8.くすしきバラの聖母の出現の意味

 出現の発端にさかのぼってみると、この聖母の出現は、おもに司祭や修道者たちに関係があることがわかります。

 3本のつるぎ──1947年の最初の出現のとき、聖母は、すみれ色の服をお召しになり、多くの涙を流しておられ、その涙は地上に落ちました。しかし、さらにひどいことに、聖母のおん胸には、3本のつるぎが刺さっていたのです。聖母はただ、「祈り、苦行、つぐない」とだけおおせられました。

 後に聖母は、そのつるぎの意味を、次のように説明されました、

 最初のつるぎは、司祭や修道者としての召し出しをうらぎることを意味しています。

 2本目のつるぎは、司祭や修道者たちが、大罪の状態に生活していることを意味しています。

 3本目のつるぎは、ユダのように、うらぎりの罪を犯している司祭や修道者を意味しています。

 聖母は、モンティキアリで、“くすしきバラの聖母” として、おもに司祭、修道者やすべての奉献者のためにお現われになりました。この人々は、主と主のおん母のみ心の特別な場所にいる人たちです。しかしこの人々の中には、これらの恐ろしい剣を、この最も聖なるみ心に突き刺している人たちがひじょうに多くいるのです。

 最初のつるぎの痛み──約10年間で管理人注1、カトリック教会の3万人もの司祭たちが、その召し出しを捨てました。かれらのうちのやく半数は、還俗の許可をもらうように、教会に申し出ました。しかし、残りの半数の人たちは、ぜんぜん思い悩むこともしませんでした。このことは実際、何千人という司祭や修道者たちが召し出しを捨てたということだけでなく、信仰までも捨ててしまったということを意味しています。かれらは、契約を結んで、民事結婚(宗教上の儀式によらず、公吏が行なって戸籍役場に届ける)をしましたが、そのうちの多くは、すでに離婚してしまっています。これらの司祭の他に、その4、5倍の数に及ぶ修道会のブラザーやシスターたちも、召し出しをうらぎりました。統計では、10万人以上にもまります。何という恐ろしい数字でしょう!

 2本目のつるぎの痛み──この原因となるのは、大罪の状態のまま、そのゆるしを受けないで、生活している司祭や修道者たちです。この人たちは、司祭として仕事をし、修道院に住んでいます。しかしこの人たちは、不熱心で、自分たちの十字架を担うのを嫌い、教皇や教会に対する批判、快楽への執着、そして、自分たちの犯す大罪によって主イエズスと、その恵みに満ちたおん母を苦しめているのです。聖別された男女が、汚聖の大罪を犯しながら、ミサをたてたり、聖体拝領をしているのです。この2本目の剣は、最初の剣以上に痛々しいものです。

 3本目のつるぎは、聖母のみ心の最も奥深くまで突きささっています。この剣は、召し出しをうらぎるだけでなく、信仰も失い、教会の激しい敵になり、大きな損害を与え、多くの霊魂をほろぼしている司祭や修道者たちによって突きさされています。

 このことは、教会の牧者たちだけの問題ではなく、特にキリストの群れに関わってくるのです。「生木さえもそうされるなら、枯木はどうなることか?」

 今なお生きておられるキリストである教会は、今日、悪魔がキリストに対してした3つ目のいざないを経験しています。すなわち、「悪魔はまた、主を非常に高い山に連れて行き、世のすべての国と栄華を見せ、“あなたがひれ伏してわたしを礼拝するなら、これらをみな、あなたに与えよう” といった」というあのいざないです。

 このいざないに負けてしまった司祭、修道者や信者が、どれほど多くいることでしょう!

 わたしたちは今、昔のソドマとゴモラという町に住んでいて大変だらくした生活をおくっていた人々のように、だらくした世界に住んでいるのです。

 しかし、まだ大変多くの善良な人もいます。そして、悲しみの聖母は、この人たちの方をお向きになって、祈り、苦行とつぐないを求めておられるのです。

 教皇の不安にみちた悲しみ

 教皇パウロ6世は、次のような不安にみちた悲しみを口にされました、「教会の内部には、強い勢力を持つ人たちがいます。そして、かれらの中には、多数の司祭や修道者たちもいます。かれらは、外部の最も激しい敵以上に、教会に損害を与えています。……多くの司祭や修道者たちは教会にユダのキスを投げかけています。悪魔はみずから、神の神殿の中に入りこみました」。

