26 小松〜山代〜山中〜大聖寺〜吉崎(福井県)
・平成17年8月12日(金) 金沢
金沢駅に着く。金沢全日空ホテルで食事をした後、金沢都ホテルにチェックインする。4泊予約していた。部屋に荷物を置いてホテルを出る。
バスに乗り停留所「広坂」で降りる。兼六園と石浦神社の間の坂道を上る。両側は樹木が鬱蒼として辺りは暗い。蝉時雨の下を歩く。
15分程上り、県立美術館の手前を右に入る。椎や松等の樹木に囲まれて建つ大正11年(1922年)建築の旧陸軍第9師団長官舎(現・兼六園広坂休憩館)に入る。
玄関の左隣の談話室は、暖炉を備えている。廊下で隔てられている反対側の資料展示室も、談話室と同様に瀟洒な室内である。ホールの窓の向こうには芝生の庭が広がっている。
兼六園広坂休憩館
休憩室にポットと茶碗が備え付けてある。ポットに入っている冷えたお茶を飲み、少し休む。
休憩館を出て右へ曲がり100m程歩く。本多の森公園に着く。蝉の声が一層賑やかになる。
本多の森公園は、加賀藩の筆頭家老本多家五万石の屋敷があった所である。公園の一画に、武具を中心とした展示をしている藩老本多蔵品館がある。
公園は数多くの欅の大木が茂り、木陰を作っている。広がる芝生の向こうに三棟の旧金沢陸軍兵器支廠(現・石川県立歴史博物館)が建っている。
本多の森公園
兵器支廠は、兵器庫だった建物である。明治42年(1909年)から大正3年(1914年)にかけて建てられた。平成2年、国重要文化財に指定された。
いずれも煉瓦造りの2階建。堅固で、堂々とした風格に圧倒される。出入り口と窓の鉄の扉が兵器庫であったことを表わしている。
それにしても、三棟の兵器庫が戦争中よくぞ爆撃に遭わないで無事だったと思う。
石川県立歴史博物館
現在、三つの建物は渡り廊下でつながり、建物の内部は大幅に改装されている。石川県の古代から近代までの歴史と文化を紹介している。
・同年8月13日(土) 小松〜粟津〜山代温泉
朝、ホテルを出て金沢駅から特急に乗る。小松駅で降りる。
駅を出て左へ曲がる。線路に沿って1キロ程歩き右へ曲がる。多太(ただ)神社に着く。
拝殿の裏から境内に入り拝殿の前に出る。右奥に本殿が建ち、拝殿の斜め前に宝物館が建っている。
多太神社 拝殿
多太神社は503年に創建された。木曾(源)義仲(1154〜1184)は、寿永2年(1183年)、斎藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)(1111〜1183)の兜を多太神社に奉納した(木曾義仲については、目次22、平成16年8月15日参照)。
兜は、多太神社に伝えられ、保存されている。現在、国重要文化財に指定されている。宝物館で拝観できるだろうと思って、宝物館の引き戸を開けようとしたが、開かない。人の気配もない。
諦めて参道を歩き多太神社を出る。参道の両側に芭蕉の石像が立ち、実盛の坐像が置かれている。
多太神社に電話をすると女性が出てきた。兜を拝観したい旨述べたところ、「団体で予約された場合のみ公開している」ということであった。
芭蕉は、兜を拝観した。
「この所多太(ただ)の神社に詣(まう)づ。実盛(さねもり)が甲(かぶと)・錦(にしき)の切れあり。往昔(そのかみ)源氏に属せし時、義朝公より賜はらせたまふとかや。げにも平士(ひらさぶらひ)のものにあらず。目庇(まびさし)より吹き返しまで、菊唐草の彫りもの金(こがね)をちりばめ、龍頭(たつがしら)鍬形(くはがた)打つたり。実盛討死(うちじに)の後、木曾義仲願状(ぐわんじやう)に添へて、この社(やしろ)にこめられはべるよし、樋口の次郎が使ひせしことども、まのあたり縁起に見えたり。」『おくのほそ道』
むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす
平凡社発行、1978年1月号の『太陽』に、実盛の兜の写真が掲載されている。兜の正面の金に「八幡大菩薩」と彫られ、菊の花と花に集まる鳥の精緻な透かし彫りが施されている。「この品は、『縷菊(るぎく)の兜』とも呼ばれる名品である」という説明がある。
倶利伽羅峠の源平合戦で敗北した平氏の軍は、その後も加賀国篠原の合戦で苦戦していた。元は源義朝(みなもとのよしとも)(1123〜1160)に仕え、義朝死後は平氏となっていた齢(よわい)73の実盛も、平維盛(たいらのこれもり)(1158〜1184)に従って、白髪と髭を黒く染めて戦っていた。実盛は、60を過ぎて戦に出るときは年寄りであることを侮られないように髪と髭を黒く染めて若々しく戦う、と常日頃語っていた。
しかし、奮戦むなしく討ち取られる。素性が知れないために首を切られ、義仲の前にさし出される。
以下、『平家物語』(小学館発行、新編日本古典文学全集、校注・訳者・市古貞次氏)から引用する。
「木曾殿、『あッぱれ、是(これ)は斎藤別当であるごさんめれ。それならば義仲が上野(かうづけ)へこえたりし時、をさな目に見しかば、しらがのかすをなりしぞ。いまは定而(さだめて)白髪(はくはつ)にこそなりぬらんに、びんぴげの黒いこそあやしけれ。樋口次郎(ひぐちのじろう)はなれあそんで見知ッたるらん。樋口召せ』とて召されけり。樋口次郎ただ一目みて、『あなむざんや、斎藤別当で候ひけり』。木曾殿、『それならば今は七十にもあまり、白髪にこそなりぬらんに、びんぴげの黒いはいかに』と宣へば、樋口次郎涙をはらはらとながいて、『さ候へばそのやうを申しあげうど仕り候が、あまり哀れで不覚の涙のこぼれ候ぞや。弓矢とりは、いささかの所でも思ひ出での詞(ことば)をば、かねてつかひおくべきで候ひける物かな。斎藤別当、兼光(かねみつ)にあうて常は物語に仕り候ひし。『六十にあまッていくさの陣へむかはん時は、びんぴげを黒う染めて、わかやがうど思ふなり。其故(そのゆゑ)は、若殿原(わかとのばら)にあらそひてさきをかけんもおとなげなし、又老武者(おいむしゃ)とて人のあなどらんも口惜(くちを)しかるべし』と申し候ひしが、まことに染めて候ひけるぞや。あらはせて御覧候へ』と申しければ、『さもあるらん』とてあらはせて見給へば、白髪(はくはつ)にこそなりにけれ。」
左へ曲がり、旧い家並みの間の道を歩く。3キロ程歩き「串」の信号を左へ曲がる。小松製作所粟津(あわづ)工場の長い塀に沿って歩く。1、5キロ程歩き、陸橋を渡って北陸本線の線路を越え反対側に出る。
右へ曲がり500m程歩く。粟津駅が右側に見える十字路に着く。左へ曲がる。
右手に、造り酒屋の煉瓦積みの煙突が見える。遠くに見える「こまつドーム」の屋根が銀色に光る。道の両側は田畑になってきた。2キロ程歩き、こまつバイパスの下を潜る。県道11号線に入る。1キロ程歩き粟津小学校の前を通る。粟津温泉の温泉街に入る。
ホテルや旅館の前を通る。動き出した観光バスに乗っている客を見送って、旅館の従業員が玄関の前に一列に並んで手を振っている。既に客を送り出したのか玄関の周りを掃除している旅館もある。
寿司屋、居酒屋、食堂、タクシーの営業所等が並ぶ賑やかな通りを歩く。
温泉街を抜けると広々とした場所に出た。道路幅が広くなり歩きやすい。
2キロ程歩き那谷(なた)の十字路に出る。左へ曲がると、芭蕉が立ち寄った那谷寺(なたでら)に着く。那谷寺は、紅葉の名所として知られている。10月に来る予定にしているので通り過ぎる。
1、5キロ程歩く。加賀市に入る。勅使の十字路を越えて5キロ程歩く。山代温泉に着く。山代温泉も10月に来る予定にしている。
停留所「山代東口」からバスに乗り加賀温泉駅で降りる。特急に乗り金沢駅に戻る。
・同年8月14日(日) 山代〜山中温泉〜大聖寺
