2018.03.22

主日の義務 5

今田健美(こんだ たけみ)神父様(1910-1982)の公教要理講解(『種蒔く人』上巻)から引用する。書誌情報

p.407~

第三戒 汝、安息日を聖とすべきことを記憶すべし

今田健美神父様

 われわれは万物の創造主なる天主によって無より創造せられただけでなく、その主宰したもうところによって毎日毎日、天主のご恩恵の下に日々の生活が維持継続されております。つまりわれわれの生涯は、まったく天主の権利に属しています。管理人注1
 われわれはもともと無でありました。この世に生まれてくる権利も資格もなかった。今われわれが持っているものは全部与えられたものばかりです。われわれの一日一日の生活も全生涯もすべて天主に依存しています。もしこのことをわれわれが認識したならば、天主のご栄光のために感謝を献げるのは当然のことであります。昔から日本では、農民が毎年、初穀を神のみ前に献げて感謝の祈りをささげています。この意味において第三戒は自然法的でありますが、それが一週間のうちのある一日を安息日と定めるということになりますと、自然法でありません。天主がわざわざお定めになったのですから神法となります。
 旧約聖書の創世記をみますと、天主は無より天地万物を六日間で創造せられ、七日目に安息したまい、その日を祝して聖なる日となしたまいました。モーセは天主の啓示によって、人類も天主の創造にならって一週間のうち六日働き、七日目である土曜日を安息日と定め、労働を休んで聖なる日として送るように定めました。もちろん天地創造のみ業の一日は、二十四時間を一日としたものでなく、六つの段階によって成されたことを意味しています。聖書は宗教書でありますから一段階を一日としるし、われわれも一週七日間のうち六日間を生業のために使い、七日目には天主が安息したまいしことにならって安息日として、天主のご栄光のために聖とすべきことが定められたのです。
 ところが新約時代となって、安息日が一週の第一目たる日曜日に改められ、これを主日と呼ぶようになりました。これはキリストのご復活と聖霊降臨が日曜日に当たっていますから、教会がキリストより与えられた三つの権能(教権、司牧権、司祭権)のうち司牧権によってかく定められたのです。
 安息日を何曜日に定めるかは自然法ではできません。これは他の道徳上の掟とは異なって人間の力ではわからないことです。しかし教会はキリストから受けた立法権によってこれを変更することができるのであります。
 使徒行録(20・7)に「週の第一日(日曜日)われらパンを裂かんとて集まりしに」としるされていることによっても、十二使徒時代すでに信者がパンを裂くため、すなわちミサ聖祭にあずかるために、日曜日に集まる習慣となっていたことがわかります。ですから教会が安息日を土曜日から日曜日に変更したのは、教会の最も初代のことであったことが知られます。

日曜日を主日と呼ぶ理由

 どの日も天主の日でない日はありませんが管理人注2、特に日曜日を主日と呼ぶのは、(1)万物の創造主であり主宰者である天主のおん独り子が、救い主として人類救霊の大事業を成就せられ、復活せられたもうた日が日曜日であること、(2)聖霊が教会に降臨せられ、教会を聖ならしめたもうた日も日曜日であること、(3)さらにその日を安息日として七日間のうち六日間働き、一日は己の用をなさず、天主に特に奉仕し感謝するために用い、神の日すなわち主の日とすべき日であるからであります。

主日の守り方

 主日を守るには、(1)労働を休み、(2)天主に仕えることをして、この日を善く用いなければなりません。

労働を休むこと

 労働とは肉体的労働に限られ、精神的労働は休むことを禁じていません。一般に耕作、土木、建築、木工、機械工作、運送その他の筋肉労働のことです。訴訟、公の商売、取り引きのような宗教上の儀式を妨害する雑然たる世俗的仕事は同様に禁じられています。しかし炊事、掃除などのような日常生活に必要な仕事は禁じられていません。また農民が耕作をするのは労働ですが、会社員が畑仕事をするのは一つの慰めであります。ピアニストがピアノをひくと労働となりますが、画家がピアノをひくならば遊びです。
 しかし主日でも、まったく必要な事情があるか、または特別な理由によって司祭から許可を受けた場合には、許された範囲内で仕事をすることができます。例えば警察官、消防団員、医師、交通関係の仕事に従事するような公務、愛徳のために働く場合、また私用でも収穫などのように時期を失することのできない場合です。なお習慣により一般に働くことを認められている場合もこれに含まれます。
 カトリックのことわざに「施しは貧しくせず、朝夕の祈りは仕事に遅れさせず、主日の労働は人を富ましめず」とあります。

(…)

