22 富山〜新湊〜高岡〜小矢部〜石動〜金沢(石川県)
・平成16年8月13日(金) 富山〜放生津〜高岡
富山駅を出て富山港線に乗り換える。蓮町駅で降りる。電車の進行方向に向かって線路沿いに300m程歩き国道415号線に入る。左へ曲がり500m程歩く。お盆休みに入ったのか、或いは閉鎖されたのか、人の気配がない工場の敷地の乾いた砂地に雑草が茂っている。神通川(じんづうがわ)に架かる荻浦橋を渡る。
1、5キロ程歩き、四方荒屋(よかたあらや)の三叉路に出る。右へ曲がる。1キロ程歩き左へ曲がる。500m程歩く。右手に海が見えてきた。1キロ程歩き新湊市に入る。
海老江の集落を通り4キロ程歩く。左に曲がる国道415号線と別れてそのまま真っ直ぐ1、5キロ程歩く。堀岡に着く。富山新港の入り口に位置する堀岡と対岸の越ノ潟(こしのがた)は、フェリーで結ばれている。
堀岡発着場でフェリーを待つ。現代の渡し舟である富山県営のフェリーは無料で乗ることができる。
堀岡発着場
フェリーが着く。自転車を引いたり、バイクを押したりして乗ってくる人たちもいる。
出発の合図の音楽が鳴り、動き出す。エンジンの唸りと船腹に当たる波の音を聞きながら、港内で修理されている船や停泊している船を見る。越ノ潟に5分で着いた。短い船の旅だった。
フェリー
富山新港内
越ノ潟発着場
高岡と越ノ潟を結ぶ電車の線路に沿って歩く。万葉線という愛称で呼ばれ、私鉄の運営による。
1キロ程歩く。左にカーブする線路と別れて真っ直ぐ歩く。静かで落ち着いた町並みが続く。500m程歩き放生津八幡宮(ほうしょうづはちまんぐう)に着く。
放生津八幡宮 社殿
境内
社殿は、文久3年(1863年)に再建されたものである。
松の木が聳える広い境内に芭蕉の句碑が立っている。
わせの香や分け入る右は有磯海(ありそうみ)
句碑の隣に、大伴家持の歌碑が立っている。歌は万葉集に収められている(大伴家持については、目次21、平成16年3月21日参照)。
東風(あゆのかぜ)いたく吹くらし奈呉(なご)の海人(あま)の釣する小舟(をぶね)漕ぎ隠る見ゆ(巻17・4017)
500m程歩き左へ曲がる。内川に沿って歩く。1、5キロ程歩き左へ曲がる。500m程歩き右へ曲がり、庄川に架かる新庄川橋を渡る。
国道415号線に入る。左手に庄川を見ながら歩く。右手には工場が立ち並ぶ。
2キロ程歩き、庄川と別れて右に曲がる。中越パルプの工場の林立する煙突から盛んに白い煙が出ている。1、5キロ程歩いて、米島の十字路を左に曲がる。2キロ程歩き国道8号線を横断する。国道156号線に入る。車の交通量が多くなる。午後の西日が熱い。
4キロ程歩き左へ曲がる。高岡駅の近くのホテルニューオータニ高岡にチェックインする。4泊予約していた。ホテルの中は適度に柔らかい冷房がいきわたっていた。ロビーは落ち着いて重厚な雰囲気がある。
部屋に入る。予め冷房が入れられていて、丁度いい具合に冷やされていた。空気清浄器が置かれている。
夜、1階のレストラン「COO(クー)」で食事をする。バイキングだった。
料理の種類は多くはないが、どの料理もおいしい。たらこ入りのスパゲッティとデザートのチーズムースが特においしい。
・同年8月14日(土) 高岡〜小矢部〜石動
朝、ホテルを出て高岡駅前に行く。北陸線の線路に沿って歩く。2キロ程歩き、線路から離れて国道8号線に入る。5キロ程歩き福岡町に入る。福岡駅前を通り4キロ程歩く。小矢部(おやべ)市に入る。3キロ程歩く。小矢部川が流れている。
小矢部川は、橋の上からも川底の石が見えるほどきれいな水が流れている。川岸に旧い建物が並んでいる。旧北陸道の宿場町だった頃の名残がある。
小矢部川(旧・射水川)
