暗 殺
1978年9月13日
聖十字架称讃の祝日の前夜
(抄訳)
教皇ヨハネ・パウロ1世
在位 1978/8/26 - 1978/9/28
ヴェロニカ: 聖母は今、左手にロザリオを持ち、そして人差し指を唇の上に当てられました。これは私の注意を引き、聞くようにと促すサインです。
聖母: 私の子、そして私の子供達。もし私があなた方を連れてローマに行くことができるならば、そしてドアを開いて、そこで何が起こっているかをあなた方に見せることができるならば、そこで得られる知識によって、おそらくローマに居る666とそのエージェント達の前進を阻止することができるでしょう。
世界の目は、宗教のための中心地としての聖都に向けられています。しかし、そこは今や暗闇に染められようとしています。光はそこには通りませんでした。
多くの者が害するために教会に入った
私の子供達、そして私の子。以前のあなた方への助言において、私は大きな緊急性と共に、私の御子は再び十字架につけられようとしている、と言いました。ローマの聖都では、今や多くの赤い帽子が位階の中の裏切者になりました。彼らは今や、同じ十字架にかかった者でも、彼ら自身の故に『十字架上の悪人』という称号を得るに至りました。多くの者達が、害する目的をもって、私の御子の地上における家、彼の教会の中に入りました。おお、司祭達、司教達、そして枢機卿達よ、私はあなた方に警告します。あなた方は敵の潜入を受けています。今、あなた方の行動は世界のあちこちから反響を呼んでいます。そしてそのような事は、やがて人類の上に来るであろう大変動と苦難へと続く道の上に置かれています。
私の声を聞くあなた方、自分の子供達のために大いなる悲しみを抱く母親としての私の声を聞くあなた方は、皆、次のことを知りなさい。人類は光に背を向け、今や罪がその生活様式となっています。民衆は、繁栄、富、そして力を求めて都市に急いでいます。大都市は惨事によって落ちるでしょう。この世の大いなる権力は、悪に対する完全な勝利が天国から私の御子と天使達と共に来るまでに、ゆっくりと打ち破られるでしょう。
私の子供達、今、地上には、霊達の荒れ狂う戦いがあります。全ての男達、女達、そして子供達は、この霊達の戦いから影響を受けるでしょう。あなた方は今、わが御子の弟子として前進しなければなりません。そうすれば、この偉大なる艱難から多くの聖人達が生まれるでしょう。
私は過去、どれだけの回数、あなた方にあなた方のこの世代に将来起こるであろうことを引きつける落し穴を避けるようにと警告するために、この地上を旅したでしょうか? しかし、どれだけの者が私の助言を聞き、それに沿って行動したでしょうか? あまりに少ないです、私の子供達、あまりに少ないです!
預言を軽んじてはならない [1]
私の子供達、預言を軽んじてはなりません。永遠の御父が、あなた方の中に多くの預言を置くことが必要だとされたのです。最初から決められていた預言者も偽預言者もありません [2] 。それらはこの急を要する日々にあってあなた方を導くために天によって任命された預言者達です。私はあなた方に言います。私の御子の家の中に居る偽預言者達を、あなた方に悪魔の教義を教える者達をはっきりと認識しなさい。彼らはルシファーの傘下にあって極めて強力であるので、今や位階の中にある多くの者達はサタン及びそのエージェント達によって欺かれ、新しい宗教の話を聞きたくてしかたがない耳を持ちつつ前進しています。
このことは、過去のペトロの子孫達の全てが、私の御子の教会と世界において、モダニズムと人間中心主義の間違った教えに対抗してあなた方をよく導いてきた、ということと無縁ではありません。そして今、私の子供達、このことは事実に関することなのです。即ち、その結ぶ実によって木の良し悪しを知りなさい。この人間中心主義的で現代主義的なアプローチの結ぶ実は、不一致、不和、そして天国へ行くべき霊魂達の喪失以外にはありません。
私はあなた方、司教、そして枢機卿の人達に言います。あなた方が今引き返さない限り、そして私の御子の教会を元に戻さない限り...。誇り高くあってはなりません。間違った誇りのための時間はありません! あなた方はあなた方の間違いを認めなければなりません。引き返して、やり直しなさい! あなた方は従うためのシンプルな規則を与えられました。それらの規則はあなた方に与えられ、あなた方のために、命の書、聖書の中に書かれました。しかし、あなた方はあなた方の傲慢と誇りからそれらの規則を退け、地上にもう一つの教会、人間の教会を作ることを選びました。あなた方は天使達の援助なしでそれを建てています。
