこかに落ちている。
ヤモリの糞は特徴があって、一部が尿酸の塊なので白いそうだ。
最近また一つ、生き物に詳しくなった。
最初は家の中で何度か遭遇して、写真も撮れたのだが最近は姿が見えず、それでも糞が見つかるので、私と会わなくても良い、家の中のどこかに潜んでいるのだろう。。。
害虫を食べてくれるらしいので、良いことだと思うようにしている。
2024年6月3日(月)
英語で500語、中国語で500字、という抄録を書くのに、まず英語で500語書いて、最後にAI翻訳で中国語に直したら良いと思っていたのだが、中国語の方が700字くらいになってしまった。
英単語1語が中国語1字(「I LOVE YOU」 = 「我 愛 ニー」 みたいに)だと思っていたが大間違いだった。
cancer(1語) → 癌症(2字)
とか、
PD-1(一語)→ PD-1 (4字)
もあるし、当たり前か。
自らの甘い思い込みから、英語の意味を損ねず中国語の方の字数を削るという途方もなく慣れない作業を強いられる。
2024年6月2日(日)
天気予報では数日は雨。
最低限の外出で引きこもる
には、清華大学の中よりも、隣の交通大学の食堂に行った方が近い。コーヒーを買って「交清小道」(5/12参照)から歩いて帰ってくると、最近知り合った林教授がやってきた。彼は、交大にあるプールの方が(清大より)近いから泳ぎに行くと言っていた。考えることは似ている。
2024年6月1日(土)
午前中、家で2時間くらい作文をして、自転車で昼食兼冒険に行こうと思ったら雨が降ってきた。午後もずっと作文。
2024年5月31日(金)
午後に、母校の北海道大學(ベイハイタオダーシュエ)にて講義をさせてもらった。日本に行くのには間に合わずオンライン。講義の冒頭で、自分が北大生だった話をしたがそれも25年以上前。オンライン講義なんて、当時から考えるとマンガに出てくる未来の世界だ。
2024年5月30日(木)
昨夜、帰ってくるとアパートの入口にあるロック(カードキー式)が壊れて、入れない状態になっていた。他の人が管理人を呼んでくれたのだがどうにも開かず、誰かが中から開けてくれないとアパートに入れない状態。(ある意味、とてもセキュリティーがしっかりしているとも言える。)
しばらく数人で立ち往生していると、一人男性が帰ってきて、ピッピッピッピッと、暗証番号を打ち込んだら開いた。そんな裏技があったのかと、知らなかった住人みんなでおおおー!となった。
今日、セミナーで隣に座った人が偶然その男性(先生)だった。昨日会った人だよね?と言われた。
2024年5月29日(水)
お昼の(日本の)ZOOMミーティングを聞いた後にしんちゅう市の移民局へ。
もう5回も通ったのに、まだ正式な「居留ビザ」が取れていない。
毎回書類不備とかの理由があって拒絶
(リジェクト)
される。
一度は台北まで行ったけど、
「今年になって制度が変わったから、あなたは来るところを間違えました」
と
リジェクト
。
2日前も、
「あなたの就業証明書の日付は4月ですね。5月になってから取ったものを持ってきてください」
と、言われまさかの
リジェクト
。
今日は、5月の証明書を大学からもらって、書類が整ったので、ビザがやっと出る見込みになった。
(アクセプト)
色々お世話になった門川先生の、「研究留学ネット」ほどではないが、
「台湾移住ネット:ビザを取るのは難しい」
という章を書ける自信はある。
2024年5月28日(火)