小矢部川は、古代、射水(いみず)川と呼ばれていた。
天平勝宝2年(750年)3月3日、大伴家持は、遠く射水川から伝わってくる船頭の歌を聞く。
朝床(あさどこ)に聞けば遙(はる)けし射水川(いみづかは)朝漕(こ)ぎしつつ歌ふ船人(ふなびと)(巻19・4150)
美しい歌である。今から1200年以上前に作られたとは思えないほど、瑞々しく、鮮やかに情景が思い浮かべられる。
小矢部川に架かる石動(いするぎ)大橋を渡る。1、5キロ程歩く。石動駅に着く。電車に乗り高岡駅で降りる。ホテルに戻る。
夜、1階のレストラン「クー」でバイキングの食事をする。料理の内容が一部変わっていた。
・同年8月15日(日) 石動〜倶利伽羅峠〜金沢
高岡から北陸線に乗り石動駅で降りる。駅を出て左へ曲がり500m程歩く。左へ曲がり、線路を越えて反対側に出る。
1キロ程歩き埴生護国(はにゅうごこく)八幡宮に着く。
埴生護国神社
鳥居を潜って石畳の参道を歩く。左手に、源(木曾)義仲(1154〜1184)の大きな騎馬像が立っている。
埴生護国八幡宮は、養老2年(718年)に創建された。約800年前、源義仲が、平維盛(たいらのこれもり)との倶利伽羅(くりから)合戦の戦勝祈願をした神社である。
源義仲像
石段の登り口の右手に、青銅の竜の口から水が勢いよく噴き出している。説明板に、水源を倶利伽羅山中の「鳩清水」の滝としている、と書かれている。
手を洗い、口を漱ぐ。水を飲む。冷たくておいしい。ポリタンクを車に載せて水を汲みに来ている50代位の男性がいる。明るく挨拶をしてくれる。
103段の石段を登る。石段の両側の杉林で鶯が鳴いている。
入母屋造りの拝殿は、荘厳な建物である。国の重要文化財に指定されている。鬱蒼とした杉木立に囲まれた境内は、清浄な雰囲気に満ちている。
拝殿
境内
八幡宮を出て若宮山医王院の前を通る。旧北陸道のこの道の両側には旧い家が並んでいる。
500m程歩き、案内板を見ながら倶利伽羅峠に至る坂道を登る。1キロ程歩く。石坂(いつさか)の集落を過ぎる。
ここから山の中へ入る。旧北陸道を「歴史国道」として道は整備されているが、歩く人は稀なようで、草が道の中央にも茂っている。蔓科の草が蔓を伸ばし、それが足にひっかかり、歩きにくい。蛇が叢に移動する。蜥蜴も素早い動きで身を隠す。風はなく、高い湿度の中を登って行く。顔の周りに虻がまとわりついて、うっとうしい。
30分程登る。明るく開けた場所に出た。涼しい風が吹いている。右側に「峠茶屋跡」の石碑が立っている。左側は竹薮になっていて、その先は崖になって落ち込んでいる。
平坦な道になり、歩きやすくなってくる。蝉時雨の中、芭蕉も歩いた道を歩く。
旧北陸道
舗装道路が交差し、旧道が少し寸断される。「歴史国道」の標示に従い、また、山の中へ入る。急な登りになる。汗みずくになって30分程登る。標高277mの倶利伽羅峠の頂上に着く。
平家の軍勢が追い落とされた倶利伽羅谷は深い樹林に覆われている。周囲の山の中腹に霧が棚引いている。
寿永2年(1183年)5月11日、倶利伽羅峠は、源平の合戦場となった。源義仲は、500頭の牛の角に松明(たいまつ)をくくりつけて突撃させた。この奇襲が義仲を勝利に導いた、といわれている。
子供の頃、この場面を絵本で見たことがあるが、この「火牛(かぎゅう)の計」はフィクションらしい。
二頭の火牛の銅像が立っている。後肢を跳ね上げ、今まさに突進せんばかりの迫力ある銅像である。
近くに、『おくのほそ道』に収められてはいないが、芭蕉の句「義仲の寝覚めの山か月悲し」の句碑が立っている。
高さ6、8mの源平供養塔の横を通る。舗装された道を下る。15分程で倶利伽羅不動寺に着く。