私の子供達。私はあなた方の母親として、神と人間との仲介者として、永遠の御父に選ばれ、あなた方を救おうという彼の計画と共に、あなた方のところに来ました。それなのに、あなた方は私の言うことを聞かないのですか? 時間はもうほとんど残っていません。
現在、世界には多くの “主義” があり、それが羊を汚染しています。
私の子供達。あなた方はこの時代にあって絶え間なく祈らなければなりません。あなた方が地上の自分に多くを与えれば与えるほど、あなた方が富やこの世の快楽を追い求めれば追い求めるほど、ますますあなた方の霊魂の光は暗くなります。今、この地点は、あなた方があなた方の人間としての性質において天国を選ぶか肉を選ぶか、という分岐点です。多くの霊魂達が肉の罪によって次から次へと地獄に落ちています。
私の子供達。若者達を護りなさい。今、あなた方の家族を護りなさい。そうすれば、あなた方は近い将来において自分のハートを裂くことがないでしょう。私の子供達、現在、多くの不一致があります。私達は家族生活の中に良くない不一致を見ています。そこには、父親と母親によって置かれた規律がなければなりません。信仰があなた方を導くでしょう。信仰があなた方に勝利を運ぶでしょう。信じなさい。そうすればあなたは道を得るでしょう。
今迄、あなた方の時間の全ては世間的な事柄に向けられていました。しかし今、あなた方はそれらを全く脇にのけなければなりません。そして残りの日々を、既にあまりにも酷く侮辱されている神のために、苦行をし、償いをしながら過ごさなければなりません。[3]
祈りなさい、私の子供達。祈りによる絶え間ない警戒が、あなた方の国と世界中の至る所で保たれなければなりません。彼の教会の中にいる私の御子を捨てないで下さい。ミサが無効だと言う人々に欺かれないで下さい。私の御子はそこに居ます。彼は彼の家のドア、彼の教会のドアを閉めたくありません。何故なら、彼がドアだからです。強盗と泥棒がしばしば入ってくるけれど、しかし彼はそれでもドアです。来て、彼の家の中に彼を探しなさい。私の子供達、あなた方は捨てられないでしょう。ただ罪人だけが、見捨てられた感覚の中に取り残されるでしょう。
聖職を得るための諸段階は遵守されなければならない
あなた方は私の御子の真の司祭職についての知識を持っていなければなりません。聖職を得るための諸段階は遵守されなければなりません。それは理由あって天の導きのもとに発展して来たものです。女性は御いけにえの聖所に立ち入ってはなりません。
私の子供達。明らかに、堕落と頽廃を示す徴候が目に見える形で多く存在しています。それらは大して意味のないものとして眺められれば済むものではありません [4] 。雀の涙のようなものであっても、増し加わってゆくものです。それが善であれ悪であれ、その目的が善であれ悪であれ、地の上のどんなものも神の御目に重要性を持っています。
私の子供達。永遠の御父は、地上の一つ一つの生命についてご計画を持っておられます。罪は大目に見られてはなりません。私達はあなた方に、兄弟姉妹を裁いてはなりませんと言います。しかしそうかと言って、あなた方は罪を寛大さや妥協によって大目に見てもなりません。[5]
私の子供達。あなた方はあなた方の準秘蹟を投げ捨ててはなりません。それらはこの霊の戦いの時代にあって、あなた方の鎧です。私の子供達、あなた方の子供達が彼ら自身の霊魂の保護のために昼も夜も準秘蹟を身につけることを確実なものとしなさい。
ヴェロニカ: 今、聖母はご自分のロザリオを御手に持っておられます。そしてそれを外にこのように延ばして、十字の印をなさっています。聖父と聖子と聖霊との聖名によりて。
空の右の方の向こうに、聖ミカエルが見えます。ミカエルは秤を持っています。金色の秤を右手に持っています。そして左手にはものすごく大きな槍を持っています。ミカエルはそこに立って、戦いに備えているような感じに見えます。
聖母は今、空の左の方を指差しておられます。そしてその向こうには二人の枢機卿が見えます。彼らは互いに歩み寄っています。それぞれが手に鍵を持っています。とても大きな、このように大きな金の鍵です。二人の枢機卿。今、彼らは、彼らの右側の遠いところを、その鍵で指し示しています。そしてその方向の向こうには建物が見えます。とても大きな建物です。それはサンピエトロ大聖堂に見えます。そう、それはドームを持った建物です。それはサンピエトロ大聖堂、バチカンです。
