3 那須湯本〜黒田原〜芦野〜白河(福島県)
・平成11年5月15日(土) 那須湯本〜黒田原
黒磯駅からバスに乗る。車内が緑色に染まる、と思うほどの溢れる新緑の中をバスは走る。停留所「一軒茶屋」で降りて黒田原に向かって歩く。
鶯が鳴いている。若葉が茂る欅の木は大きく枝を広げ、どこまでも続く深い樹林は萌黄色に輝く。草原が現れる。所々に薄い紅の「山つつじ」が見える。田圃の端に植えられている杉の木は、田植えが終わったばかりの水田に影を映す。
野を横に馬牽(ひ)きむけよほとゝぎす
11キロ程歩いて漆塚の交差点を左へ曲がり、500メートル程歩いて右へ曲がる。更に3キロ程歩いて黒田原駅に着く。電車で黒磯駅に戻り、駅の近くのホテルトップスに泊まる。
部屋に風呂は付いているが、別に1階にサウナ付きの浴室がある。8人も入ると一杯になりそうな広さだが清潔な浴室である。
夜、ホテル内のレストランで食べた「タンシチュー」は、赤ワインの香りがある濃厚なソースに包まれたタンが柔らかくおいしかった。
・同年5月16日(日) 那須湯本
ホテルの前の停留所からバスに乗り、停留所「那須湯本」で降りる。那須温泉(ゆぜん)神社へ行く。
那須温泉神社
『平家物語』(小学館発行、新編日本古典文学全集、校注・訳者・市古貞次氏)に、那須与一が、扇を首尾よく射落とせるように那須温泉神社他に祈願する件(くだり)がある(那須与一については、目次2、平成10年12月5日参照)。
「南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)、我国の神明(しんめい)、日光権現(につこうのごんげん)、宇都宮(うつのみや)、那須(なす)のゆぜん大明神(だいみょうじん)、願はくはあの扇のまン(ん)なか射させてたばせ給へ。これを射損ずる物ならば、弓きり折り自害して、人に二(ふた)たび面(おもて)をむかふべからず。いま一度(いちど)本国(ほんごく)へむかへんとおぼしめさば、この矢はづさせ給ふな」
ミズナラ(ブナ科)
拝殿
参道の石段を登る。樹木の間に石段が続いている。樹齢800年のミズナラ(ブナ科)の前に出る。説明によると、樹高18m、胸高周囲4mとなっている。太い幹から枝を広げた重量感のある力強い木である。石段を登り続ける。五葉松が植えられている。樹齢800年、樹高12m、幹周り170cmという説明がある。
石段を上りきった所に拝殿がある。拝殿の右手から溶岩が拡がる谷間を一望することができる。史跡殺生石(せっしょうせき)に通じる林の中の緩やかな坂道を下る。
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殺生石 |
殺生石について、岩波書店発行、新日本古典文学大系、西野春雄氏校注『謡曲百番』に収められている「殺生石」の梗概の一部を引用する。
「昔、鳥羽の院の寵愛はなはだしい美女がいて、仏典・和漢の知識、詩歌管弦に至るまで何を尋ねても曇りなく答えたので玉藻前(たまものまえ)と名付けられた。ある秋の雨の夜、吹く風に燈が消えたとき、玉藻前は身から光を放って御殿を照らし、以来、天皇は病となった。陰陽師安倍泰成の占いで化生(けしょう)の者と正体を見破られた玉藻前は、野干(狐)に変じ那須野に逃れ、その執心が石になった」
「その執心は殺生石となって近づくものの命を取っていた」
数多くの溶岩が転がり落ちている山の斜面の殺生石の辺りには、硫黄の匂いが薄く漂っている。以前は硫黄の匂いが強く、硫化水素ガスの量が多く、人や動物が被害を受けていたのだろう。それがこの伝説を生み出したと思われる。
溶岩の間の木道を歩いて下へ下る。共同湯「鹿の湯」の前に出る。温泉に入って帰る(「鹿の湯」については、目次2、平成11年3月21日参照)。
・同年8月14日(土) 黒田原〜芦野〜白河