鳥居を潜り石段を登る。広い境内に多くの伽藍が建っているが、時間の余裕がないので、本堂を拝観するに留める。
倶利伽羅不動寺 本堂
道路に戻り坂を下る。石川県津幡(つばた)町に入る。20分程下った所で、左側に「歴史国道」と標示された道が現れる。左へ曲がり、旧北陸道の「歴史国道」を歩く。
旧北陸道
茂る樹木の間の道を歩く。遠くの風景は見えない。30分程歩き、標高195mの城ヶ峰の横を通る。更に30分程歩き前坂に着く。ここで標示を見間違え、地図も見誤り、あちらこちら動き回って、竹橋の集落に着くまで1時間近く時間を無駄にしてしまった。
旧北陸道の宿場町だった竹橋を通る。幅の広い道が一直線に500m程伸びて、両側には民家が整然と並んでいる。
20分程歩いて国道8号線に入る。左へ曲がる。1キロ程歩き、「道の駅・倶利伽羅源平の郷」の前を通る。
国道8号線は上下線とも車の交通量が多い。今日はお盆にも拘わらず大型トラックも引っ切り無しに走っている。
6キロ程歩いて金沢市に入る。2キロ程歩く。国道8号線は右へ曲がり北陸線の線路を越えるが、曲がらないでそのまま歩く。国道は159号線に変わる。2キロ程歩き森本駅前を通り、北陸自動車道の下を潜る。車は一層多くなり、人も増えてくる。北陸新幹線の高架橋が一部出来上がっている。
2キロ程歩き右へ曲がる。500m程歩き東金沢駅に着く。明日はいよいよ百万石の城下町だった金沢の市街地に入る。
電車に乗り高岡駅で降りる。ホテルに戻る。
夜、1階のレストラン「クー」で、3日連続のバイキングの食事をする。
食事をしていると、40代位の主任と思われる男性が近づいてきて、「いつも同じものばかりで悪いですね。ご希望のものがございますか、お造りしますよ。」と言う。バイキングでそんなことを言われたのは初めてだったので吃驚して、「いいえ、おいしいから同じものでも全然飽きないですよ」と答える。
フロアーの一隅で、料理人がローストビーフを切り分けているので、いただきに行こうと思いながら20分程経ったとき、さきほどの主任と思われる男性が皿を持って来た。ローストビーフを持って来てくれたのかなと思っていたところ、「シェフが、いつも同じ料理で申し訳ないと言って、肉を焼きました。フィレ肉のステーキです。付け合せは海鮮ポテトサラダです。召し上がってください。」と言ってテーブルに置く。
バイキングでこんなことをして頂いたのは初めてだったので、また吃驚したが、お礼を言ってありがたく頂いた。
フィレ肉は、150グラム位である。柔らかくておいしい。
海鮮ポテトサラダは、皮付きのジャガイモをふかして、皮を残して中を取り出し、海老、イカ、サザエの身と合わせ、チーズをからめて戻している。付け合せというものではなく、独立した料理である。
優しい心遣いに心が暖まり、おいしい食事ができた。ありがとうございました。
・同年8月16日(月) 金沢
東金沢駅を出て国道159号線を歩く。2キロ程歩く。通りの両側に並ぶ建物が旧い商家の建物に変わっていく。
500m程歩き左へ曲がり路地に入る。200m程歩く。ひがし茶屋街(ちゃやがい)に着く。
藩政時代の建物が並ぶひがし茶屋街は、平成13年、国重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
茶屋街の入り口に、酸化鉄を原料とする塗料を塗った紅殻(べんがら)塗りの建物が建ち、右手に柳の木が立っている。茶屋は遊郭のことだから、この柳は、「見返り柳」ということになるのだろう。
紅殻塗りの家
ひがし茶屋街
金箔の店がある。その並びに内部を公開している志摩に入る。志摩は、文政3年(1820年)に建てられ、廓の造りを残している。国重要文化財である。
