祈り方:
内面生活へのカトリック・ガイド
秘密はありません。あなたは祈り方を知ることができます!
そうです、あなたが!
たとえあなたが、家一杯の叫びまわる子供たちを持っていたとしても、あるいは、あまりに沢山の学校の宿題を持っていたとしても、あるいは、あまりに多くの時間を要する仕事を持っていたとしても。
実際、それらの状況は正に、あなたがもっと祈ることを必要とすることを意味しています! なぜなら、祈りは真の自由──「神の子らの光栄の自由」(ローマ人への手紙 8:21)を──与えるからです。あなたが必要としているのは正にそれですね? ええ、私にはわかります・・・
・・・それは私たち皆が必要としているものです!
カトリックの祈りへのこの簡潔なガイドは、良き祈りの生活を発展させようとして私自身がもがいてきたところから生まれたものです。
私は「祈り方」を学ぶための確固としたガイダンスを見つけることだけでも難しいと気づきました。しかし、良い情報が、内面生活と全体としての私の信仰の両方を発展させるために非常に役立ちました。この記事は私が真の専門家たちから学んだ最良のものを──祈りの宝庫を解錠するキーを──含んでいます。
ですから、一緒に始めませんか?
ありがちな神話を克服すること
あまりにも多くの人が、自分にはより良き祈りの生活を持つことができないもっともな理由があると考えています。
それらの理由を信じてはなりません!
私自身、かつての人生で、あまりにも何度も、そのような言い訳を自分にしてきました。そして、それらの言い訳は今でも、私が目を離した隙に再び忍び寄ってきます! ありがちな神話とは、こうです。
  • 私はどんな「形式ばった」感覚で祈る必要もない。神は私が彼を愛していることをご存知だ。
  • 私は祈る時間がないだけだ。
  • 私の信仰は祈りから何かを得ることができるほど深くはない。
  • 私は祈り方を学ぼうとしてきたが、結局何も掴めなかった。それはあまりにも難しい。
どうか、祈りについての真実は「良き便り」であることを知って下さい!
真実: 祈りの生活はクリスチャンの生活にとって不可欠な(essential, 本質的な)ものである。
祈りは「生きておられる真の神とのいのちに満ちた人格的な交わり(personal relationship, 個人的な関係)」(カテキズム 2558)です。
祈りは信仰にとって生命線です。祈りなしには、あなたの信仰は生き続けることができません。(カテキズム 2744)
真実: 祈りは日常生活と共存できる。
あなたは祈り方を学ぶために毎日少しの静かな時間を必要とします。しかし、それは難しいことではありません。初めの頃は5分か10分で十分です。
そしてあなたは、祈ることを日常生活という織物の一部にしなければなりません。あなたは、毎日の生活のすべての通常の仕事の中に神を見出すことができます。そこに彼を探して下さい!
人目のあるところで歩いている時にも、あるいはただ一人で散歩している時にも、あるいは店の中に坐り(…)売買している時にも、(…)あるいは料理している時にも、人は熱心な祈りを捧げることができる。
— 聖ヨハネ・クリゾストム
真実: 最も小さな信仰でも、祈りによって開花する。
ここに秘密があります。祈りそれ自体と同様に神が、祈りのハードワークのすべてをなさいます! 私たちは簡単な役割を受け持ちます。私たちの役割とは「祈り方」を学ぶことです。そして、毎日祈ることです。
聖パウロは私たちに言っています。「霊も、私たちの弱さを助ける。私たちは何をどういうふうに祈ってよいかを知らないが、霊は、筆舌に尽くし難い嘆きをもって、私たちのために取り次いでくださる。」(ローマ 8:26)
そして、カテキズムは言っています。「神のわざを完成なさるかたである聖霊は、祈りの師なのです。」(741)
そのような師と共にあって、あなたはどのようにして道を誤ることができるでしょう?
真実: 祈り方を学ぶのはシンプルなこと。
祈りの基本はシンプルです。
あらゆる時代、あらゆる種類の人々が、祈り方を学んできました。
あなたもそうしてみてはいかがですか?
