9.モンティキアリはファティマの続きと実現でしょうか?

 これは、最も大切な問題です。

 1.1947年12月7日に、モンティキアリのカテドラル(大聖堂)で出現されたとき、聖母は、白いマントを身につけておられ、その右裾は、ひとりの男の子、左裾はひとりの女の子によって持ち上げられていました。ピエリナ・ジリは、ふたりが誰であるかお尋ねしました。

 聖母は、「ヤチンタとフランシスコです。かれらはあなたのすべての苦悩と試練のときに助けるでしょう。かれらもまた、あなたよりも若い時に苦しみました。わたしがあなたに望むことはこれです、すなわち、この子どもたちのように、純真で善良になることです」とお答えになりました(107ページ参照)。

 2.そのとき、聖母は、はっきりと次のようにおおせられました。つまり、

「ファティマで、わたしは、わたしのみ心への信心業と奉献を願いました。しかし、ここモンティキアリでは、わたしは特に修道院の中で、“くすしきバラの聖母” としてたたえられることを望みます。このことは、わたしへの信心業に結びつきます。そして、聖職者たちはわたしの母としての心を通して、より豊かな恵みを受けれるようになるのです」

 これらの言葉は、ファティマとの深い関係と、ファティマでのご要求がどのような方法で実現化するかを表わしています。“心” とは、神が聖マリアに注がれた恵みと愛が完全に満たされていることを意味しています。

 冷淡なために、聖マリアのみ心に対する信心業に反抗し、「聖マリアのみ心」という言葉をばかにしているすべての人たちのために祈りましょう。

 3.1947年12月8日、聖母は、混み合っている大聖堂の中で、出現されました。そして左右両側が、白、赤、黄色のバラで飾られた大きくて白い階段の上に荘厳に降りて来られました。

 聖母のみ心は、ご自身の胸の上に、美しく輝いていました。ファティマでのみ心のように、しかし、ファティマのように、とげで傷つけられてはいませんでした。そして、白、赤と黄金のバラで飾られていました。

 聖母は、次のようにおおせられました、「人間をたいへん愛しているこの心をごらんなさい。この心は、多くの人間から侮辱されています………わたしの言葉を守り、これを心に留めているすべての子どもたちに、わたしはあふれるほどのおん恵みを準備しています」。。

 4.聖母が、モンティキアリで出現されるたびにつけておられた3つのバラは、どういう意味でしょうか? 1947年12月8日に、これらのバラは、聖母の輝いているみ心をより美しく飾っていました。他の出現の時はいつも、特にフォンタネレとその後の出現では、それらは聖母のみ胸の上のマントに付けられていました。

 (a)白いバラは、確かに、次のことを意味しています。つまり、「聖マリアは、おん父の最も清純な娘で、“無原罪” であり、“知恵の座” である」ということです。

 (b)赤いバラは、「聖マリアは、神のおん子の母で、悲しみの母、おんあわれみの母である」ということを意味します。

 (c)黄色のバラは、「聖マリアは、聖霊の花よめであり、天と地のきさき、教会の母である」ということを意味します。

 聖マリアは、ご自身の純潔なみ心の中で、クリスタルの聖杯(カリス)の中と同じように、光とおん恵みと、愛の流れを最も聖なる三位一体から、くみ取るのです。そして、計り知れないほどの母の愛をもって、これら、光と恵みと愛で子どもたちを照らすのです。

 み母は、神の宝、そしておん恵みの仲介者として、ふるまわれるのです。聖マリアは、「くすしきバラの聖母」として特に、聖職者たちに豊富なおん恵みを注ぐことを望んでおられます。

 これらの3つのバラには、深くて、偉大で、美しい象徴的意味があります。これらの3つのバラは、神のおん力の3つの大きな範囲を象徴しているのです。

 1.白いバラは、神の知恵、光、純粋、高潔、秩序、創造性、和合などの象徴です。

 2.赤いバラは、主の愛、正義、あわれみ、審判の時の王としてのみ力の象徴です。つまり、それは、ご受難のときにあらわれたその特別な力と、これによる投げやり〔?〕と、十字架、おん血などを表わしています。

