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楚人有直躬。 其父窃羊、而謁之吏。 令尹曰、 「殺之。」 以為、 「直於君、而曲於父。」 執而罪之。 以是観之、夫君之直臣、父之暴子也。 魯人従君戦、三戦三北。 仲尼問其故。 対曰、 「吾有老父、身死莫之養也。」 仲尼以為孝、挙而上之。 以是観之、夫父之孝子、君之背臣也。 故令尹誅而楚姦不上聞、 仲尼賞而魯民易降北。 上下之利、若是其異也。 而人主兼挙匹夫之行、 而求致社稷之福、必不幾矣。 昔者蒼頡之作書也、 自環者謂之私、 背私謂之公。 公私之相背也、乃蒼頡固以知之矣。 今以為同利者、不察之患也。 |
楚人に直躬といふもの有り。 其の父羊を窃み、而して之を吏に謁ぐ。 令尹曰はく、 「之を殺せ。」と。 以為へらく、 「君に直なれども、父に曲なり。」と。 執へて之を罪せり。 是を以て是を観るに、夫の君の直臣は、父の暴子なり。 魯人君に従ひて戦ひ、三たび戦ひて三たび北ぐ。 仲尼其の故を問ふ。 対へて曰はく、 「吾に老父有り、身死せば之を養うもの莫きなり。」と。 仲尼以て孝と為し、挙げて之を上せり。 是を以て之を観るに、夫の父の孝子は、君の背臣なり。 故に令尹誅して楚の姦上聞せられず、 仲尼賞して魯の民降北を易んず。 上下の利、是くのごとく其れ異なるなり。 而るに人主兼ねて匹夫の行ひを挙げて、 而も社稷の福を致さんことを求むるも、必ず幾せられざらん。 昔者蒼頡の書を作るや、 自ら環らす者之を私と謂ひ、 私に背く之を公と謂ふ。 公私の相ひ背くや、乃ち蒼頡固より以に之を知る。 今以て利を同じくすと為すは、察せざるの患ひなり。 |
現代語訳/日本語訳
楚人に「正直者の躬」と呼ばれている者がいた。
ある時、その父親が羊をこっそりと持ち去り、躬はこのことを役人に告発した。
令尹は「この者を殺せ」と命じた。
君主に正しいが父には正しくない、と考えたからであった。
かくして躬は捕らえられて処罰された。
このことによって考えると、
かの君主の忠臣は、父にとっては不孝者である。
ある魯人は君主に従って戦ったが、何度もそのたびに逃げた。
孔丘がその理由を聞いた。
その者はこうお答え申し上げた、
「私には老父がおりまして、
私が死ねば、養う者がおりませぬ。」
孔丘は親孝行であるとして、この者を推挙して昇進させた。
このことによって考えると、
かの父の孝行息子は、君主にとっては背臣である。
このように、令尹が躬を誅殺して、楚の悪事が君主の耳に入らず、
孔丘が逃亡兵を賞して、魯の民は逃亡投降を簡単にするようになった。
上の者と下の者の利益は、このように異なるものである。
それなのに、人の君主たる者が、私的な善行までも勧めておきながら、
国家に幸福をもたらそうと求めても、絶対叶わないだろう。
昔、蒼頡が文字を作ったとき、
自分の者をまるで囲む形(ム)、これを「私」とし、
「私(ム)」に背く形(八)、これを「公」とした。
公私が相反することは、蒼頡がはじめから既に知っていたことである。
それなのに今、公私の利益が一致していると考えるのは、
考察不足による誤りである。
解説
★楚人有直躬。其父窃羊、而謁之吏。令尹曰、「殺之。」
そひとにちよくきゆうといふものあり。そのちちひつじをぬすみ、しかしてこれをりにつぐ。れいゐんいはく、「これをころせ。」と。
「窃」は"こっそりと持ち去る"。
「謁」は"報告する・告発する"。
「令尹」は楚における"宰相"。
★以為、「直於君、而曲於父。」執而罪之。以是観之、夫君之直臣、父之暴子也。
おもへらく、「きみにちよくなれども、ちちにきよくなり。」と。とらへてこれをつみせり。これをもつてこれをみるに、かのきみのちよくしんは、ちちのばうしなり。
「以為」は「―を以て〜と為す」の略で、"〜思う・みなす"といった意味。
「直」は"正しい"、対義なのが「曲」。
「執」は"捕らえる"。
「以是観之」は"以上のことから考えると"。
荀子がよく用いており、韓非はその弟子なので影響を受けたのだろう。
「夫」は"あの・この"。
★魯人従君戦、三戦三北。仲尼問其故。対曰、「吾有老父、身死莫之養也。」
いまぶんがくををさめ、げんだんをならふとき、すなはちかうのらうなくして、とみのじつあり、
たたかひのあやふきなくして、たつときのそんあれば、すなはちひとたれかなさざらんや。ここをもつてひゃくにんちをこととして、いちにんちからをもちふ。
「三」には"3"の意のほかに"多い"という意味も表す。
「北」は"逃げる"。
「対」は"目上の人に答える"。
「仲尼」は孔子の字。
他人が人を呼ぶ際には字を呼ぶのが礼である。
「莫」は「無」に通じる。
★仲尼以為孝、挙而上之。以是観之、夫父之孝子、君之背臣也。
ちゆうぢもつてかうとなし、あげてこれをのぼせり。これをもつてこれをみるに、かのちちのかうしは、きみのはいしんなり。
「挙」は"推挙する"。
「上」は"昇進させる"。
★故令尹誅而楚姦不上聞、仲尼賞而魯民易降北。上下之利、若是其異也。
ゆゑにれいゐんちゆうしてそのかんじやうぶんせられず、ちゆうぢしようしてろのたみかいほくをかろんず。じやうげ(しようか)のり、かくのごとくそれことなるなり。
「姦」は"悪事"。
「上下」は、ここでは後に出てくる「公私」とほぼ同じ意味で用いられている。
「若(ごと-シ)」は"〜のようである"。
「易」は"軽んじる"。
★而人主兼挙匹夫之行、而求致社稷之福、必不幾矣。
しかるにじんしゆかねてひつぷのおこなひをあげて、しかもしやしよくのふくをいたさんことをもとむるも、かならずきせられざらん。
「匹夫」は"一般の民衆"。
「社稷」は"国家"。
「致」は"得る・引き寄せる"。
「幾」は"期待する・願いが叶う"
★昔者蒼頡之作書也、自環者謂之私、背私謂之公。
むかしさうけつのしよをつくるや、みづからめぐらすものこれをしといひ、しにそむくこれをこうといふ。
「蒼頡」は伝説上の人物、黄帝の仕官とされ、文字を発明したという。
「私」の古字は「ム」である。
自分の者に境界線を引くということである。
また"背く"は「八」で表された。
この説は、現在の学説では正しくないとされているらしい。
★公私之相背也、乃蒼頡固以知之矣。今以為同利者、不察之患也。
こうしのあひそむくや、すなはちさうけつもとよりすでにこれをしる。いまもつてりをおなじくすとなすは、さつせざるのうれひなり。
「固」は"本来・もともと"。
「患」は"誤り・過ち"