境内の民、みな治を言ひ兵を言ふも、国貧しく兵弱し
-五蠧第四十九より-
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本文(白文・書き下し文)
今境内之民皆言治、蔵商管之法者、家有之。
而国愈貧。
言耕者衆、執耒者寡也。
境内皆言兵、蔵孫呉之書者、家有之。
而兵愈弱。
言戦者多、被甲者少也。

故明主用其力、不聴其言、
賞其功伐、禁無用。
故民尽死力、以従其上。

夫耕之用力也労。
而民為之者、曰、可得以富也。
戦之為事也危。
而民為之者、曰、可得以貴也。
今修文学、習言談、則無耕之労、而有富之実、
無戦之危、而有貴之尊、則人孰不為也。
是以百人事智、而一人用力。
事智者衆、則法敗、
用力者寡、則国貧。
此世之所以乱也。

故明主之国、無書簡之文、以法為教、
無先王之語、以吏為師、
無私剣之捍、以斬首為勇。
是以境内之民、其言談者必軌於法、
動作者帰之於功、為勇者尽之於軍。
是故無事則国富、有事則兵強。
此之謂王資。
既畜王資、而承敵国之釁。
超五帝r三王者、必此法也。
今境内の民皆治を言ひ、商・管の法を蔵す者、家ごとに之有り。
而れども国愈ゝ貧し。
耕を言ふ者衆くして、耒を執る者寡なければなり。
境内皆兵を言ひ、孫・呉の書を蔵す者、家ごとに之有り。
而れども兵愈ゝ弱し。
戦ひを言ふ者多くして、甲を被る者少なければなり。

故に明主は其の力を用ひて、其の言を聴かず、
其の功伐を賞して、無用を禁ず。
故に民死力を尽くし、以て其の上に従ふ。

夫れ耕の力を用ふるや労なり。
而れども民之を為すは、曰はく、以て富を得べければなり。
戦ひの事たるや危し。
而れども民之を為すは、曰はく、以て貴きを得べければなり。
今文学を修め、言談を習ふとき、則ち耕の労無くして、富の実有り、
戦ひの危き無くして、貴きの尊有れば、則ち人孰か為さざらんや。
是を以て百人智を事として、一人力を用ふ。
智を事とする者衆ければ、則ち法敗れ、
力を用ふる者寡なければ、則ち国貧し。
此れ世の乱るる所以なり。

故に明主の国は、書簡の文無く、法を以て教へと為し、
先王の語無く、吏を以て師と為し、
私剣の捍無く、首を斬るを以て勇と為す。
是を以て境内の民、其の言談する者は必ず法に軌し、
動作する者は之を功に帰し、勇を為す者は之を軍に尽くす。
是の故に事無ければ則ち国富み、事有れば則ち兵強し。
此れ之を王資と謂ふ。
既に王資を畜へて、敵国の釁を承く。
五帝を超え三王にrしからしむは、必ず此の法なり。
参考文献:新釈漢文大系 特選 韓非子上 竹内照夫 明治書院

現代語訳/日本語訳

今、国内の民はみな政治を論じ、商鞅・管仲の著書を持っている者が、一家に一人はいる。
しかし国はさらに貧しくなっている。
農業を論ずるものは多いが、すきを取って実際に農業に励む者が少ないからである。
国内の民はみな軍事を論じ、孫子・呉子の著書を持っているものが、一家に一人はいる。
しかし軍はさらに弱くなっている。
軍事を論ずるものは多いが、装甲をつけて実際に戦う者がすくないからである。

だから明主は民衆の労働力は使うが、その意見は聞かず、
その功績は賞すが、無用な議論は禁じる。
かくして、民衆は死力を尽くして、君主の命令に従うようになる。

そもそも耕作や肉体労働は骨の折れるものである。
それなのに、民衆がこれをするのは、そうすることで富を得ることができるからである。
戦争のこととなると、非常に危険なものである。
それなのに、民衆がこれをするのは、そうすることで位を得ることができるからである。
ところが、今、文章や学問を修め、弁論を磨いているとき、
耕作する骨折り無しで富と言う実益を得ることができ、
戦争の危険無しで位を得て出世することでできるなら、
だれが、学問を修め弁論を磨こうとしないだろうか。
かくして、世の中は百人が知識の仕事をし、一人だけが肉体労働をしているという様相を示すようになる。
知識の仕事をする者が多ければ法律が破られ、肉体労働をする者が少なければ国が貧しくなる。
これが世の中が乱れる理由である。

だから明主の国では、人々は民間の書籍を持たず、法律を教えとし、
古代の賢王の言葉は伝えられず、役人を師とし、
勇猛さは私闘に発揮されず、敵兵の首を斬ることが勇敢とされる。
かくして、国内の民は、議論をするときは法律に従うようにし、
肉体労働は国に対する功績となるようにし、
勇気は軍のなかで発揮するようにする。
このため、平時には国が富み、有事の際にも、軍が強い。
こういうとき、こういう状態を「王資」という。
王資を十分に蓄えて、敵国の隙に乗じる。
五帝を超える徳を身に付け、三皇に並ぶ功績を果たすには、この方法を用いるしかない。


解説

今境内之民皆言治、蔵商管之法者、家有之。而国愈貧。言耕者衆、執耒者寡也。
いまきやうないのたみみなちをいひ、しやうくわんのはうをざうするもの、いへごとにこれあり。しかれどもくにいよいよまづし。かうをいふものおほくして、すきをとるものすくなければなり。

