2017.06.16

脱同性愛者たちの証言 ジャッキー・ヒル-ペリー

With God nothing is impossible.
或る必要から、脱同性愛者たちの証言を集めます。Index

今回も YouTube から。誤訳があるかも知れません。しかし、大きくは間違っていないだろうと思います。注)このビデオは、彼女の言葉を全く連続的に再現しているわけではありません。その為、段落と段落のつながりが悪かったりします。しかし、それによって彼女の主張が歪められて伝えられているということもないでしょう。

拙訳、試訳。強調と〔 〕は私による付加。

YouTube

元同性愛者のヒップホップ・アーチスト
ジャッキー・ヒル-ペリーは
新しい人生が可能だなどとは
夢にも思っていなかった

Ex-gay hip-hop artist Jackie Hill-Perry never dreamed a new life was possible

ジェンダーの混乱を感じた最初の記憶は、たぶん... 1年生... 1年生か2年生あたりだと思います。私は、男の子になりたい、そして、どの種の関係に於いても支配的な役割を演じたい、と思っていたことをはっきりと覚えています。

私のおば。私は、私の人生の最初の19年ぐらい、毎日曜のほとんどを彼女と一緒に教会に行っていたと思います。そして私は、彼女が、誰かから怒りを向けられた時にも何も言わなかったことを、はっきりと覚えています。彼女の生き方を見ていたり、イエス様について聞いたり、神について聞いたりしているうち、私の中に、ずいぶん早くから、神がどういうお方であるのかについての確信が形成されました。早くから。

私はいつも女の子に惹かれていました。しかし、それが間違っていることを知っていたので、それを自分で認めませんでした。それはまだ、背後にある誘惑のようなものでした。

たぶん、17歳の時──男の子たちの目が私にも、それまで以上に向けられるようになっていた頃──私は別のハイスクールで催された同窓ダンス会に参加しました。そこで、私が知っている女性が私に近づいて来て、私たち二人は戯れました。女性からそのような態度を向けられたのは、それが初めてでした。私はそれを自然なものと感じました。そのように言う〔「自然な」と〕のが、当時の私にとって正直なところでした。私は「私が望んでいたのはこれだ」と思いました。

ゲイ・クラブ、私は本当にすぐにそれを面白いと思いました。ゲイ・プライド・パレード、私はそれを楽しみました。しかし、そこに深い魂的な満足はありませんでした。

私はよく、私のガールフレンドたちに真理について話しました。こんな感じでした、「ねぇ、知ってる? これは罪なんだよ。そうでしょ?」。これに対して彼女らは、「じゃあ、なんでゲイやってんの?」。「知らないわよ」と私。しかし私は、これは正しいことではないと知っていました。神についての真実をとても多く知っていながら、それとは反対の生き方を続けていました。それでいて、私はいつも変わらぬ確信の内にありました。

私はその時、19歳でした。自分の部屋に居ました。それはまるで、私をとても強く咎める思いが、私の通常の思考を妨害しているかのようでした。まるで、神が私に写真を見せながら、私が愛している罪、私たちがその中に居た罪は私を殺すだろう、私は死に、地獄管理人注1に行くだろう、と言っておられるようでした。

自分は罪人だ、そして、神は聖なるお方だ、と知ることは、しんどいことです。しかし、もし聖書を読むなら、聖書に他の真理を訪ねるなら、イエス様は神であり、イエス様は救い主であり、イエス様は罪を悔い改める者を喜んでお赦しになる、ということも分かります。両方とも真理なのです。私たちはこのことを知る必要があります。これはとてもシンプルなことです。管理人注2

私は心の中で、神とこんな感じで対話しました、「私は本当はストレート〔異性愛者〕にはなりたくありません」。私は救いというものを、何かこう、一夜にして異性愛者になる、というふうに考えていたのです。それで、「ストレートにはなりたくありません」と。するとその時、神が私を真理に導こうとして、こう言っておられるように感じました。「私はあなたの欲望を変えることができる。私はあなたに男性への欲望を与えることができる。まことに、私は神である」と。そしてその時、私は、自分がそれまで愛して来たもの全てについて、その重大さが本当に分かったような気がしました。

