2018.05.05

エルデル・カマラ大司教 3

菊地功大司教様はツイッターで2015年4月17日、カマラ大司教について「中立的」というよりも「肯定的」「好意的」と言っていいだろう記事をリツイートしておられる。

参照

カマラ大司教に関する基本情報
catholic-hierarchy

Wikipedia も見ておこう。

ja.wikipedia

エルデル・カマラ


エウデル・ペソア・カマラHélder Pessoa Câmara, 1909年2月7日フォルタレザ - 1999年8月27日レシフェ)はブラジルのカトリック教会のオリンダレシフェの大司教。彼は広く20世紀のカトリックの偉大な人物の1人と考えられている [誰によって?]

彼は1931年8月15日に叙階され、1952年3月3日にリオデジャネイロの補佐司教に推薦され、4月20日バホス・カマラ枢機卿、ロサルヴォ・コスタ・レゴ、ジョルジ・マルコス・オリヴェイラ両司教の按手を受け43歳で司教に叙階された。1964年3月12日にペルナンブーコ州のオリンダとレシフェの大司教に任命され、1985年4月2日に引退するまで続けた。

カマラはラテンアメリカの解放の神学の主な先駆けとなり、鉛の時代のブラジルで人権を護り政治的にも注目されるようになった。彼は貧しい者への妥協のない関与で運動に影響を与えたので、彼の神学が後の解放神学者(例えばグスタボ・グティエレス)のそれと同一視されたとしても当然である。彼は1985年に大司教を退き、彼の改革の多くが保守的な後継者によって巻戻されるのを見ながら余生を過ごした。

彼はこの言葉で有名である。

「貧しい者に食物を与えると、人は私を聖者と呼ぶ。なぜ彼らは貧しいのか尋ねると、人は私を共産主義者と呼ぶ」

(…)

誰によって?]と書き入れた人に三つ。

菊池大司教様は昔からガッチリ “社会派” の神父様であって──

2001年

2005年

2012年

──ブラジルのこの大司教のことも高く評価しないではおれないのかも知れない。

私がこの大司教のことを初めて知ったのは、聖ピオ十世会によるルフェーブル大司教様の生涯を描いたドキュメンタリー映画の中でではなかったかと思う。彼はその中でこう言っている。

39m11s-

カトリック教会が「教会こそがあらゆる問題への解決策であり、教会はあらゆる問題の解決策を持っている」という印象を与えてしまうとしたら、多くの人々は驚いてしまうでしょう。
……そうではありません。私たちは威張り散らすのではなく、世界と協力し、ここかしこに些かでも光を照らそうとするものなのです。

彼は大ゲサな身振りでカトリック教会のあり得る「傲慢さ」「尊大さ」を演じてみせる。カトリック教会が「われこそは、われこそは」と “威張り散らして” でもいるかのように。
しかし、「真面目だがイノセント」或いは「真面目だがナイーブな司祭たちは、これに簡単に頷いてしまうだろう。

しかし、「教会こそがあらゆる問題への解決策を持っている」かどうかはひとまず措いて(私は「持っている」と思うが、この提題自体があまりに “がさつ” である)、言っておくが、カトリック教会が世界広しと云えども唯一「一、聖、普遍、使徒継承」の教会であることは一つの “事実” であって、それを言ったからとて「威張り散らす」ことにはならない、というのが本当である。しかし、いつも言うように、「認識」の問題と「感情」の問題は “別” ということを分からない司祭や信者たちは、「カトリック教会こそが唯一の真の教会であるなどと主張することは “傲慢” ではありませんか」などと言われると、つい怖気づき、自分の判断力さえ狂って、「そうなのかも」などと思ってしまうのだろう。私は、司祭と信者たちに於けるそのような性質が、教会と人類にとって、常に、なかなか大きな禍因になっていると思う。

「27. 諸教会に潜入し、啓示された宗教を『社会的』な宗教と入れ替えよ」  - 共産主義の目標 -

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