8.世界遺産 ペトラ遺跡
首都アンマンから南へ150km、ムーサの谷にあり、紀元前6世紀頃、アラビア半島の遊牧民、ナバテア人
によって造られた隊商都市で、最盛期には、3万人もが住んでいた。ペトラ遺跡は、スパイス交易の拠点機能と
治水システムが特徴。106年にはローマ帝国に占領された。2004年現在発掘調査は進んでいるが、未だ遺跡の
数%しか完了していないとか。
入口から1.2kmの砂利道(馬も利用可)をだらだら下りシーク(岩の裂け目)がペトラ遺跡の入口だ。岩
の高さは60〜100m。谷底の道幅は最大でも10mほどで、馬車、馬、人が混在で行く。ひんやりしている。
道の端には、水源から水を引いていた水路跡が残っている。岩肌に造られたオベリスクを持ったオベリスクの ペトラ遺跡入口
墓、ラクダの像、岩の裂け目に造られたダム等を見ながら1.5km歩くと突然目の前が開け正面に壮大な神殿
が現れた。その威圧感に息を呑む。
1.エル・ハズネ:岩を削り彫り抜いた神殿風正面をもつ霊廟で、高さ43m、幅30m。紀元前1〜2世紀
に造られたもので、映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台ともなった。また「宝物殿」とも呼
ばれている。ラクダも人待ち顔で座っている。
ここを過ぎると岩をくり抜いた建物が両側に並び、金持ちの墓だそうだ。その先に2〜3世紀に造られたロー
マ円形劇場が見えてきた。この右側の岩山の中腹に岩窟墳墓群。 エル・ハズネ
2.岩窟墳墓群(王家の墓):代表的な墓が4つある。北側から1〜2世紀に造られ、3階建てのロー
マ帝政期宮殿建築を模倣しており、コリント式の柱を使っている「宮殿の墓」、「コリンシアンの墓」
、岩石の模様が美しい「シルクの墓」、壷が発見された「アーンの墓」である。
左側の山の上に向かって「犠牲祭壇」、「ライオン・モニュメント」への階段が見える。帰りに登ろう
と思っていたが、疲労で中止した。ここで採れる色砂で作ったサンド・ボトルの製作実演・販売のテン
トがあった。砂を次々とボトルに入れ細い棒で砂を動かして絵を描く。実に見事だ。ペトラ外の土産物 宮殿の墓
店でも売っていたが、鮮やかな砂の色は無い。砂に色を染み込ませている為らしい。天然物にはかなわ
ない。
円形劇場を過ぎ遺跡の中央付近に、幅6mの柱廊通りがあり、この道の両側には沢山の遺跡が残され
ていたが、551年の大地震でほとんど崩壊したらしい。柱廊の最後に保存状態の良い凱旋門、カスール・
アル・ビントが残っていた。この奥に博物館、レストランがあり、脇の道・階段を900段登った山の
上にエド・ディルがある。最大で3mぐらいの道を馬、ロバ、人が登る。周囲の岩肌はカラフルな縞模 シルクの墓
様。片側が山、片側が絶壁の道を喘ぎながら上る事40分。広場に出る。右手の山が彫られた神殿だ。
3.エド・ディル(海抜1150mにある):高さ45m、幅50mでエル・ハズネより大きい。1世紀
中頃に建てられたナバタイ人の神殿。ディルは修道院の事で以前はこの辺り住んでいたらしい。更
に正面の丘を進むと絶壁の先端の見晴台に出る。同じツアーの同年代3人組みと1人の奥さんの4
人だけがここまで来た。そこには、テントが張られコーヒ−・土産物を売る現地人ベドウインがい
た。そこからワディ・ムーサの村、アラバ渓谷、イスラエル、死海方向が望めた。帰りは、戻る人、 サンド・ボトル
馬、ロバと登ってくる馬、ロバが交錯し、足元も砂で滑り危険この上ない。
レストランで食事をし、再度周りを眺め、確認しながら入口に向け、だらだらと上って帰った。足が疲労。
夕方、よく似たリトル・ペトラを見学。
柱廊通り カスール・アル・・ビント エド・ディルへの道 エド・ディル
9.死海
ペトラ遺跡に近いホテルを出発して北へ150kmマダバの町へ。ここで4世紀に建てられた聖ジョージ教会にあるパレスチ
ナのモザイク画を見て、死海とパレスチナを見下ろすネボ山(海抜400m、マダバの西10kmにある)に行く。ここは霧が出
やすいとかで、今日もうっすらと霧が出て、死海とパレスチナを見る事は出来なかった。寒さで早々にバスへ戻る。死海へ降り
る道に海抜0mの標識がある。海抜−410mの死海に隣接のホテルへ向け高度を下げる。死海はどんなに寒くても20度以下
にはならないと聞いて何故?と同時に浮遊体験が出来る?と思った。
ホテルで水着に着替えビーチ(プライベートビーチ)に集合。死海の底は泥と岩。気温より水温が高い。水に入り足を上げる
と浮いた。寝て本を読む姿の写真を撮る。足を下げて立ち泳ぎの姿勢になろうとするが、足が下へ行かず回転してしまう。お尻
が底につく浅瀬まで、横に広げた手で水をかいて行きやっと立つ事が出来た。
死海の水は塩分と鉱物濃度が極端に濃い。塩分濃度は30%。水が流れ出ず、太陽の熱で水分が蒸発するからと言われている
が、ヨルダン側には多数の温泉が湧き、ミネラル成分が流れ込む為でもある。ビーチに泥を貯めた槽があり、皆泥パックをして
いた。試したところ、泥を水で流した後の肌はつるつるしていた。しかし泥がわずかにドブ臭く肌もドブ臭くなっていた。
このミネラルを含んだ泥は、黒色、鼠色、黄色で主成分が異なると思われる。陶芸の表面に塗ったらどんな色になるかと500
mlのペットボトルにつめて帰ってきた。
死海は南北75km、幅16kmで夜間は対岸の灯が見える。向こう岸はイスラエルで丘(死海から見て)の上にパレスチナ
の灯も見えるのも不思議な感じだ
海抜0mの標識 浮遊する人々 女性は真剣に泥パック