2017.08.19

聖顔への信心  1 二人の修道女

「顔」は大事ですよね。それは必ずしも「顔形」「顔の造作」ということではないのですが、しかし「顔」はおのずから、いろいろなものを表わします。人の内面を、感情を、人格を、霊魂を。

さて、前回見たように、「イエズスの聖顔への信心」というものがあります。日本ではあまり知られていない、少なくとも「詳しく」は知られていないようですが。

しかし、Web の日本語環境の中に「信心」に関して一つの力強いウェブサイトがあります。「信心の園」様。私は、日本語環境の中にこのサイトが存在していることに心から感謝します。*

* しかし、誤解のないよういつものようにお断りしておくと、「信心の園」さんは「護教の盾」という変なサイトとは関係がありません。両者の間に特に交流はありません。

「信心の園」さんは「イエズスの聖顔への信心」を複数の記事で取り上げておられます。

• イエズスの聖顔への信心
• イエズスの聖顔への信心Ⅱ
• イエズスの聖顔への信心Ⅲ
• 黄金の矢
• 私達の魂に神の面影を再現する祈り

二人の修道女

私は以前、アンネリーゼ・ミシェルとの関連で、この信心についての参考記事を一つ訳しました参照。しかしそれでも、この信心の歴史について、さして詳しくありません。前回の記事を読んだこともあり、もう少し知ってみたいという気持ちが起きました。

聖顔への “崇敬” は、聖ヴェロニカのヴェールにイエズス様の御顔のイメージが残って以来、あったに決まっています。

そして、例えばリジューの聖テレーズ(1873-1897、フランス、カルメル会)なども「聖顔への信心」を深く生きたらしいことは、上の写真から、また、彼女の修道名...

仏  Thérèse de l’Enfant-Jésus et de la Sainte-Face
英  Therese of the Child Jesus and the Holy Face

からも分かります。

しかし、私たちの時代に比較的近い時代に於いて、啓示という形で「聖顔への信心」の確立をはっきり指示された人として、二人の修道女が居るようです。

マリー・デ・サン=ピエール
1816-1848、フランス

仏  Marie de Saint-Pierre
英  Mary of St Peter

リジューの聖テレーズと同じく、カルメル会の修道女。

日本語では何とお呼びしましょうか。「信心の園」さんに倣って、「聖ペトロのマリア修女」としましょうか。

マリア・ピエリーナ・デ・ミケーリ
1890-1945、イタリア

伊  Maria Pierina de Micheli

イタリア人ですが、アルゼンチンはブエノスアイレスの無原罪の聖母修道女会

(スペイン語では Hijas de la Inmaculada Concepción de Buenos Aires、イタリア語では Figlie dell'Immacolata Concezione di Buenos Airesの修道女。

2010年5月30日に列福。

ウェブサイト

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

次へ
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