玄関に入り、2階への幅の広い階段を上る。階段の手すりは、立木の姿のままの手すりである。
座敷の壁は紅殻塗りである。一部、簾戸(すど)に替え、夏の設えをしている。石灯籠が置かれ、楓が植えられている坪庭を廊下から見下ろす。
志摩 2階座敷
国道159号線に戻り左へ曲がる。きれいな水が流れる浅野川に架かる浅野川大橋を渡る。
浅野川大橋は、大正11年(1922年)竣工、長さ55mの三連アーチの橋である。平成12年、国登録有形文化財に指定された。
橋場町を通り1キロ程歩く。兼六園下に着く。兼六園に至る急な坂を登り、金沢城の石川門を見る。
金沢城 石川門
兼六園は、来年1月に来る予定だから寄らないで、反対側の坂を下る。城の石垣を見ながら「お堀通り」を歩く。500m程歩き広坂に着く。右に曲がり「百万石通り」に入る。
右手に、大正13年(1924年)竣工の瀟洒な石川県旧県庁舎を見る。10分程歩き、赤煉瓦の旧第四高等中学校本館(現・石川近代文学館)(注・平成20年4月、石川四高記念文化交流館に名称変更)に着く。
石川四高記念文化交流館
旧第四高等中学校本館は、明治22年(1889年)6月に起工、2年後の明治24年(1891年)7月に完成した。昭和44年3月、国重要文化財の指定を受けた。
美しい赤煉瓦の建物は、風格と気品があり、伝統のある欧米の大学のようである。
中に入る。内部は質素な造りである。
金沢出身の三文豪と称される泉鏡花(1873〜1939)、徳田秋聲(1871〜1943)、室生犀星(1889〜1962)の遺品、資料が展示されている。また、金沢市が主催する泉鏡花文学賞の代々の受賞者を紹介している。
別室に、室生犀星の東京・大田区馬込の自宅の書斎が再現されている。
1階廊下と階段
建物の裏に中央公園がある。公園の横の裏通りを歩く。20分程歩き尾山神社に着く。尾山神社の創建は明治6年(1873年)、祭神は加賀藩の藩祖・前田利家である。
鳥居を潜って石段を登る。明治8年(1875年)建立の神門(しんもん)が建っている。不思議な建築物である。三層で構成されていて、一層は洋風の三連アーチで出来ている。最上部の三層は四面色ガラスが嵌め込まれている。欄干は中国趣味と思われる。宝形造(ほうぎょうづくり)の屋根の上に日本で初めて設置された避雷針が立っている。屋根と合わせてこれは山鉾に見える。
昭和25年(1950年)、国重要文化財に指定された。
尾山神社 神門
神門を潜って境内に入る。創建された同じ年の明治6年建築の拝殿が建っている。
石段を下って右へ曲がる。20分程歩き近江町市場(おうみちょういちば)の前に出る。武蔵ヶ辻の十字路から金沢駅へ向かう道を選ぶ。
右手に浄土真宗東別院の壮大な伽藍を見る。20分程歩き金沢駅に着く。
駅前広場に高さ13、7mの巨大な門が立っている。門柱の形状から鼓門(つづみもん)と名付けられている。金沢は、藩政の時代から能楽の宝生流(ほうしょうりゅう)の盛んな所である。
鼓門
・同年8月17日(火) 雨晴海岸(寄り道)
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朝、高岡駅から氷見(ひみ)線に乗る。15分程乗り、越中国分駅に近づく頃から右手に富山湾が見えてくる。次の駅の雨晴(あまはらし)駅で降りる。
駅を出て右へ曲がり線路を越える。松林を過ぎて海岸に出る。富山湾の海上は靄(もや)がかかっていた。
富山湾
大伴家持がここ雨晴海岸で詠った歌2首を載せる。
馬並(な)めていざ打(う)ち行(ゆ)かな渋谿(しぶたに)の清き磯廻(いそま)に寄する波見に(巻17・3954)
立山(たちやま)に降り置ける雪を常夏(とこなつ)に見れども飽かず神(かむ)からならし(巻17・4001)