 教皇は、深い苦悩の中で、“教会の自滅” と “自滅的な多様主義” について語られました。これらはすべて、悲観的に考えられたことではなく、重大な現実なのです。

 教会の現状は、恐ろしいほど悪化しています。

 多くの司教区や修道会の中では、司祭や修道者が、亡くなったり、召し出しを捨てることによって、その数は減っていき、増加をはるかに上まわっています。バチカン公会議では──残念ながらそれは、ある人によって、たびたび誤解されたり、誤報されたりしますが──明らかにまだ、“公会議後の刷新” の結果として皆に期待されているような新しい春をもたらしていません。

 それは、むしろ何でもこわす激しい嵐のようなものではないでしょうか? 今、神学校や修道院の中にある精神とは、どんなものでしょうか? そしてそれは、一般の人々、特に若い世代の人々に、どのように、とらえられているのでしょうか? 何か間ちがっているのです。しかし、何が間ちがいを引き起こしたのでしょうか? わたしたちは、どこで助けや救いを見い出すことができるのでしょうか? この数世紀にわたって、教会には激しい嵐が吹き荒れ、恐るべき内的腐敗を経験しなければなりませんでした。しかし、「地獄の門もこれに勝てない」という主のみ言葉がくり返し聞こえてきます。

 そして、今まで、どのようにして教会内の刷新がなされてきたのでしょうか? それはいつも、聖母マリアへの燃えるような愛に立ち返ることによってなされてきたのです。単に、生物上の見地から考えてみても、母親は、命のゆりかごです。母親は、生きている人間を授かり、それに光をもたらし、この命を守り、育てるのです。母親は、この命のために気づかい、世話をし、悩むのです。子どもが病気になったとき、その子の母親以上にその子のことを心配する人がいるでしょうか?

  1. 母親は、子どものどこが具合が悪いかということに一番に気づきます。

  2. 母親は、それを治す最良の方法を教えます。

  3. 母親は、しばしばその子ども以上に苦しみ、助けと救いを熱望します。

 今日、世界中で、教会(特に、司祭や修道者たち)は、心の奥まで病んでしまっています。それで主イエズスは、ご自身の限りないおんあわれみをもって、おん母をお送りくださったのです。そしておん母はわたしたちに、病める教会のための最も効果的な薬である、祈り、苦行、つぐないを呼びかけておられるのです。

 悪魔と悪魔崇拝が、教会と人類の歴史の中で、最も恐ろしく猛威をふるっているこの危険な時代に、主は、助けと救いの母を送ってくださっているのです。

 聖母に対する崇敬の復興──聖母は、今も昔も悪魔をみ足で踏みつけておられる偉大な方であり、神の闘いの勝利者なのです。あなたたち司教、司祭や修道者は、単に個別ではなく、団結して、民衆とともに、新たに、そして広く大きく聖母をたたえなければなりません。

 特に、教会、神学校や、修道院の中で、そうしなければなりません。さあ、今からすぐに始めましょう。人々、そして若者たちも、あなたたちの後について行くでしょう。嘲笑する人々に、じゃまされないように気をつけましょう。人々を聖母の巡礼堂に導いてください。そして人々が、単に聖母の巡礼堂に来るだけではなく、聖母の取りつぎにはげまされて、おん子の招きに答えるために、告解や聖体拝領をすることによって、主ご自身のみもとに導かれるように手伝いましょう。

 モンティキアリの出現が事実かどうかという議論は、すでに数多くなされてきました。

 聖母のメッセージとご要求は、現代の教会の大変深い傷と危機にふさわしいものです。羊たちは追い散らすことをずっと前からねらっていたのです。

 関連するすべてのことから考えてみると、次のことが明白になってきます。

 1.モンティキアリの聖母の出現を事実であると考えるのは、道理に合っていて、聖母の差し迫ったご要求は、心に留められねばならないということ。

 2.モンティキアリの聖母の出現について信じることは、誰にとっても自由であるということ。しかし、すべてのカトリック信者は、どんな時でも聖母の方を向いて、自分自身と、親せき、そしてすべての人々のために、おん助けと救いを願わねばならないのです。モンティキアリのことについて疑いを抱いている人は誰でも、いたる所で聖母のおん助けをもとめ、見い出すことができます。でも、このおん助けをどうしても求めるべきです。

