皆さん、高いものではなく美味しいもの、体に良いものを食べていますか?

 私は、なるべく自分の子供に美味しくて体に良いものを食べさせています。美味しくて、体に良いものは、自然が作ります、自然環境を破壊したら、美味しいものを食べれなくなってしまいます。私は、自分の子供が美味しいもの食べたさに、自然にやさしく、自然を破壊しない大人に育ってくれればと思っています。


このページでは、農業に関しての私見を書いています。

  • 農業の現状に関する私見
  • 自然生態系農業の町
  • 野菜指定産地制度
  • 嫌気性微生物による堆肥作りと好気性微生物による堆肥の違い
  • 「微生物活用農法」が社団法人農山漁村文化協会発行の「現代農業」平成15年10月号に紹介されました。

  • 現在の農業は、産結型農業でない限り、人間本来の食べ物と離れていっています。
     産結型農業では、生産者が直接消費者に届けるために、そこにはまやかしが介在する余地がありません。それは、生産する喜び、生産する楽しさ、消費者に対する責任を味わったり背負ったりしています。消費者もそれに甘んじては駄目で、生産者に対する感謝を忘れては行けないと思います。
     現在頑張っている農家、使命感を持っている農家は、消費者と直結している農家です。
     間に、仲介業者が入れば、消費者からの声を汲み取ることも難しく、喜びを感じることが薄くなります。

     今後の農業は、循環型永続性環境重視生態系保全農業でなければならず、人間も生き物であり、活かされているという農業でなければ成らないと思います。
     ただ、従来の有機栽培の一番欠点である堆肥作りとその施用を根本から変えていかなければ成らないと思います。今迄、堆肥は完熟でなければ成らないと完熟堆肥作りに努力しそれを施用してきたのだが、完熟堆肥は燃え滓だということを理解して、完熟堆肥は無害化した堆肥だと考え直し、土着微生物や、米糠に付着している微生物、EMなどを使用して無害化完熟堆肥を作りそれを施用する考え方に変えるべきです。
     私も、プランターや狭い畑で、家庭から出る生ごみだけで家庭菜園をしているが生ごみだけで容易に農作物は出来るということを実践しています。

     消費者教育が農産物に対する見方を変えます。

     学校で、「身土不二」、「域産域食」、「適地適作」、「医食同源」、「一物全体」等を強く教えるべきです。

     現在の日本の農業は、アメリカ型商業農業と、日本型お裾分け農業の二極分化が進行していると思います。
     簡単に分類するわけにはいけないが次のように考えられると思います。

    1.商業農業(収奪型非循環型農業

     利益を上げることを最優先に考えて、農業を行い。それを食する人の健康を余り考えない。

     ● 物流に関しては、生産者と消費者は離れている。

     生産者→農協→経済連→全農→市場→仲卸→小売→消費者

     完全に上記のような物流を経るわけではないが、多くの農産物がこのように生産者から、消費者に渡る。流通業者はそれぞれの働きに応じて手数料を取る。現在は、帳面上の流通と実際流通とは異なる場合が有る。

     生産者と消費者が特定されていないので、物流資材は一方通行で再利用されることはない。

     ■ 生産方法

     化学肥料、農薬(殺虫剤のみでなく各種ホルモン剤、矮化剤を含む)多投型農業。現在の使用されているが、人類の為とか、消費者のためとか言って、今後より一層バイオテクノロジーの悪魔の技術を採用する。

    2.お裾分け農業(循環型永続性環境重視生態系保全農業

     利益を上げることも大切だが、自分の健康や相手(消費者)の健康も考える。

     ● 物流に関しては、生産者と消費者は直接取引が前提である。

     生産者→消費者

     生産者は、消費者の喜ぶ顔を思い浮かべながら喜びと責任を持って農産物を生産する。消費者は、生産者への感謝の気持ちを忘れない。そして、消費者は生産者にそれを伝える。

     生産者と消費者が特定されているので、物流資材は再利用が前提で、場合によっては、花卉生産の場合は、軸とか葉っぱとかは消費者から引き取ってきて堆肥化して施用できる。

     ■ 生産方法

     基本的には、農産物は生き物だということで、生態系の循環の中で人間の食べ物としていただく。人間は自然の中で活かされているという考え方。


    「自然生態系有機農業の推進に関する条例」を昭和63年に制定して

     近頃滅法元気が良くて、移り住みたい街として宮崎県綾町が挙げられています。宮崎県綾町は、その昔、人口流出が激しく、一時はピーク時の30%も人口が減ったそうです。
     しかし、前町長の 郷田 實氏の強いリーダーシップで現在では、住みたい町に挙げられる町になったそうです。
     そこでは、農業が地域の支えになり、心を満足する文化が醸成されているということです。文化としては、昭和43年に「一戸一品運動」「花いっぱい運動」、また、文化の香りの高い手工業産業者をむらに移住していただくようにしたことがが源流だそうです。