今、彼らはその鍵で上の方を指しています。彼らの頭上の高いところをです。そして、鍵の上の空に「666」という文字が浮かぶのが見えます。文字は地が黒で、外側は赤で縁取られています。「666」。今、消え始めました。まるで全体が風に吹かれて蒸発していくように見えます。今、完全に、ほとんど完全に消えました。
今、聖母は聞くようにと合図をなさっています。
あなた方の新しい教皇様のために祈りなさい
聖母: 私の子よ。あなた方はこのメッセージの意味を間もなく悟るでしょう [6] 。あなた方は今、あなた方の新しい教皇様のために祈らなければなりません。現在、彼に対する汚らわしい計画が進行中です。
[中断]
ヴェロニカ: 木々の周りを取り囲んで深いピンク色の輝きがあります。それはいつもイエズスの来られるための準備の印です。聖母像の向こう側真っ直ぐのところから、空を通って丸い光の輪が近づいて来ます。それはまるで... それを見たらほとんどの人が「まるで丸い虹のようだ」と言うでしょう。それを説明することはできません。光は空を通ってちょうどそこに来ています。そしてその中心には、まるで... そう、巨大なホスチアのような光があります。それは聖母像のちょうど上で、巨大なホスチアの輪郭を作っています。
今、その中心にイエズスが見えます。彼は前に進み出るようです。私にはそれがどのように行なわれるのか全く分かりません。美しいです。彼は前方で浮いています。彼は私達がするようには歩いていません。彼はまるで重さがないかのように浮いています。イエズスは長いガウンを着ています。それは白ではありません。私は今迄イエズスが聖母のような白いお召し物を着ているのを見たことがありません。それはベージュ色のガウンです。とてもとても濃い色の、ほとんど... おお、何と言っていいのか分かりません。彼が着ているのは粗雑な感じの材質でできたものです。私は今その材質を見ることができます。彼はとても近くに来ています。
イエズスはまた、素足です。彼はサンダルもお履きになっておられません。そして、彼の腰の周りには、茶色の革のような、皮のような材質でできた帯があります。説明できません。それがどのような皮なのか分かりません。でも、それは彼のガウンの広がりを押さえるために彼の腰のところで閉められている革の帯のように見えます。彼のガウンは、私の見るところでは、一織りのもののように見えます。
今、彼はその御肩に肩掛けをはおっておられます。彼の髪はとても長く、背中まで伸びています。そして彼の肩越しに、右側から何かが来ています。今、イエズスは彼の御手を、このように御胸の上に置かれました。それは彼の心臓の位置です。そして今、イエズスはこのように御手を前方に伸ばし、このように三本の指を伸ばして十字の印をなさいます。聖父と聖子と聖霊との聖名によりて。
今、とても風が強くなりました。木々の周りを取り囲んで光が現われました。おお、そして木々の周りの光の中から天使達の姿が前に出てくるのが見えます。彼らは全く美しいです! 彼らはまさしく循環的な動きをしています。右 ... 左 ... 。イエズスは彼らの上の高いところにおられ、そこから見下ろしておられます。彼は全く美しいです! 今、彼は人差し指を、このように、ご自分の唇にあてられました。
イエズス: わが子よ、そしてわが子らよ。私は、わが御母の助言を何度も何度も繰り返すつもりはない [7] 。私はこう言うことができるだけである。もし人類が、わが御母の与えた助言から少しの量さえ汲むことがないならば、そしてそれに沿って行動することがないならば、やがては大きな艱難にみまわれることになるであろう。私は「ないならば」と言う [8] 。何故なら、天はどのようにも、天と人間との交流を妨げようとはしないからである。
あなた方が探している(seek)一人の牧者は人間ではないであろう [9]
私は全ての司教達と枢機卿達に対して、彼らが一人の牧者のもとに一つの統治を築こうとする彼らの努力において欺かれている、と警告する。あなた方が探している一人の牧者は人間ではないであろう。わが教会、地上に置かれたわが家は、ローマでの統治における人間の数知れぬ悪ふざけ(antics)によってバラバラに引き裂かれている。
位階を使うこと、彼らが彼らの階級をわが羊を地獄への道の上に置くために使うことは、地上に霊の戦いをもたらすことなしには受け取られないであろう。
