1977年6月10日
E = エクソシスト
B = 悪霊ベルゼブブ
E: 教皇の替え玉はまだ生きているのか? 真実を告げよ!
B: そうだ、生きている。我々は彼が生きているという幸運をまだ持っている。もし彼が暗殺されることがあるなら、それは我々が考えたことだ。そのようにして、我々は全てをもみ消すことができる。我々は彼女の(聖母の)命令によって、彼はまだ生きていると言わねばならない。教皇は、我々が既に言わなければならなかったように、ひどく苦しんでいる。もし彼が舵を握っていて、言いたいと思うことを言うことができていたなら、教会は今日のような状態には決してならなかっただろう。
彼は哀れにも彼の部屋に住んでいて、教会に復帰する良き日が訪れるのを待っている。しかし、全ては絶望的なようだ。彼は、本来彼の仕事を支え助けるべき彼の部下達によって──教会が置かれている重大な状況の中で、全てにおいて彼をバックアップしなければならない彼の部下達によって──苦しめられている。
それどころか... 我々はこれを言いたくない... それどころか、我々は状況を操作し、彼をもはや何の力もない状態にしておくことができる。彼はもはや言うべき多くのことを持たない。彼は殉教者だ [9] 。前にも言った通りだ。彼は殉教者ステファノよりも悪い状況にある。彼は上のあそこ〔上を指差す〕では非常に愛されている。... 非常に愛されている。そして我々は再び言わなければならない。それら反抗的な枢機卿達と彼らの過ちがもたらすものについて。... それは従われてはならない。
E: 教皇パウロ六世は替え玉がいるということを知っているのか?
B: いずれにしても、彼は何が進行中なのか分かっている。彼はそれを... それを... 知っている... [10] 彼は、それら枢機卿達のすることによって、世界と教会に公布されるもの、また司教達のもとに届くものが、天も、そして彼自身も望むものではないという故に、口では言い表わせないほどに苦しんでいる [11] 。彼は、自分が囚人のようであることを、いわばヴァチカンの囚人のようであることを、非常によく知っている。彼はこのことによって、尋常でない苦しみを味わっている [12]
幾人かの枢機卿達は彼に従わず、天主の心に適わない多くの事柄に関わっているから、1975年8月17日にユダが強いられて言ったように、今やもう彼らに従う必要はない。
ユダはその時こう言った。「人は狼達に従うことはできない。狼の顎に向かって己れを投げる羊はいない」。このことが屋根の上から言われなければならない。全ての司教達は「或る枢機卿達から来ることは真理ではない。そしてそれ故に、そこでは従順は必要とされない」と言われなければならない。しかし彼らは皆あまりにも盲目なので、全く完全に盲目なので、このことを認めることを望まない。
それから、更に他の要因がある。三人の上級枢機卿達(あるいは “操作者達” )である [13] 。その役割を担っている者達は何人かいるが、その三人はその中でも最悪である。彼らが我々と通じているという大きな理由によって、我々は彼らのしているあらゆることを人々が気づかないようなやり方で組み立て、カモフラージュすることができる。これが我々の幸運である。我々は人々がそれに気づかないことを喜んでいる。もし、それら三人の枢機卿達がしている地獄のゲームが明るみに出るならば... !
これが昔だったならば、15世紀だったならば、この種の事柄は彼らを魔術師として火刑台に送ったことだろう。しかし今日では──これが時代の趨勢というものだが──善きことを説き且つ行なう全ての者達は差別の犠牲者となり、悩まされる。他方、邪悪を為す者達、同信の者達と言い争う者達、そしてそのような悪霊的なやり方で行動する者達... 陰謀にのめりこむ者達... これらは決して、あるいはほとんど完全に、発見されることがなく、非常に良い待遇を受けている。彼らは善人と見られ、非常に有能な人間と見られ、彼らは従われなければならず、彼らから来るものは完全であると見られている。
この狂気と方向感覚喪失の時代にあっては、我々、下のあそこの〔下を指差す〕我々が、邪悪なるもの、また反自然なるもの、善の装い下での背教に繋がるもの、また繋がり得るものを、非常にしばしば善であるかのように見せかけることは、お前達にとって回避不能である。... 他方、我々は善きものを不従順であると、故意の離教であると、謙遜の欠如であると考えさせる。ルフェーブル大司教の場合がそうである!
