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信仰は従順より重要である

アルバート・ドレクセル神父(教授)の著書
DER GLAUBE ist mehr als GEHORSAM
(Faith Is Greater Than Obedience)
(信仰は従順より重要である)
からの抜粋 [1]
1922年11月の初金曜日の早朝の出来事
1921年の春に、インスブルック-フェルトキルヒ教区 [2] Sigismund Waitz 司教 が私のもとを訪れ、私に、もし私がランクヴァイル近くの Batschuns へチャプレンとして行くことを望むなら、遠く離れた山間部のために教会を建ててくれないか、何故なら、そこの教区民達はランクヴァイルの教会へ行くために一時間以上もかかるから、と頼んだ。
かなり以前から教会建設のための基金があったが、それは第一次世界大戦後のインフレによってほとんど無価値なものとなっていた。そのため、教会建設の労働は住民自身の手によってされなければならず、また村の近隣や地方で物乞いのようにして得た施しに頼らなければならなかった。
私は司教に「はい」と言った。そしてその村に着いた時、私は子供達と病人達にこの目的のために祈ってくれるようにと頼んだ。
まず最初に教会建設委員会が作られた。そのメンバーである少数の山の農民達は、お金なしで教会を建てるためのどんなアイディアも持っていなかった。私は村とその地方にある天然資源を集め、それを競売にかけた。これが建設基金の初めになった。私はまた建物の基礎を掘る作業を手伝ってくれる若者と大人達を村の中に探し、また建築資材も探した。フォアアールベルク行政区、スイス、そしてオランダにおいてさえ集められた寄付金によって、1922年に教会の骨組みができる目処がついた。しかし、教会の内部、司祭館、共同墓地、そして鐘楼のためのお金は残っていなかった。 資金は使い果たされた。
1922年の10月から11月にかけての週に、私は再びフォアアールベルク行政区で寄付金を集め、また多少の天然資源も集めた。しかしそれは多くはなかった。私は初金曜日の前日の木曜日に寄付金集めを Grosswalsertal Valley で終えたが、その時は既に夕方で、あたりは暗くなってた。私は遅い夜行列車に乗るべく、長い谷の道を徒歩で進んだ。4時間ほど歩いた後で、私はルーデッシュ-チューリンゲン駅に辿り着いた。フェルトキルヒ-ランクヴァイル行きの夜行列車に乗るために、まだ少し待たなければならなかった。ランクヴァイルに着いても、私にはまだ行くべき長い道のりが残っていた。更に最後には、私は山道をのぼらなければならなかった。15分後、私は古い「聖母の御助け」チャペルの向かい側に立つチャプレン・ハウスに辿り着いた。私と一緒に住んでいた両親はまだ起きており、母が非常に心配して待っていた。私は彼女をなだめ、落ち着かせようとした。そして彼女がしきりに勧めるコーヒーとパンを少し取った。その後、両親は就寝した。私自身も二階の自室に行き、非常に疲れて古いカウチの中に身を沈めた。そして黙想し、母が置いた赤いランプを見、既に初金曜日になっていたのでイエズスの聖心のご像の前に跪いた。
私が集めて家に持ち帰ったものは僅かなもので、教会の建設のためには短期間のためだけのものだった。私はあまりに消耗し、疲れ切っており、精神力もほとんど残っていなかったので、抱えたジレンマを解決する唯一の方法は建設をストップすることだけだと思われた。私は辛く、そして健康もひどく損なっていた。私がひどく落ち込んで惨めになっていたのは、夜中を少し回った頃だったに違いない。私はイエズスの聖心のご像に向かって、三度、激しく叫んだ。「救い主よ、私はもうこれ以上続けられません!」
