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 再審申立にあたってのお礼とお願い



 再審申立にあたってのお礼とお願い

   故竹内景助長男(伏字・印)

 三鷹事件で死刑判決を下され、冤罪を晴らすための再審申立中に獄死した父のために、本日、私が請求人となり再審を申立てるにあたり、一言、お詫びとお礼、それにお願いを申上げます。
 三鷹事件は私が小学校に入学した年の7月に起りました。父親は国鉄職員であることを誇りにして、私の入学式にも国鉄の帽子をかぶって学校まで駆けつけてくれ、校庭での集合写真に写っています。父はいつも私たち子どもたちを可愛がり、出勤前によく畑に連れて行ってくれたことなどが、今でも懐かしく思い出されます。
 その父親が、どういうわけか、国鉄を解雇されてしまいました。父親は生真面目で、直ぐに就職先を探しながら、家族を養うためにキャンデー売りなどしていていました。ところが事件から半月後、突然に警察に連れて行かれ、それ以降、一度も家に帰ることはなく、死刑判決を受けたまま、45歳の若さで獄死してしまいました。
 そのため、私たち家族は、生活に困ったばかりか、社会の偏見と差別にあい、文字どおり塗炭の苦しみを味わいました。私たちは、父親のような家族思いで子煩悩なものが三鷹事件を起こすはずがないと、家族全員、父親の無実を信じ、苦しい生活の中、母親は父が死んでからもあちこちに出向いて一生懸命訴え、私もそれに同行したことも何度もありました。
 しかし、死刑囚の子どもだということで、就職や結婚にも言葉では言い尽くせないさまざまな困難を経験し、母親がなくなった後は、社会から隠れるようにして暮らすしかなく、父親の無実を信じながら、再審を申し立てることなど、とても出来ませんでした。
 このたび、父親がなくなってから45年を前にして、弁護団の先生方のお力添えで、ようやく再審を申し立てることになりました。こんなに有難いことはありません。何も悪いことをしていないのに、死刑という最も重い罪を着せられた本人はもとより、最後まで父を愛していた母親も、そして無実を信じて私と結婚してくれた妻も、草葉の陰で喜んでくれていると思います。
 それにもかかわらず、私が竹内景助の長男というだけで、名前も出さず、皆さんの前に出向いてご挨拶もしないのは、事情があるとはいえ、大変申し訳なく、心からお詫び申上げます。
 事情というのはいろいろとあり、高見澤弁護士にはある程度はお話しておりますが、一言でいうならば、私の甥や姪は祖父が死刑囚のまま獄死したということを知らずに育ち、私が名前を出すとそれが分かるばかりか、姉妹弟たちも職場や周囲との関係で再びどのような困難に直面するかを極度に心配しており、私もそうなることを恐れているからです。  皆様方には、冤罪の被害者が、家族を含めていかに過酷な人生を送らなければならないかを、ご理解いただければと思います。
 それはともかく、この度の再審申立にあたって、さまざまな方々にご支援とご協力をいただいたことを、心から感謝申上げます。
とくに、「竹内景助さんは無実だ!三鷹事件再審を支援する会」に、たくさんの皆さんに参加していただくとともに、父と一緒に逮捕され苦しい裁判を闘われた清水豊さんのご遺族と田代勇さんからなどからもカンパをいただいているとうかがっております。
 私も父親の冤罪を晴らすために最後まで頑張りますので、皆さん方には、これからもご支援ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
 平成23年11月10日
 合 掌