ええ、私は大方、自己中心的でした。「こと、この件に関しては、イエス様は必要ない」と考えていたのです。私は全くひどい考え違いをしていました。

同性愛は人に死をもたらす唯一のものではありません。あらゆる罪が人に死をもたらします。同性愛はその中の一つです。盗み、プライド、怒り、傲慢、大酒、これら全てが価値のないものです。このことはあまりに明らかです。私が愛して来たもの全ては、私に、地獄以外に何も与えないものでした。分かってもらえるでしょうか。私は、神が私に生命を与えようとしているのを見、そして、私には選択の余地がなかったのです。私は、神か死か、どちらかを選ばなければなりませんでした。

私は神にこう言いました、「あなたが私にお求めになっていることを、私は自分の力だけではできません。私は以前、それを試みてみました。清く生きようとしてみました。しかし、できなかったのです」。しかし私は、同時に、彼は私を助けてくれるだろうと十分に知っていました。

たぶん、その一日後か二日後に、私は私のガールフレンドと別れました。そうしなければなりませんでした。それは私のそれまでの人生の中で最も辛い決断でした。しかしその後は、全てが楽になりました。一週間後に自分の衣服を変え、二週間経たないうちに教会に行きました。

教会に戻ってみると、素敵でした。そこの人たちは本当に愛情のある人たちでした。一つの家族のようでした。しかしそれでも、最初の二年間はとても困難でした。でも、神が私を守って下さっているようでした。私は、神がそのコミュニティを用いて、私を守って下さっていたのだと思います。もし私が自分の周りにクリスチャンたちを持っていなかったら、私を助け、私に注ぎ、私を励ます彼らを持っていなかったら、私はほとんど死んでいただろうと思います。

私がどのような者であるかは神が規定なさいます管理人注3。私は誘惑を覚えるかも知れません。内に葛藤を抱えるかも知れません。美しい女性を見て誘惑を感じるかも知れません。人をののしりたい誘惑にかられたり、お酒を飲みたい誘惑にかられたり、ポルノを見たい誘惑にかられたりするかも知れません。人間に於いては、そういうことはあり得ます。しかし、クリスチャンはそれらに対して無力というわけではありません。

時が経つに従い、私が愛とイエス様を知ることで成長するに従い、誘惑は徐々に力を失って行きました。しかしそれでも、当時はまだ、男性との関係を望むというのでもなかったのです。しかし、しばらくすると──たぶん、三年かそこら経ってからだと思いますが──或る時、プレストンに惹かれ始めました。それは変な感じでした。と云うのは、それは “男性に惹かれた” という感じではなかったからです。ただ彼に、彼がそうであるところの全てに惹かれた、という感じで、それがたまたま男性だった、という感じだったのです。彼の男らしさを愛したというよりも、ただ彼に惹かれたのです。

私は、結婚式の日のことを、まだ、あれは夢ではなかったのか、と感じています。私の人生は、全てがいつもそんな感じなのですが。──神様、あなたはこの結婚を望まれました。この結婚式でも、あなたはあなたの福音を私に見せて下さいました。私は、あなたの福音を証しする一人になることができて、本当に感謝しています。

新婚旅行から5週間後、私は自分が妊娠していることに気づきました。私は彼女〔生まれた娘〕を見ながら、自分自身にこう言っていました、「もしあのライフスタイルに留まることを選んでいたなら、私は決して彼女を持つことはなかっただろう、私の人生は荒んだものになって行ったことだろう」と。そして私は、私にこのようなことを経験させて下さった神に、ただただ泣きながら感謝しました。