その時、大きな奇跡が起こった。私が三回目の嘆きを口にしたかしないかの時、突然部屋が明るくなった。私の目には、ランプも、ご像も、部屋の中の何も、もはや見えず、イエズスのお姿だけが見えた。彼は半分下に降ろした形で両手を広げ、穏やかに、しかしはっきりと私に言った。
「私はあなたと共にいる。あなたはわが住まいを作り終えるだろう。私はわが聖心の恵みの夜に毎回来る。しかしそれは石でできた住まい(建設途中のの教会)のためではない。」「あなたはわが教会の住まいに基礎を置かなければならない。何故なら、多くの敵が教会を脅かし、破壊しようとするだろうからだ。祈りなさい!」
私はものも言えず、光を見ようとし、そして弱く口ごもった。「救い主よ、どうしたら私はそれをできるでしょうか?」「あなたは一人ではない。祈りなさい!」私はこれらの言葉をはっきりと聞いた。部屋は元に戻り、再び暗くなった。
ドアをノックする音がした。母だった。彼女は私の声を聞いたに違いない。彼女は入ってきて、私に懇願する口調で言った。「アルバート、寝てちょうだい。そんなに青い顔をして!」私はただこう言った。「はい、母さん、そうします。全ては素晴らしいです。あなたも寝なければいけませんよ!」彼女は少し戸惑い、心配して、何か私に聞きたそうに私を見た。しかし彼女は黙ったままだった。
1970年3月6日の早朝の救い主の御言葉
... 私は、あなたがまだ若干の仕事、時間を必要とする仕事をしなければならないとあなたに話さなかっただろうか?
最初の仕事は、あなたが引き受けた仕事である。即ち、わが童貞母マリアを称揚することである。わが天の御父の摂理により、あなたは、天地の女王の特別の愛という価値ある援助者を得た。
あなたがこの特別の本のための適切な装丁を探すのに忙しかったことも私を喜ばせた。私はこの仕事(アグレダのマリアによる『神の神秘的な都市』の改訂版)に、その増大する配布に、そしてわが一にして真なる教会の信者達へのその効果に、祝福を与える。
厳しい試練がわが教会を襲っている。しかし私はローマのわが可視的代表者を強め、それを司教達に対してさえ知恵と堅固さで武装させる。
司祭達ばかりでなく司教達も、彼らの任務に関する違反や怠惰によって、時代の精神の影響下に入るであろう。彼らは聖なる使徒ペトロの後継者にのみ属している権限と同等のものを手に入れようとしている。
それ故、男も女も、不屈且つ冷静に戦い、祈ることが必要である。防衛し、信仰を堅く保ち、犠牲をし、そしてそのようにしながら、信者達の中で、また人々の中で、望み、信仰、そして信頼を維持しなければならない。私は正義のために迫害を忍ぶ祝福された者達を称讃しなかっただろうか?(マタイ 5:10) 私は言わなかっただろうか? 人々の前で私の味方だと宣言する者を、私もまた、天におられるわが父の前で、私はその者の味方だと宣言する。(マタイ 10:32)
今の時代は迫害に屈しない信仰告白者達を必要とする時代である! 今の時代は、信仰の聖なる火で燃え盛る霊魂達、世界中の至る所で小羊に従う聖なる教会の生徒達、強く、はっきりしており、純粋であり、多くの生ぬるさ、飽食、怠慢、臆病、腐敗、不毛、欺く者と欺かれる者などの存在にも関わらず、聖なる天使の導きの保護のもと、黙示録の婦人の勝利を見んと馳せ参じる者達を必要としている時代である。
1970年7月3日の早朝の救い主の御言葉
... 善き霊魂であれ。そして、わが教会の動揺と崩壊寸前の有り様を見ても落胆するな。また、世界の秩序が転覆されても動揺するな! サタンとその悪魔的な影響力が史上かつてなかったほどに人類と教会に働きかけているというのは本当である!
しかし、天主の介入と聖霊の働きを通して、他のどんな働きよりも増して、天使達の助力、超自然的力の介入、善き霊魂達をもたらす働きなどが、一つも作られないとでもいうのか?
この働きは天主から起こるのである!