わが御母の働きを通して、この戦い、このルシファーとの戦争の渦中に、天国のために戦う霊魂達の軍隊が天によって備えられた。人間達の罪があまりに大きく、また永遠の御父に対してあまりに侮辱的になったために、この時代に、将来に起こるだろうことが運ばれることが必要であったのである。わが子よ、わが子らよ、それは今、あなた方次第である。もしあなた方が善い心を持っているならば、あなた方は天国から来たこの警告を全ての人間に伝えようと懸命に働くであろう [10] 
人類への最も過酷な懲罰の計画が、永遠の御父によって動きの中に置かれようとしている。わが御母は今迄、仲介者として、多くの涙と共に、数え切れぬ程の回数を地上に巡礼し、あなた方に助言を与えて来た。あなた方に自分達の家庭を準備するようにと、主の日に備えるようにと、助言を与えて来たのである。
わが子らよ、私は繰り返す。将来起ころうとしていることが今ここに示されている! それが示されたのは、あなた方がこのメッセージを世に出すことによって、起ころうとしていることを変える手助けができるためである。
私は永遠の御父の承諾のもとに、あなた方に、一人の子供の手を通して書かれた偉大なる知識の写真 [11] を与えたのである。しかしあなた方は耳を傾けなかった。あなた方はあなた方の盲目によってそれを退けた。しかし、私はあなた方に再び言う。この絵、この写真を、人類が解くべきパズルとして考えよ。もしそれが時間内に、然るべき時間内に解かれないならば、私は私自身によって、世界の上に答えを置くであろう。それは人類の上に置かれる重い手であるだろう。
わが御母がこの戦いを指揮するであろう
私は、わが教会に入った異教徒達、また信仰のためでなく信仰を破壊するためにわが教会に入った詐欺師達に対しては、その上に振り下ろされるハンマーとして行動するつもりはない [12] 。わが御母がこの戦いを指揮するであろう。ルシファーとそのエージェント達は今ローマに居る。あなた方はこのことが何を意味するか分かるか? あなた方はルシファーの力が分からないほど盲目なのか? [13] わが子供達である司牧者達よ、汝らの眠りから覚めよ! 汝らが眠っている間に羊達は逃げてしまったのである。目を覚まし、そして汝ら自身の霊魂を救え。何故なら、汝らは教会の中に醜聞を持ち込んでいるからである。
わが子らよ。私は全天国のためにこれを繰り返す。あなた方の世界の至る所に、祈りによる絶え間ない警戒を保ちなさい。地上に多くの混乱と多くの禍いが置かれるであろう。それは666のエージェント達によるのである。あなた方の準秘蹟を身につけよ。わが体をたびたび受けよ。何故なら、それは本当に命と光のパンだからである。わが子らよ、私は世の光である。あなた方がこれを信ずるなら、あなた方は暗闇の中にはいないであろう。何故なら、その時あなた方は道を与えられるだろうからである。
わが子、そしてわが子らよ。私は何度でも繰り返す。日々の償いを省略してはならない。犠牲の行為は霊魂達の帰還 [14] のために必要である。
管理人注
[1] 私は、預言や啓示を「私的」と「公的」に分ける態度には、実は気をつけなければならない、と思っている。多くのカトリック信者はそのような分類をあまりに「当り前」と思って疑問視せず、どんな場合にも「いえ、私達には『公的啓示』だけで充分です」の一言で済ます傾向がある。しかし、それは一面、ファチマ預言の価値をさえ低めかねない危険性を持っている。
あなたは聖書時代以降に天主や聖母がある目的をもって人間にメッセージをくだされたことがあると思うか? あると思うなら、その天主様や聖母の御前で、あなたは「私的」「公的」という分類を持ち出すことをあえてしようとするだろうか? あなたはその時、「いえ、天主様、私達は聖書の中にある公的啓示だけで十分です。その他に特に必要としているものはありません。あなたの教会もそのように教えています」とあえて言おうとするだろうか?──よくよく考えてみて下さい。
もし天主様や聖母が「本来は公的啓示だけで充分であるが、しかし実際問題としては人類はそれだけでは自分達の霊魂の状態を天国にふさわしいものとすることは到底できないから」とご判断になって、その御意図のもとに或る一人の人間を使って人類全体にメッセージを伝えている時、私達はその「天主様の御意図、御目的」を自らの目の前に置いて、「いえ、そのようなものは第二義的なものであって、公的啓示と比べれば重要性の落ちるものです」と言えるのか、ということである。
