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奈良女児誘拐殺人事件

2004年(平成16年)11月17日午後1時過ぎ、奈良県奈良市学園大和田6丁目に住む会社員の有山茂樹(当時30歳)の長女で富丘北小学校1年生の楓ちゃん(7歳)が授業を終え、約1.4キロ離れた自宅まで歩いて帰る途中で行方不明になった。

楓ちゃんが車を運転して近づいてきた男と言葉を交わし、その車に乗ったのを下校中の女児が目撃していることが分かった。

午後8時過ぎ、楓ちゃんの携帯電話を使って<娘はもらった>というメールが楓ちゃんの母親の携帯電話に届いたが、そのメールには楓ちゃんらしき女児の死体の写真も添付されていた。

翌18日午前0時ころ、奈良県平群(へぐり)町の道路脇側溝に女児が倒れているのを通行人が見つけ、110番通報した。警察の調べで楓ちゃんと判明した。死因は水死で、犯人は楓ちゃんを溺死させたものと見ていた。遺体に付着していた毛髪から犯人の血液型はB型と判った。

楓ちゃんの携帯電話にはGPSがついていたことから犯人が母親に送ってきたメールの発信地は半径5キロ圏内と判明した。

GPS・・・Global Positioning System 全地球測位システムのことで、汎地球測位システムとも言い、地球上の現在の位置を調べるための衛星測位システム。元来は軍事用のシステム。

12月14日未明、再び、犯人から楓ちゃんの携帯電話を使って<次は妹をもらう>というメールが楓ちゃんの母親の携帯電話に送りつけられてきたが、そのメールには妹の写真と新たな楓ちゃんの写真が添付されていた。

2回目のメールが送られてきたあと、携帯電話会社の通信記録を調べた結果、ついに犯人へとたどり着く。

12月30日、奈良県三郷町に住む毎日新聞配達員の小林薫(当時36歳)が逮捕された。小林の自宅マンションから楓ちゃんの携帯電話やランドセル、ジャンパーなどが見つかった。小林の供述によると次のようになる(<>内)。

<新聞配達が休みの日、女児を連れ去ってイタズラしようと友人から借りた車で物色していたが、たまたま1人で歩いていた楓ちゃんに「送ってあげる」と声をかけ、自分のマンションに連れ込んだ。そのあと、宿題の手伝いをしたが、午後4時ころ、風呂場に連れていきお湯に顔をつけて溺死させた。それから服を脱がせ、体に傷をつけるなどをしたあと、死体を遺棄。世間を驚かせてやろうと思って楓ちゃんの母親にメールを送った。騒ぎが大きくなり満足だった。>

実は小林には幼児への強制わいせつ罪で2度の逮捕歴があった。1987年(昭和62年)、箕面(みのお)市で幼稚園児8人にわいせつ行為をしたが、初犯ということで執行猶予付きの判決だった。2回目は1989年(平成元年)、大阪市内の公団住宅で5歳児の女児の首を絞め、殺人未遂で逮捕されて5年の刑に服している。

出所後は、トラック運転手や産経や朝日などの新聞販売所を転々とし、2004年(平成16年)7月から奈良県河合町の毎日新聞販売所で働いていた。

小林は犯行後、楓ちゃんの携帯電話から自分の携帯電話に画像を転送していたが、その画像を行きつけの居酒屋のママやスナックのホステス、部屋に呼び寄せたデリヘル嬢にも見せびらかしていた。

逮捕された小林は反省の態度を一切見せず、「悪いことをしたとは思わない。宅間(2001年6月8日、児童8人が殺害された大阪池田小児童殺傷事件の犯人/2004年9月14日、大阪拘置所で死刑執行)のように死刑になってもかまわない」と言った。

2005年(平成17年)1月13日、警察庁と法務省は奈良での事件を受け、性犯罪者の再犯防止を目的とする前歴者情報の取り扱いについて、初めて協議し警察が公表しないことを前提に法務省が出所直後の居住地を提供することで合意した。日本では悲惨な性暴力事件が起きるたびに一部からミーガン法の導入を求める声が出ていた。

ミーガン法・・・1994年、アメリカのニュージャージー州で、ミーガンという少女が殺害され、犯人が過去にも性犯罪を犯していたことが判明した。これをきっかけに世論が高まり、性犯罪者の再犯率の高さを根拠として再犯を防ぐ目的で制定された性犯罪者情報公開法。1996年、連邦法でも規定された。執行猶予になった加害者や仮釈放された囚人だけでなく、刑期満了者も含めた性犯罪の加害者は、住所やその他の個人情報を登録することが義務づけられ、また警察はそうした情報を加害者の住むコミュニティに告知するよう定められている。

3月4日、警察庁は犯罪経歴の調査結果を発表したが、大雑把にまとめると次のようになる。文章だけの説明だとちょっと解かりにくいですが・・・(<>内)。

<2004年(平成16年)、警察が検挙した子ども対象・暴力的性犯罪(被害者が13歳未満である強姦、強盗強姦、強制わいせつまたはわいせつ目的略取・誘拐)の被疑者466人についての調査結果で、子ども対象・暴力的性犯罪の再犯率は15.9%で、他の犯罪の再犯率(傷害20.6%、恐喝20.1%、詐欺19.8%、窃盗18.6%)と比べて高くない。

上記の被疑者466人中、過去に何らかの犯罪経歴があった者は193人だったが、このうち、過去の犯罪も子ども対象・暴力的性犯罪であった者は74人(38.3%)で、他の犯罪経歴のある者は119人(61.7%)だった。