わが教会の全ての信徒達は、平和のうちに、また堅固な精神を持って、未来に進むように。サタンは荒れ狂うだろう。そして、信仰と彼ら自身の奉献から内的且つ外的に離れ去った司祭達が、彼のベスト・パートナーであろう。
罪に一度も触れることのなかった無原罪のマリアは勝利するであろう。私と私の十字架に従い、忠実で、私の肉と血における私の現存を愛をもって信ずる私の群れは少なくなるかも知れないが、信仰、祈り、信仰と望みの告白、そして真理に対する愛は、最後には勝利するであろう。
嵐は猛威を振るうだろう! 自然においては、それは岩を割り、ダムを決壊させるだろう。しかし天主は全能である。真理は強力である。恩寵は豊かで、溢れんばかりである。それ故、私が置いた岩は終わりの日まで続くだろう!
1970年8月7日の早朝の救い主の御言葉
私はあなたに聖なる天使達のことを話した。そして私は言う。この仕事はわが天の御父の摂理によって行なわれる仕事である。それは現在と未来の大いなる混乱と不安と破壊から、ローマのわが教会を救うためである。
教会の中に害毒をまく者達はその仕事を始めたが、祝福された召使いでありわが教会の羊飼いであるわが司祭達も同じく仕事を始めたのである。教会はこの仕事に霊的に参与している司祭達によって救われるであろう。この仕事は天にその起源を持つのである!
そして、天国と恩寵の神秘である超自然を否定することによって、彼らは自然を偶像化する。それ故、あなたが現代における最も大きな背教とその創始者について書いた本が出版され、広く伝えられることがわが願いである。(ドレクセル司教が一人の新しい預言者としてのテイヤール・ド・シャルダンについて書いた著作のことか?)[3]
わが一にして真なる教会の破壊はまだ終わらず、これからも続くであろう。危険と破壊は、ローマのわが可視的代理者が決断の言葉を発するまで増大するであろう。その日が来るまでは、腐敗と留まるところのない混乱の毒がその破壊を続けるであろう。
それ故、あなた方全ては、わが童貞母マリアの仲介の御力に強く信頼して、祈り続けるべきである。何故なら、聖なる三位一体の力によって彼女は、サタンとその悪魔的な群れ、また彼に仕える人間の下僕と協力者達に対する征服者として作られたからである。
あまりに多くの信者達が、天主の不忠実な召使いとなってしまった不幸な司祭達の影響を受けて、この素晴らしい御母マリアから背を向けてしまった。これは彼らの倒壊というだけではなく、彼らの人生における謙遜の徳、純粋さ、そして敬意の倒壊である。これらの可哀想な欺かれ裏切られた被造物達は、その外面と内面において、天の御父を捨て、忘れる。私がそれを通して祈れと、世界と人々に教えたところの天の御父をである。
1970年9月4日の早朝の救い主の御言葉
ますます多くの司祭達がわが童貞母マリアに背を向ける。そして、数え切れない数の信者達が教会の不忠実な息子達の誘惑に従っている。それ故、彼らは全永遠を失う大きな危険の中にあるのである。
しかし他方、信者の多くや他宗派の者達がマリアに振り向き、彼女を称揚することに貢献していることは、聖霊の神秘な御働きの印ではないだろうか?
