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イエズス・キリストの至聖なる御受難について
黙想するための実践的なメソッド

A PRACTICAL METHOD
OF MEDITATING ON THE MOST SACRED PASSION
OF JESUS CHRIST.

おそらく、主イエズス・キリストの至聖なる御受難ほど、あらゆる種類の人々に適切な主題はないでしょう。それを黙想する中で、罪人たちは、彼らの回心に必要な励ましと恵みを得るでしょう。それを黙想することから、初心者は、自分自身の受難を乗り越えるための力と情熱を得るでしょう。それを黙想する中で、善き人々は、善徳の道において更に前進するための新鮮な刺激を見出すでしょう。一言で言うならば、そこに隠された宝の無尽蔵の鉱山を見出さない人、恵みと霊的祝福の尽きせぬ泉を見出さない人は、一人として居ないことでしょう。それはあらゆる時代のあらゆる聖人たちによって好まれた実践だったのであり、彼らは、彼らの救い主のお辛い御受難について黙想する数時間(あるいは昼夜)を過ごす習慣の中で、大いに霊的慰めの中に前進したものです。しかし、敬虔なキリスト信者よ、それほど多くの事が求められているわけではありません。ただ毎日一時間、あるいは少なくとも15分間、イエズス様の御受難の何がしかの点についてじっと考えればいいのです。からし種の辛みの段階を確かめようとする人は、それをゆっくりと噛み、それ全体を飲み込んでしまわないように口の中に保ちながら、注意深く味わいます。そうすることで、辛み成分が彼の口腔を完全に刺激して、彼に涙を流させるほどになるのです。似たようなことが、イエズス・キリストの御受難の神秘にも言えます。一口で飲み込んでしまえば、それは心に触れません。表面的にざっと一回考えてみるというやり方では、それらの徳はどういうものであったかを魂で感ずることはできません。しかし、注意深い黙想によってゆっくりと消化するならば、そこから聖なる愛情と素晴らしい回心が生ずることでしょう。あなたは、あなたの心をこの聖なる実践に真面目に適用することで、それを試みるだけで、いかに素晴らしい心の変化が、人生の転換が、罪への憎みが、そして神への愛が、自分の霊魂の中に生じたかを、自分で体験することでしょう。やってみてください。そうすればあなたは、愚かな世俗によって「黙想は難しい」とされて来た全ての理由があなたの目の前で消えてゆくのを目撃することでしょう。そしてあなたは、十字架に架かり給うたイエズス様について黙想しながら沈黙の中に留まることがあなたの霊魂にとっていかに甘美なものであるかを感じることでしょう。

この聖なるエクササイズを容易にするために、私は月の毎日のために、キリストの聖なる御受難の主な神秘についての黙想を三つのポイントに分けながら編みました。それをただチラッと見て、その内容を急いで大まかに読むということで満足しないでください。そうではなく、自分が読んでいるものを注意深く考えるために、非常にゆっくりと読み、しばしば立ち止まるようにしてください。

あなたが黙想の主題として取り組む御受難のどの神秘についても、あなたは次の五つのポイントについて注意深い観察をすることができます:

1.

苦しむ彼の計り知れない偉大さ

2.

彼が耐え忍んだ苦しみと恥辱の計り知れなさ

3.

彼が苦しんだ愛はどれほど偉大なものであったか

4.

彼がそのために苦しんだ人類は、彼の苦しみにどれほど値せず、悪性の強いものであるか

5.

彼の全ての苦しみの主要な目的は人間から愛されることであること

これらについての熟考があなたの心の深いところに沈むようにしてください。そして、もしあなたが読んでいる黙想の一つのポイント、あるいは他の何れかのポイントがあなたの心に生き生きとした印象を残すようなら、「先に進まなければ」などと考えることなく、しばらくそれと共に留まってください。もしあなたが、そのポイントに留まることが善い思いの生産につながると思うならば、他のポイントについては後日に譲って、それからの数日間、あるいは数週間でも、引き続きその同じポイントに留まって、あなた自身の祈りを作ることさえしていいでしょう。このようにすれば、あなたは直ぐにも、このような反復があなたの霊魂にどれほど有益なものであるかを悟るでしょう。

あなたがイエズス様の御苦しみについて黙想する時にあなた自身の心に掻き立てるべき主たる感情は次のものです:

1.賛嘆 「人はどうしたら、私のような不快な被造物のために神がこれほどまでの苦しみをお引き受けになるなどということが有り得ると思うことができるだろう! ああ、何という途方もない愛と慈悲!」

2.感謝 御受難のイエズス様があなたに与え給うた利益の偉大さについて、心の内で感謝の情を掻き立ててください。そして、自分がどれほど愛すべき贖い主に負債があるものであるかを感じてください。そして、あなたに対する彼の無限の愛のために、いつも彼を讃美し感謝する決心をしてください。

3.同情 悲しみと苦しみに圧倒されている十字架上のイエズス様に同情してください。そして、最も苦しんでおられる主に幾分なりとも慰めを提供するために自分がその場に居たならば、と熱心に望んでください。

4.罪の悔悟 あなたが神の法に反して自分に許した数々の罪の喜びが、イエズス・キリストに代価を払わせました。だから、あなたはどれだけのものを彼の御受難と死に負っているでしょう。彼の御足許で自分の罪を嘆き悲しんでください。そして、この先、あなたから愛されて全く当然の父親を傷つけるよりはむしろ死のうと固く決心してください。

5. あなたをこれほど愛して下さっている御方にあなたの心の全ての愛情を捧げることを言明してください。そして、もし可能ならば彼に対する愛だけで一杯になった心を千個持ちたいと望むことによって、彼の計り知れない愛に幾分かでも釣り合うものとなってください。あなた自身を十字架上のイエズス様の愛に全てすっかり捧げ、奉献〔聖別〕してください。彼が全ての人々によって知られ愛されることを願ってください。

6.祈り 彼を愛することのできる恵みを、彼に倣うことのできる恵みを、彼を決して傷つけないようになる恵みを、主に願ってください。神はイエズス・キリストの御受難の功徳を通して必ずやあなたがリクエストしたもの全てをお与えになるだろう、という生き生きとした確信でもって、あなた自身の心を鼓舞するよう努力してください。あなたの最も熱心なリクエストは、当然ながら、あなたの悪癖を矯正するための恵み、あなたにおいて支配的な情欲を克服するための恵み、そして、あなたが最も欠いている徳を実践するための恵みに向けられなければなりません。そのリクエストは、あなたの黙想において目立つ場所に置かれていなければなりません。と云うのは、彼の御受難についての全ての黙想の主要目的は「キリストに倣う」ということでなければならないからです。愛情を作ったら、次に決意に進むべきです。主に対し、今後彼を、大罪によっては勿論、意図的な小さな罪によっても不快にさせないと約束してください。今後自分はこれこれ(具体的に言ってください)の罪を避ける、そのためにはこれこれ(具体的に言ってください)の手段を用いる、と決めてください。例えば、これこれの場所にはもう近づかないとか、これこれの仲間とはもう付き合わないとか、これこれの思いが出たら即刻それを打ち消すとか、これこれの場面に出くわしたら自分の目に覆いをかけるとか、あるいは沈黙を守るとかです。

あなたの祈りが実を結ぶか否かは、その祈りがそのような決意を含んでいるか否かにかかっているのであり、更にもっと重要なことには、その決意に忠実で居続けることにかかっているということを覚えておいてください。それらの決意をイエズス様の聖なる御傷の中に置いてください。またマリア様の御手の中に置いてください。そして、それらを実行できる恵みを懇願してください。一日中、それらの決意を見失わないようにしてください。そして、自分がそれをどのように実行しているかを時々検査してみることは、あなたの忠実さを確かなものにするための最も効果的な方法になるでしょう。

人は、ここに述べられた指針に従うことによって、イエズス・キリストの受難について黙想することがどれほど容易なものであるかということを、自分自身の体験によって知るでしょう。そして、その実践は修道者にのみ適していて、世俗の者にとってはあまりに難しい、と言っている人たちはどれだけ騙されているかということに、はっきりと気づくでしょう。黙想とは、既に言ったように、実際は、私たちの聖なる信仰の神秘や真理に関して記憶と理解と意志を使う、ということ以上のものではありません。さて、もし私たちが、しばしば罪深い性質の、感覚に訴える対象について、それらの力〔記憶、理解、意志〕を使うことに慣れているとするならば、私たちは何故、私たちの最も愛すべき贖い主イエズス・キリストのお辛い御受難についてはそれらの力を使えない、などと言うのでしょうか?

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