 3.黄金のバラは、神の神聖、威厳、全能と、王の尊厳の象徴です。つまり、それはまた、天と地のきさき、聖霊の花よめ、神の無限の力を表わしています。

 聖母は、人類に対して最大限のことをなさっています。聖マリアは、聖霊の花よめとしてすべての子どもたちに、限りない愛をもってこのみ恵みを取りついでくださるのです。

 わたしたちが聖母の連願(連とう)という伝統的な祈りの中で、聖母のかずかずの尊称をとなえるとき、いつも聖母は、神のおん恵みの仲介者になってくださいます。

 東方の教会は、聖マリアに次のような尊称を付けています、「あなたは、紫の玉座、わたしたちの太陽をお生みになったお方、わたしたちをさわやかにしてくださる泉の貴婦人、神の国の最も貴重な真珠、ご聖体の生きている聖ひつ、最も高貴な神の生きている顕示台です」と。

 1947年12月8日のモンティキアリでの「くすしきバラの聖母」という尊称と、聖マリアの美しく輝いている汚れのないみ心への尊敬によって、聖母が三位一体の神からのすべてのおん恵みの結晶であるということがわかります。

 これらのおん恵みは、聖母が特に目をかけておられる司祭や修道者たちの中で栄え、そして特別な実を結ばなければならないのです。

 すべての時代の一般の信心業の中で、このことはいつも賛えられてきました。それは、すばらしい聖母への祈りと賛美歌の中で次のように言い表わされてきました。

 「あなたは、天使たちさえも知らない神の天国に咲く花。色も香りもすばらしい聖地の最も美しいバラの花。太陽よりも輝き、その光線は、不思議な方法で雲を破り、通り抜ける」と。

 「全世界で最も美しいバラ、すべての心の喜び、おおマリアよ、あなたは全能の神に祝福された純潔なお方。あなたはおん父の娘、そのおん子の真の母、聖霊の花よめ」と。

 悪魔も3つのバラをもっています。

1.悪魔の白いバラ

 それは、神の存在を否定する科学、無神論理性主義、自由主義、近代主義、人間主義、無政府主義、そして、その他神を否定するすべての「主義」を表わしています。

 ドイツで、あるフリーメーソン団の会が結成されました。その会員たちは、自らを “バラの十字軍” と呼んでいる。それは、フリーメーソン団の中の高い階級です。フリーメーソンの会員たちは、特別の祭りの時に白いバラを身につけます。

 近代主義とは、とりわけ「神の死」という神学から生じてきたものです。近代主義者たちは、キリストの神性、奇跡、霊魂の不滅、聖三位一体、天使、悪魔の存在を否定しています。

 つまりかれらは、地獄、煉獄、教皇不可謬権、教会と親の権威を否認し、すべての超自然的なことを否定しています。これは、宗教を死においやることです。

 1888年9月28日、教皇レオ13世は、回章に次のようにお書きになりました、「悪魔は、ふたたび地上であばれ回わっています。かれは光の天使の姿となって現われています。悪魔のへびは、悪意の毒を注いでいます。それは、惑わされ堕落した人間の上にある汚染された川のようなもので、うそ、神の否定、汚聖の精神、淫乱と、すべての恥ずべき悪の有害な息です。

 この点について、R・グラベル司教著の有益な本 “アタナシウスと現代の教会” を読むように勧めます。

2.悪魔の赤いバラ

 これは、すべての神の敵、特にキリストと、その十字架、主のとうといおん血の敵で、その敵どもが団結したしるしです。つまり、それは暴動、革命の象徴で、反抗、残虐な力、不人情な行為、残酷、マルクス主義、共産主義、独裁制などの中で、天国に向かって振りあげられた鉄拳なのです。

 教会の内部では、わたしたちの普通の人間愛と兄弟愛を強調しすぎる人たちや、十字架、祈り、犠牲と軽蔑する人たちが、これらの中に含まれます。

 神聖なるものへの冒とく、軽蔑やあざけりの行為が恐ろしいほど増えて、それらは、本来の信仰、神と教会のおきて、秘跡や準秘跡、そして敬けんな信者の信心業(聖母、天使や聖人をたたえたり、ロザリオや十字架の道ゆき)の上に重くのしかかっています。