熱心な祈りは、聖なる童貞マリアを讃える聖地から天へ、絶え間なくのぼってゆく。償いの意向を持った真実の祈りは、そのような場所におけるものでも、神を喜ばせる。そうだ、そのような場所でのそのような祈りがしばしば助力と癒しを得るということは本当である。天の御父は人の心を見通し、聖霊はその思いのままに吹く。(ヨハネ 3:8)
霊魂の内において起こる神秘は人間の肉体における可視的な神秘よりも更に偉大であると考えなさい。
現在ほど、そしてこれから来る未来ほど、祈り、犠牲、償いが極めて必要とされる時代はかつてなかった。私の使徒と弟子達の時代以降、教会がこれほど大きな危険の中にあった時代はかつてなかった。そしてその理由は、教会の敵達が教会の内部にいるからである。彼らの破壊行為は公然と行なわれ、且つ善の名のもとにおいて行なわれている。
かつて私の使徒達の中に一人の裏切り者が見つかった。しかし今、裏切り者は増加した。背教の毒は司祭になろうとしている人達の心に徐々に染み込む。価値のない召使いが神を誤って把握するこの時代は禍いである。彼らは彼ら自身を恐ろしい冒涜の罪の中に落としている。
実に、地獄に仕える彼らがわが教会を打ち負かすことは不可能であろう。何故なら、それはわが教会だからである。しかしそうであれ、教会は大いなる混乱に襲われるであろう。そして信者は迫害に苦しむであろう。
信者の数は減少するであろう。しかし、彼らの恐れを知らない信仰告白は、世の光のように輝くであろう。そして、三位一体の天主の力と恩寵によって祝福されるであろう。
天主の教会がその神聖性を奪われた地方では、ミサ聖祭は個人的な場所で捧げられるであろう。
しかし、知りなさい、確かに知りなさい。マリアは、不忠実な人々によって中傷され見捨てられて来たが、忠実な信者を特別の保護によって勝利に導くのである。
祈りなさい! 聖なる天使達の力に信頼して祈りなさい! 彼らは至る所におり、光に溢れ、サタンとその協力者達の計画に対抗している。
1970年10月2日の早朝の救い主の御言葉
... 私は、あなたに最初に現われて恵みを与えた夜に、あなたに話さなかっただろうか? あなたは一人ではないだろう? その時は、私が話した仕事はまだ未来のものとしてあった。しかし聖書には『神の御目には、一千年も一日の如し』(詩編 90:4)と書かれていないだろうか?
現在、わが教会は内部の者によって苦しめられ、抑圧されている。そして多くの信者達が危険な混乱に陥っている。今や発言と文筆をもって戦闘を開始すべき時である。多くの苦しみ、執拗な疑い、正しい人達の苦難は和らげられ、純化され、癒されなければならない。
教会にとっての最大の危機は、わが召使いである司祭達から来ている。彼らは彼らの外見においては、わが教会の名を運んでいる。しかし彼らは内面では離れ去っており、間違った、当てにならぬ、世俗的な愛を礼拝している。そして彼らの仕事と言葉は誤謬であるので、彼らはもっぱら偽りの父であるサタンの僕である。そして、あらゆる嘘が長続きしないように、彼らの罪もまた天主の審判によって明らかにされ、体と霊魂において恐ろしい報いを受けるであろう。
しかし、信仰とわが十字架とわが秘跡的な現存に対する愛において堅固であり忠実な全ての者は、この不安と孤独の時代において、自分達が天の御父から送られた不可視の援助者、即ち天使を得ていることをよく覚えておくべきである。彼は悪霊よりも強い。彼は保護者であるばかりではなく導き手であり、誘惑者(堕天使であれ、腐敗した司祭達であれ)よりも強い。
それ故、悪魔的な霊魂達が地上を徘徊するこの時代にあって、奉献された天主の召使い達の中に可視的な援助者を見出すことは単なる偶然ではない。何故なら、聖霊が人類の上に天使達の世界を与えているからである。天主は、彼の聖人達において素晴らしい(詩編 68:36)が、しかし、その天使達においては更に素晴らしいのである。
聖ミカエル。彼は天主からルシファーとその配下を打ち倒す使命を与えられたが、またわが教会の特別の保護者且つ守護者でもある。聖ヨゼフ。彼はわが地上の生涯が任せられた人だったが、彼もまたわが教会の保護者であり、わが神秘的な体の保護者である。しかし、聖ミカエル、不可視の霊の王国から来たこの者は、わが教会の守護天使である。それ故、彼に対する祈りを省略したことは間違いであった。
彼は天使達と聖人達を表敬し、天主を讃える。何故なら、彼らは神の友だからであり、その恩寵を与えられた者達だからである。
誰であれ、天主の不可視の被造物を否定する者は、天主の啓示をも否定し、聖なる天使達から来る助力と力を失い、悪霊達の力に自分自身を引き渡すのである。
天使達や聖人達は三位一体の天主の力によって力強い。しかし、彼らに優って霊魂に汚れなく、体と霊魂において完全であり、崇高且つ神聖なる美を備えた被造物が存在する。
その被造物は、わが童貞母マリアである。
誰であれ、わが母を愛する者は確実に救われるのである! あなたが彼女に与える愛によって、私はあなたに与える愛を量る。この理由によって、私はあなたをわが聖心の愛から祝福する。
1976年3月5日の早朝の救い主の御言葉
わが息子よ、わが恩寵と愛の時に、私はあなたを祝福する。...
