「安息日」と「主日」
カトリック信者は、この「安息日」という言葉を、自分たちにとっては「主日」、つまり「日曜日」のことであると、ごく普通に思っているだろうし、また、私はそれで何ら差支えはないと思う。
が、一応、この「安息日」ということと「主日」ということについて引用しておく。
カトリック要理
第二十七課 第三戒
180★第三戒では何が命じられていますか。 旧約時代には、安息日は土曜日に定められていましたが、教会はそれをイエズス・キリストの復活と聖霊降臨の日である日曜日に換えました。そのために、昔から日曜日は主の日(主日)と言われています。 |
ジョンハードン編『カトリック小事典』 p.13 安息日(biblical sabbath) ユダヤ教における安息の日。(…)安息日は金曜日の日没時に始まり土曜の日没時に終わった。(…)とくに祈りと霊的ことがらに専念する日であった。すでに使徒時代に(使徒行録20:7)、キリスト教徒は安息日を週の第7日目から第1日目に変更していた。 |
カトリック要理の友 第3戒「なんじ、安息日を聖とすべきことを覚ゆべし」 神は第1戒によって生活のすべてを神にささげることをお命じになりましたが、そのうえ、このおきてによって世間的な働きのために信心が冷えないように、週に一日、世間的な務めを休んで神のことを考えて礼拝し、その日を神のための日とすることをお命じになります。したがって、カトリック信者は日曜日にはおもにからだを使ってする仕事を休み、ミサ聖祭にあずかります。正当な理由がないのにこれを怠ると罪になります。なお、日曜日を安息日と定めたのは、キリストの復活と聖霊降臨の記念日が日曜にあたるためです。 |
このように、カトリック信者自身の意識と言葉遣いに於いて、
「安息日」とは「主日」のことである。それで何ら差支えない。
いちいちその「違い」について引っかかる必要はないであろう。
「神法」と「聖会法」
前回見た今田神父様の御文章の中に「神法」という言葉があった(英語で言えば、Divine law)。
そして「キリストから受けた立法権」という言葉があった。
旧約に於ける「安息日」の定めは、モーセが天主様から直接受けたものであるから、誰も(未信者か、聖書にある不思議な話は何でも「神話」ということにしてしまう信者以外は)「それは神法ではない」とは言わないだろう。
しかし、新約の「主日」の定めに関しては、「それは教会が決めたこと、つまり『聖会法』であって、『神法』ではない」ということを特に言いたい人が、神父様方の中にもあるかも知れない。
私は学問的正確の世界を知らない。確かに、「主日」の定めは「聖会法」であって「神法」ではないのかも知れない。しかし、しばしば本質を捉える素人の感覚に於いて、私はそれを「ほとんど神法」「十分に神法に準ずるもの」と言ってみたい気がする。
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◯なぜ安息日を土曜日から日曜日に変えましたか。
△イエズス・キリストの御復活と聖霊降臨が日曜日に当りましたから、聖会でこの日を主日を定めたのであります。
◯すると主日を守ることを命じたのは誰ですか。
△一週に一日を聖日とする様に命じたのは天主ですが、日曜日を以て之に充てたのは聖会であります。
この「一週に一日を聖日とする様に命じたのは天主です」ということで、ほとんど十分ではないか。
罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって