馬陵の戦い前夜
-ばりょうのたたかいぜんや-
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本文(白文・書き下し文)
南梁之難、韓氏請救於斉。
田侯召大臣而謀曰、
「早救之孰与晩救之便。」
張丐対曰、
「晩救之、韓且折而入於魏。
不如早救之。」
田臣思曰、
「不可。
夫韓魏之兵未弊而我救之、
我代韓而受魏之兵、顧反聴命於韓也。
且夫魏有破韓之志。
韓見且亡、必東愬於斉。
我因陰結韓之親而晩承魏之弊、
則国可重利可得名可尊矣。」
田侯曰、
「善。」

乃陰告韓使者而遣之。
韓自以専有斉国、五戦五不勝。
東愬於斉。
斉因起兵撃魏、大破之馬陵。
韓魏之君因田嬰北面而朝田侯。
南梁の難に、韓氏、救ひを斉に請ふ。
田侯、大臣を召して謀りて曰はく、
「早く之を救ふは晩く之を救ふの便なるに孰れぞや。」と。
張丐対へて曰はく、
「晩く之を救はば、韓且に折れて魏に入らんとせん。
早く之を救ふに如かず。」と。
田臣思曰はく、
「不可なり。
夫れ韓魏の兵未だ弊れずして我之を救はば、
我韓に代りて魏の兵を受け、かへって命を韓に聴かん。
且つ夫れ魏に韓を破るに志有り。
韓且に亡びんとするを見ば、必ず東のかた斉に愬へん。
我因って陰かに韓の親を結びて晩く魏の弊を承かば、
則ち国重かるべく利得べく名尊かるべし。」と。
田侯曰はく、
「善し。」と。

乃ち陰かに韓の使者に告げて之を遣はす。
韓自ら専ら斉国有りと以ひ、五たび戦ひて五たび勝たず。
東のかた斉に愬ふ。
斉因って兵を起こして魏を撃ち、大いに之を馬陵に破る。
韓魏の君、田嬰に因って北面して田侯に朝せり。
参考文献:中国の思想第二巻戦国策 徳間書店

現代語訳/日本語訳

南梁に侵攻され、韓氏は斉に救援を要請した。
田侯は大臣らを召集して協議を行い、それに際しこのように言った。
「早く韓を救援するのと遅く救援するのではどちらが斉の国益に適うだろうか。」
張丐が答えて言った、
「遅く救援すれば、韓は屈服して魏に投降してしまうでしょう。
早く救援するべきであります。」
田臣思が言った、
「それはいけません。
そもそも韓や魏の兵が疲弊する前に韓を救援すれば、
我々斉が韓に代わって魏の兵の攻撃を受けることになり、
これでは我々が逆に韓の命令を聞くことになってしまいます。
また、そもそも魏には韓を打ち破る意思があります。
韓は自らが滅びそうになるのを見れば、
必ず東の我々斉に苦境を告げ、救援を要請してくることでしょう。
そこで我々はひそかに韓と親交を結び、遅く魏軍の攻撃を受けます。
こうすれば国威を発揚し、利益を得、名声を高めることができます。」
田侯は言った、
「よかろう。」

そこでひそかに韓の使者に救援する旨を告げて送り出した。
韓は自らただ斉の救援があると思い、五回戦ったが全て敗れた。
韓は再び東の斉に苦境を告げ、改めて救援を要請した。
そこで、斉は援軍を起こして魏を攻撃し、馬梁でこれに大勝した。
魏は戦争に敗れ、韓は弱まったので、韓と魏の君主は田嬰を介して田侯に臣従するようになった。

解説

南梁之難、韓氏請救於斉。田侯召大臣而謀曰、「早救之孰与晩救之便。」
なんりょうのなんに、かんしすくひをせいにこふ。でんこうだいじんをめしてはかりていはく、「はやくこれをすくふはおそくこれをすくふのべんなるにいづれぞや。」と。

「A孰与B(之)[形容詞](AするはBするの[形容詞]かるにいづれぞや」は
"AするのとBするのではどちらが[形容詞]か"と言う意味である。

田侯」とは、ここでは斉の宣王のことである。
斉は太公望呂尚が封ぜられて作られ、君主は呂氏であったが
B.C.386年、田氏が君主の座を簒奪し、B.C.379年呂氏は滅んだ。
田氏は周王室に働きかけ、正式に諸侯と認められる事となった。


張丐対曰、「晩救之、韓且折而入於魏。不如早救之。」
ちょうがいこたへていはく、「おそくこれをすくはば、かんまさにおれてぎにいらんとす。はやくこれをすくふにしかず。」と。

」は再読文字で「将」と同じ。


田臣思曰、「不可。夫韓魏之兵未弊而我救之、我代韓而受魏之兵、顧反聴命於韓也。
でんしんしいはく、「ふかなり。それかんぎのへいいまだつかれずしてわれこれをすくはば、われかんにかはりてぎのへいをうけ、かへってめいをかんにきかん。

「顧反」はいずれも(かはって)と読み、"逆に"の意である。
分けて読むのも不自然なので、上の書き下しでは一度に読んでいる。

田臣思は斉の臣であるが、田斉二代目の桓公(覇者となった桓公ではない)の時代には
既に斉に仕えていたようだ。


且夫魏有破韓之志。韓見且亡、必東愬於斉。
かつそれぎにかんをやぶるのこころざしあり。かんまさにほろびんとすをみば、かならずひがしのかたせいにうったへん。

「且」は"また、その上"。
「愬」は"苦境を告げる"の意。


我因陰結韓之親而晩承魏之弊、則国可重利可得名可尊矣。」田侯曰、「善。」
われよってひそかにかんのしんをむすびておそくぎのへいをうかば、すなはちくにおもかるべくりうべくなたふとかるべし。

「陰」は"ひそかに"、読みも同じく。
「承」はこの場合は"受ける"。


乃陰告韓使者而遣之。韓自以専有斉国、五戦五不勝。
すなはちひそかにかんのししゃにつげてこれをつかはす。かんみずからもっぱらせいこくありとおもひ、ごたびたたかひてごたびかたず。

「遣」は"送り出す・派遣する"の意。
「以」は"思う"の意であり、読み方は"おもふ、おもへらく"など様々。
また漢文では「不勝(勝たず)」で"敗れる"の意を表す。


東愬於斉。斉因起兵撃魏、大破之馬陵。韓魏之君因田嬰北面而朝田侯。
ひがしのかたせいにうったふ。せいよってへいをおこしぎをうち、おおいにこれをばりょうにやぶる。かんぎのくんでんえいによってほくめんしてでんこうにちょうせり。

大破之馬陵」詳しくは、馬陵の戦いを見ていただきたい。

前置詞「因(よッテ)」は
1.原因・根拠(〜ので・〜にもとづいて)
2.機会・条件(〜に乗じて・〜にしたがって)
3.依頼・依拠(〜に頼って)
4.仲介・経過(〜を介して・〜を通して・〜をへて)
等の意味があるが、
この場合は4.仲介・経過である。
北面」とは、臣下として君主に仕えること。
君主が南を向いた王座に座り政務を執るのに対し(南面)、
臣下は北を向いていた。
「北面の武士」もこれに基づく。
「朝」は臣下が早朝に君主に謁見すること、諸侯が天子に春に謁見すること、
目上の者に見えることである。
要するに臣従するようになったと言うことである。

田嬰」は、斉の重臣、靖郭君のこと。




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