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キリスト信者の心に向けて磔刑にされているイエズス

JESUS CRUCIFIED TO THE HEART OF THE CHRISTIAN.

「子よ、私はあなたのため、最も恐ろしい苦しみと拷問の真っ只中で、自分の命を十字架にかけ、犠牲としたのである。私があなたのために為した全ての事を思い出すようにと、私の受難を思い出すようにと、私が時々あなたに求めたとて、それが何か過剰な要求ということにでもなるのだろうか? ああ、子よ、父親は──あなたに対する愛のために苦しみ、そして死んだ父親は──最も残酷に釘付けられ、最後の息をし、悲しみの海に沈んで行った父親は──あなたに少しも頼み事をしてはならないというのだろうか? 私はあなたに対する愛から自分の全ての血を流したが、あなたにも血を流して欲しいと頼んでいるわけではない。私はあなたのために鞭打ちを甘んじ受けたが、あなたにも鞭打ちを受けて欲しいと頼んでいるわけではない。私はあなたの霊魂の救いのために無限の愛によって自分の身を十字架の上に横たえたが、あなたにも同じようにあなたの命を犠牲として捧げて欲しいと頼んでいるわけではない。そうではない、私の子よ。私はあなたに、苦しむ、傷だらけの、十字架の上で死んだ私について思いを巡らすために、あなたの救われに対する熱望から自ら惨めな状態に下降した私について思いを巡らすために、しばしの間立ち止まって欲しいと頼んでいるだけである。私はあなたに、私の無数の苦しみを眺めて、一片の思い、一片の愛情、一つの溜め息、一粒の同情の涙を見せて欲しいと頼んでいるのである。あなたの心は、ああ、私の子よ! あなたの優しい父親、あなたの愛すべき贖い主に、そのような僅かの感謝の捧げ物(時々私の受難を思い出すこと)をするのを拒むほど、時々私の受難を思い出して欲しいという望みを拒むほど、頑なで薄情なのだろうか? あなたはあなたの思いと愛情をこの世に向けながら、被造物に向けながら、自身の興味に向けながら、しかし私のためには一つの溜め息も、一つの愛情も、一つの同情も示すことを拒否するというのか? ああ、子よ! 私はあなたに、私の願いを満たしてくれるように、私があなたに求めていることを拒絶しないように懇願する。私の全ての苦しみ、私が受けた傷、そして私の死を思い出して欲しい。私に同情し、私を愛して欲しい。少なくとも一日の最初の思いを、私の辛い苦しみの或るものを思い出すことに捧げて欲しい。忙しい時にも、少なくとも一つの溜め息を、磔にされたあなたの救い主に与えて欲しい。そして、一日の全ての業を終えた時、あなたの最後の感情は、十字架上で息を引き取ったあなたの贖い主に対する同情であって欲しい。

ああ、私の子よ! あなたの救われは私にどれほどの代価を払わせたかを忘れないで欲しい。あなたの霊魂を買い戻すために私がどれほど厳しいレート〔歩合〕を払ったかを、私がどれだけ多くの血を流したかを、あなたの罪を償うために私がどれだけ多くの苦しみに耐えたかを、忘れないで欲しい! もしあなたの心がいつもそのような考えで占められ、しばしば私の受難について黙想するならば、あなたは今後、決して、決して、再び故意の罪を犯して、残酷にも私を再び磔にするなどということはしないだろう」

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