共産主義者とフリーメイソンの中に、我々から力を受け、夜となく昼となく睡眠を取る必要を免れている者達がいる。彼らはもっぱら教会を害するために絶え間なく働くことができる。我々が彼らにその力を与えている。我々にはそれができる。我々は、もし誰かが我々と同盟を結ぶなら、いかなる書物にも書かれていない方法によって、その者らに教会を害する力を与えることができる。我々がしていること、またフリーメイソンや或る枢機卿達によって目論まれていることは、完全に前代未聞のことである。
E: 教皇はその枢機卿達のことを知っているのか? 彼は彼らのことを調査したのか? 天主の至聖なる童貞母の聖名によりて、我らに真実を述べよ!
B: 彼はかなり前にそれを調べた。彼は全てを知っている、全てを。しかし彼は何もできない。前にも言ったように、彼の手足は縛られている。彼は何もできない。彼は注射されている。医者は──注意して聞け──教皇を扱う医者は、教皇がその頭脳と心に有害である或る種の毒物を与えられるように、操られている。しかしそれにも拘わらず、教皇は何が善であるかについて完全に理解している。
たとえば、福いなる童貞は、教皇がある日「私はルフェーブル大司教を破門します」と言うことを決して許さない。それは彼女が決して認めないことである。
彼の力は常に、あまりに麻痺させられ、あまりに弱められている故に、彼にはもはや他の人々に対抗して一人で立つ力がない。これが彼の殉教である。これは重い試練であり、天が許したものである。彼は、我々が以前言ったように、殉教者教皇である [15] 。このことを信じない彼も、やがて理解するようになるだろう。彼の目は開かれるだろう。
その時、それは我々にとって何という打撃であることか! 我々は昼夜を問わずこれらのことが明るみに出ないように働いている。これに既に気づいている者達も少なくない。しかし大多数は気づいていない。
E: 天主がお望みになれば、お前達の働きにも関わらず、真相は明るみに出るのだ! …の聖名によりて、我らに真実を語れ!
B: 真実は常に明らかになる。それは最後には常に明らかになる。しかしそれが明らかになる時、多くの人々がおそろしく苦しむことになるだろう。彼らはそれによって、今教皇が、真の教皇が苦しんでいるのと全く同じように、おそろしく苦しむだろう。
同時に私は、物事は常に天の彼らが望む通りになるので、そしてこの本の広まりを始めるのは彼らなので、再び言わなければならない... 言わなければならない... 。この重要な暴露において、またこの本の暴露の全体において、現在の天が望むようには言われなかったもの、また書かれなかったもの、また過去、天が望んだようには言われなかったもの、また書かれなかったもの、また、いと高き御者の意志に従っては言われなかったもの、また書かれなかったものは、一つもない。小さな暴露に関してもそうである。彼らはそれらが誤りであることを許さない。それでも、もし誰かがそれらを信じなければ、我々は喜ぶ。
基本的に、福いなる童貞は常に、あらゆるやり方で、我々に命令する。もし彼女が小さな力しか持っていなかったならば! 彼女は何も我々を拘束しない──我々の活動を、という意味だが。彼女は、彼女がこの重大な恐ろしい混乱の時代において言いたいと望むことを、私に言わせている。それは、善人達は少なくとも互いに一致しなければならず、できるだけ言動と行動において、只一つの道を持っていなければならない、ということである。人は、ある人が「そこに一人の人が居るんです」と言っている時に、「そんな筈はありませんよ。私はそれを信じません」と言ってはならない。そこに統一がなければならない。
この故に、彼女は、替え玉が存在するという事実が力強く、また粘り強く公表されることを望んでいる。
E: 人はどのように替え玉がいるということを認め得るのか?
B: それは我々が以前に、既にお前達に言わねばならなかったことだ。文書を集めることだ。そこには我々が言うことを望む以上のものがある。 初期における替え玉について我々が語ったことの中にある事実を拾い上げ、そしてコルベルク(Kolberg)の本『バチカン内部に陰謀が?』[16] [管1] を読むことだ。
E: コルベルクが書いていることは正しいのか?
B: 正しい。
E: コルベルクは真実を書いたのか? 彼の本『バチカン内部に陰謀が?』の中で、彼は真実を語っているのか?
B: コルベルクはその本の中で真実を語っている。彼は完全には正しくない二、三の小さなことも書いている。しかしそれは大したことではない。
E: 音声録音の証拠 [17] は本物なのか?