私にとって祈りとは、心を上げることであり、目を単純に天国に向けることであり、それをそこに認めて上げる叫び、それを愛して上げる叫びであり、試練と喜びの両方を抱きしめることです。
— リジューの聖テレジア
もしあなたが、祈りについてのそれらの神話のいずれかの中に、自分の考え方に該当するものを見つけたなら、直ぐに問題を調べて下さい。それと手を結んでいるのは、ほかでもない、あなた自身なのです!
私はエイミー・ウェルボーン(Amy Welborn)の本『Prove It!』を見つけました。『Prayer』はこれらの疑問の解決のための大きな助けです。それは祈り方を学ぶための、そして祈りの生活を堅固で充実したものにするための大きな助けです。その本がティーンズやヤング・アダルト向けのものだからといって除外しないで下さい。書き方は快活でカジュアルですが、内容は特筆に値します。それは非常に取り組み易いものです。疑いもなく、私が今まで手に取った祈りの生活を始めるためのガイドの中で最良のものの一つです。
基礎: 回心
もしあなたが祈りの生活を発展させることに真面目であるなら、あなたは「キリストに回心します」という基礎的な誓約をしなければなりません。
それは、あなたが次の姿勢を持つことを意味します。
  • 神を愛すること
  • 神の御旨を行ないたいと望むこと
  • 自分の生活を変えることに心を開くこと
祈りはこれらの基礎にかかっています。自分はまだ完全にはそこに至っていない?──それがどうしたというのでしょう!
ようこそ、クラブへ!
私たちの誰も、「そこ」にまだ完全には至っていません。回心は進行中の挑戦です。それはあなたが洗礼を受けた時や堅信を受けた時に完了したのではありません。あなたはたびたびそこに立ち戻り、あなたの誓約を更新する必要があります。
あなたはどうしても、主を愛し、主に従うという、基礎的な誓約をすることが必要です。信仰は神から来ます。私たち自身のわざから来るのではありません。しかし、それでも私たちは、彼から受けた信仰の恵みを意識的に受け取り、意識的に育てなければなりません。そのための良いステップ、それが「祈り方」を学ぶことです。
回心の基本に立ち戻ることは常に良いことです。それらを見直し、自分が分かっているかどうかを確認して下さい。「ちょっとまたやってみるだけだ」というふりをして〔管理人注: 誤訳かも知れません〕、一段また一段と進めて行くことが役に立つと、私は経験から知っています。RCIA確認ステージについての記事(未翻訳)は、キリストへの愛のための強力な基礎を築くために多くの提案をしています。
霊的生活の全ては、この基礎の上に築かれます。
ファースト・ステップ: 助力を求める祈り
祈り方を学ぶ時、神の方に振り向いて下さい。
最も小さく初歩的な信仰さえ持っていれば、神に振り向き、助力を求めることは容易だと、あなたは気づくでしょう。ここでの素晴らしい祈りの一つは、マルコの福音書の中の病気の子供を持った父親の言葉を使うことです。
私は信じます。私の不信仰を助けて下さい。
マルコ 9:24
さあ、あなたがそう言って下さい! さあ、どうぞ。私は待ちます。
本当にそう望んで下さい。それをあなたのハートから言って下さい。
簡単ではありませんでしたか?
ヘイ! あなたは祈ってます!
  • あなたは神に対する望みに気づいています。
  • あなたは彼があなたに望んでいることを望みました。
  • あなたは、あなたがそこに至ることができるよう、彼に助力を求めて手を伸ばしました。
これらは基本的に、私たちが前項で挙げた三つのポイントと重なります!