「愈(いよいよ)」は"いっそう・さらに"。

「商管之法」は"商鞅・管仲の著書"と言う意味。
商鞅は、秦の国力を他国に比して著しく高くした、初めの人である。
秦の孝公に宰相として仕え、二回に及ぶ変法を実施し、
厳格な法による統治と中央集権を達成、秦による統一の基礎をつくった。
戦勝の功により、商於の地に封ぜられたため、商君と言われるようになり、
またそのために商鞅と呼ばれる。
しかし、変法は貴族たちの既得利権を奪うものだった為、彼らに恨まれるようになり、
孝公の死後、讒言され、商で反乱をおこすが結局車裂きの刑に処せられ、一族は誅殺された。
しかし、商鞅の法は残された為、秦の国力が下がることは無かった。

管仲は、最初の覇者、斉の桓公に仕えた名宰相。
詳しくは、史記晏管列伝第二「管鮑の交はり」を参照されよ。

商鞅の著書と言われるものには「商君書」が、
管仲の著書と言われるものには「管子」があるが、いずれも偽託と言われている。


境内皆言兵、蔵孫呉之書者、家有之。而兵愈弱。言戦者多、被甲者少也。
きやうないみなへいをいひ、そん・ごのしよをざうすもの、いへごとにこれあり。しかれどもへいいよいよよわし。たたかひをいふものおほくして、かふをかうむるものすくなければなり。

「孫呉之書」は孫武の「孫子」と呉起の「呉子」、いずれも有名な兵書である。


故明主用其力、不聴其言、賞其功伐、禁無用。故民尽死力、以従其上。
ゆゑにめいしゆはそのちからをもちひて、そのげんをきかず、そのこうばつをしやうして、むようをきんず。ゆゑにたみしりよくをつくし、もつてそのかみにしたがふ。

「功伐」の伐にも、功のような意味がある。
「無用」は無用の議論と解釈した。


夫耕之用力也労。而民為之者、曰、可得以富也。戦之為事也危。而民為之者、曰、可得以貴也。
それかうのちからをもちふるやらうなり。しかれどもたみこれをなすは、いはく、もつてとみをうべければなり。
たたかひのことたるやあやふし。しかれどもたみこれをなすは、いはく、もつてたつときをうべければなり。

「労」は"骨折り"。
「為」は"する"。
「曰」は"〜である"。
「以」は"〜によって"。ここではそれぞれ"耕作すること"と"戦うこと"が入るだろう。
「而」はここでは逆接で(しかれ-ドモ)と読んでいるが、(しか-モ)(しか-ルニ)等と読んでもよい。


今修文学、習言談、則無耕之労、而有富之実、無戦之危、而有貴之尊、則人孰不為也。是以百人事智、而一人用力。
いまぶんがくををさめ、げんだんをならふとき、すなはちかうのらうなくして、とみのじつあり、
たたかひのあやふきなくして、たつときのそんあれば、すなはちひとたれかなさざらんや。ここをもつてひゃくにんちをこととして、いちにんちからをもちふ。

「事(こと-トス)」は"従事する・実践する"など。


事智者衆、則法敗、用力者寡、則国貧。此世之所以乱也。
ちをこととするものおほければ、すなはちはふやぶれ、ちからをもちふるものすくなければ、すなはちくにまづし。これよのみだるるゆゑんなり。

所以(ゆゑん)」は"理由"など。
これを知らずして入試を受けるなど考えられない。

「事智者衆則法敗」は、多分現在の世の中ではないと思うが、
詳しくは知らないが、昔の中国では、特に知識人の中で、成文法を嫌う傾向があったようである。


故明主之国、無書簡之文、以法為教、無先王之語、以吏為師、無私剣之捍、以斬首為勇。
ゆゑにめいしゆのくには、しよかんのぶんなく、はふをもつてをしへとなし、せんわうのごなく、りをもつてしとなし、しけんのかんなく、くびをきるをもつてゆうとなす。

「書簡之文」は"民間の書籍"。
「先王」は"古代の賢王"、孔子が模範とした。
「捍」は"勇猛"。


是以境内之民、其言談者必軌於法、動作者帰之於功、為勇者尽之於軍。
ここをもつてきようないのたみ、そのげんだんするものはかならずはふにきし、どうさするものはこれをこうにきし、ゆうをなすものはこれをぐんにつくす。

「軌」は"従う"。
「動作」は「労」に同じ。


是故無事則国富、有事則兵強。此之謂王資。既畜王資、而承敵国之釁。超五帝r三王者、必此法也。
このゆゑにことなければすなはちくにとみ、ことあればすなはちへいつよし。これこれをわうしといふ。
すでにわうしをたくはへて、てきこくのすきをうく。ごていをこえさんわうにひとしからしむは、かならずこのはふなり。

「此」は接続詞で、「A此B」で"AならばB"をあらわす。
「畜」は「蓄」に同じ。
「釁(すき)」は"隙"。
「r」は"同等である"。
「三王」は三皇五帝の三皇のことである。


総括

この文章は、内政の重要さを述べている一連の文章の一部である。
韓非の祖国、韓は、中原に位置し、強国に囲まれ、その指導者層は、常に外交に奔走せねばならなかった。
その中で内政が軽んじられ、ついに国力が増大することは無かった。
韓非はそんな弱い韓が強国に脅されつづけているのが悔しくてたまらなかったようである。



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