あなたの目には、未来は暗く見えることであろう。真の認識と混乱の中にあって取られるべき方法とを探してなされるあなたの内面の努力を、私はよく分かっている。そしてそれ故に、私はあなたを照らすのである。
わが忠実なる息子マルセル。彼は信仰のために大いなる苦しみを苦しんでいるが、正しい道にある。彼は、叙階された司祭達の多くが裏切って捨てたところの、光のようであり、また真理の柱のようである。信仰は従順より重要である。それ故、わが一にして真なる教会のために、司祭のための神学的な教育の仕事はわが息子マルセルの精神と意志とによって続けられることが私の意志である。
上の段落、英訳版
My faithful son Marcel, who suffers a great deal for the faith, is going on the right path. He is like a light and pillar of truth, which many ordained priests of Mine are betraying. Faith is greater than obedience. Therefore, it is My will that the work for the theological education for priests continues, in the spirit and will of My son Marcel, for the salvation and great help of My one and true Church.  参照
同じく、原語
Mein treuer Sohn Marcel, der so sehr um des Glaubens willen leidet, befindet sich auf dem wahren Wege. Er ist ein Licht und eine Säule der Wahrheit, die von vielen Mir geweihten Priestern verraten wird. DER GLAUBE IST MEHR ALS GEHORSAM. Darum ist es Mein Wille, daß das Werk der Erziehung von Theologen zu Priestern im Geiste und nach dem Willen Meines Sohnes Marcel bestehen bleibt und zur Rettung Meiner einen und wahren Kirche eine starke Hilfe wird.  参照
この世の霊が教会に浸透した。そして天主の霊は、この世の霊を宣言するために呼ばれた多くの者達に彼ら自身の道を行かせた。彼らは別のことについて話し、サタンのまやかしと罠の中に夢中になる。そして彼らは人々を堕落させ、そればかりか子供達をさえ既に堕落させている。これが、私が子供達の霊魂に対する殺人と呼ぶものである!
この霊は聖職者達の中に、そして男子修道会と女子修道会の中にも浸透した。何故なら、修道士も修道女も彼らの修道会の創始者の精神を失い、捨てたからである。彼らは人々と世界にとって一つの醜聞となった。彼らはわが至聖なる御母に対する愛を失ったばかりではなく、秘跡におけるわが現存に対する敬意をも失った。その代わりに修道士達はこの世の物事について、贅沢について、そして喜びの人生なるものについて説教し、修道女は聖なる天使達のことを語らず、そして多くの者は至聖なる童貞母マリアのことをさえ語らないのである。
マリア、わが御母、恵みの御母が尊敬される、沈黙と祈りのための特別の聖所がある。
それがカテドラルか聖堂であるかには関わりなく、それらは恩寵の場所、平和の場所、助力の場所、慰めの場所である! 信者のある者はそれらの場所を訪れ、信仰に強められて帰って行くだろう。しかしまた、その場所には、信仰について聞くことを望まず、それを嘲り、サタンに対する武器であるロザリオをもはや祈りたがらない司祭達や修道女達がいないだろうか? しかし、それでも、そのような聖なる場所を訪れる人達は、そのような人達の世話をし、彼らを正しい道に戻すなら、わが聖心の内にいるのである。
以下も同じ本からの抜粋です。
1975年7月4日
わが教会は背教と破壊の中に生きている。しかしまた、それは誠実な信者と忠実な人々の中に生きてもいる。わが教会の歴史において、邪悪な司祭達と生ぬるい司牧者達の故の、低落、放棄、荒廃の時代があった。しかし天主の霊は最も強力である故、教会を立ち上がらせ、それに再び開花をもたらしてきた。しかし、不忠実さと放棄された残骸と墓の上には、天主の霊の働きは小さい。わが僕マルセルの、エコンでの仕事は滅びない!