3月末に船で送った段ボール9箱がやっと配達になった。(2か月海上にあったわけではない)。宿舎の玄関に「置き配」をリクエストして、仕事後は管理室のカートで何往復も5階まで運ぶべく、気合を入れて帰る。そしたら、ちゃんと私の部屋の玄関まで運んでくれていた。さすが雅瑪多(ヤマト)。
2024年5月27日(月)
新しいオフィスができたので引っ越しした。部屋の片づけや掃除が楽しい。
2024年5月26日(日)
遊びに行くところが無いので仕事ははかどるが、肩がこったので、大学の向かいにあるマッサージに行った。
おばちゃんが、色々話しかけてくれるのだが正直あまり理解していない。
それでも、適当に答えているとワハハハハ!と受けて、愛想よくものすごい力でもんでくれる。
マッサージの痛みを、
A. けっこう痛い
B. かなり痛い
C. 思わず悲鳴が出るほど痛い
D. 施術中を通じて、重度の耐えきれない痛みを伴う
に分類すると、今日はBくらいだった。
レベルA未満の「あまり痛くない」マッサージには、台湾では出会ったことが無い。
2024年5月25日(土)
果物が安くておいしいと聞いていたので、買おうかと思ったがマンゴーとか、パイナップルを1個買っても食べきれないので割高な切り身にした。一人暮らしの弱い所だ。
2024年5月24日(金)
仕事の合間に、来週移動する部屋のドアを磨いていると、隣の研究室の学生が気づいて布巾と洗剤などを持ってきてくれた。おかげでドアがきれいになった。ついでに他の掃除も手伝ってもらえば良かった。
2024年5月23日(木)
職場を引退した先生のセミナーがあり、その後の食事会で、私の歓迎会もしてもらった。君が来たことも皆は知らないから、だそうだ。有難い。色々な物を食べたが、しんちゅう名産の米粉(ビーフン)料理がとても美味しかった。
2024年5月22日(水)
昨日は、帰国するとアパートの床にヤモリが居たり、夜には前回(5/1日記参照)と違う種類の羽付きシロアリが大量発生して一部が家に入ってきたり、いきものネタは豊富。しかし、(今のところ)一番家にいてほしくない虫にはまだ出会っていない。仕事帰りに、「コン〇ット」を買いに行こうと歩いていたら他の先生が見つけて車で送ってくれた。
2024年5月21日(火)
近くのラボで預かってもらっていた大量の実験機器をスーツケースに入れて台湾へ戻った。今回はボルテックスミキサーやミニシェイカーなど、重い割には「そんなに役立つかな?(重量対効果低め)」と思う様な物もあった。
2024年5月20日(月)
月曜日だからか、台湾の方のメールを開けたら中国語メールが数十件来ていて、すべて翻訳ソフトにかけてどれが対応必要なのかわかるのに時間がかかる。日本で良く受け取っていた、「お前のパソコンを乗っ取った」という嘘メールも初めて見た。英語版だったが内容は同じだった。
2024年5月19日(日)
新宿まで自転車で行って爆買い、と思ったがケチなのであまり買えなかった。しかし、日本語がどこでも通じるのは有難い。薬局の店員さんが、「ファンインゴンリーン!」と、呼び込んでいるのを聞いて、「あ、それ知ってる!」(4/22日記参照)とうれしくなる。
2024年5月18日(土)
日本の「飲み放題つきお食事」の威力はすごい。昨夜は楽しかったのだが、本日は二日酔いで半日動けなかった。
2024年5月17日(金)
もろもろの用事で一時帰国。大学の前にあるバス停から台北まで70分、飛行機3時間で東京へ。久しぶりに旧仕事仲間と奥様に会った。
すでに懐かしい。
2024年5月16日(木)
