2016.06.04

確認: 一般的な「宗教精神」の模範であるマリヤ

一昨年、或るサイトの情報として、ヨハネ・パウロ二世教皇様がこんなことを言ったらしいということを紹介した。

宗教精神の模範であるマリヤに祈ります。
あらゆる宗教の信奉者たちが、神を見つめて生き、
各自の信じる真理の要求に忠実であるよう、
励ましてください。

そのサイトは典拠として精道教育促進協会の『教皇様の声』1997年6月10日号(206号)を挙げていた。しかし『教皇様の声』は廃刊になっているし、私はそれをその紙面で確認することができなかった。けれど最近になって、或るサイトが『教皇様の声』を公開していることに気づいた。ココ

さっそく 206号 を見てみた。
第一面に「聖体は生活の中心」。しかし、それと同時に. . . 前記のサイトは嘘はついていなかったことが分かった。
2ページの左半分から「教会はすべて真であるものを受け入れる」という表題の文章が始まるが、その文章の最後にその言葉があった(3ページ)。教皇様は聖母に上の通りに祈ったのである。「人々が各自の信じる真理の要求に忠実であるように」と。(最もあくどい情報操作、「偽造」がない限り)
善くない言葉だ。これでは大塚司教様も安心だ。

注)

小さなことだが、「マリヤ」という表記は引用者たちの誤記である。

『教皇様の声』では「マリア」となっている。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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