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キリスト信者が自身を福いなる童貞に捧げるための祈り

PRAYER,
BY WHICH A DEVOUT CHRISTIAN MAY DEDICATE
HIMSELF TO THE BLESSED VIRGIN.

ああ、いとも汚れなき童貞マリア、神の御母、私◯◯〔名前〕は、あなたの召使いとして最も無価値な者ですが、あなたの類なき善良さに対する信頼に励まされて、また、あなたに仕えたいとの熱心な望みに満たされて、今日、あなたの御子の御前で、また私の守護天使の前で、また天国の全法廷の前で、あなたを私の弁護者として、また母として、また女王として選びます。そして私は、あなたの祈りに助けられながら、常に変わらずあなたに仕えようと、また全ての人があなたに仕えるようになるために私の力の限りを尽くそうと、固く決心します。それゆえ、ああ、最も慈悲深き御母よ、私はあなたに、あなたの聖なる御子の御血を通して、この私を永遠にあなたの敬虔な依頼者であり召使いである者として受け入れて下さることを、伏して嘆願します。私が自分の全ての思い・言葉・行ないを、あなたの御子イエズス様を決して傷つけないよう規制できるように、私の全ての行ないを助け、恵みを取り次いでください。今も、そして私が死ぬ時も、私を忘れず、私を見捨てないでください。アーメン。

5.毎日規則正しく、あなたが祈りを終えて直ぐ一時間、あるいは少なくとも15分間、24ページ〔未訳〕に書いた準備行為によってあなたがあなたの心を準備することができるように黙想してください。その後、この小さな本がその日のために定めてあるイエズス・キリストの御受難についての黙想を、ゆっくり注意深く読んでください。あなたが敬虔な人生を送りたいと望むなら、この黙想を省くことはできません。「黙想をする時間はない」と言う人々の仲間にならないでください。彼らはそのように言いながら、無益な娯楽のためには時間をたっぷり使うのです。もしあなたが自分の救われを本当に望むなら、黙想に充てるべき時間を浪費したりはしないでしょう。

6.黙想を終えたら、次に、あなたの全ての行ないにおいて、あなたのために苦しみ給い、また死に給うたイエズス様に倣うよう努めようと決心しなければなりません。その日一日、朝に黙想した彼の御受難の箇所をできるだけしばしば思い出しながら、苦しまれる聖なる贖い主のそばに心の内で優しく留まり続けようと決意してください。イエズス様の御苦しみについて想起すること以上に、この世の試練にある私たちに慰めを与える効果のあるものはありません。

7.自分が敵国の中を旅していると考えてごらんなさい。あなたは一足ごとに危険な罠にかかる可能性があります。その日のために、あなたがいつでも逃げ込める安全な場所として、イエズス様の至聖なる御傷のどれかを選んでください。そして、そこに退避し、あなたの救われのためにそれらの傷を負われたイエズス様に対する愛と同情の行為の中にあなたの感情を注ぎ込んでください。そしてイエズス様に、あなたがその日に特別の仕方で実践しようとしている徳をお恵みくださるよう頼んでください。

日曜日

イエズス様の愛すべき御心。彼に、彼の聖なる愛をあなたも持つことができるように、また、全ての地上的な愛情から離れた精神を持つことができるように、恵みを願ってください。