1982年(昭和57年)から1997年(平成9年)までの間に警察が検挙した子ども対象・強姦事件(被害者が13歳未満である強姦、強盗強姦)被疑者527人のうち、追跡可能な506人について2004年(平成16年)6月末までの再犯状況を調査したが、全体の20.4%の103人が検挙後に再び強姦または強制わいせつの再犯に及んでおり、うち子どもが被害者だったのは47人で、性犯罪を行う場合には再び子どもを狙う割合が高い。>

2005年(平成17年)6月、奈良県議会で「子どもを犯罪の被害から守る条例」が可決、7月1日、公布、同日(一部、10月1日から)施行された。条例の主要な内容は次の通り・・・(<>内)。

<11条(子どもに不安を与える行為の禁止)・・・道路、公園等のいわゆる「公共の場所」又は電車、バス等のいわゆる「公共の乗物」において、保護者等が監護できない等の状況にある子どもに対して、正当な理由なく、甘言を用いて惑わし、又は虚言を用いて欺くこと。

12条(子どもを威迫する行為の禁止)・・・公共の場所又は公共の乗物において、保護者等が監護できない等の状況にある子どもに対して、正当な理由なく、次の行為を行うこと。
(1)言い掛かりをつけ、すごみ、又は卑わいな事項を告げること。(2)身体又は衣服等を捕らえ、進路に立ちふさがり、又はつきまとうこと。

13条(子どもポルノの所持等の禁止)・・・子どもを使用して作成されたポルノを所持し、又は保管すること。>

2006年(平成18年)9月26日、奈良地裁は小林薫に対し求刑通り死刑を言い渡した。即日、弁護側は奈良地裁での死刑判決を不服として控訴した。

死刑適用の一般的基準となっている永山則夫元死刑囚の最高裁判決(1983年)以降、犠牲者が1人で、金品目的でなく、被告に殺人の前歴がないケースでの死刑選択は極めて異例。性欲を満たすため女児を誘拐した自己中心的な動機を厳しく非難。数分にわたり水槽に女児を沈め、遺体の写真を添付したメールを母親に送信した残虐性や幼い命を奪った結果の重大性を指摘。「極刑以上の刑を与えてほしい」などと法廷で述べた両親の激しい処罰感情を重視した。永山則夫連続射殺魔事件

10月10日、小林が控訴を取り下げ、死刑が確定した。

2007年(平成19年)3月26日までに、奈良地裁は小林薫の公判記録閲覧をめぐり、閲覧を不許可とされた石塚伸一龍谷大法科大学院教授の準抗告を棄却した。2006年(平成18年)11月、石塚教授は研究目的で記録閲覧を申請したが、奈良地検から「事務に支障がある」として不許可とされ、処分取り消しや閲覧の許可を求めていた。

6月16日、小林薫の弁護人が小林本人の控訴取り下げは無効として、大阪高裁に審理開始を申し立てていたが、この日、大阪高裁が申し立てを受け付け、18日に奈良地裁に送付した。

2008年(平成20年)4月21日、奈良地裁(石川恭司裁判長)は、弁護人が「控訴取り下げは無効」として控訴審期日の指定を求めた申し立てについて、取り下げ手続きなどを憲法上妥当として退ける決定をした。弁護人は決定を不服とし、大阪高裁に抗告申立書を提出した。

5月22日、大阪高裁は奈良地裁に続き、小林本人による控訴取り下げを有効と認め、地裁決定を不服として弁護人が行った即時抗告を棄却した。高裁決定は地裁決定と同様、小林に控訴取り下げの判断に影響を及ぼすような精神障害があったとはいえないなどと判断した。

5月24日、小林本人による控訴取り下げを「無効」と弁護人が主張している問題で、弁護人は「有効」と判断した大阪高裁決定を不服として最高裁に特別抗告した。

7月7日、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は、奈良地裁、大阪高裁に続き、小林本人による控訴取り下げを有効と認める決定を出した。これで、控訴の取り下げが有効であることが確定した。

12月17日、小林が収監されている大阪拘置所から奈良地裁に再審請求を提出。翌18日、奈良地裁が受理した。

2009年(平成21年)5月1日、奈良地裁(石川恭司裁判長)は小林の再審請求を棄却した。

翌2日、小林は大阪高裁に即時抗告した。小林は手記などで女児が風呂場でおぼれて亡くなったなどと、主張している。

8月6日、大阪高裁が奈良地裁の再審請求の棄却決定に対する即時抗告を棄却。

8月9日、大阪高裁が奈良地裁の再審請求の棄却決定に対する即時抗告を棄却した件で小林が特別抗告。

12月15日、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)が再審請求の特別抗告を棄却する決定を出した。再審開始を認めない判断が確定した。

2010年(平成22年)4月30日、大阪地裁で小林が『週刊新潮』の記事を巡って起こした名誉棄損訴訟の判決があり、揖斐(いび)潔裁判長は「記事は重要な部分で真実であると認められない」と小林の訴えを一部認め、新潮社に対して30万円の支払いを命じた。判決によると問題の記事は「もっと生きたいと言い出した少女誘拐『死刑囚』小林薫」の見出しで2008年(平成20年)1月3・10日号に掲載。

2013年(平成25年)2月21日、大阪拘置所で死刑が執行された。44歳だった。

参考文献・・・
『別冊歴史読本 戦後事件史データファイル』(新人物往来社/2005)
『毎日新聞』(2005年1月14日付/2006年9月26日付/2006年10月10日付/2007年3月26日付/2007年6月18日付/2008年4月26日付/2008年5月22日付/2008年5月26日付/2008年7月9日付/2008年12月19日付/2009年5月8日付/2009年8月10日付/2009年12月17日付/2010年4月30日付/2013年2月21日付)
警察庁広報資料

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