6.目立つ改心

 内的になやむ神学生たちは、くりかえしモンティキアリに来ました。かれらの中の幾人かは、今日の教会の悲しむべき状況のために、司祭職をあきらめることを決心していましたが、モンティキアリの “くすしきバラの聖母” から召し出しに対する新しい勇気を与えられました。その後、かれらの中の数人は、すでに司祭として叙階され、聖母のおん助けに対して、大きな信頼をもっています。

 ほんの1年前に叙階された、ある若い司祭は、不熱心になり、不品行な女の人と関係をもってしまいました。かれは、激しい罪責感にかられ、司祭としての召し出しをあきらめなければならないと強く思っていました。ピエリナは母親のようにかれに話し、絶望しないようにさとしました。ピエリナはかれといっしょに、おんあわれみのおん母であり、罪の避難所でもある “くすしきバラの聖母” のご像の前で、長い間祈りを捧げました。そして、そのあわれな若い司祭は、改心のおん恵みを授かりました。それからしっかりと聖なる告解をして、ついに悪魔の力は滅ぼされました。かれは、司祭としての喜び、忠実への新しい道を見い出し、その道に戻ることができたのです。

 30才くらいで、ある修道会に入っている人がいました。かれは、6、7年間、司祭として働いていましたが、目上の人たちと激しいけんかをして荒れ狂い、その修道会を出てしまいました。かれは2年間ずっと、聖なるミサを捧げませんでした。かれは、どうにか安定した生活ができるようになっていましたが、平和を感じることができませんでした。

 かれは、絶望の状態でピエリナを訪れ、すべてのことを正直に話す力を、かの女によって得ることができました。最後に、かれは汗だくになり、絶望して泣きました。ピエリナはかれに次のように言いました、「神父さま、あなたは永遠に神の司祭です。神のおんあわれみに信頼して、おんあわれみのみ母により頼んでください」と。

 そのとき、かれは絶望を表わして、うめきました、「おお、わたしは何ということをしてしまったのだ!」。

 ピエリナは、その絶望している男の人の手を取り、自分のチャペルの “くすしきバラの聖母像” の所に連れて行きました。そこでふたりは長い間、いっしょに祈りました。かれは、すぐに告解をしに行くことを約束しました。ピエリナは、別れを告げながら、かれに司祭としての祝福を願いました。かれは、感謝に満ちて、涙を流しながら、ピエリナの願いを聞き入れました。3ヵ月後、かれは、大きな試練を乗りこえて、もとの修道会に戻ることができました。かれは今では、謙遜とつぐないの手本となっています。

 ある教授の改心の報告──A.L.教授は、1970年9月27日、フォンタネレの “くすしきバラの聖母像” のもとで改心しました。後にかれは、自分の突然の変化について、講義のときに生徒に話しました。ここに、ほんの一部を引用してみます。

 「わたしは自分の改心についてのいちぶしじゅうを、あなたたちに知らせることを約束します。しかし、わたしはそのことで、騒ぎを起こしてほしくないし、あなたたちに影響を及ぼそうとも思っていません。

 神は、常に人間の霊魂をお救いになろうとしていらっしゃいます。とくに神からずっと遠くに離れて行ってしまった人たちや、神の光から逃げようとしている人たちの霊魂をです。なぜ、神の光から逃げようとするのでしょうか。それは、神の光の中では、人間は自分のすべての罪を知ることになるからです。わたしは、どれくらい長い年月、神の存在を否定してきたかわかりません。わたしは神を呪ってきました。神に、石を投げてきました。わたしは、ひどい罪人だったのです。わたしは深い暗闇の中にいました。そして、もし神のおんあわれみがわたしをそこから連れ戻してくださらなかったら、きっとわたしは永遠の地獄に落ちたでしょう。

 わたしには、大変善良で愛情深い妻がいました。かの女は、あなたたちの想像にあまるほど、苦しんでいました。妻は、冷酷なわたしの犠牲者でした。わたしは妻に屈辱と絶望を与えました。妻がわたしのために、どれほど苦しんでいたかは、神のみが知っておられます。

