2018.05.05

エルデル・カマラ大司教 8

御ミサの「奉献」の時に笑う男

これらの写真はポルトガル語で書かれた全24ページの小冊子「ドン・エルデル - その生誕からの100年間(1909-2009)の追憶と預言  Dom Helder - Memória e Profecia em seu Centenário 1909-2009」の11ページに掲載されているものであるPDF or Issuu。もちろん、この人物はカマラ大司教である。

私は先日、「信仰の喜び」よりも「信仰の厳粛」、という副題を付けた記事を書いたが、彼は御ミサの最も「厳粛」であるべき時に笑っている。

また、これは「奉献」の時ではないが、ともかく「ミサ中」ではあるだろう時の彼のこんな表情もある。必見だと思う。参照

信者の中には「御ミサは『恵みの時』だもの、喜びのあまり少しばかり笑みを浮かべたって何の悪いことがあるでしょう」と思う人もあるかも知れない。まあ、私は議論はしない。しかし、私自身としては、彼はどこか非常に「感覚がおかしい」と思う。

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「信仰」の世界に於いては「感覚」というものが意外と大事だと思う。あなたは以下のカマラ大司教の姿に何を感じるだろうか。

Part 3 で見たのと同じ動画。わざと無音にしてある。理屈でなく、彼のこの「様子」から何かを感じてもらいたい。(無理なのか?)

私の目には、彼は「共通善」を説くことに於いて「調子に乗っている」人に見える。(もちろん「共通善」も大事だが)

私の目には、彼は人を「のせる」ことに長けた「悪しき魔術師」のように見える。

「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」  - 共産主義の目標 -

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