 ラサレット、ルルドとファティマは、教会認可を受けています。そして、ここモンティキアリでも、聖母は大変差し迫った必要を感じて、人々にロザリオをとなえるように要求しておられるのです。

「苦行をしなさい。あわれな罪人のために祈りなさい。人々の祈りや犠牲が不足しているために、大変多くの人々が、地獄に落ちようとしています」。聖母は、フォンタネレで次のことをはっきりとおおせられました。すなわち「体の病気や苦悩をかかえて、このおん恵みの泉を訪れる巡礼者たちは、その前に、まず、祭壇のご聖体のうちにおられる主を訪問しなければなりません。そして、主にゆるしを願い、汚れた罪を洗い流さねばならないのです。かれらはまず、苦行をして、それから主のおんあわれみを授かるべきです」

 人間は、どこでも神のおん助けを見い出すことができます。しかし、教会が認めている数多くの聖母の巡礼堂や、肉体的・精神的病気が癒されてきた場所では、特に神に近づきやすくなるのです。

 とりわけ、モンティキアリのメッセージは伝えられねばならない大切なものではないでしょうか? 特に、聖年であった1975年に? もし、この裏に何らかのカリスマがあるとすれば、それは、すべてのカトリック者と教会全体に知られる呼びかけとならねばなりません。もし聖母が本当にモンティキアリで出現されたのなら、わたしたちは、これらのメッセージを真剣に受けとらなければなりません。

 聖母の特別なご要求とは、どういうものでしょうか?

  1. 毎月13日を、聖マリアの特別な日とすること。それまでの12日間には、特別な祈りをとなえること。

  2. 7月13日を、聖母をたたえる日として祝うこと。

  3. 毎年12月8日の昼(正午から1時まで)を全世界のための許しの時間とすること。「教会に行けない人は、正午に家で祈らねばなりません。そうすれば、その人は聖母を通して、同じおん恵みを受けるでしょう」。

  4. 毎年10月13日を、世界のつぐないの聖体拝領の国際の日とすること。

  5. 泉への苦行の行列をすること。このとき、祈り、苦行、つぐないをしなければなりません。

 聖母は、何を約束してくださったのでしょうか?

  1. 若い人々が、信仰のことに対して、もっと興味をもつようになり、司祭と修道者がもっと熱心に聖徳の道をすすむようになります。召し出しをうらぎる人の数がへるでしょう。

  2. 多くの若者が主の招きに答えて修道会に入り、あふれるほどのおん恵みをうけます。かれらは、聖なる創始者たちのもとの精神に立ち返ります。

  3. 頑なになっている罪人、特に堕落してしまった司祭や修道者たちの数え切れないほどの改心。

  4. わたしたち皆のための、天国への確かなお導き、母としてのご保護と豊富なおん恵み。

  5. フォンタネレの泉において、体や霊魂のための特別な奇跡的癒しの力。「病気の人たちは、この泉に来るように。そして、かれらといっしょに、多くのわたしの子どもたちも」。

  6. 「フォンタネレは、信仰、祈りと苦行の光の家に変えられねばなりません」。

  7. 「モンティキアリは、神秘的な光を発する丘で、その光は、全世界に向かって放たれるでしょう。このことはかならず実現するでしょう」。

  8. 「しかし、最も明らかな奇跡は、子どもたちが真の信仰、つまり、主への真の愛に立ち返ることです。その結果として、教会一致と全世界の平和が訪れるでしょう」。

 わたしたちは、この感動的な約束に、どれほど喜び、どれほど感謝すればいいのでしょうか!

 わたしの愛は、全人類を包んでいます。

 わたしたちは、神のおん母がこんなに寛大に与えてくださる愛を、無視してもいいのでしょうか? 聖母のお望みが、かなえられないままにしておいてはいけないのです。わたしたちは、確かに、家、教会、神学校、修道院、そして教会が認めている聖マリアの巡礼堂や、その他、あらゆる場所で、聖母のお望みをかなえることができるのです。

 モンティキアリに、教会の最終許可が与えられるまで(聖母はピエリナに数回、確信をもって、“許可を受けるでしょう” と、おおせられました)、忍耐深く待たなければなりません。

 聖母の望みに従うために、モンティキアリに行かなくても、どこにあっても、たのまれたことをすることができます。大切なのは、祈り、犠牲、つぐないを捧げて、聖母を “くすしきバラの聖母” として大いに崇敬をすることです。

 教皇パウロ6世は、1972年4月30日、日曜日のお告げの祈りのときに、「特に5月は、聖母を “くすしきバラの聖母” として祈るように」と、はげまされました。教皇ヨハネ23世は、回章の中で、全世界に──特に司祭や修道者たちに──「公会議のために、聖母を “くすしきバラの聖母” として祈るように」と要求されました。

 モンティキアリとフォンタネレに巡礼に行ってもよいのでしょうか?