銀行から、身に覚えがないお金が引き落とされたという通知が来た。確かに、昨日新しいカードで1万円くらいは使ったのだが、今回の金額は5万円程度。慌ててチェックしたら引き落とされていたのではなくて振り込まれていたのだった。入金と出金もわからない語学レベルだ。どこからの振り込みかはまだ不明だが、お金が減っているのでなければ問題なし。
2024年5月15日(水)
高額すぎてとても買えない研究機器を、申請して認められれば大学が65%負担してくれる、という制度が3年ぶりくらいに募集され、同僚にすすめられたので代表者として応募してみた。
大学へ推薦を受けるためには学部内で競争があり、なるべくたくさんの、「その機械がほしい、あったら私も使いたい」という賛同者を集める事がポイントらしい。
ちなみにこちらの申請書は、プロジェクトに関わる全ての人の署名、またはハンコが必要。
昨日、20名以上の先生に、「賛同できそうだったらYESの返事を下さい」とメールして、今日、YESをくれた人を記載した申請書を作成。一人一人、サインをもらいに行脚した。
いなかった人のところは後程出直し。
「生命科学医学部1館2館」の、1階から5階を何度も歩き回り、
昨日のジョギングより
は運動になったと思う。
結局13人署名が集まり、後は秘書さんに任せて申請した。
初めて、自分と同じ免疫(ワクチン)の研究をやっている人と話せたのが良い事だった。
2024年5月14日(火)
夕方に、デスクワークに疲れて交大の方の陸上グランドにジョギングしに行ってしまった。一周走って、準備運動、三周走って、ストレッチ、で十分だ。
2024年5月13日(月)
この頃、よく日本の会議にオンラインで参加させてもらう。研究の話を日本語で聞けるのは貴重。
2024年5月12日(日)
「清大(チンダァ)」の奥深くにある寮に住んでいるが、実は裏にある「交大(ジャオダァ:国立陽明交通大学)」の入口の方が近い。なので、家に帰るときは交大を目指す(5月9日の日記参照)。
両大学は、「清交(チンジャオ)小径」という裏道でつながっているのだが。
今日見たら、交通大学側には、「交清(ジャオチン)小径」と書いてあった。
ライバル関係なのだろうか。
2024年5月11日(土)
4/27に、思い切って業者さんに一斉メールを送った後、すでにデイビッド、チェリィ、ジュリアン、サム、マット、シャロン、ジェイムス、ジャック、ティム、ジェニファー、およびその人たちが紹介した多くの業者さんの訪問を受けた。全員台湾人。
(一応、ここでは英語名もすべて仮名にしてあります)
それくらいたくさんの人が来て、中国語の本名は全く把握していない。
そして、どの業者さんから何を買って良いのか、一つも決まっていない。。。
私の事務処理能力が落ちたのでは無く、処理すべき仕事が一次元分くらい難しくなったのだと信じたい。
2024年5月10日(金)
当たり前だけど、こちらでは何もかもすべて漢字。
中途半端に理解できるから困ることもある。
今日もビザの書類に、
「警告:依據中華民國刑法,販賣、運送毒品者可判處
死刑
。」
と、書いてあった。 他の書類にも、XXXYYY重罪!とか書いてあると、
何をどうすると死刑や重罪になるのかわからない
ので怖い。
台南の街にあった看板。
500円で離婚か。。。安い。
2024年5月9日(木)
台南から十分疲れて帰ってきて、しんちゅう駅からはタクシーに乗って帰った。
(今日の中国語会話)
ワタシ「ニーハオ!」
強面のドライバー「XXXYYY?」
ワタシ「ジャオトンダーシュエ(交通大學)、ジャオダァ!(交大!)」
ドライバー「OK」(←オッケーだけ、なぜか正式な中国語)