黒田原駅を出て歩く。途中、大谷石造りの旧い郵便局の前を通る。6キロ程で芦野に着く。「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」を見る。
遊行柳について、『謡曲百番』に収められている「遊行柳」の梗概の一部を引用する。
「秋風の吹く白河の関を越えて奥州に入った遊行上人の前に老人が現れ、先年、遊行聖が通った昔の道と朽木の柳を教えようと、人跡絶えた古道へ案内する。昔を残す塚に柳の老木があり、風のみが吹き抜けている。老人は、西行法師が昔この木陰に休らい、
道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちとまりつれ
と詠じてより名木となったと語り、上人から十念を授かると朽木の柳の古塚に消えた」
田圃の間の道を歩いた先の玉垣の内に「遊行柳」はあった。何度も植え替えられ、現在のものは昭和49年に植えられている。静寂の中、高さ10mの柳の木が風に大きく揺れていた。
田一枚植ゑて立ち去る柳かな
国道294号線を歩く。5キロ程歩いたところで雨が降り出した。朝から曇っていたので空模様が気になっていたが、やはり降ってきた。それも激しい降りかたで傘を差しているけれども役に立たない。ここまで来て今更引き返すわけにはいかない。前に進むしかない。辺りは暗くなり雷も鳴っている。服を通して体が濡れているので、8月だというのに寒くなってくる。
雨は益々激しくなる。更に6キロ程歩く。道路幅が狭くなっている。境の明神の前に出る。県境を挟んで栃木県側に男神住吉明神、福島県に入るとすぐ女神玉津島明神がある。
勢いを増す雨の中、神社の石段を登ってお参りする気持ちの余裕が無く、二つの神社とも素通りした。8キロ程歩いて新白河駅に着く。雨は止んだ。駅前のホテルサンルート白河に泊まる。
・同年8月15日(日) 白河
南湖公園
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ホテルを出て3キロ程歩き、国指定史跡、名勝の南湖(なんこ)公園へ行く。
南湖公園の南湖は、白河藩主松平定信により、灌漑用水の利用の為に沼地を堰き止めて造られた湖である。茂る樹木に囲まれた湖の周囲2キロをゆっくり歩く。紅の蓮の花が開いている。赤松の林を歩く。高級な料亭を思わせる落ち着いた佇まいの料理屋がある。
明治16年建築の、バルコニーを持つ木造2階建、昭和46年に移築された旧西白河郡役所を見る。
入り口も窓も大きく開け放し、湖面を渡ってきた風が入る湖畔の食堂で昼食を摂る。
南湖公園を出て、白河駅に向かって3キロ程歩く。
大正4年の建築、県の重要文化財に指定されているギリシャ正教の白河ハリストス正教会の前に出る。
銅板葺きの屋根と白く塗られた板壁の白河ハリストス正教会は、白いドレスの高貴な婦人を思わせる。気品に満ち、気高さを湛えている。
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白河ハリストス正教会 |
10分程歩いて白河駅に着く。屋根に赤褐色の瓦を乗せている。瓦の色はくすんで落ち着きがある。白河駅は大正10年の建築。内部は天井が高い。ホームに上がると、平成3年に復元された小峰城が見える。
白河駅から電車で黒磯駅に出る。ホテルトップスに泊まる。
・同年8月16日(月) 黒羽
黒磯駅から西那須野駅に出る。東野バスに乗り、終点の「黒羽車庫」で降りる。すぐに発車する町営バスの「雲厳寺行」に乗り換える。最初の予定では、歩いて雲厳寺を訪ねバスで帰ることにしていたが、もともと本数の少ない雲厳寺線のバスがちょうど発車するところだったので、予定を変えて帰りを歩くことにする。
那珂川に架かる昭和8年竣工、長さ166mの那珂橋を渡る。