 かの女は、それでもわたしの救いを望んでいました。かの女は、強い信仰と信頼をもって、そして特に聖なるロザリオをとなえることによって、聖母にわたしの改心を願っていました。そして妻はいつもわたしに祈るように、いっしょにミサにあずかるように、ご聖体をいただくように、そして少なくとも一度は、いっしょに聖母の巡礼に行くように頼みました。

 しかしかの女が頼めば頼むほど、わたしは全くひどい男になっていったのです。とうとうわたしは、ただかの女の嘆願から逃れるために、いっしょに巡礼に行くことを約束しました。もちろんわたしは、巡礼など全く意味のないことだと思っていました。

 そしてわたしはひそかに、心の中で、今後はかの女のことを、もっとばかにして、苦しめることができるとさえ思っていたのです。

 1970年9月17日、わたしは妻といっしょに、神のおん母が出現されたと言われている、ある小さな町へ巡礼に行きました。そこがモンティキアリのフォンタネレでした。

 わたしは、ばかにしながら、チャペルに入りました。驚ろいたことに、とつぜんわたしの前に、約2mの高さの聖母像がありました。わたしは、まるで魔法にかかったかのように、じっと立っていました。実のところ、わたしはそれまで、それほど美しく、背の高い聖母像を見たことがありませんでした。わたしはキリストのおん母のおんまなざしの優しさに深く打たれました。おん母のおん目は優しく、しかも大変悲しそうで、わたしに語りかけていらっしゃるように思えました。

 おん目は生きていて、愛と優しさに満ちていました。わたしは、言葉では表わせない何かが、そのおん目からわたしの心に注ぎ込まれたのを感じました。わたしは前の自分と全く変わった感じがしました。わたしの頭には、“超自然のおん助けなしに、こんなご像を作れる芸術家はない” という考えが浮かんで来ました。そのご像のおん目は、人間の目のように生きていて、ずっとわたしの方を見ていました。わたしは “自分はそのおん目から見られるに値しない人間だ” と感じて、そこから逃げたいと思っていました。

 しかし、わたしがどこに行っても、そのおん目は、わたしを追ってくるのです。わたしはとつぜん、ひざの力が抜けたことに気づきました。どのようにしてそうなったかわかりませんが、わたしはチャペルの入口の前にひざをついて、右肩でチャペルのドアにもたれかかっていました。

 わたしがそれまで持っていた、すべての傲慢とうぬぼれは、打ち砕かれ、わたしの霊魂の中では、にがい涙が流れていました。わたしは、何か普通でないことがわたしの中で起こったのを感じましたが、それが何であるかを理解することもできませんでした。

 初めは、神の呼びかけと “くすしきバラの聖母” がわたしに与えてくださった母としての愛に反抗する激しい葛藤がありました。

 その葛藤の間、それまで優しさと光と平和に満ちていらっしゃったおん母のおん目は、突然悲しみと苦痛でいっぱいになりました。二粒の大きな涙がおん母のおん目から落ちて、み顔全体をぬらして流れました。わたしはそのときに自分が感じたことを説明することができません。ただわたしに言えるのは、次のことだけです、つまり、わたしは自分が過ごした過去の生活ぶりが、光のように素早く通り過ぎるのを見ました。わたしは言葉では言い表わせないほどの恥ずかしさと、後悔を感じました。わたしは、それまでの人生で一度も、そこまで心を動かされたことはありませんでした。と同時に、自分の罪がすでに許されたことを感じました。わたしは、神のおん恵みと愛、たとえようもないほどの喜びと平和、全く新しい命を感じました。

 わたしはまるで、“くすしきバラの聖母” の母としての限りない愛の中に包み込まれたようでした。わたしは、新しい人間になって、チャペルを出ました。最初のうちは、妻には何も話しませんでした。それからの日々は、改めて神──特に神の限りないおんあわれみと愛──と見い出しました。わたしはまた、告解にも行きました。そして、ご聖体をいただくことによって、内的平和が増しました。わたしの愛する善良な妻はすぐに、わたしが内的に全く変わったことに気づきました。それからわたしは、くり返えし感謝を捧げるために、妻といっしょに、何度かフォンタネレに行きました。

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