人臣たりて敢へて権を専らにせざるを見す
-衛将軍驃騎列伝第五十一より-
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本文(白文・書き下し文)
大将軍青出定襄。
合騎侯敖為中将軍。
太僕賀為左将軍。
翕侯趙信為前将軍。
衛尉蘇建為右将軍。
朗中令李広為後将軍。
左内史李沮為彊弩将軍。
咸属大将軍。
斬首数千級而還。

月余、悉復出定襄撃匈奴。
斬首虜万余人。
右将軍建・前将軍信、并軍三千余騎、
独逢単于兵。
与戦一日余、漢兵且尽。
前将軍故胡人、降為翕侯。
見急、匈奴誘之。
遂将其余騎可八百、犇降単于。
右将軍蘇建尽亡其軍、
独以身得亡去、自帰大将軍。
大将軍問其罪正閎・長史安・議朗周覇等、
「建当云何。」
覇曰、
「自大将軍出、未嘗斬裨将。
今建棄軍。
可斬以明将軍之威。」
閎・安曰、
「不然。
兵法、小敵之堅、大敵之禽也。
今建以数千当単于数万、
力戦一日余。
士尽不敢有二心、自帰。
自帰而斬之、
是後無反意也。
不当斬。」
大将軍曰、
「青幸得以肺腑待罪行間。
不患無威。
而覇説我以明威。
甚失臣意。
且使臣職雖当斬将、
以臣之尊寵而不敢自擅専誅於境外、
而具帰天子、天子自裁之。
於是以見為人臣不敢専権。
不亦可乎。」
軍吏皆曰、
「善。」
遂囚建詣行在所。
入塞罷兵。
大将軍青定襄より出づ。
合騎侯敖、中将軍と為る。
太僕賀、左将軍と為る。
翕侯趙信、前将軍と為る。
衛尉蘇建、右将軍と為る。
朗中令李広、後将軍と為る。
左内史李沮、彊弩将軍と為る。
咸く大将軍に属す。
斬首数千級にして還る。

月余にして、悉く復た定襄より出でて匈奴を撃つ。
斬首虜万余人なり。
右将軍建・前将軍信、軍三千余騎を并せ、
独り単于の兵に逢ふ。
与に戦ふこと一日余り、漢兵且に尽きんとす。
前将軍は故胡人にして、降りて翕侯と為る。
急なるを見、匈奴之を誘ふ。
遂に其の余騎八百可りを将ゐて犇り、単于に降る。
右将軍蘇建尽く其の軍を亡ひ、
独り身を以て亡げ去るを得、自ら大将軍に帰す。
大将軍其の罪を正閎・長史安・議朗周覇等に問ふ、
「建は当に云何すべき。」と。
覇曰はく、
「大将軍出でてより、未だ嘗て裨将を斬らず。
今建軍を棄つ。
斬りて以て将軍の威を明らかにすべし。」と。
閎・安曰はく、
「然らず。
兵法にいはく、小敵の堅きは、大敵の禽なり、と。
今建数千を以て単于の数万に当たり、
力戦すること一日余り。
士尽く敢へて二心有らず、自ら帰す。
自ら帰して之を斬る、
是れ後に反ること無かれの意を示すなり。
当に斬るべからず。」と。
大将軍曰はく、
「青幸ひに肺腑を以て罪を行間に待つを得たり。
威無きを患へず。
而るに覇我に説くに威を明らかにするを以てす。
甚だ臣の意を失ふ。
且つ臣の職当に将を斬るべしと雖も、
臣の尊寵を以て而も敢へて自ら誅を境外に擅専せずして、
具して天子に帰し、天子をして自ら之を裁せしめん。
是に於いて以て人臣たりて敢へて権を専らにせざるを見す。
亦た可ならずや。」と。
軍吏皆曰く、
「善し。」と。
遂に建を囚へて行在所に詣かしむ。
塞に入りて兵を罷む。
参考文献:国訳漢文大成 経子史部第十六巻 史記列伝下巻 東洋文化協会

現代語訳/日本語訳

大将軍衛青は、定襄から出撃した。
合騎侯の公孫敖が中将軍となった、
太僕の公孫賀が左将軍となった。
翕侯の趙信が前将軍となった。
衛尉の蘇建が右(ゆう)将軍となった。
朗中令の李広が後将軍となった。
左内史の李沮が彊弩将軍となった。
そして、これらの将軍はみな大将軍の指揮下に入った。
数千人を殺害する戦果を上げて退却した。

