ルフェーブル大司教様とエクソシズム:まとめ
「私達はルフェーブル大司教様の正しさを悪魔から教えてもらう必要はない」──その通りである。また、「教会未承認の私的啓示から教えてもらう必要もない」──その通りである。しかし、それと云うのも、私達はそれら超自然の源泉からの情報がなくてさえルフェーブル大司教様の正しさを理解できるからである。私にしてもそうである。
しかしながら同時に、以下のこれらの言葉は天国の権威を帯びた司祭の命令によって悪霊たちが文字通り「自白を強要」されたものである──と私は信じている。
アンネリーゼ・ミシェルのエクソシズム
ハッ、あの男。しかし、誰も彼を信じない。お気の毒!
他界からの警告
ルフェーブル大司教まだ大いに苦しまなければならないが、しかし彼は善い。
エコンは全ての迫害にも拘らず勝利するだろう。この憎むべきエコンは勝利するだろう。〔うなり声を上げる〕
我々は善きものを不従順であると、故意の離教であると、謙遜の欠如であると考えさせる。ルフェーブル大司教の場合がそうである!
なぜ彼等は彼を構わずにおかないのか? なぜ彼等はそのように彼を苦しめるのか? それはただ我々がそう望んでいるがゆえに起こっているのだ。我々が真理を欲しないからであり、公教会が再び活気づくのを恐れているからだ。我々は、公教会があるべき姿、上のあそこ〔上を指す〕にいる彼らが望んでいるような姿に再び立ち返り、勝利を収め、再び息を吹き返すことを望まない。われわれはそのことを望まない。それが、我々がパウロ六世教皇に対して激怒していることに加えて、ルフェーブル大司教に対して猛烈に激怒している理由だ。
ルフェーブル大司教はトリエント・ミサを信じ、それを宣言する。彼は天主の王国を完全に、且つ誤りなく宣言する。彼は上のあそこの〔上を指す〕彼らが望むように、真実に行動し、且つ語る。
ルフェーブル大司教は多くの者にとって、司祭の義務を司祭に思い起こさせる恐ろしい手本である。彼等はこう考える──彼がそのように扱われるなら、私はどのように扱われるだろう……私は自分の仕事を失いたくない……また、とりわけ、自尊心を傷付けられたり、軽べつされたりしたくないし、また、世間を騒がせたくない──これが彼等が考えていることだ。
片や、悪魔側からのものではない(と思われる)超自然的源泉からは次のようなものがある。
ドレクセル神父(教授)への啓示「信仰は従順より重要である
教会未承認である。ただし、私達はこの「未承認」ということをノホホンと受け取るべきではない。教会はこのような内容を持つ私的啓示を “調査するわけにはいかない” のである。あるいはハナから “調査の対象外” なのである。その啓示はルフェーブル大司教様に対する教皇様の判断を否定しているのであるから。
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