    参考 現代農業 農業あいち

    綾町有機農業推進員 農業市未了さん〔63歳〕
    1ヘクタール全部「ゴールド」のほ場です。同じ物ばかり栽培しないで輪作することがポイントです。まず、草(クロダラリア・土壌センチュウ抑制効果有)を作り、乾燥させ、堆肥2トンを加えて10アールにすきこむ。土づくりも大切です。味が良くて病気に強い野菜づくりは有機栽培だと思っているんです。一番よく売れるのはトマト、次ぎはゴボウ。苦労する点は除草、あとは売れるかどうかだな。問題点があれば部会で検討していきます。
    若い頃、有機農業をどのように感じたかの問に、特に抵抗はなかった。道理がかなっていた。郷田氏さんは信頼できる人物であった、とのこと。苦労を重ねながらも、時代に求められる農業を先取りして実践してきた人からは、自信と誇りが感じられた。
    (出典 農業あいち 98.9)



    「野菜指定産地制度」

     現在の野菜生産、そして流通・消費を語るうえにおいて、また、ボクたち消費者が真に安全な野菜を手に入れるために、多少なりとも知っておかなければならないのが、この野菜指定産地制度だ。昭和四一年に制定された野菜生産出荷安定法にもとづいて、〈……その主要な野菜についての当該生産地域における生産及び当該消費地域に対する出荷の安定等を図り、もって野菜農業の健全な発展と国民消費生活の安定に資することを目的とする」と、同法の第一条にうたわれている。
     簡単にいえば、大消費地に近い大規模な野菜産地は、国が決めた野菜を栽培していれば、さまざまな助成金が支給されたり、市場が暴落したときには、いくばくかの補給金がもらえるという制度である。消費者も、より安定した価格で野菜が買えるようになる。おおざっぱにいうと、コメにおける食管制度みたいなものである。
    「その為に指定産地の農家は、毎年同じ物を栽培しなければならないんですよ」
     農業試験場の栽培指導担当者の多くは、この制度があるがために、最近、頭を悩ましている。連作障害が深刻化してきているからだ。毎年、同じ畑で同じ作物を栽培していくと、土の中に特定の病原微生物が増えてしまうために病害虫が多発するようになってしまう。そのため連作障害の激しい里芋などは3年つづけて栽培すると、収穫量が半分ほどに低下することがある。
    「作るのをやめちゃえば、障害は解決するんですけどね。社会的な要因があって、そう簡単には解決しないんです」と、栽培指導担当者はうなだれて言う。
     「いまの畑は、長年の化学肥料の使いすぎて、土が死んでいる…。」なにかにつけて耳にする言葉だが、化学肥料だけが悪者ではない。野菜指定産地制度による連作障害のせいも多々ある。土の中の病原微生物を退治しなければ、連作障害がどんどん増幅している。そこで土を消毒するために殺菌剤などの農薬を多投する。その結果、病原微生物は減ったが、こんどは土の成分バランスが、次第に崩れてきてしまう。悪循環なのだ。
     それなら、こうした制度を、もっと弾力的に運用すればいいのではないか。そうすれば農薬に頼らなくとも障害を回避できるだろう。「だめなんですよ。指定以外の作物はっくれないんです。いまの農水省のトップの方がたは、農家出身の人がほとんどいなくなりましたからね。現場の話をしても馬の耳に念仏です」栽培担当者は、顔をゆがめて言う。「言っても通じんのです。中央の会議などに行ったとき、話していてわかりますよ。あの方がたは、トマトの実はよく知っています。でも、トマトのつるは、一度も見たことがない人ばかりです」野菜指定産地制度と連作障害・・・。その矛盾を埋めるために、農薬が多投されて、消費者、そして生産者の体までが、残留農薬の危険にさらされていくのである。自然の植物である野菜を、遠隔地から一定量、工業製品のように消費地に供給しようとすればするほど、こうした問題が起きてしまう。生産地、それに対する消費地。分業の世の中ではあるが、偏った地域格差が、ある意味では農薬多投農業を助長しているのだ。
    (出典 狂ってしまった野菜たち 村野 雅義著)