【答039】 大雑木林は江戸時代の植林の名残       →(B)

 東京・田無や保谷から井の頭公園付近まで、さらに埼玉県域に広がる雑木林は、かつての武蔵野台地の名残。
 ケヤキ、クヌギなどの広葉樹の林はこの台地の象徴でもあったが、これはこの地域本来の姿ではない。もともとはススキの生い茂る原野で、あちこちに雑木林もどきが点在してはいたが、一面の林になったのは江戸時代も中期になってから。
 5代将軍綱吉の側近だった柳沢吉保川越の城主となり、武蔵野原野に「三富新田」の開拓を始めたころからだ。現在の埼玉県所沢市や入間郡のあたりである。
 田んぼができれば集落ができ、人が集まる。人がいれば燃料の薪が必要……というので、その確保のために植林を奨励したのである。これは同時に、どんどん発展する都市・江戸にも薪や木炭を供給する商売ともなっていった。