月曜日

左の御足の御傷 聖なる忍耐〔を持つことができるようになるための恵み〕

火曜日

右の御足の御傷 自分の罪の真の悔い改め〔ができるようになるための恵み〕

水曜日

左の御手の御傷 謙遜〔になることのできるための恵み〕

木曜日

右の御手の御傷 全ては神の御意志から来るものであると見て、全てを神に委ねること〔ができるようになるための恵み〕

金曜日

御脇腹の聖なる御傷 イエズス様の御受難と死を常に覚えているようになるための恵み

土曜日

福いなる童貞マリアの悲痛の御心 彼女に対する深い信心と優しい愛〔を持つことができるための恵み〕

8.御ミサに与ることなく一日を過ごすことのないようにしてください。あなたが信心をもってするなら、御ミサに行くことはより容易になるし、あなたを大いに益することにもなります。カルワリオに行くつもりになって、御ミサに出掛けなさい。そしてそこで、イエズス様の御脇腹のそばに留まりなさい。彼は、あなたのために御自分の命を永遠の御父に捧げ、あなたのためにその犠牲を祭壇の上で新たにして下さっているのです。あなたがその聖なる犠牲をアシストする立場にないとしても、少なくともそうしたいという望みを持ち、その敬虔な望みを御父に捧げてください。心の内であなた自身を、その日に御ミサに与っている全ての信者と結び付け、そしてとりわけ、御ミサを捧げている司祭たちと結び付けてください。そして、彼らと心を一つにして、あなたの罪のための犠牲として、また憐れな罪人たちの回心のために、そしてあなた自身の霊魂の救われのために、永遠の御父に、イエズス・キリストを、彼の御受難を、彼の御体と死を捧げてください。御父の崇むべき御子、十字架に架かり給うた御子の御功徳を通して、御父に、あなたがもう二度と大罪を犯すことがないよう嘆願してください。

毎日御ミサに与ることは、霊的にも現世的にも、多くの恵みの源です。だから、自分を御ミサから引き離すことのないよう努力してください。

9.あなたの日々の務めを、神の御意志を果たす意向で始めてください。注意して、それぞれの行動の始まりを、私たちの主の御労働・御骨折り・御苦しみと一致した仕方で捧げるようにしてください。そして、神をお喜ばせしたい、彼の栄光を高め、全てにおいて神の聖なる御意志を満たしたいという意向を持つようにしてください。そうすることによってあなたは、疲れをあまり感じなくなるどころか、ほとんど感じなくなるでしょう。そして、あなたの行動は実り多いものになるでしょう。そのような敬虔な意向なしにされた場合は、骨折りは非常に大きくなり、しばしば失敗するようになり、悩まされる事が多くなるでしょう。

10.全ての時間をキリスト教的な方法で用い、あなたの立場に応じたあなたの全ての義務を完全に果たし、神を害するかも知れず、あなたの霊魂を汚すかも知れない全てのことを慎重に避けることをルールとしてください。キリスト教的な生活を送らず、天国を得るためだけに与えられていた時間を悪く使った人たちは、死に臨んだ時、どれほど大きな悲しみと苦悩と絶望を感じることでしょう!

11.あなたの務めの中で、時々敬虔な射祷によって心を神に挙げることを忘れないでください。もし疲れによる苦しみを感じたなら、十字架に架かり給うたイエズス様を思い出し、あなたの全ての愛情を傾けて彼にこう言ってください:「ああ、わが甘美なるイエズス様、あなたは私のためにどれだけ苦しまれたことでしょう! どれだけ大きな痛みと悲しみを、どれだけ多くの苦しみを、私の霊魂の救われのために耐えてくださったことでしょう! ああ、私の愛すべき贖い主、私の霊魂はあなたにどれだけの代価を払わせたことでしょう! 私への愛のために十字架上で死なれたことを、私はあなたに感謝します」。このように祈れば、あなたの働き方はキリスト信者らしいものになるでしょう。そして、十字架に架かり給うたイエズス様の御事を敬虔に思い出すことは、あなたの重荷を軽くし、あなたのどんな疲れも緩和するでしょう。

12.怠惰を、全ての悪の母であると考えて、避けてください。情欲を高ぶらすような娯楽も避けてください。あなたの清さに損害を与えかねないどのようなグループにも属さないでください。務めにおいてと同様、娯楽においても、あなたはキリスト信者らしくあらねばなりません。罪のない娯楽によってあなたの心をリフレッシュしてください。しかし、初期のキリスト信者たちにおいてはサーカスを見に行くことも、あるいは公衆の場での世俗的な見世物に出掛けて行くことも、罪と見なされていたことを覚えておいてください。

13.不安、悲しみ、悩みの中にある時、心の内で、十字架に架かり給うたイエズス様を頼りにしてください。全き信頼の中で、あなたの苦しみをイエズス様に打ち明け、それらを彼に捧げてください。そして、もし自分がイエズス様への愛のために何かを苦しめば、それによって自分はイエズス様と似たものとなる、と考えて、勇気を得てください。そして、彼の苦しみに寄り添い、彼を支えてください。このようにすることは、天国の栄光にふさわしいことです。イエズス様はあなたよりもっと苦しんだのであり、且つ彼はあなたのために苦しんだのだということを覚えておいてください。