一ヶ月あまりして、再び全軍定襄から出撃して匈奴の攻撃をはかった。
殺害と捕虜合わせて1万の戦果を上げた。
このとき、右将軍蘇建と前将軍趙信の軍合わせて3千騎余りが、
本隊から孤立して単于の兵に遭遇した。
一日ほど戦って、漢軍は全滅寸前となった。
前将軍趙信は異民族の出身であり、漢に投降して翕侯となった人である。
その差し迫った状況を見て、匈奴は、投降して匈奴側につくように誘った。
結局、趙信は残った配下の800騎ほどを率いて亡命し、単于に降伏した。
右将軍蘇建は、配下の兵をことごとく失ったが、
わが身一つ逃げ去ることができて、大将軍のもとへ自首した。
大将軍は蘇建の罪について、軍正の閎、長史の安、議朗の周覇らに意見を求めた。
周覇はこう答えた、
「大将軍は出撃されてから、一度も配下の将軍を斬罪に処されたことがありません。
今、蘇建は軍を棄ててきています。
斬罪に処して将軍の威厳を明らかになさいませ。」
閎と安はこう反対した、
「そうではありません。
兵法に、兵力寡少な者が決死の思いで戦えば、大兵力の敵に全滅させられる、というのがあります。
今、蘇建は数千の寡兵で単于直属の数万の部隊に当たり、一日余り力戦しました。
兵士らは、皆決して匈奴に投降しようなどとは思はず、
蘇建もそう思って、大将軍の下へ自首してきたのです。
ここで自首した者を斬罪に処せば、
これは、敗北後に漢に戻ってくるな、という意思を示すことになります。
斬罪に処すべきではありません。」
大将軍は言った、
「私は幸いにも皇帝陛下の外戚であるおかげで将軍の任を承らせていただいている。
だから、威厳が無いことを悩むことは無い。
それなのに周覇は私に威厳を明らかにせよといっている。
これは私の意思とは大きく外れている。
また、私の職権が配下の将軍を当然斬罪に処すことのできるものであるとしても、
私ほどの陛下からの尊寵ではあるが、私は決して国外で誅殺を勝手に行わず、
陛下に詳しく上申して、陛下自ら裁決していただく、というようにしたい。
こうして、人臣であって決して権力を勝手に用いないことを示す。
なんとよいことではないか。」
軍吏たちは皆もっともだと言った。
すぐに蘇建を拘留し、仮御所へ連れて行った。
蘇建は、国境を越えたところで罷免された。



解説

大将軍青出定襄。合騎侯敖為中将軍。太僕賀為左将軍。翕侯趙信為前将軍。衛尉蘇建為右将軍。
だいしやうぐんせいていじやうよりいづ。がふきこうがう、ちうしやうぐんとなる。たいぼくが、さしやうぐんとなる。きふこうてうしん、ぜんしやうぐんとなる。えいゐそけん、いうしやうぐんとなる。

「中将軍」は、本隊を率いる。
「左将軍」は、左翼を率いる、以下同様。

大将軍とは、衛青(えいせい)のこと。
奴隷だったが、姉が漢の武帝の寵愛を受けるようになったことから出世の道が開けた。



朗中令李広為後将軍。左内史李沮為彊弩将軍。咸属大将軍。斬首数千級而還。
らうちうれいりくわう、こうしやうぐんとなる。さだいしりしよ、きやうどしやうぐんとなる。ことごとくだいしやうぐんにぞくす。ざんしゆすうせんきふにしてかへる。

「咸」は"皆・すべて"。

李広は、匈奴との戦いで活躍し、匈奴に「漢の飛将軍」として恐れられた将軍。


月余、悉復出定襄撃匈奴。斬首虜万余人。
げつよにして、ことごとくまたていじやうよりいでてきやうどをうつ。ざんしゆりよまんよにんなり。

匈奴の君主は「単于」と称す。
匈奴は遊牧民族なので、特定の首都はないのだが、
それでもその時々において、本拠地と言える所はあった。
これは「単于庭」と呼ばれた。
この時においては、定襄の結構すぐ近くにその単于庭が設けられていたようである。


右将軍建・前将軍信、并軍三千余騎、独逢単于兵。与戦一日余、漢兵且尽。
いうしやうぐんけん・ぜんしやうぐんしん、ぐんさんぜんよきをあはせ、ひとりぜんうのへいにあふ。ともにたたかふこといちにちあまり、かんぺいまさにつきんとす。

「且」は「将」とほぼ同じで(まさに〜せんとす)と読んで"今にも〜しそう"などのように訳す。


前将軍故胡人、降為翕侯。見急、匈奴誘之。遂将其余騎可八百、犇降単于。
ぜんしやうぐんはもとこひとにして、ふりてきふこうとなる。きふなるをみ、きようどこれをいざなふ。つひにそのよきはつぴやくばかりをひきゐてはしり、ぜんうにふる。

