織田家の家老である。 織田信光の死後、代わりに那古野城に入った。 1556年、信長の弟信行が信長に背いた際、柴田勝家とともに林秀貞は信行を支持した。 信長は直属の精鋭700人を率いて柴田勝家の軍勢に突撃し、これを壊走させた。 信長はさらに林秀貞の弟である林美作守の首級を挙げ、戦いは信長の勝利に終わった。 信行の下にいた母親が信長に許しを請ってきた。信長は林秀貞・柴田勝家ともどもこれを許した。 その後は、家老として行政面で用いられたと考えられる。 1573年の2度目の長島攻撃から撤退する際、一揆勢の猛追撃を受けて林秀貞の子である林新二郎が戦死した。 本願寺を平定後、佐久間信盛親子・美濃三人衆の一人安藤守就らとともに追放された。 参考: 織田戦記1 織田氏の尾張統一 織田戦記4 信長包囲網の崩壊 織田戦記8 丹波・丹後・播磨・加賀の平定と本願寺の降伏 alias,なし