14.誘惑に遭い、神を害する危険のある時、直ぐにイエズス様の御傷を思い出し、完全な信頼によって彼の名を呼び、自分は今、十字架にかけられ給うた彼を見ており、彼は自分に優しくこう言っておられると想像してください:「子よ、私を傷つけないでおくれ。私の受難と死を再度のものとしないでおくれ。子よ、私はいつもあなたを愛して来た。なぜ今、憎むべき罪によって私の心を傷つけようとするのか?」。彼の御足許にひれ伏してください。そして、これほど愛すべき父親、これほど愛情ある贖い主を傷つけるよりは、いっそ死んだ方がましである、という決意を新たにしてください。私たちに罪を犯すことを避けさせるために、十字架に架かり給うたイエズス様の御苦しみと御傷について考えること以上に効果的なものはありません。

15.もしあなたの隣人が言葉や行ないによってあなたを攻撃したり、あなたを苛立たせたり、あなたに逆らったりした時には、イエズス様がその御受難の過程で苦しまれた暴力・侮辱・傷害などを思い出して、あなた自身にこう言ってください:「わが魂よ、神の御子イエズス様が、耐えねばならなかった全ての邪悪な扱いの只中で、どれほどの謙遜と柔和をもって沈黙を守られたかを見よ。それなのに、お前は憤懣の情を抱くのか? ああ、そうであってはならない。わが甘美なるイエズス様、私はあなたのために黙って苦しみます」

16.あなたが悲しみを感じたり、心が掻き乱されたりした時には、園で苦悶しておられるイエズス様を、あなたが犯した罪を見て深い悲しみで圧倒され、御自分の辛い御受難を予見しておられるイエズス様を想像しなさい。心の内で、自分を彼と一致させなさい。そして、彼と共にこう言いなさい:「愛すべき天の御父、御旨の行われんことを!」。このようなキリスト教的理解が欠如しているために、多くの人は、十字架に架かり給うたイエズス・キリストの実としてはまったくふさわしくもなく、自らを不忍耐に任せています。

17.あなたが貧しい人たちを見る時、病気の人たちを見る時、不幸な人たちを見る時、投獄された人たちを見る時、慈悲深い気持ちを持ってください。そして、もしあなたにそうする力があるなら、そのような人たちの苦しみを和らげてあげてください。イエズス・キリストが貧しい者となり、あれほど多くの苦しみを舐められたのは、あなたを愛するゆえだったのだということを思い出し、そして、恥辱の中で捕縛されることを拒絶なさらなかったのも、あなたの霊魂を罪のくびきから解放するためだったのだということを思い出して、そうしてください。十字架上のイエズス様を愛する者にとっては、彼とその御苦しみをしばしば思い出させることのないものは何もありません。

18.あなたが食事を取ろうとする時、十字架上のイエズス様はその御苦悶の最後の間、彼の渇きを緩める一滴の水も取れなかったことを思い出してください。何の祈りもなしに食事の席につくことのないようにしてください。それから、食事が終わろうとする時にも、あなたの精神と心を彼の善性に対する心からの感謝へと向け、十字の印をして締めくくるということなしには席を立たないでください。そのようなことは、教会の最も初期の時代から、全ての信者たちの敬虔な慣習でした。そうしないことは、そこに敬虔さの大きな欠如があることを示しており、他教信者や異教信者に似たものになることです。

19.物事がうまく行っていて、全てがあなたの欲する通りに進んでいて、あなたの心が喜びと幸福でいっぱいになっている時にも、十字架に架かり給うたイエズス様の御有り様を忘れないでください。彼がどれほど痛ましい苦しみを耐えられたかを、僅かの慰めも緩和もなしに、遺棄されたような悲しみをその御心で味わわれたことを、忘れないでください。彼にこう言ってください:「ああ、私の苦しまれるイエズス様、私は、被造物の中にでなくあなたの中に、あなたの御傷の中に、いつも慰めを見出します」。この世の喜びや浮かれ騒ぎは虚しい幻影に過ぎません。しかし、それとは反対に、神の業とイエズス様の真実の愛は真のキリスト信者にとって純粋な喜びの尽きせぬ泉です。