声紋(正確に同じ言葉、そして異なる声紋)
写真は同一性を識別するための物的証拠の一つに過ぎません。他の物的証拠としては、指紋、声紋、医学検査などがあります。彼の本『バチカン内部に陰謀が?』の中でコルベルクは、教皇の偽者の存在の更なる証拠を提示しています。「教皇」のラテン語での「ウルビ・エト・オルビ(Urbi et Orbi)」のスピーチから取られた音声録音は、二つの違った場面で録られました。この二つの録音はニュージャージー州パインブロックの Kay Elemetrics 社によって作られた音声周波数分析器にかけられました。タイプB/65音声周波数グラフ上に出力された、二つの場面で発声された「教皇」の同じ言葉の声紋グラフは、それらが別々の人物のものであることを示しています [管2]
B: その忌々しい音声録音の証拠は本物である [18] 。 それが疑いと拒絶の中に置かれたのは [管3] 我々(悪霊達)がそう仕向けたからだ。... 協力者達の大部分は、他の陣営とよりもより我々と共に働いている者達である。... 彼らの中には、彼(教皇パウロ六世)と彼の言葉を破壊するために偽りを言う者達もいる。... 如何に我々はこれを言うことを強いられていることか!
E: お前はまだ何か言わねばならぬことがあるか? あるいはまだ沢山あるか?
B: 彼女は今日はもうこれ以上何も言うことを望んでいない。ただ最後に、彼女が言わせたこれらのことが人々から注目されねばならない、ということを除けば。
原註
[10] この日のエクソシズムで後ほど悪霊達によって正しいと認められることになるテオドール・コルベルク(Theodor Kolberg)の本『バチカン内部に陰謀が?』の中で、コルベルクは「少なくとも1975年の中頃から教皇パウロは表舞台に出なくなり、偽教皇によって置き換えられた」と書いている。故に、この主題に関する地獄からの暴露は不完全且つ未完成であることは確かである。このエクソシズムにおける悪霊達の語ることの拒否が、このことをハッキリと物語っている。
[管理人:この原註の意味、今一つ解らない]
[12] 1978年1月23日のエクソシズムにおいて、イスカリオテのユダは次のように告白している。「教皇はミンゼンティ(Mindszenty)のことで、この枢機卿のことで、胸を痛めていた... 彼は酷く苦しみ、この枢機卿を憐れんでいた... この気の毒なミンゼンティー枢機卿に起こったことは、教皇パウロ六世から出たことではない。地獄の〔下を指差す〕我々でさえ、何故我々がこの気の毒な枢機卿を低い場所に(そのようなうんざりする場所に)押し込め、その代わりにキュンク、ハーグ、その他彼らのような不愉快な者達を最良の場所に座らせることに成功したのか、理解できないくらいだ」
[管理人:悪霊のこの最後の言葉には一つの含みがあるのかも知れない。曰く、「我々だけでは成功しなかったろう。我々が成功したのは、カトリック信者、お前達の愚かさがあったればこそだ」。悪霊は人を小馬鹿にした皮肉を言うのが好きなので。]
[管理人:参照『ハンガリーのミンゼンティ枢機卿とカトリック教会は裏切られた』(みこころネット様)...みこころネットさんのページが文字化けする時にはブラウザのテキストエンコーディングで Shift JIS を選択]
[15] 1977年9月15日のエクソシズムより:
司祭「教皇が自由になり、彼が教会に言いたいことを言うことができるために、彼をバチカンから避難させることをもって彼をローマで解放することは、我々の義務ではないか?」
ユダ「現在の状況においてはそれは無意味である。何故なら、第一に、彼は彼に運命づけられた彼の殉教を耐えなければならないからだ。第二に──これが主要な理由だが──それらの枢機卿達とこれらの重大な不正に関わっている全ての者達があまりに狡猾で抜け目ない故に、奇跡でも起こらない限りはお前達には何も達成できないだろうからだ」
管理人註
[管1] Theodor Kolberg は二冊の本を書いたそうです。
一つは、ここに言及された「Umsturz im Vatikan?」(英訳に於ける書名「Conspiracy in the Vatican?」あるいは「An Overthrow of the Vatican?」)、そしてもう一つは「Der Betrug des Jahrhunderts」(英訳に於ける書名「The Deception of the Century」)です。
[管2] それぞれの声紋グラフの下に「peccatorum vestrorum」という文字が見て取れます。これは教皇様が「ウルビ・エト・オルビ」の中で与える言葉の一部で、「あなた方の罪の(of all your sins)」という意味らしいですね...
[管3] 「それが疑いと拒絶の中に置かれたのは」=「人々によって真面目に受け取られなかったのは」
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