第三戒に背く罪

 (1)正当かつ重大の理由もないのにミサ聖祭にあずからないこと、(2)前に述べたような労働を司祭の許可なしになすこと、(3)信者が必要もないのに日曜日に信者の使用人に労働を命ずること、(4)日曜日に道楽、暴飲暴食をなし、享楽にふけることなどは、主日を汚す行為となります。

(…)

p.450~

公教会の第一の掟、主日と守るべき祝日とを聖とし、ミサ聖祭にあずかるべし

 主日を守ることについては天主の十戒の第三戒「汝安息日を聖とすべきことを記憶すべし」のところで詳しく話をしました。この第一の掟では、主日のほかに守るべき祝日においても主日と同様に、その日を聖とし、労働を休み、ミサ聖祭にあずかることが命ぜられています。管理人注3

(…)

教会が主日を定めた理由

 (1)信者が救世の玄義(奥義)をよく考え、(2)神に救世のお恵みを感謝し、(3)神の掟を熱心に守るように決心し、もって救世の効果を受けるためです。

(…)

教会が信者に、特にすべての主日と守るべき祝日に、ミサ聖祭にあずかることを命ずる理由

 ミサ聖祭にあずかることは、最も尊い聖祭にあずかることであり、そして、それは神を礼拝するのに最も善い手段であり、またミサはお恵み、霊魂の糧を豊かに賜るための泉であるからです。

主日および守るべき祝日にミサにあずかる義務のある人

 物事をわきまえうる年齢(普通満五歳)に達し、そしてミサにあずかることのできない特別の理由のないすべての信者です。

(注)現在、日本では、満七歳以上の信者と定められています。

ミサにあずかることのできない特別の理由

(1)病気、交通の障害、(2)看護その他の義務を果たす場合、(3)職務上やむを得ない場合などです。

公教会の第一の掟に背くこと

 (1)自分の過ちによってミサに欠席し、あるいはミサの主な部分(奉献、聖変化、司祭の聖体拝顔)にあずからず、
 (2)ミサの間わざと心を散らし、または不敬なことをする時は、信者は、公教会の第一の掟に背くこととなります。

[管理人注1] 「天主の権利」:「人間の権利」に夢中な人たちにはこの言い方は違和感だろう。しかし、これに続く今田神父様の言葉をお読み頂きたい。戻る

[管理人注2] この何気ない言い方は大したものだと思う。戻る

[管理人注3] 「命ぜられて」: この言い方も違和感だろう。でも、全てを創り、全てを与えている天主様は、若干の事を信者に「命ずる」権利ぐらい持っていないのだろうか。
「愛による命令」というのはあってはイケナイのか。戻る

次は、ノル大司教様の『教理対話』から。

教理対話「25 主日と祝日の守りかた

(…)

青年   

守るべき祝日は世界中同じですか?

神父   

国により多少違います。殆ど国民全体がカトリックである国では、守るべき祝日はこれよりも多いです。これは御存じのように、教会が制定するのですから、教会はそれぞれの国の事情に合わしています。国民の大部分がカトリックでない国におきましては、幾日も仕事を休むようにいわれますと、困ったことになりますから。

青年   

本当に教会は思いやりがありますね。主日と守るべき祝日はミサ聖祭にあずかるべしという掟は、すべてのカトリック信者に義務を課しているのですか?

神父   

七才から上のものは全部です。もちろん、病気で行けない人とか、教会から遠方に住んでいる人、その日に是非働かなければならない人には義務はありません。しかし、自分自身の過失で主日や守るべき祝日に御ミサに与らぬ人は、大きい罪を犯すことになります。

私が読者に注目して欲しいのは、上の二つの引用で私が水色の背景を付けた部分である。

今田神父様の御文章も、ノル大司教様の本も、比較的古いものである。しかし、それ故に、こう言うことができる。

カトリック教会はこのように、昔から、やんごとなき事情をかかえた人に対してはちゃんと配慮を示し、「主日の義務」を免除する道を設けていた。

これが一つの「事実」である ↑

ところが、現代の司祭の中には、教会のこのよう配慮でも不足だとでも言うかのように、次のような口振りの人が居る。

もう、「義務」とか、「掟」とか、
またそれの「免除」とか、
そういうのはやめにしましょう。
それ全体、もうやめにしましょう。

彼らは「免除」も気に入らない。何故なら、それが「免除」されるためには、まず初めにそれが「義務」でなければならないからだ。彼らはそれが「義務」とされていることが気に入らない。

そのような口振りの人が居る、否、「居る」なんていうもんじゃない。「司教」の中にそれが居る。後述。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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