 だれでも自由に行くことができます。でも、ファティマなどのように公式に教会の認可がないかぎり、このような巡礼を禁じたほうがよいのではないだろうか? と考える人もいます。

 公式の認可がないにしても、非公式に充分に認可しています。ある人が、ドイツの一司教に対して、その教区の信徒たちがモンティキアリの巡礼に行くことを禁じてください、とたのんだことがありました。するとその司教は、「人々が祈りに行くのですから、かえってわたしは、はげましたいのです」と答えたそうです。

 この巡礼を特に次の人々に勧めます。

 1.召しだしと信仰に不安を抱いて、司祭職をうらぎった人、また修道誓願をうらぎった男女の修道者や奉献者に、モンティキアリ、あるいはその他の聖母巡礼堂に行くことを大いにすすめます。

 2.そして、“くすしきバラの聖母” への巡礼は、特に傲慢な嘲笑する人たち、無神論者たち、口やかましく批判するすべての人たちにすすめられます。“くすしきバラの聖母” は、この人たちに対して、最も明らかな奇跡を約束してくださいましたから。すなわち、「大理石のように冷たく、頑なになった心も、神のおん恵みに触れれば、献身的に主を愛するようになるでしょう」というおん母のみ言葉があります。

 しかし、これらの多くの人々は、“くすしきバラの聖母” に、自分たちの心を開くのをためらっています。この人たちは長い間、神とその聖なるおん母から遠ざかっているのです。それで、この人々のために、ほかの人は、今、祈り、犠牲、苦行をささげるべき時なのです。これによって、豊かなおん恵みをいただくことができるのです。

 ピエリナ・ジリは、次のように報告しています、「ますます多くの人が、“くすしきバラの聖母” を訪れています。司祭や修道者の親です。かれらは、すでに召し出しを捨ててしまった息子や娘や知り合いの司祭たちのためにひどく悩んでいる心を聖母のところに運んでくるのです。

 3.しかし、わけても、“くすしきバラの聖母” に対する信頼は、すでに召し出しを捨ててしまった人たちにすすめられねばなりません。すべての母親のうちで最も偉大な母は、この人々の精神的苦痛を知っておられます。聖母は今まで、ご自身の母としてのご保護のもとで、この人々を助ける準備をしてこられました。聖母はまた、助ける方法、つまり、この人たちを苦痛から救い出す方法をご存知です。聖母こそ、おんあわれみの母、罪人の避難所、そして絶望している人々の救済者でおられるからです。

 ある大変感動的な告解

 ヴァン・ストラアテン神父は、以前、司祭職をすてた人が書いた感動的な手紙を公表しました。それは、次のような手紙です。

 「親愛なるヴァン・ストラアテン神父さま、わたしは、長くためらっていましたが、とうとうこの手紙を書きます。

 以前、わたしは、ある修道会の一員でした。そして今は司祭職をやめて、結婚した司祭です。

 わたしは、もはや悪魔の存在を信じなくなった多くの人々の中の一人でした。わたしは、教会の中世期の伝統と闘い、身の程知らずなことをしてきました。わたしは、今、ふたたび悪魔の存在を信じるようになりました。

 わたしは、まさに自殺する寸前にまで追いつめられていたのです。改心するにつれて、わたしは、妻といっしょにロザリオをとなえ始めました。ロザリオをとなえることは、わたしたちにとっては救いでした。しかし、わたしたちは、その “保守的” な信心業のために、親せきや友だちから笑いものにされていました。

 これらの数行の文の中に、わたしの霊魂を疲れ果てさせていた悲痛を書き表わすことはできません。わたしにとって毎日は、絶望、嫌悪感[ぞうおかん]、苦しみ、裏切りに対する闘い、そして黙想、苦行、許しの切望のうちに始まっていたのです。イエズスがご自身の愛をもってわたしたちをさがしに来られ、そして家に連れ戻してくださることは、わたしにとって理解できないほどの深いおんあわれみの奇跡としか思われません。