20.あなたが不幸にも罪に落ちた時には、十字架に架かり給うたイエズス様の御足許に自分を急ぎ投げ込み、あなたが犯した罪について彼の赦しを嘆願してください。彼の御受難と死によってあなたを赦して下さることを、そして今後決して彼を攻撃しないようになる恵みを懇願してください。もしあなたが犯した罪が大罪なら、できるだけ早く告解の秘跡を受けてください。僅かの間でも罪によって汚れた霊魂のままで生きることは、神の敵、イエズス・キリストを十字架にかけた者たちと同じようになることです。あなたは死が突然来て驚くかも知れず、真っ逆さまに地獄に落ちる可能性があることを覚えておいてください。

21.一日の終わりを、心からの信心の祈りをもって締めくくってください。贖い主キリストの御受難の幾つかの点について短くとも毎晩考えることを怠らないでください。あなたの救いのために死ぬことを引き受け給うた彼の愛に最も深い感謝を捧げてください。彼に、生き生きとした感謝の情と共にこう言ってください:「わが甘美なる主、私は、あなたが私の救いのためにそれほどまでに苦しまれ、十字架上で死なれたことに感謝します。最も寛大なる贖い主、あなたの御受難の功徳によって私を救ってください」。そして、彼のお辛かった御受難の記憶のために三回の主祷文を唱えてください。そして、あなた自身を聖母の御保護の下に置くために、御悲痛の聖母に敬意を表して三回の天使祝詞を唱えてください。

22.夜寝る前に、あなたの良心を調べ、悔い改めの行為をしてください。決して、大罪によって汚れた霊魂のままで眠りに落ちるようなことはないようにし、たとえその時は告解の秘跡を受けることができなくても、真剣な悔い改めによって全ての汚れを落とすようにしてください。主の十字架の御足許で自分の全ての罪を発見して嘆き悲しむことなしに、死が引き続くかも知れない眠りの中に静かに目を閉じてしまうことは、非常に無分別なことです。

23.慎ましくきちんとした態度で服を脱いでください。そして、御父を讃えるために主祷文を一回唱えることによって、あなたの守護天使に、あなたを護ってくれるよう願ってください。横たわる時、イエズス様は十字架の固いベッドの上で体を伸ばされ、鋭い釘によってそこに釘付けられたことを思ってください。そして彼にこう言ってください:「ああ、わが甘美なるイエズス様、あなたは十字架の上に釘付けられ、言語に絶する拷問を加えられたのに、私はと云えば、このベッドに横たわっています! 私はあなたに同情し、私の全ての心を挙げてあなたを愛します」

24.そのような敬虔な思いと共に眠りに落ちれば、あなたはあなたの眠りさえ聖化できるでしょう。夜中に目覚めた時には、あなたの心の目で、苦しまれるイエズス様を見上げてください。彼はあなたの全ての思いと愛情の対象でなければなりません。彼にこう言ってください:「私のイエズス様、私はあなたのものです。私を救ってください。私のイエズス様、私の救われのために十字架の上で亡くなった御方、私がいついかなる時もあなたをお愛し申し上げるようにしてください。私の愛すべきイエズス様、私はあなたの全ての愛に感謝します。私はあなたの全ての御苦しみに関しあなたに同情します」

25.あなたはベッドに入った時、人生最後の瞬間に到達し、手に主の磔刑像を持って横たわっている自分を想像することもできます。そして、次のように自問することができます:「もし私が今まさに死なんとしていたなら、私はどうしたいと望むだろう? その磔刑像は、私が十字架に架かり給うた彼をいつも愛していたというので、私に慰めと平安をもたらしてくれるだろうか? それとも、私が彼を傷つけ、彼の愛と慈悲を粗末にしたというので、それは私に対する非難と恐怖になるだろうか?」。このような思惟がもし真面目に為されたなら、キリスト信者にもっと神聖な人生を送る決心をさせるために非常に有益であることは言うまでもありません。

以上のようにするならば、あなたは聖なる仕方で一日を過ごすことになり、少しは疲れるかも知れないとしても大きな利益を得、あなたの全ての行動を清いものにし、そして、苦しまれるイエズス様の愛すべき御心をお慰めすることができるでしょう。

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