これは人間の単純な想像力の問題である。(そしてあえて言うならば、私はこれを教皇様にさえ申し上げるのである。)
[2] わかる気がする。
[3] 私は思う。厳しいな...(> <;;
[4] 現在の教会の風潮においては、手による聖体拝領のことでも日本式の両形態拝領のことでも「大してこだわる意味のないもの」と思われているのが明白である。驚くべきは、司祭や神学生までが、主の御血が床にこぼれているのを自分自身の目で見てさえ、「こぼれたものは仕方がない。拭けばいいのである」ぐらいにしか感じていないことも多いらしいことである。それはほとんど「眺める態度」「眺めて終わらす態度」と言っていいものである。
[5] 大目に見てはいけない例がここにある。頬白親父さんのブログから。
2008年04月15日
御血はぶどう酒に戻るのか?
4月13日(日)。復活節第4主日のミサに与るおんめぐみを頂いた。神に感謝である。
ここのところ、自分の所属する教会では、両形態による聖体拝領が行われている。もちろん、きちんと準備された上での聖体拝領であれば、これほどすばらしいことはない。
しかし、こちらでは、教皇庁典礼秘跡省から厳しく戒められている方法により両形態による聖体拝領が行われている。この日も、ミサ後、侍者を務めた神学生がプリフィカトリウムで床に飛び散った御血を拭っていた
しかし、神学生が言うには「気になさる信徒もいらっしゃるので、拭いておいたのです。床に飛び散り、もう頂くことができなくなったぶどう酒は『御血』ではないのです」だそうである
司祭の手によりパンとぶどう酒がイエズス・キリストの御体と御血に実態変化したのである。床にこぼれるとキリストの御血は、また単なるぶどう酒に戻ってしまうのか?
では、御血はいつぶどう酒に戻るのか?
カリスの中では御血であろう。ホスティアを浸したぶどう酒も御血であろう。そして、そのホスティアからポタリと垂れる瞬間に御血ではなくなるのか? でも、床に飛び散らないように金の受け皿も用意しているではないか……。御血を拭き取ったプリフィカトリウムや御血がこぼれたコルポラーレは、丁寧に下洗いをするし、その下洗いした水は下水に流さないよう香部屋に流し(サクラリウム)が用意されているではないか。では、床に付いたときに御血ではなくなったしまうのか?
そんなに難しいことは訊かないでくださいよ」と神学生は笑っていたが、こちらにとっては、笑い事ではないのである。神学校では何を教えているのか?
ちなみに、この復活節、黙想会に出席した我が母。この黙想会で両形態による聖体拝領についても教えてもらったようで、自分と同様、これからは一切教皇庁典礼秘跡省により禁じられた方法による両形態による聖体拝領は行わない。
[6] これは、この預言が何であれ、そう、天から来たものであれ、そしてたとえ・・・地獄から来たものであれ(私はそうは思わないが)、明らかに「教皇ヨハネ・パウロ一世の死(被暗殺)」を言ったものである。
この預言があったのは1978年9月13日、彼の短い在位期間(1978年8月26日 - 1978年9月28日)中でのことであった。そしてこの教皇様がその不可解な死を遂げられたのは、同年9月28日の早朝である。
そしてベイサイドの聖母は、上のメッセージから数年後に、ヨハネ・パウロ二世教皇様への警告として、今や「歴史」となったものを振り返りつつ、その死因まで言っておられる。
1983年5月21日
We will go back, My child, in history, a short history, and remember well what had happened in Rome to John, Pope John, whose reign lasted 33 days. O My child, it is history now, but it is placed in the book that lists the disasters in mankind. He received the horror and martyrdom by drinking from a glass. It was a champagne glass given to him by a now deceased member of the clergy and the secretariat of the state.