金沢駅から特急に乗り加賀温泉駅で降りる。駅前からバスに乗り、10分程で停留所「山代東口」に着く。
山代温泉の温泉街を通る。1キロ程歩き左へ曲がる。山間に入って行く。曇っていて、湿度が相当高くなっている。500m程歩いて左へ曲がる。大聖寺川(だいしょうじがわ)に架かる河南大橋を渡る。
国道364号線に入る。左へ曲がる。バスの停留所「河南」の標示が立っている。1キロ程歩く。山中町に入る。山中塗りの店が見えてきた。風がなく蒸し暑い。
2キロ程歩き山中温泉に着く。山中温泉のバスターミナルの待合室は狭いが、冷房が入っていた。しばらく休む。汗が引いていく。
山中温泉は、9月に来る予定にしている。これから大聖寺に向かって歩く。「河南」の停留所まで今歩いてきた道を後戻りすることになるのでバスに乗る。
停留所「河南」でバスを降りて真っ直ぐ歩く。大聖寺川が近づき離れる。道路脇に夏草が茂る。
3キロ程歩き黒瀬の十字路を左へ曲がる。吸坂トンネルの中を歩く。大聖寺発電所の横を通り1、5キロ程歩く。右へ曲がり500m程歩く。北陸本線の線路の下を潜り左へ曲がる。大聖寺駅に着く。
各駅停車に乗り加賀温泉駅で降りる。特急に乗り換え金沢駅に戻る。
・同年8月15日(月) 大聖寺〜吉崎
大聖寺駅で降りる。暗雲が垂れこめる空模様である。雨は降っても、今日、目的地に着くまでは小雨程度であって欲しいと願いながら歩き出す。
500m程歩いて、大聖寺南町の十字路を左へ曲がる。緩やかな坂道を登る。両側は、住宅地が広がっている。坂は下りになる。3キロ程歩き北陸自動車道の下を潜る。
大聖寺川を右に見ながら国道305号線を歩く。雨がポツポツ降ってきた。風も出てきた。傘を差して歩く。3キロ程歩き福井県あわら市吉崎町に入る。
吉崎町に入った途端に突然大雨になった。雨は道路を叩きつける。傘を差していてもずぶ濡れになる。バスの停留所があったから時間を見ると、大聖寺へ戻るバスが来るのは2時間後である。
雨の中を先へ進む。蓮如上人(れんにょしょうにん)記念館の前まで歩いて来ると、コミュニティバスの停留所があり、マイクロバスが停まっていた。運よく加賀温泉駅へ回る。
バスに乗る。上から下まで服がずぶ濡れになっているので、既にバスに乗っていた数人の客がじろじろと見る。二十歳位の若い女性が車掌として乗っている。立ったまま切符を買おうとしたら、座ってください、と言う。「椅子が濡れますよ」と言ったら、「それはいいですから座ってください」と、言われた。
途中、車掌さんが沿線の観光案内をしてくれる。9月に大聖寺駅の近くの全昌寺(ぜんしょうじ)を訪ねる予定であることを話すと、全昌寺の説明を丁寧にしてくれた。
雨は止み、天気は回復してきた。雲の間から陽が差している。加賀温泉駅で降りる。(注・コミュニティバスは、平成21年11月現在、吉崎方面は運行していない。)
・同年8月16日(火) 金沢
朝食後、ホテルを出て駅前からバスに乗る。停留所「香林坊日銀前」で降りる。10分程歩いて長町武家屋敷跡へ行く。
加賀藩の上級、中級武士が暮らしていた所であり、現在も当時の家屋、土塀、長屋門が残っている。江戸時代初期に完成した大野庄用水も水量豊かに音を立てて流れている。
長町武家屋敷跡
大野庄用水
加賀藩1、200石の野村家に入る。総檜造りの格天井(ごうてんじょう)、襖絵を見る。濡れ縁から庭園を見る。石を巧みに配することによって曲水、落水を作り、自然に近い流れで水を庭園に巡らせている。
野村家を出て100m程歩く。聖隷(せいれい)病院に隣接する金沢聖隷修道院聖堂の美しい塔を見る。聖堂は、スイス人建築家マックス・ヒンデル(1887〜1963)の設計により、昭和6年(1931年)に建てられた。市文化財に指定されている。
金沢聖隷修道院聖堂
マックス・ヒンデルの作品であるカトリック新潟教会について、目次17、平成15年7月21日参照。