公私相背
-五蠧第四十九より-
I think; therefore I am!


サイト内検索

本文(白文・書き下し文)
楚人有直躬。
其父窃羊、而謁之吏。
令尹曰、
「殺之。」
以為、
「直於君、而曲於父。」
執而罪之。
以是観之、夫君之直臣、父之暴子也。

魯人従君戦、三戦三北。
仲尼問其故。
対曰、
「吾有老父、身死莫之養也。」
仲尼以為孝、挙而上之。
以是観之、夫父之孝子、君之背臣也。

故令尹誅而楚姦不上聞、
仲尼賞而魯民易降北。
上下之利、若是其異也。
而人主兼挙匹夫之行、
而求致社稷之福、必不幾矣。

昔者蒼頡之作書也、
自環者謂之私、
背私謂之公。
公私之相背也、乃蒼頡固以知之矣。
今以為同利者、不察之患也。
楚人に直躬といふもの有り。
其の父羊を窃み、而して之を吏に謁ぐ。
令尹曰はく、
「之を殺せ。」と。
以為へらく、
「君に直なれども、父に曲なり。」と。
執へて之を罪せり。
是を以て是を観るに、夫の君の直臣は、父の暴子なり。

魯人君に従ひて戦ひ、三たび戦ひて三たび北ぐ。
仲尼其の故を問ふ。
対へて曰はく、
「吾に老父有り、身死せば之を養うもの莫きなり。」と。
仲尼以て孝と為し、挙げて之を上せり。
是を以て之を観るに、夫の父の孝子は、君の背臣なり。

故に令尹誅して楚の姦上聞せられず、
仲尼賞して魯の民降北を易んず。
上下の利、是くのごとく其れ異なるなり。
而るに人主兼ねて匹夫の行ひを挙げて、
而も社稷の福を致さんことを求むるも、必ず幾せられざらん。

昔者蒼頡の書を作るや、
自ら環らす者之を私と謂ひ、
私に背く之を公と謂ふ。
公私の相ひ背くや、乃ち蒼頡固より以に之を知る。
今以て利を同じくすと為すは、察せざるの患ひなり。
参考文献:新釈漢文大系 特選 韓非子上 竹内照夫 明治書院

現代語訳/日本語訳

楚人に「正直者の躬」と呼ばれている者がいた。
ある時、その父親が羊をこっそりと持ち去り、躬はこのことを役人に告発した。
令尹は「この者を殺せ」と命じた。
君主に正しいが父には正しくない、と考えたからであった。
かくして躬は捕らえられて処罰された。
このことによって考えると、
かの君主の忠臣は、父にとっては不孝者である。

ある魯人は君主に従って戦ったが、何度もそのたびに逃げた。
孔丘がその理由を聞いた。
その者はこうお答え申し上げた、
「私には老父がおりまして、
私が死ねば、養う者がおりませぬ。」
孔丘は親孝行であるとして、この者を推挙して昇進させた。
このことによって考えると、
かの父の孝行息子は、君主にとっては背臣である。

このように、令尹が躬を誅殺して、楚の悪事が君主の耳に入らず、
孔丘が逃亡兵を賞して、魯の民は逃亡投降を簡単にするようになった。
上の者と下の者の利益は、このように異なるものである。
それなのに、人の君主たる者が、私的な善行までも勧めておきながら、
国家に幸福をもたらそうと求めても、絶対叶わないだろう。

昔、蒼頡が文字を作ったとき、
自分の者をまるで囲む形()、これを「私」とし、
「私(ム)」に背く形()、これを「公」とした。
公私が相反することは、蒼頡がはじめから既に知っていたことである。
それなのに今、公私の利益が一致していると考えるのは、
考察不足による誤りである。


解説

楚人有直躬。其父窃羊、而謁之吏。令尹曰、「殺之。」
そひとにちよくきゆうといふものあり。そのちちひつじをぬすみ、しかしてこれをりにつぐ。れいゐんいはく、「これをころせ。」と。

「窃」は"こっそりと持ち去る"。
「謁」は"報告する・告発する"。
「令尹」は楚における"宰相"。


以為、「直於君、而曲於父。」執而罪之。以是観之、夫君之直臣、父之暴子也。
おもへらく、「きみにちよくなれども、ちちにきよくなり。」と。とらへてこれをつみせり。これをもつてこれをみるに、かのきみのちよくしんは、ちちのばうしなり。

「以為」は「―を以て〜と為す」の略で、"〜思う・みなす"といった意味。
「直」は"正しい"、対義なのが「曲」。
「執」は"捕らえる"。
「以是観之」は"以上のことから考えると"。
荀子がよく用いており、韓非はその弟子なので影響を受けたのだろう。
「夫」は"あの・この"。


魯人従君戦、三戦三北。仲尼問其故。対曰、「吾有老父、身死莫之養也。」
いまぶんがくををさめ、げんだんをならふとき、すなはちかうのらうなくして、とみのじつあり、
たたかひのあやふきなくして、たつときのそんあれば、すなはちひとたれかなさざらんや。ここをもつてひゃくにんちをこととして、いちにんちからをもちふ。

「三」には"3"の意のほかに"多い"という意味も表す。
「北」は"逃げる"。
「対」は"目上の人に答える"。
「仲尼」は孔子の字。
他人が人を呼ぶ際には字を呼ぶのが礼である。
「莫」は「無」に通じる。


仲尼以為孝、挙而上之。以是観之、夫父之孝子、君之背臣也。
ちゆうぢもつてかうとなし、あげてこれをのぼせり。これをもつてこれをみるに、かのちちのかうしは、きみのはいしんなり。

「挙」は"推挙する"。
「上」は"昇進させる"。


故令尹誅而楚姦不上聞、仲尼賞而魯民易降北。上下之利、若是其異也。
ゆゑにれいゐんちゆうしてそのかんじやうぶんせられず、ちゆうぢしようしてろのたみかいほくをかろんず。じやうげ(しようか)のり、かくのごとくそれことなるなり。

「姦」は"悪事"。
「上下」は、ここでは後に出てくる「公私」とほぼ同じ意味で用いられている。
「若(ごと-シ)」は"〜のようである"。
「易」は"軽んじる"。


而人主兼挙匹夫之行、而求致社稷之福、必不幾矣。
しかるにじんしゆかねてひつぷのおこなひをあげて、しかもしやしよくのふくをいたさんことをもとむるも、かならずきせられざらん。

「匹夫」は"一般の民衆"。
「社稷」は"国家"。
「致」は"得る・引き寄せる"。
「幾」は"期待する・願いが叶う"


昔者蒼頡之作書也、自環者謂之私、背私謂之公。
むかしさうけつのしよをつくるや、みづからめぐらすものこれをしといひ、しにそむくこれをこうといふ。

「蒼頡」は伝説上の人物、黄帝の仕官とされ、文字を発明したという。
「私」の古字は「ム」である。
自分の者に境界線を引くということである。
また"背く"は「八」で表された。
この説は、現在の学説では正しくないとされているらしい。


公私之相背也、乃蒼頡固以知之矣。今以為同利者、不察之患也。
こうしのあひそむくや、すなはちさうけつもとよりすでにこれをしる。いまもつてりをおなじくすとなすは、さつせざるのうれひなり。 「固」は"本来・もともと"。
「患」は"誤り・過ち"




戻る
Top