ワタシ(愛想無いよなぁ)
・・・
ドライバー「何かの実をクチャクチャ、(赤い汁をペットボトルに)ボェッ」
ワタシ (こわ。。。)
・・・
目的地が近づき、このあたりでOKと言うのも緊張する。
ワタシ「ブーハオイースー(すみません)ナーリー的、セブンイレブン (あそこのセブンで、と言ったつもり。)」
ドライバー「セブンイレブン、OK〜〜」←ちょっとさっきよりハイになっている。
(お金を払って)
ワタシ「謝謝〜〜」
ドライバー「謝謝ーーー!!(なんでこんな声でかくて、愛想よくなってるん)バイバ〜イ!(←オッケーとバイバイは、なぜか正式な中国語)」
ワタシ「ハブ、ナイスディ〜〜」
ドライバー ブゥン!(車)
2024年5月8日(水)
台南の学会に参加。多くの台湾人、日本人とお話しする機会があった。
2024年5月7日(火)
特急、プユマ号(知る人ぞ知る)に乗って台南へ向かう。お昼時なので、日本と同じ感覚でビールと駅弁を買って乗るものの、車内では誰も飲み食いしていない。
しかも静か。
ネットで調べると、台鉄で酒を飲むのは禁止ではないし、酔っぱらって騒ぎでもしなければ、白い目で見られることは無い、というので普通に飲み食いした。
でも、調べたページでは、禁止ではないがほとんどの人は鉄道で飲酒しない、とも書いてあった。
日本の恥か。。。
2024年5月6日(月)
来た時から、アパートの湯沸器が不安定な問題が続いていて、具体的にはシャワー10回に1回くらいお湯が出る。水浴び状態だったのをやっと直してもらった。
しかし、また水しか出なくなった。冬までには解消したい。
2024年5月5日(日)
朝出かけようと思うと雨が降ってきて、インドアな一日になった。
2024年5月4日(土)
仕事用のメールアドレスを、1年かかって日本のものから台湾のものへ移していこうと思っている。
IDとパスワードを入れてログイン、の際に、毎回ロボットではない確認をされる。これは、リン・ウー・バー・サン(0583)!と、数字を即座に発音する練習に使っている。
パスワードは、「密碼」。なんとなくミステリアスな雰囲気の言葉だ。密会、密談、密告(3密)みたいな。
帳号を入れ、密碼を入れて、数字をアー・サン・リョウ・チー、と入力し、「登入」!
慣れるのには、もう少しかかりそうだ。
2024年5月3日(金)
縁があって、日本語を話す人ばかりの夕食会に参加させてもらった。いろいろ救われる。
2024年5月2日(木)
アメリカのスーパーで10年くらい前に買ってから、台湾3往復半を含む数々の出張に持って行ったリュックサックを、新しい洗濯機で丸洗いした。見違えるほどキレイで良い匂いになった。まだ10年は行ける。
2024年5月1日(水)
午後に雨が降る日は、黒い羽をしたカゲロウのような虫がブワッと発生しているのだが、これは何なのだろう。
試しにChatGPTに、「タイワンにいる黒い羽のカゲロウのような虫は何という名前か」と聞くと、見事に適当な名前を挙げてくれる。
それで、勝手にタイワンカゲロウ、と名付けているのだが、朝になると大量に羽が落ちているので、短命で、やはりカゲロウなのかもしれない。
と、思って調べていたら、なんと
シロアリの羽アリ(記事は中国語、蟲蟲危機:閲覧注意)
だという事がわかった。(急に残念な気持ち)
これに限らず、見たこともない虫(旧字だと蟲)がたくさんいる。
ナウシカみたいな蟲好きにはたまらないだろう。
2024年4月30日(火)
一回も大学から出なかった。家も食堂も大学の中にあるので生活が完結する。
2024年4月29日(月)