管理人注4

両親たちにアドバイスできることがあるとすれば、まず何よりも、神を信じて下さい、と言いたいです。私の母とおばたち、私の周りに居たクリスチャンたちは、私を見て、私の状態を見て、「ああ、絶望的」と思っていたかも知れません。けれど、彼らは知らなかったのです。私は路上でも、私を咎める人たちに出くわしました。私の目には、常に、神を思い出させる色々な宣伝が入って来ました。ゴスペルソングもいろいろ聴いていました。だから、信頼して、彼ら〔子どもたち〕を愛して下さい。神は、私に御自身をお示しになることによって、私を変えて下さいました。神は何が進行中かをご存知です。このようなことは、彼にとって馴染みのないことではありません。彼の御息子は彼ら〔子どもたち〕のためにも死なれました。彼はあなた方の子どもたちをあなた方以上に愛しておられます。

[管理人注1]   私は「地獄」の存在を普通に信じています。しかし同時に、具体的な対象に関して、あまり簡単にその言葉を使いたくありません。しかし、このジャッキー・ヒル-ペリーという人に関しては、彼女自身がかつての自分の生き方にその言葉を使うことは、私としても許容範囲(?)です。何故ならば──ひとことで「同性愛(者)」と言ってもその在り方は一様ではないものでしょうが──彼女が牧師に促されて “証し” のために書いた詩(のようなもの)「スタッド〔男役〕だった頃の私の人生」を読むと、彼女のスタッドとしてのかつての生き方は、かなり「ポルノチックな」「肉欲に溺れた」式のものだったことが分かるからです。あまり具体的に言うとあれだけれども・・・彼女はオーラルセックス(クンニリングス)をしていたのであり、また、自分の腰に装着する樹脂製の疑似ペニスを買ったりなどもしていたからです(自分にとっての一つの “精神的な物” として買った、と書いています。パートナーとの性行為で実際に使った、とは書いていません)。ポルノもよく見ていたようです。・・・しかし、彼女にも実に気の毒なことがあります。同じ詩(のようなもの)によると、彼女は僅か5歳の時から父親に性的虐待をされていたそうです。彼女は父親を憎悪し(彼が死んだ時、彼女は棺の中の彼を見ることを拒否したようです)、「男性」一般に対しても確実に「身をこわばらせる」ようになったそうです。当然でしょう。戻る

[管理人注2]   つまり、「神は愛であると同時に裁きでもある。裁きであると同時に愛でもある」ということです。私もこれを「シンプルなこと」だと思っています(「愛」と言っても実際は「慈悲」「憐れみ」の側面が多いものだろうからです)。しかし多くの人は、ブラッド・グラマー氏のところで描かれていたような具合なのです。戻る

[管理人注3]   Who God says I am defines me.
つまり、デボラ・バーの物語の中にもあった、いわゆる「アイデンティティ(self-identity)」の問題です。LGBT当事者の人たちは、クリスチャンであっても、自分が何であるかを決める際にしばしば、神によりも医者に聞くようです。しかし、権威の顔をしている「科学」というものも、「本当の原因」には到達しておらず、下手をすればほとんどただ「分類学」のようなレベルに留まっている、という場合も、意外と多々、あるものでしょう。戻る

[管理人注4]   彼女のこの姿(母としての姿)はビデオのこの辺り に見ることができます。また、彼女の Twitter のここにも。
娘さんの名は「Eden」であるようです。

そして、ジャッキーは最近、大人の顔になりました。

Saturate

とても良かったと思う。彼女のこの人生を祝いたい。

私は、彼女が過去「ポルノチック」(和製英語)な人生を送っていたとしても、ほとんど悪く思うことができません。だってですね、なんで「父親」が(実父か養父か知らないけれど)自分の快楽のために「自分の5歳の娘」の口の中に自分の物を入れるなんてことができるのですか。これこそが狂気の沙汰であり「地獄沙汰」です。戻る

彼女の名言
「もし神が、私たち人類がまだ完全には解明していない月、星、銀河などを作ったものなら、どうして “神は私たちの欲望を変えることができない” などと言えるのでしょう?」
短くすると、「神は銀河を作りました。なら、彼は私を変えることもできます」。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

次へ
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