3.悪魔の黄金のバラ

 これが表わしているのは、自己の神格化、“神のようになること”、富に愛着することです。つまりそれは、物質主義、富への崇拝、流行を追うこと、抑制のない快楽、アルコール中毒、ポルノ、邪悪な行為、迷信、魔術、降霊術、ソドマとゴモラの罪、魔神信仰、動物化、動物以下の行ないを象徴しています。

 年々これらのひどい “流行” が今までになく目立つようになってきています。それらは、大衆を運んでゆく流れだということを覚えておかねばなりません。“死んだ魚だけが、その流れといっしょに運ばれるのです”。

 皆さんは、いわゆる悪魔教会というものがすでに存在しているということを知ったらショックを受けるでしょう。それは、1966年、サンフランシスコで “悪魔の教皇” であるアントン・ラヴェイという人によって創設されました。それは、ひとつの宗教団体として、公式に登録されています。それで、それは、秘密の会ではなく、世界中に広がっています。

 すでに悪魔の聖書というものもできています。悪魔の結婚式と “ブラックミサ” では、祭壇に裸の女の人が置かれるのです。この悪魔教会に入門を希望する人たちは、自分の血で申し込み書を書いて、悪魔に自分自身の霊魂をささげなければなりません。その主な目的は、神や教会、すべての信者への燃えるような憎しみです。

 悪魔の目的は、悪魔宗教を全世界の宗教にすることです。今日、悪魔とその軍隊は、創世記の頃のように “われわれは天にまで登ろう” という声明と共に再び現われてきました。しかし神はもう一度 “あなたたちは地獄の深みに投げ捨てられるであろう” という答えをお与えになるでしょう。

 こういう理由で、主は、こんにち、悪魔の偉大な的、悪魔をみ足で踏みつけるお方である聖マリアと聖なる天使たちを送られたのです。聖母はファティマで、「最後にはわたしの汚れない心が勝利を得るでしょう」と約束してくださいました。

 聖母は、モンティキアリで母としてのみ胸に3つのバラを付けて出現されたとき、次の意味のことをはっきりと示されました、「わたしは、三位一体の神のすべての力と知恵、救いの実、あわれみ、愛、富とともに来ます」と。

 では、聖母は防衛と攻撃のどんな武器を与えてくださるでしょうか? まず最も重要で、効果的で、また勝利を得る武器は、聖なるロザリオをとなえることなのです!

 聖母は、くり返しロザリオをとなえるように要求されました。それはなぜでしょうか? ロザリオは聖書の要約であり、聖書についての黙想であり、キリスト教の教理の要約、そして信仰、希望、愛のすばらしい源、豊富なみ恵みの水路、永遠のいのちの黄金の宝だからです。

 天のバラと悪魔のバラ。ロザリオの喜びの奥義の白いバラと苦しみの奥義の赤いバラ、そして栄えの奥義の黄金のバラは、単なるごまかしである悪魔のにせのバラの正体をあばき、それに打ち勝つのに役立つでしょう。

 今日、悪魔とその助手たちは、羊かいを襲い、羊たちを分散させるために、まさに神の神殿の中に通じる道をつくりあげましたが、それは、教会の心髄と骨髄に達しています。それは、「生きるか、死ぬか」の問題になっています。

 それで、主はおんあわれみにより、そのおん母を “くすしきバラの聖母” としてお送りになったのです。この “くすしきバラの聖母” は、単に「恵みにみちたお方」という意味だけでなく、特に “悪魔を押しつぶすお方” という意味も持っているのです。

 神のすべての戦いにおける勝利者。教会の歴史において、たびたびそうであったように、真の刷新は、先頭に立つ者から始まり、そして後についていく者に広がってゆくものです。