所狭しと何でも置いてそうな雑貨屋で、どうせ英語も中国語も通じないので、
「すみません、大きめのスプレーありますか?シュシュってこうやるやつ」
と聞いてみた。
いつものように、
「アァ?!!」
「メイヨ!」
と言われるかと思ったら、
「無いよ」と、普通に答えてくれた。
日本語通じるじゃん。年配の人は日本語話せるというのを始めて体験した。
(最後の切り札として取っておこう。。。)
その後、よく話すと、欲しかったスプレーも売っていた。「何に使うの?」と聞かれたが、それなりに使い道があるので。
2024年4月28日(日)
午後に雨が止んだので、新竹と言えばここ、みたいな観光名所に行ってきた。
帰りにバス停で、
私「ちょっとすみません。83番のバスはここに来るの?」
係の人「メイヨ(無いよ。)日曜はこのバスはお休み」
私「Oh!今天Sunday!バスメイヨ!(バス無い)、ドンラ(わかった)謝謝!」
という、不完全なコミュニケーションだが半分くらいは中国語で会話が成立した。
うれしい。
浮いたバス代でビールを買った。
2024年4月27日(土)
そろそろ実験もやらなくてはいけない。。。しかし試薬とか培養器具が無いので、思い切って、同僚から紹介してもらった、研究機器、試薬、消耗品の業者に、水曜日に一斉メールを送り「台湾に今月からいます。ちくまと申します。」と自己紹介した。
木曜日金曜日に、ものすごく、何人もの業者さんが訪問してくれた。正直、全く覚えられないが、何かが始まった感じはする。
2024年4月26日(金)
日本で教わった台湾華語(台湾で話される中国語)の先生が、台湾人は金曜日はハッピー、日曜日は休みが終わるのでブルーなのだと言っていた。
確かに、金曜日は職場からヒトが消えるのが早いような気がする。わかりやすい。
2024年4月25日(木)
仕事が終わってから、夜10時までやっているという大好きな「愛買(アイマート)」というホームセンターに行った。空腹、かつ歩くと片道3km近くあるが、遠くまで歩いて物干し台(アイテム)を買い、少しづつ生活が楽になっていく様は、ちょっと「ドラクエ」のようだ。
(帰りは自宅まで,タクシーで瞬間移動した)
2024年4月24日(水)
これは昨日の話。
ホームセンターで注文した洗濯機が、納品になるというので自宅で待っていると、時間になって携帯に電話がかかってきた。
「ウェイ!?」と電話に出ると、「シーXXチー!(だっけ?)」と、何度も言われる。
これは、もう下まで来ている、という事だと勝手に思って「OK,OK!」と出てみたら誰も来ていない。
15分ほどして、もう一度電話がかかってくる。
管理人さんがいたのでヘルプを求めると、ドライバーに折り返し電話してくれた。
1回目の電話は、「近くに来てる。もうすぐ訪問する」
2回目の電話は、「道に迷って、どこに行けばわからない」という内容だったそうだ。
2回目の電話は、たとえ先方が言ってることが分かってもこちらから自宅への道を伝えることは不可能に近かった。
管理人さんに電話してもらえなければ、配達も来ず洗濯機も受け取れなかったことになる。
電話は恐怖。
まあまあ毎日、自分のコミュ能力の弱さに失望するが、とりあえず洗濯機が来た。
今朝は喜んで洗濯した。
2024年4月23日(火)
昨夕から、しょっちゅう地震が起こると思っていたら夜中に強く揺れた。日本でもニュースになっていたらしい。今月3日に同じく、西側にいる私たちにはほとんど影響がなかったが、秘書さんが眠そうにしていた。