実際、この短い祈りは、効果的な祈りのために必要な幾つかの基礎的な「諸態度(attitudes)」の中の一つの優れた模範です。
それは私たちを次のものに導きます。
基礎的な諸態度
これは重要なことです: 祈りは神の御前に貧しくあるこの態度にかかっています。上の聖書に見られる祈りの中に美しく表現されているそのような態度に。
この態度は「謙遜」及び基本的な「信仰」の態度です。私たちの必要と望みを満たすことがおできになる唯一の源泉としての神を信頼をもって見やる態度です。
私たちはこれを「良い姿勢(dispositions, 性質)を持つこと」と呼びます。
祈り方を学ぶためのキーポイントは次のものです。
  • 良い姿勢、特に謙遜と信仰
  • 忍耐
良い姿勢がないならば、私たちは本当には祈っていないことでしょう。
忍耐がないならば、私たちは祈り続けないことでしょう。
ルカの福音書のイエズス様の譬え話の中に出て来るファリサイ人と税吏の態度を比較して下さい(ルカ 18:9-14)。そのファリサイ人は「自分を義人と信じ、他の人をさげすむ」人々の一人です。彼には良い姿勢が欠けています。基礎的な回心に欠けているとさえ言えるでしょう。
そのファリサイ人は実は神にというよりも自分自身に語りかけています。彼は自分自身を愛しているのであって、神や隣人を愛しているのではありません。彼の祈りは真実の祈りではありません。それ故イエズス様は、彼は「義とされない」とおおせられたのです。
そのファリサイ人の祈りは謙遜と信仰の祈りとは正反対です。
それとは対照的に、税吏の祈りは、自分は間違いを犯したと知る謙遜と、神の御憐れみを見やる信仰とに根ざしています:「神よ、罪人の私をおあわれみ下さい!」
祈りにおける私たちの姿勢が、内面生活において、私たちを成長させるか停滞させるかするのです。
更に、祈り方を学ぶためには忍耐が不可欠です。それは「特にどんな利益も感じない時でも神を愛する」という私たちの誓約を思い出させるものです。
特に、祈り方を学んでいる時、大部分の人は「祈りの効果や可能性さえも疑わせるような誘惑」(カテキズム 2753)に直面します。治療法は忍耐と神への信頼です。
これらの二つの基礎的な態度を成長させて下さい。それらをあなた自身のものとして下さい。祈りというものを始めたばかりであるかのように、それらを常に保って下さい。
  • 祈りの本をガイドとして使うことは、あなたに大いなる利益を与えるでしょう。最良の祈りの本は、祈りを手引きすると同時に、あなたが良い姿勢を育むことを助けます。In Conversation With God シリーズは、この点で特筆すべきものです。それはしばしば私たちの基礎的な態度と徳性の上に焦点を当てます。なぜなら、それらは祈りと信仰における多くの困難の源泉であるからです。
「祈り方」を学びながら、しばしばこれらの基礎的な態度に立ち戻って下さい。それらを強めるように努力して下さい。
強固な基礎を築いて下さい、そうすれば祈ることは非常に楽なものになるでしょう。
二つのシンプルな習慣
「祈り方」を学ぶ上での次なるステップは、祈りの二つのシンプルな習慣を強めることです。
  1. あなたの一日の内の主要な区切りに、二、三の短い祈りをして下さい。
  2. 神の臨在(presence)に対するあなたの気づきを発展させて下さい。
このようにすれば、あなたの日常生活の織物の中に、幾つかの短い祈りが織り込まれます。そして、これによってあなたは同時に、築くべき祈りの基礎を築くことにもなるでしょう。
とりわけそれは、祈りを毎日の生活の自然な一部とします。このことは、あなたが「祈り方」を学ぶ際、とても大事なことです。何故なら、もしそれがあなたの日常生活にとって "馴染みのない" ものなら、あなたは時間に追われるや否や直ぐにそれを放り出したくなるでしょうから。
それはとても簡単なことです。
記事「毎日のカトリックの祈り」では、あなたの一日の中にどのように幾つかの短い祈りを挿入するかについて、多くの提案をしています。それはただ、ここで数秒、あそこで一分、といった具合であるだけです。しかし、これによって、あなたのその日の全体が祈りによって骨組まれる(be framed)のです。
もう一つの記事は、神の現存の内に生きることを一つの習慣にまで育てます。これも霊的生活にとって不可欠な部分です。
シンプルに始めることが必要です
あなたは上記の諸習慣を省略したくなるかも知れません。
省略してはなりません!