 わたしは、たいへん多くの “進歩的な” 神学上の論理が人を堕落させてしまうということを、自分自身の体で体験しました。

 教皇は、わたしたちをうらぎりのユダにたとえておられました。わたしは今、心から教皇に感謝しています。なぜなら教皇は、この喜ばしくない事実をわたしたちに隠さなかったからです。わたしはあなたにも感謝しています。なぜなら、あなたは、教皇の弁護をしていたからです。わたし自身と、わたしと同種類の人たちについて、少しばかり言い訳をするのをお許しください。

 わたしたちは、悪魔と自分たちのうぬぼれによって、盲目になっていました。わたしたちは、教会の刷新の役に立つと思っていたのですが、じっさいには、教会をほろぼすことだけをしたのです。わたしたちは、タブーを破ってしまったと思いこんでいましたが、ほんとうはこの世のかしら悪魔のどれいになったのです。そして、すべてのことをよく考え直してみると、わたしのうぬぼれ、肉欲、不謙遜と不従順のために、こうしてだらくしてしまったのです。

 わたしは教会に、わたしたちを司祭として復帰させてもらうように要求してはいません。わたしたちにはそれほどの価値はありません。しかし、わたしはなおいつの日か厳格な修道院の平修士として、つぐないをすることを許していただきたいのです。わたしはみ摂理に信頼をおいています。どんな時でも、神のおん恵みはわたしを見捨てることはありませんでした。

 わたしはあなたからのお返事は期待していません。あなたの時間は、あまりにも貴重すぎます。わたしは、わたしと同じ状態にある多くの人たちが、ちょうど、わたしと同じように考えていても、それを文章で書きあらわす勇気がないのだと確信しています。

 元に戻る道は、とても険しいのです。どうか、神が改心のおん恵みをわたしたち多くの者に、与えてくださるようにお祈りください。手遅れにならないうちに………

 今のような困難な時代には、イエズスとマリアへの愛と教皇への忠実が真の信者たちにとっての土台となります。わたしはあなたの祈りに頼ってもよろしいでしょうか?

 わたしたちは “救いの運動” に加わります。あなたは、信仰のために監禁されている人たちのために働いています。司祭職をやめたわたしたち多くの者は、キリストに不忠実を働いたために、不忠実の牢屋の中に監禁されています。どうか、わたしたちのこともお考えください。

 わたしは毎日、何年間も聖歌隊で歌う時に使った聖務日課(教会の祈り)のことばで祈っています。わたしは毎日ミサに行って、そこであなたとあなたのお仕事を思い出します。主とおん母マリアが、あなたを祝福してくださいますように」。

 この手紙は、お恵みの働きをはっきりと表わしています。それにまた、すべての司祭のためにわたしたちの祈りが、どれほど必要かということも表わしています。わたしたちは、何らかの理由で司祭職をやめた司祭たちを決して軽べつしたり、さばいたりしてはいけません。わたしたちの祈り、犠牲、つぐないによってかれらを助けねばならないのです。

 特に大罪の状態に生活している司祭や修道者たちが救われるように、すべての信者は、あわれみ深い愛の祈りをささげなければなりません。

[管理人注1]  これを補足すれば、「ここ最近の約10年間で」ということになるだろう。では、その「ここ最近の10年間」とはいつのことか。それは、この本の初版が1974年1975年であることを考えれば分かるだろう。すなわち、これを「第二バチカン公会議後の約10年間で」と言い換えても差し支えないだろう。
次の外部記事も参照のこと。聖職者の減少に歯止めがかからない廃れるカトリック教会 | キリストに倣いて
神父様方も「第二バチカン公会議後に司祭や修道者がゴソッとやめていった」事実を知っているかも知れない。しかし、それを知っている神父様方も、そのことを「第二バチカン公会議後の改革に気の毒にもついて来れなかった人たち、信仰の画期的な新展開について来れなかった人たちがやめていった」と解釈するかも知れない。しかし、その解釈は表面的である。その解釈が確かなら、第二バチカン公会議から何十年も経った今、状況はもう少し良くなっていてもよさそうなものである。しかし実際は、「2000年の聖職者数は全体で1719人でしたが、2012年の聖職者数は、1422人となっています」(上記の外部記事)。だから、真実は、「第二バチカン公会議以降、教会は、司祭や修道者が決して増えない体質に変わってしまった」ということである。

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