今日も午前中は何度も揺れた。非常時のために食料をある程度蓄えてしておくべきなのかもしれないが、最近は買ってきただけその日のうちに飲み食いしてしまうので冷蔵庫は空っぽ。ストックをするなら、自分でも思い出さない場所に隠すしかない。
2024年4月22日(月)
私のお部屋を訪れた同僚に、「ファンインゴンリ〜ン(いらしゃいませ〜)」と言ってみたが通じなかったので少し恥ずかしかった。もしかしたら、「何じゃこいつ??」と思ったのかもしれないが。。ここでくじけてはいけない。
2024年4月21日(日)
3回目の日曜日はダラダラ過ごしてしまった。夕方に少しラボへ行くと、他の研究室の学生はちらほらと実験をしているようだった。どこも同じだ。
2024年4月20日(土)
来た時から、部屋のエアコンをつけるとスゴイ悪臭がするので、管理人さんに文句を言っていたところ、業者さんにクリーニングしてもらえることとなった。
濃いめのコーヒー(エスプレッソ)の様な、バケツ2杯の汚水(桶子両杯的汚水;トンズーリャンベイダウーシュイ)が出て、驚くほど清々しい風が出るようになった。(これを浴びて寝ていたのか。。。)
エアコンのクリーニングって、本当に価値があると思う。特に、人のお金でやってもらうのは。
2024年4月19日(金)
新入教員の健康診断を、着任から1か月以内に受けるよう言われていた。自分で指定病院に行って検査してもらうのだが一度行った際に、予約が無いからと門前払いされた。
今日は秘書さんに、予約なしでOKな病院を探してもらって行ったのだが、、、、
こちらで自転車に乗るのは怖い。車道を走るのは日本と一緒だが、無数に走っている原付のバイクは最大のライバルだ。
自転車と同じく歩道近くをビュンビュン追い越していくので、こちらをちゃんと避けてもらう事を祈るしかない。
健康診断に行くのも命がけだ。
2024年4月18日(木)
朝、走っていると急に大雨が降ってきた。勢いが半端なく、ポケットに入れていた財布がビショビショになった。天気のメリハリがすごい。
2024年4月17日(水)
海外旅行の後にありがちなこと
1:現地で「念のために多めに」両替したお金が余る。
2:現地のお金を、帰ってきて使ってしまう。今回は500ウォンを、台湾の10ドルと間違えてコンビニで払ってしまった。とてもよく似ているが、店員さんは気づいていた。
(日本円に換算すると、500ウォンが55円、10ドルが47円と、まあまあ値打も同じ位だった。)
2024年4月16日(火)
2度目の韓国は、現地滞在21時間、そのうち移動3時間、(睡眠8時間)と、少し短かったが起きていた10時間にはむちゃくちゃもてなしていただいた。濃い出張だった。
2024年4月15日(月)
セミナーに招待してもらい韓国へ行った。外国から外国に飛ぶのは初めてだ。到着ゲートを出てくると、待っていてくれるはずの友人がいない。私の入国審査に時間がかかりすぎて、すれ違いになったと思って帰ってしまったという事だった。ちょっと焦ったが、まあ電車でソウルまで行き再会できた。
2024年4月14日(日)
夕食にハンバーガーを買って帰ってくると、宿舎で警報が鳴っており、警官が来て住人が外に出ている。何が起こったのかわからない。誰かにシェンマー?シェンマー?(何?何?)と聞くべきだったのかもしれないが、説明してもらってもわからないかも。結局、最後まで何が起こったのかわからず普通に自転車を置いて部屋に戻った。
3日の地震の時もそうだったが、言葉がわからないと非常事には危ないかもしれない。
ラボの、
公式ホームページ
(プロトタイプ)を公開しました!