My Church lives in the midst of apostasy and destruction. She lives also among numerous faithful and loyal people. In the history of My Church, there have been times of decline, a desertion, and devastation in consequence of wicked priests and tepid shepherds. But the spirit of God is most powerful, and has raised up the Church and caused it to blossom again, but smaller, upon the ruins and graves of unfaithfulness and desertion. The work of Ecône of My servant Marcel does not perish!  参照
Meine Kirche lebt inmitten eines Abfalls und der Zerstörung. Sie lebt in ungezählten Gläubigen und Getreuen. In der Geschichte dieser Meiner Kirche hat es immer wieder zufolge schlechter Priester und lauer Hirten Zeiten des Niederganges, des Abfalls und der Verwüstung gegeben. Doch der Geist Gottes ist stärker und er hat über den Trümmern und Gräbern der Untreue und des Verrates die kleingewordene Kirche sich erheben und neu erblühen lassen. Das Werk von Ecône Meines Dieners Marcel geht nicht unter!  参照
1976年5月7日
わが一にして真なる教会は、司祭達によって再興されるであろう。そして、知りなさい、そこでは若い司祭達による新しい世代が育つであろう。そしてこれらの司祭達は背教した聖職者達によって追い払われるけれども、聖人達の霊的な生き方に引き付けられ、自らを公然とキリストの僕であると言うであろう。彼らは自らの聖職と使命を常に身に付ける習慣を持ち、人間の尊敬と世の愛を持たない。彼らは既に二、三の場所で訓練されており、彼らは三つの性質によって特徴付けられる。祈りの生活によって、彼らの聖体に対する愛と熱愛の炎によって、そして永遠の童貞母聖マリア、御償いの御母に対する信心と崇敬とによってである。これら三つの要素は、この若い世代の司祭達に聖人の成功を運ぶであろう。そしてわが一にして真なる教会を、新しい輝きと偉大な力を持ったものとして立ち上がらせるであろう。
1976年6月4日
それ故、あなたは知っていなればならない。若者達が天主の聖心と意志を求めて司祭になるために教育されるその場所に手をかけそれを破壊せんとする者は誰であれ、現在と全永遠において天と私の呪いを己が身に引き寄せることになるであろう。私はそれらの若者達を祝福し、また誰であれそのような場所を保護し促進する者達を祝福する。しかしそのような場所に不正にも手をかけ、そうすることをもって未来の司祭職への道を塞ぐ者達には、三倍の呪いがあるであろう!
1976年8月6日
あなたの他の心配は、わが息子マルセルが置かれている痛ましい状況に関するものである。彼は信仰の戦いのために、また不当な評決が彼に与えられたために、不正に苦しんでいる。しかし、この不正が正される日が、この地上に間もなく訪れるであろう。私のこの息子は、私の一にして真なる教会の価値ある僕である。
Your other worries are concerning a doubt about the painful situation in which My son Marcel finds himself. He suffers injustice, because of this fight for the faith and because it was an unjust verdict given to him. But there shall come a time in which this injustice will be repaired in time here on earth: this son of Mine is a worthy servant of My one and true Church.  参照
Deine andere Sorge, ein anderer Zweifel betrifft die schmerzliche Lage, in der sich Mein Sohn Marcel befindet. Um des Kampfes für den Glauben willen erleidet er Unrecht, denn ein Unrecht ist das Urteil, das wider ihn ergangen ist. Es wird die Zeit kommen, in der dieses Unrecht schon hier auf Erden und in der Zeit gutgemacht werden wird: Dieser Mein Sohn ist ein würdiger Diener Meiner einen und wahren Kirche.  参照
1976年10月1日
それ故、私はわが息子マルセルに満足している。何故なら、彼は信仰の救いのために全ての誤解と迫害に対して立ち上がったからであり、彼にとってミサの犠牲は最も神聖なものを意味するからである。
Therefore, I am very pleased with My son Marcel, because he has stood up against all misunderstandings and persecutions for the salvation of the faith, and because the Eucharistic sacrifice means for him the most Holy.  参照