非常にありがちな誤りの一つは、あまりにも多くのことに取りかかり、そして落胆することです。私は今まで、多くの人が一時間を超える祈りのセッション、祈りの日課、長い祈りのワークショップなどを始め、そしてフラストレーションに陥りギブアップしてしまうのを見てきました。
最良のアプローチはそれとは反対です。とてもシンプルに始めて下さい。ただ僅かのものに取りかかって下さい。ゆっくりと築いて行って下さい。
実際、それらの習慣は始めることがあまりに簡単であるために、それを始めたあなたは、ただただ自分の日々の生活の中に突然祈ることの喜びが入って来たことに気づくだけ、といった具合でしょう!
ですから、毎日のカトリックの祈り神の現存についての二つの記事を読んで下さい。それらの中から、それをもって始める二、三のことをピックアップして下さい。そして、それを実行して下さい。それが、あなたが「祈り方」を学ぶ最初のステップとなります。
あなたはあなたの一日を通して流れ続ける素晴らしい祈りの習慣を作るでしょう。他のすべての事が、あなたの神に対する深い愛によって、そして彼と結ばれていたいというあなたの望みによって、骨組まれる(be framed)でしょう。
今やあなたは、主と共に沈黙の内に僅かな時間を過ごすことは簡単なことだと気づくでしょう・・・
神との語らい: 念祷(mental prayer)
毎日の念祷はクリスチャンにとって不可欠のものです。
あなたの一日を通して流れ続ける短い祈りの習慣が、この事を容易にするばかりでなく、完全な喜びにまでするでしょう!
念祷、あるいはキリスト教瞑想は、「祈り方」におけるあなたの成長のキーポイントであることでしょう。
念祷における「いかに」に関する詳説は広汎にわたるので、私はページを改めなければなりません。
キリスト教瞑想におけるカトリックの豊かな伝統に沿っていかに祈り始めるか、そしていかにそれを持続するかについて学ぶために、その記事──キリスト教瞑想──を読んで下さい。
もう一つの優れた資料は、eBook の Following Christ Through The Gospels です。この古典は、聖書の言葉を使いながら、ステップ・バイ・ステップで祈りに導くガイドです。高名な Bernard Basset 神父様によって書かれたもので、Catholic Spiritual Treasures program から入手可能です。
祈りの学校: ロザリオ
実は、祈り方を学ぶ一つの簡単な方法があります。ロザリオです!
ノン・カトリックはしばしばまったくロザリオを理解しません。(私を信じて下さい──なぜなら、私自身がかつてそこにいたのですから!)
そうです、聖なるロザリオは聖母に対するまったく愛すべき信心業です。しかし、実際は、遙かにそれ以上のものです。ロザリオは祈りの美しい学校です。それは「祈り方」を学ぶ偉大な道です。
ロザリオの主眼は、キリストの御生涯の中の幾つかの中心的な神秘を通してあなたを導くことです。それぞれの神秘を通りながら、あなたはそれについてしばし瞑想します。
全ての詳細のために「ロザリオの祈り方」を読んで下さい!
新しい生活があなたを待っています!
祈りはキリストと共に生きるあなたの新生活にとってライフラインです。
それを活用して下さい!
「祈り方」を学んで下さい。あなた自身に「神と語り合う方法」を知るというプレゼントをしてあげて下さい。
祈りは「聖霊とわたしたちから出て、人となられた神の御子の人間としての意志に結ばれ、そっくりそのまま御父へと向けられる、神と人間との行為です」(カテキズム 2564)。
どういうことか分かりますか?
あなたと神が祈りの中で共に働くのです!
主は待っておられます。「主イエズスよ、来たりたまえ!」(黙示録 22:20)
霊と花嫁は「おいで下さい」と言う。聞く者も「おいで下さい」と言うように。渇く者は近づき、望む者は命の水を無償で受けるように。
黙示録 22:17
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