2024年4月13日(土)
ラボの椅子を買いに行った。ウォシーファンザガ!ウォヤオザガ!(私はこれが好き。私はこれがほしい)は言えるが、「私はここの大学にいるので、クレジットカードで払って、大学の資金で払いたい」、「オフィスに配達してほしい」、などは全く伝えられない。店員さんも困っている。
たまたま居たお客さんが店員さんへ通訳してくれた。
まあ、椅子は買えた。
2024年4月12日(金)
また溜まった洗濯物を洗いにコインランドリーへ(4月5日の日記参照)。壁の注意書きの中に、
「24時間カメラで監視しているから、スマイル!」
などと書いてある。やはりちょっと変わったお店なのだろうか。。。
洗濯を始めてソファーでダラダラ待っていると、年上っぽい男性が出てきて、「君のその袋は紙だから破れるだろう。これを使ったらいいよ」と、コインランドリーの名前入り袋をくれた。押し売りかと思ったら店長だった。監視されていたか。
2024年4月11日(木)
ラボに置く机やエアコンの導入で、総務(ゾンウー)のお兄さんにほとんど毎日お世話になっている。私のデスクにおいてある縫いぐるみを見て、「これはイギーか!JOJOか!」と、ものすごくうれしそうにされた。
2024年4月10日(水)
日本から送った、顕微鏡とコンピュータが届いた。すごく大きくて頑丈な木箱に包装してあるので、ネジを外すだけで30分以上かかった。
2024年4月9日(火)
やっと、念願のオフィスをもらえた。自分のラボができる前の、仮の仮の部屋らしいが、空き部屋を探して転々としなくて良くなった。うれしい。
2024年4月8日(月)
連休明け。学生が戻ってきて賑やかだった。初めて教員のミーティングがあり、「仕事はしていませんがホリデーは楽しみました」と言ったら受けた。
2024年4月5日(金)
研究に使う物は持って来たが、身の回り品をおろそかにしていて
着るものがすでに無くなった
。宿舎のすぐ裏に、コインランドリーを発見して服を洗濯した。
看板や店内がかなり賑やかにデコレーションされていたり、超強力な洗濯機があったり大きなソファーが置いてあってくつろげたりする。これは便利。
(看板の女性は誰なのだろう。。。)
2024年4月3日(水)
地震で、台湾全土が揺れた。
朝、大学の中をジョギングしていると、急に真っすぐ走れなくなった。日ごろから心配していた、何かの体調不良だと思い、電灯にしがみついた。揺れはしばらくして収まり、宿舎へ戻る途中、多くの人たちが建物の外でスマホを注視していて、やっと地震が起こったのだと思った。日本のYAHOOを見て、マグニチュード7.2の大地震だった事を知った。ジョギング中だからよかったものの、宿舎の5階にいたらかなり怖い思いをしたに違いない。
大学では、引き続き事務室の横の教室を借りてデスクワークしたが、10時ごろに大きめの余震が来て、20秒ほど揺れた。事務員の人たちがキャーキャー言って廊下に出てきていた。
2024年4月1日(月)
今日から出勤。とはいってもゲストハウスからスタート。
隣の研究室の同僚が、荷物を運んでくれる。この荷物は、2週間前の訪台より重い。スーツケース(大)2個、リュックサックに加え、デスクトップPCを丸ごと一個肩にかけている。まずは生命科学の職場へ運んでもらった。
偶然、上司の所長に会うと、「よく来たな!まあ当分はペーパーワークで忙しいだろう!」ということで、メールではお世話になっている秘書さんを紹介してくれた。
隣の同僚と秘書さんが、人事課に連れて行ってくれた。私は英語と日本語しか話せないし、人事課の人は中国語しか話せない。間に立つ2人が必死で(でも楽しそうに)通訳してくれた。会談は1時間くらいかかり、色々サインしたが、何が足りたか、何が足りないかという話はすごく進んだ。
夕方に、隣の同僚が、生活必需品を買うため車でホームセンターに連れて行ってくれた。今日寝るための、シーツと掛け布団と枕(本当に必要なもの)を買って、大量の荷物とともにアパートへ送ってもらった。
2024年3月31日(日)
台湾へ、リアル移動。
大量の荷物を預けて、「乗ってしまえば後は何とかなる」、と、ワインを飲んでいたら、台北上空が悪天候でどうしても着陸できず高雄に緊急着陸になった。
2024年3月30日(土)
吉村研最終日。
2024年3月29日(金)
台湾からメールが届いて、件名が「竹馬老師的入住問題,麻煩?了!!!」だった。
入居予定の住居がいまだに汚くて、掃除にあと1日かかるから、予定だった31日は来ても泊まれない。いつものゲストハウスに泊まってもらってほしい、とのこと。
絶賛掃除中の写真が添付されている。
全然問題ないが、気を使ってもらっている。
10回通った、台湾語(中国語)教室も今日で終わり。お世話になった。