30年程前の秋、宇都宮市に在住する人に、那珂川の「観光やな」に招待されたことがある。川面が膨れ上がったような水量の多さと流れの速さに驚きながら河原で、招待してくれた人が持ってきてくれた栃木米のおにぎりと鮎の塩焼きやフライを食べたことを思い出した。
バスは市街地を抜ける。左右に畑と田圃が拡がる。乗客は1人だけだった。運転手さんから雲厳寺について説明がある。雲厳寺が近づくにつれて道路の両側は丈高い杉の並木になり、厳かな雰囲気に満ちてくる。木の間から川の流れが見える。
30分で着いた。運転手さんにお礼を言って降りる。
臨済宗妙心寺派の名刹雲厳寺(うんがんじ)は、福岡の聖福寺(しょうふくじ)、和歌山の興国寺(こうこくじ)、福井の永平寺と並ぶ禅宗の四大道場の一つである。
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雲厳寺 | 聖福寺 | |
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興国寺 | 永平寺 |
右手に天然記念物の杉が聳えている。
正面の橋、石段、山門の左右対称が安定した印象を与え端正な美しさを現している。清らかな流れの武茂(むも)川に架かる朱塗りの反り橋を渡る。急な石段の下から山門を仰ぎ見る。よく手入れされた樹木の間の石段を登り山門をくぐる。
山を背景にして正面に仏殿、後に方丈、右手に鐘楼、左手に経蔵が配され、樹木の間から甍が見え隠れしている伽藍がある。山の向こうには真っ青な夏空が広がっている。
余計なものが何もなく全てが簡素な美しさを湛えている。森閑とした境内で蝉の声が遠くに聞える。
木啄(きつつき)も庵(いお)はやぶらず夏木立
雲厳寺 山門
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仏殿 | 経蔵 |
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大雄寺 本堂 | 回廊 |
曹洞宗大雄寺(だいおうじ)は、黒羽藩主大関家の菩提寺である。
杉林に囲まれた参道の石段を登る。三門(山門)を潜り更に石段を登る。経蔵の前を通り総門を潜る。正面に本堂、右手に鐘楼堂、左手に座禅堂が配置され、屋根は全て茅葺き。伽藍を結ぶ回廊の屋根も茅葺きになっている。座禅堂の前に水琴窟(すいきんくつ)があったので音を聴く(水琴窟については、目次1、平成10年8月13日参照)。
大雄寺を出て那珂橋を渡って右へ曲がり、常念寺の前に出る。常念寺には芭蕉の句碑があることは知っていたが、先を急ぐので建物を外から見るだけにして左へ曲がる。一本道を1,5キロ程歩く。畑と田圃の間のこの道は芭蕉が歩いた道と言われている。修験光明寺跡地の前に出る。
光明寺を訪ねた芭蕉は、修験道の開祖と言われている役小角(えんのおずぬ)を祀っている行者堂を参拝した。
草を踏んで少し高くなっている跡地に行く。草叢からバッタが左右に跳び出す。昔を偲ばせるものは何もない。畑の隅の木の下に『おくのほそ道』に収められている「夏山に」の句碑がひっそりと立っていた。
夏山に足駄(あしだ)を拝む首途(かどで)かな
1キロ程歩き、曾良の句碑が立っている西教寺の前に出るが、ここも外から建物を見るだけにする。更に3キロ程歩き、案内板を頼りにして、杉林の中の玉藻稲荷神社に着く。
朱塗りの鳥居をくぐる。「鏡が池」と名付けられた小さな池がある。
『謡曲百番』と「鏡が池」の横に掲げられている説明文によると、「陰陽師安倍泰成の占いで化生の者と正体を見破られた玉藻前は、狐に変じ那須野に逃れ」たが、この「池の面近くに延びた桜の木の枝に蝉の姿に化けている狐の正体が池にうつったので」、追跡していた三浦介義明がこれを弓で射殺す。「しかし、その執心は殺生石となって近づくものの命を取っていた」
約4,5キロ歩き、国道461号線上のバスの停留所「金丸橋」からバスで西那須野駅に出て帰る。
玉藻稲荷神社