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由余(ゆうよ) 中国 春秋時代
西戎(秦のさらに西にあった騎馬民族)の人であり、後に秦の繆公に仕え大功を挙げた。

紀元前625年、西戎の王が、由余を秦に視察に送った。
繆公が由余に政のための祭器などの宝物を見せると、由余は
「これを神に作らせれば神が疲れ、民衆に作らせれば民衆を苦しめる。」
と述べた。繆公が祭器や詩書礼楽法度なしにどのように西戎では政を行うのか問うと、由余は
「それらこそが政治が乱れる所以である」
といい、また
「西戎では上は純朴、下は忠信をもって接しており、知らず知らずのうちに治まっている。これが本当の聖人の政治である。」
と答えた。
由余の賢能を知った繆公は、西戎に由余がいることを憂え、
由余を引き留めて、その間に西戎の王に女性の歌劇団を送った。
西戎の王は女性の歌劇団にはまり、由余が帰国して諌めても聴かなかった。
繆公は度々西戎の王に由余を与えるように説いたため、遂に由余は秦に来た。繆公はこれを厚遇した。

紀元前623年、繆公は由余の策を用いて西戎を討ち、12国を併合し西戎の覇となった。周王は召公を派遣し、慶賀の意を伝達した。


参考:
秦史2 繆公の時代
逐客を諫す(諫逐客書) 史記 李斯列伝第二十七

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