2011.05.13

ピラミッド(横浜外国人墓地)

ある人が教えて下さったことだが──
横浜外国人墓地の最南端に、カトリックの聖職者たちが眠る区画がある。
そこに、カトリックとしては不思議なものがある。
私は、こう見えてもw、形がピラミッドだというのでフリーメイソン、イルミナティ、と言うつもりはない。ピラミッドというのは、人類の脳内に深く浸透している一つの典型的な形であり、更に、モアイ像に似てw、無邪気な人達に「ロマン」を感じさせるものだったりするから。
けれども、それでも、ピラミッドはエジプトであり、エジプトは魔術発祥の地と言ってもいいであろうから、カトリックがこの形を採用するのは、少なくとも鈍感だと言える。
あー、でも、この墓地は「外国人墓地」なのだった。やはり「可能性」ぐらいは考えなければならないだろうか。
しかし、仮にそうだとしても、墓地にこんなものを一つ建てたくらいでは、そこに眠る高徳な司祭の霊魂には何の影響もないだろう。
そして、こういうのは「仕方ない」と言える。教会は教会内フリーメイソンを炙り出すことに熱心とは言えない。バチカンからして不熱心なのだ。
明日か明後日、教会内でかなりあからさまにメイソンをやっている司教や司祭を紹介する。
補足
(2011.05.14)
念のため、上の情報を下さった方に対し、「形がピラミッドという他に、イルミナティ/フリーメイソンを思わせる要素はあったでしょうか?」と訊いてみた。
お返事を頂いて思った。私の見方は少し甘かったかも知れない、と。
というのは、上のピラミッドは単にピラミッドであるというだけでなく、「冠石」を持ったいわば本式のエジプトのピラミッドだからだ。つまり、冠石と下の部分を区切る横線が描かれている。横線は一本だけではないけれど、一番上の横線は確かに「冠石」を区切っているに違いない。
更に、このモニュメントが建てられてからどれくらいの年月が経つのか知らないけれど、情報を下さった方が見た時(数年前だろうか)には、冠石の部分は上の写真で見るよりも黒っぽく、光沢があり、下の部分とは材質が違うようにも思われたということである(「記憶が若干不確かですが」とも言っておられるけれど)。イルミナティはピラミッドを自身のシンボルとして用いる時、そのような描き方・作り方をするのだそうである。
確かに今や世間には、冠石を描いたピラミッドぐらいはまま見受けられるものだけれど(下に、頂いた画像を表示する)、しかしそのようなものがカトリック聖職者用の墓地に置かれているのを見る時、ちょっとぞっとしないではおれない。その方は「ピラミッドなどは悪魔への屈服の印、隷属の印だ」とおっしゃっている。考えてみれば、その通りだろう。
全てに「無邪気さ」を見るわけにはいかない。「ひと頃ピラミッドブームがあったからね」では済まない。そのような世俗的な軽いもの自体が、「何気なく」「他意はない」ように見える流れ自体が、敵の誘導であったかも知れない。MTVやハリウッドに見る通り、敵は案外そのテの安い手法を使い、人々の意識を誘導しようとする。世俗は世俗で、意外とたやすくそれに乗せられてしまう。
御自分の生活の中に「イルミナティ」「フリーメイソン」という語を持つ聖職者の方は少ない。ちょっと「絶望的に」と言っていいほど少ないのではないか。
しかし、「イルミナティ」「フリーメイソン」は『月刊ムー』のような世界に属するものでは決してない。それをカトリック聖職者の方々にも知ってもらいたい。
追記
(2018.11.23)
2011年に書いた上の日記の表題は、本当は「ピラミッド(横浜外国人墓地)」ではなく「ピラミッド(カトリック山手教会墓地)」とすべきだった。と云うのは──
上の文章を書いた時、私はこのピラミッド型モニュメントがある場所を「横浜外国人墓地」の一画だと思い込み、葬られているのは「外国人の聖職者」だと考えていたフシがある。
しかし、それは誤りで、実はその場所は「横浜外国人墓地」の南側に隣接した「カトリック山手教会墓地」だということである。
参照参照参照参照参照参照(今、このように参照先・検索先を並べる。しかし、私は2011年当時、この件に関しあまり検索に熱心でなかった)
どうりで、濱尾文郎枢機卿様が葬られているわけだ。
Find a grave というサイトには、濱尾枢機卿様の写真と共にこのピラミッド型モニュメントの写真がある。参照
上の参照先にある墓所名「Sacred Heart Cathedral Cemetery」というのは「Yamate Catholic Church Cemetery(カトリック山手教会墓地)」のことである。参照
で、最近、このピラミッドを写した写真を数枚入手した。
(提供者に感謝します)
帰天した横浜教区の全ての司教・司祭がここに葬られるとは限らないとしても、大して広くない墓所の真ん中にこの奇妙な * モニュメントがこれだけ面積を取っているのは馬鹿げている。
* カトリックとしては「奇妙」である。ピラミッドは「エジプト」であるから。それなのに、現代のカトリックの聖職者は、御聖体拝領の一昔前のやり方には「奇妙」という語を当てるくせに参照、このようなモニュメントには少しもその語を当てないのか?
十字架の下の文字、ちょっと判読しがたいが、写真を提供してくれた人によると「横濱教区 司教 司祭の墓」とのことである。
このことは或るブログ(当サイトとは無関係)も証言している。
側面
私の基本的な考えは変わっていない。すなわち、単にフリーメイソン的な(エジプト的な)モニュメントが置かれた墓地にたまたま葬られたからと云って、そのこと自体がフリーメイソンではない聖職者の霊魂を特別苦しい世界に追いやるわけではないだろう。彼らは(私たちも)一人一人、あくまで生前の自分の行ないに応じて報いを受けるだろう。
補足)上で「フリーメイソンではない」と単純に書いた。しかし、この現代、名簿上はフリーメイソンではなくても実質フリーメイソン、フリーメイソンの路線に結果的・無自覚的に従っている「エプロンのないフリーメイソン」も多いわけである。
しかし、である、そうは言え、である、別の視点からは確かにこう言える、こう問いたくなる。カトリックが(カトリックなのに)、なぜ、どうして「ピラミッド」なのか? 一体どんな趣向なのか? 誰でもいい、横浜教区の司祭のどなたか、この疑問に明確に答えられる人は居るか?(居るわけない)
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