「胡人」は"異民族"、主に西方の異民族のことを言う。
「急」は"緊急・危険"の意。
「遂」は"そのまま"。
「可」は(〜ばかり)と読み"〜くらい"の意。
「犇」は「奔」に通じ、"亡命する・逃げる"とかの意。


右将軍蘇建尽亡其軍、独以身得亡去、自帰大将軍。大将軍問其罪正閎・長史安・議朗周覇等、「建当云何。」
いう(ゆう)しやうぐんそけんことごとくそのぐんをうしなひ、ひとりみをもつてにげさるをえ、みずからだいしやうぐんにきす。だいしやうぐんそのつみをせいくわう(こう)・ちやうしあん・ぎらう(ろう)しうは(しゅうは)らにとふ、「けんはまさにいかんすべき。」と。

「得」は機会があって"〜できた"という可能の意を表す。
「自帰」は"自首する"。
「軍正」「議朗」「長史」はいずれも役職の名である。
「当(まさニ〜すべシ)」には当然や推量の意味がある。
「云何(いかん)」は「如何」などと同じで、方法や処置を問うことばで、"どうするべきか"などのように訳す。


覇曰、「自大将軍出、未嘗斬裨将。今建棄軍。可斬以明将軍之威。」
はいはく、「だいしやうぐんいでてより、いまだかつてひしやうをきらず。いまけんぐんをすつ。きりてもつてしやうぐんのいをあきらかにすべし。」と。

「未(いまだ〜ず)」は否定の意味。
「裨将」は"副将・配下の将"等の意味。「裨」が"補助する"の意である。
「明」は"明らかにする"。


閎・安曰、「不然。兵法、小敵之堅、大敵之禽也。今建以数千当単于数万、力戦一日余。
くわう・あんいはく、「しからず。へいはふにいはく、せうてきのかたきは、たいてきのとりこなり、と。いまけんすうせんをもつてぜんうのすうまんにあたり、りよくせんすることいちにちあまり。

「然」は"そうであること"をあらわす代名詞。
「堅」はここでは意思の固いことを表す。
「以数千」は"数千(の兵力)で"。


士尽不敢有二心、自帰。自帰而斬之、是後無反意也。不当斬。」
しことごとくあへてにしんあらず、みずからきす。みずからきしてこれをきる、これのちにかへることなかれのいをしめすなり。まさにきるべからず。」と。

「不敢」は"決して〜ない"という強い否定。
「無(なカレ」は禁止の意。


大将軍曰、「青幸得以肺腑待罪行間。不患無威。而覇説我以明威。甚失臣意。
だいしやうぐんいはく、「せいさいはひにはいふをもつてつみをこうかんにまつをえたり。ゐなきをうれへず。しかるにはわれにとくにゐをあきらかにするをもつてす。はなはだしんのいをうしなふ。

「幸」は"幸いに"。
「肺腑」は"皇帝の外戚であること"。
「待罪行間」は"将軍であること"を謙遜していう言葉。
「而るに」は逆接。
「以明威」の「以」は目的語を表す言葉で、訳すときは"〜を"でよい。


且使臣職雖当斬将、以臣之尊寵而不敢自擅専誅於境外、而具帰天子、天子自裁之。
かつしんのしよくまさにしやうをきるべしといへども、しんのそんちようをもつてしかもあへてみづからちうをきゃうぐわいにせんせんせずして、ぐしててんしにきし、てんしをしてみづからこれをさいせしめん。

「且」はここでは"さらに"の添加の意味と、"また"の並列の意味とのどちらとも取れるが、
ここでは後者を採用した。
「使」は「天子自裁之」にかかっている。
「天子」は皇帝のことで、ここでは武帝のことを指す。
「雖」は"〜だが・〜であっても"の意で、ここでは前者。
「以A之B而C(AのBを以てして而もB)」は
"AほどのBでさえもC"ないし"AのようなBにも関わらずC"。
「擅専」は"専断"。
「具」は"詳しく上申する"。


於是以見為人臣不敢専権。不亦可乎。」
ここにおいてもつてじんしんたりてあへてをもつぱらにせざるをしめす。またかならずや。」と。

「於是」は"かくして・こうして・そこで"等の意。
「不亦〜乎」は"なんと〜でないか"。


軍吏皆曰、「善。」遂囚建詣行在所。入塞罷兵。
ぐんりみないはく、「よし。」と。つひにけんをとらへてあんざいしよにゆかしむ。さいにいりてへいをやむ。

「遂」は"そのまま・結局"。
「詣」は"行く"。
「行在所」は皇帝が行幸する際に使う仮の御所。
「塞」は"国境"。




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