Darum ruht Mein Wohlgefallen auf Meinem Sohn Marcel, da er sich gegen alle Mißverständnisse und gegen alle Verfolgung ganz für die Rettung des Glaubens eingesetzt hat, weil ihm das Eucharistische Opfer das Heiligste bedeutet.  参照
1976年12月3日
しかし、私の価値ある召使いであるマルセルのような司祭達は、迫害され、有罪を宣告され、不法とされる。何故なら、彼らはミサの犠牲を最も真実のものであり最も神聖なものと看做すからであり、また、わが体と血の神秘を聖なる敬意をもって祝うからである。
But priests, like My worthy servant Marcel, are persecuted, condemned, and outlawed, because they see the sacramental sacrifice as the truest and holiest, and celebrate the mystery of My body and blood with holy reverence.  参照
Jene Priester aber, die im sakramentalen Opfer noch wahrhaft das Heiligste sehen und in heiliger Gesinnung das Geheimnis Meines Fleisches und Blutes vollziehen, wie Mein würdiger Diener Marcel, werden verfolgt, verachtet und geächtet.  参照
1977年2月4日
あなたの霊魂の平和のために、またあなたが教会のために行なっている仕事のために、覚えておきなさい。わが僕なるマルセルは、わが愛の内にある。何故ならば、彼の信仰は強く、彼の謙遜は真実で、彼の敬意は大きなものだからである。
For the peace of your soul, and for your work you do for the Church, you should know: My servant Marcel is within My love, because of his strong faith, his true humility, and his great reverence.  参照
Für die Ruhe deiner Seele und für deine Aufgabe in der Kirche sollst du wissen: Weil Mein Diener Marcel in seinem Glauben stark, in der Demut vor Gott wahr und in seiner Ehrfurcht groß ist, steht er in Meiner Liebe.  参照
管理人注
現在、Web上において、英語とドイツ語で全文が読めるようです。
インスブルック-フェルトキルヒ教区
オーストリア西部のようです。
この括弧の言葉は編者(管理人ではなく)による挿入です。
ドレクセル教授はテイヤール・ド・シャルダンについて批判的な本を書いたようです。書名は『新しい預言者? テイヤール・ド・シャルダン ─ イデオロギーの分析(«Ein neuer Prophet?», Teilhard de Chardin, Analyse einer Ideologie)』。初版:1969年、第2版:1971年。
http://www.kathpedia.com/index.php?title=Albert_Drexel
その著作の中でドレスセル教授がテイヤール・ド・シャルダンについてどう書いたのかを伺わせる記事がありました。
アルバート・ドレクセル (カトリック聖職者) は説明する。
「キリスト教における、そして特に第二バチカン公会議後のローマ・カトリック教会における現代主義あるいは新現代主義は、超自然的なものに全く背を向け、この世の事柄だけを偏愛する姿勢によってとりわけ特徴付けられます。これはヨハネ23世の言う『現代化』の偏った解釈と誤用です。テイヤール・ド・シャルダンの理論がその決定的な基礎となりました。彼は過去に背を向け、天主と超自然を一般的な進化論のプロセスと融和させ、信仰というものをオメガ・ポイントで終わる漸進的な発展の中に行動的に参加することとして宣言しました。その原理は世俗的事柄への人間主義的礼賛に寄与しました。」
Albert Drexel, a Catholic ecclesiastic, explains:
"The modernism or neo-modernism within Christianity, and especially within the Roman Catholic Church after the Second Vatican Council, is above all characterized by a turning away from the supernatural and an exclusive predilection for this world, the "Aggiornamento" of Pope John XXIII interpreted one-sidedly and hence misapplied. Teilhard's ideology was a definitive precondition for this. Inasmuch as he turned his back to the past, fused God and the supernatural with the process of a universal evolutionism, and proclaimed religion to be an active participation in a progressive development ending in Point Omega, the basis was given for a humanist cult of the secular."
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