[7] 21世紀に入って(おそらく私達は神の恵みによってこの世紀を知ることができたのだ)しばらく経った現在、私達の身のまわりには二、三の明らかな偽の啓示以外には何もないかのようである。それは、神と聖母が私達に「既に言うべきことは全ておっしゃった」からだろう。おそらく、付け足すことは何一つないのだ。おそらく私達は、単に「時間待ち」の時を生きているのだろう。
[8] 「ないならば」: 人は「ベイサイドのあれらの突拍子もない預言(いわゆる “贖罪の球” の到来とか金融世界の大崩壊など)はものの見事に外れたではないか」と言うかも知れない。しかし、この出現における啓示は初めから「条件的(conditional)」なものとして天国から提示されていたものである(参照)。であるから、私達が寝ている間の人々の祈りや償いによって、そしてまた(私が考えるに)複数の教皇様達の殉教によって、それらの人類規模の災厄が回避された可能性がある。それは、創世記のソドムとゴモラの項における天主とアブラハムとのやり取りに見る通りである。ソドムとゴモラの場合はそうはならなかったが、天主は、ごく少数の人々の自己奉献と殉教によって、人類全体への懲罰を思い留まられることがおそらくあるであろう。
[9] まさかこれを誤解する人はいないと思うが、しかしカトリックを知り始めたばかりの人もいるかと思うので、念のために言っておく。「あなた方が探している一人の牧者」が教皇位に登ったことは、幸いにして、まだないのである。
[10] 私は、彼ら(この啓示を信じた人達、そして他の、教会の危機を敏感に感じ取っていた人達)は「懸命に働いた」だろうと思う。私達が寝ている間に、私達が私達の社会における平均的市民生活を平和に過ごしている間に、である(私ももちろんその当時は未信者であって、従って、寝ていた)。私には、彼らの「懸命なる働き」が地球の危機を回避させる力になったという可能性が十分にある、という気がする。
一方、「祈りと償いとを熱心に捧げたということが、その人達の “まともさ” を保証するものではない。LP教団の人達だって、当時、それは熱心に、祈りと償いを捧げていたではないか」という声が聞こえる。しかし私が思うのは、日本と違って欧米(オーストラリアを除く?)においては、ベイサイドとLP教団はさほど接触がなかったのではないか、ということである。LP教団の影響が大であった日本においては、人はよくベイサイドというとすぐにLPを連想し、騒ぐけれども。欧米におけるベイサイドを信じる人達の大多数は、LPとは離れたところで、立派な人達であった、という可能性が十分にあると思う。(そして、次を見て下さい。「ヴェロニカ・ルーケンとリトル・ペブルは別である」)
[11] ファチマのヤシンタ(の霊)が書いたとされるこの写真のことだろう。
1971年9月14日に撮られたという。参照
[12] イエズス様がハンマーとしてお働きになって下されば、これほど簡単なことはない。しかし、そうはなされないのが神様なのだ。私達はポワティエの審問会での聖ジャンヌ・ダルクの言葉を思い出そう。彼女は審問官から「もし神がフランス王国を救おうと決められたのなら、兵士たちは必要なかろう」と問われた時、こう答えたのである。「なんとおっしゃるのですか。兵士たちが戦うからこそ、神は勝利を与え給うのです」
[13] 多くの人達は「常識」に埋もれている。彼らはルシファーとその配下、及びその地上のエージェント達が、嘘、偽装、隠蔽、団結、買収、情報操作、脅迫、追放、殺人、科学技術の使用、人間への憑依、そして黒魔術の力など、あらゆるものを使って「常識」を超えたことを達成することが可能であることを信じない。参照1,  参照2
オカルトだと言うのか? しかしオカルトで扱うことは、現に、実際に、現実にこの世にあるのである。
[14] 「帰還」: 英語では repatriation となっていて、これは「本国送還」という意味だそうである。動詞の repatriate は「(捕虜・亡命者などを)本国に送還する」とある。
私達は罪人である。そして「逐謫の(banished)身」である。しかし元は神によって作られたものであるので、天国は私達にとって “本国” である。
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