(前回の続き)
彼は、このような言い回しで、信者/未信者の別なしの「すべての人」に対する神の "不可視的な恵みの通路(与え)" を強調しています。現代世界憲章のこのような言い回しを読んで、純真な神父様方は「神は善意だ、善意だ」と喜んでいます。
確かに私も、神は「すべての人」に恵みを垂れる御方であることを知っています。しかし、「教会」を通して、「信仰」を通して、そして「秘跡」を通して私達が授かる恵みに関しては、私はそうは思いません。それらを通してでなければ人はその種の恵み(超自然的な恵み)を授かることはできない、と考え、また教えるのが、カトリック信仰に於いて一つの「則[のり]」である筈です。
それを崩せばどうなりますか? 必然的に、「教会」「信仰」「秘跡」などの必要性が下がります。それを下げたい人は「未信者も非信者も超自然的な恵みに無縁ではない」と説くでしょう。
それをしているのが現代世界憲章です。
現代世界憲章(Gaudium et Spes)22 から
「見えない神の像」(コロサイ 1:15)であるかた自身が完全な人間であり、最初の罪以来ゆがめられていた神の似姿をアダムの子らに復旧した。人間性はキリストの中に取り上げられたのであって、消滅したのではない。このこと自体によって、人間性はわれわれにおいても崇高な品位(divine dignity)にまで高められたのである。事実、神の子は受肉によって、ある意味で自分自身をすべての人間と一致させた。(…)
(…)復活の秘義に結ばれ、キリストの死に似た姿となるキリスト者は、希望に力づけられて復活に向かって進むであろう。
このことはキリスト信者ばかりでなく、心の中に恩恵が目に見えない方法で働きかけているすべての善意の人についても言うことができる。事実、キリストはすべて人のために死んだのであり、人間の究極的召命は実際にはただ一つ、すなわち神的なもの(divine)である。したがって、われわれは神だけが知っている方法によって、聖霊が復活秘義にあずかる可能性をすべての人に提供すると信じなければならない。
キリストの啓示が信ずる者に照らしだす人間の秘義は、このように偉大なものである。
これは誰もが見て取れることだと思いますが、この筆者が「人間の究極的召命は実際にはただ一つ、すなわち神的なものである」と言う時、それは「人間の究極的召命は、必ずしも地上の可視的な教会との関わりに限定されないんだ。人間の召命は究極的には教会の内とか外とかには関係がないんだ」ということを意味しています。
それは私に神智学協会の右の標語を思い出させるほど「雑な神学」です。
神智学協会のその標語《真理より高い宗教はない》は、「真理とは愛である。従って、心から愛することを知っている人は、それだけで既に宗教の目的を生きている。宗教の究極の意義を生きている。だから、それ以上、特別の宗教を知る必要はない」と云ったような事を思わせる単純な文です。(文のことです。私は神智学協会という悪魔教 ─参照─ の詳しい教えには関心がありません。)
憲章の筆者も同様の口振りです。「人間は、自分自身を無私無欲の気持ちで与えれば、既に人間の究極的召命に応えている」といった神学です。しかしそれは、その者が天主の教会の信者であるか否かを問わずのことなのです。
彼は別のところでこう言っています。
カトリック信者はウッカリとすると、彼の言う「(人類に共通の)同じ召命」とは、なにか私達の教会と関係したことだろうと思ってしまいます。しかし、彼が「人間の究極的召命」と言う時、その「究極的」とは「普遍的」ということであって、そしてその「普遍的」とは「教会の壁さえ越えているよ」ということなのです。
(と、いろいろ力説してますが、私が力説しなくても、知ってますよね)
AA1025の手記の中にも、この「普遍的」ということをいじろうとしている痕跡があります。
「痕跡」と言いましたが、かなりハッキリしているものです。
そうです、このような事は、私なんぞが力説しなくても、皆さんご存知。しかし、もう少し。
上に「divine」という言葉が二回出て来ました。
しかし、私が糸永司教様に次のようにお訊きしたように..
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「人類はすでに根源的に救われている」 なら、一人ひとりの人間に於いても 「救いが適用されるかどうかの問題」 は 「残っていない」 と言われなければならないのではないですか?(非論理的) |
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そのようにお訊きしたように、次のように問えると思います。
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われわれ人類が 「崇高な品位 (divine dignity) にまで高められた人間性」 を既に持っているというのが "事実" なら(嘘をつけ!)、われわれは今や特に 「神的な (divine) もの」 に向けて召されたり励まされたりする必要はないのではないですか? |
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世の神父様方にこの事を知ってもらいたいと思います。
上で「嘘をつけ!」と叫びましたが、その通りであって、現代世界憲章の筆者は「真っ赤な嘘つき野郎」、全くの「詐欺師」です。彼は、聞こえのいい事やもっともらしい事を言いながら、カトリックの聖職者から塩気を抜こうとしています。
教会の中心部(公会議)に「羊の皮をかぶった狼」が入ったとはとても信じられない、と言うのですか? しかし、福音書の中で主があらかじめ警告して下さっている事ではないですか。(聖マタイ福音書 7:15)
私達の神父様方がこれに該当しませんように。
預言者たちが語ったすべての事を信じるには心の鈍い者たち
現代世界憲章 (Gaudium et Spes)
日本語版全文(外部サイト、タイプミス多し)
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