 まず最初は、司祭や修道者たち、すなわち、羊かいたちの刷新です。つまり、そうすると、分散しているキリストの群れは、自然にかれらのまわりに集まってくるのです。

 1973年7月22日に聖母は、「もし人々がこの招き(祈り、苦行、つぐない)を心に留めるようになれば、これは最も明らかな奇跡です。つまり、まず教会の子どもが、真の信仰、神の真の愛に立ち返えるのです!」ということを約束してくださいました。

 カトリック教会自体が、教師、司祭、そして神のみ恵みの分配者としての役割を刷新するとき、神の十戒と教会の権威が再び十分に、そして喜んで受け入れられ、とりわけ教会の7つの秘跡、その中でも特に祭壇のご聖体と罪のゆるしの秘跡が、新しい輝きできらめくとき、すべての秘跡と、救いのための他の敬けんな方法が実際に利用されるとき──これが、聖マリアを通して神がなされる最も明らかな奇跡となるでしょう。

 カトリック教会のすべての聖堂と小聖堂は、まず最初に神の家となるべきです。単なる名所とされてはなりません。

 ご聖体のうちにおられる救い主イエズスが再びわたしたちの教会の中心とならねばならないのです。自分自身を中心にしてはいけないのです。つまり、最も高貴な王位の場所に自分自身を置くことは根本的にまちがっています。これが、神やその母にとって喜ばしいことであるはずがありません。

 教会の中心は主であり、人間ではありません。司祭職や聖なる誓願の価値が低下している原因は、おそらくこのことにあるでしょう。

 このことは明らかに、1970年5月19日に “くすしきバラの聖母” がピエリナ・ジリにお見せになったメダルの裏面に当てはまります。三つの丸天井の大変大きな教会堂があって、人を招く扉が3カ所あり、それには「聖母は教会の母」という文字がありました。

 もし教会が、まず先頭に立つもの、そして後に続くものの中で刷新されていくなら、それは再び光栄なるキリストの花よめとして、きらめくでしょう。そして教会は新しく生まれ変わり、その子どもたちに、明〔?〕、安全、安定、避難の家と母を与えてくださるでしょう。

 この真に刷新された教会からは、力と魅力をもつ、明るく、力強い小川が他の教会や、神を求めている人たちの所に流れ出すでしょう。これに従って信仰の一致と全世界の平和がおとずれるでしょう。

 モンティキアリは、まさにファティマでの約束のオーロラ、現代の嵐の中の灯台です。つまり、モンティキアリは「最後にはわたしの汚れない心が勝利を得るでしょう、そして平和が訪れるでしょう」という聖母のみことばの実現を意味しているのです。

 教皇ピオ12世の祈り。教会の現状に光を投げかけ、聖マリアのおん助けを待ち望む、教皇ピオ12世の意義深い祈りをここにかかげましょう。

 「おお、聖マリア、月のように美しく、太陽のように明るく輝いているお方よ、天国の聖人たちは、あなたのみ顔を見ていて、天使たちはあなたのみ顔に自分たちの姿を写すことができます。あなたの子どもであるわたしたちをあなたのようにしてください。わたしたちの霊魂が、衰えることなく永遠に輝き続ける、あなたの美の光線を得ることができますように。

 おお、聖マリア、天の太陽よ、消えてしまったいのちを再び呼び起こし、暗闇に支配されている心に光をお与えください。

 あなたの子どもたちの顔に光を照してくださる時はいつでも、あなたの光と暖かさの反射をわたしたちに残してください。

 おお、聖マリア、軍隊のように強いお方よ、わたしたちの敵に対して勝利をお与えください。

 わたしたちは、ひじょうにもろく、わたしたちの敵は、わがものがおにあばれまわっています。しかし、あなたの旗のもとにいれば、わたしたちは安全であり、勝利を得ることができます。

 悪魔は、あなたのみ足の力を知っていて、あなたの威厳ある一べつを恐れています。

 わたしたちをお救いください。おお、聖マリア、月のように美しく、太陽のように輝かしいお方よ、憎しみではなく、愛の炎に頼っているよく鍛えられた軍隊のように強いお方よ。アーメン」。

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