力強い祈りの生活:
神の現存(Presence)への気づき
神の存在はあなたの人生を活気づけていますか?
あなたの思いは、一日を通して、彼に向けられていますか? 彼の愛すべき存在と、彼があなたの毎日のごくささいな面にまで持っておられる深い関心に、あなたは気づいていますか?
神の現存に対する気づきは、霊的生活の礎石の一つです。
その気づきを発展させるための幾つかの助けが、ここにあります。シンプルで短いものです。
「主はわれらの内に住んでおられる」
聖アウグスティヌスは言っています。
われらの内に住んでおられる主を探すために、なぜ、山に登り、谷に降りるのか。
もし神が「われらの内に住んで」おられるなら、私たちの為すあらゆることが神の御前に置かれています。
「神の現存」についての気づきを高めるとは、簡単に言えば、それを認め、それを常に心に覚え、文字通りその認識に従って生きる*(living like we really mean it)ということです。
* 誤訳かも知れません〕
これは霊的生活にとって巨大な要素です。想像して下さい、もしあなたが神の愛すべき存在に常に意識的であるなら、あなたの人生はどれほど質の違ったものになることでしょう! 最も小さな仕事でさえ意味のあるものになるでしょう。あなたは全ての人をより大きな愛をもって扱うようになるでしょう。あなたの口から出るどんな言葉も神と「結ばれた」ものになるでしょう。
この種の気づきは、聖パウロが「絶えず祈れ」(テサロニケ第一 5:17)と言った時に意味したことです。
神の御前に身を置く(being in the presence of God)ということは、簡単に言えば、キリストと結ばれつつ生きる(living in union with Christ)ということです。これは霊的生活の大きなゴールの一つです。そしてそれは、あなたが始めることのできることです!
この習慣をいかに伸ばすか
この習慣を伸ばすための幾つかの提案がここにあります。
これらは「神は今ここにおられる!」ということへのあなたの想起を起動させるためのものです。
例えば、「主よ、私は、あなたが常に私と共におられることを存知ております。私があなたにもっと近づくことができるようお助け下さい」など。
あるいはただ、聖ペトロの次の言葉を使って下さい。
主よ、私があなたを愛していることをあなたはご存知です。
ヨハネ 21:15
神の現存に対するあなたの気づきを「起動させる」助けとなる以下の提案を試してみて下さい。私はこれらの幾つかが "ありきたり" のように響くだろうことを知っています。しかし、それらもきっと役に立つでしょう。
  • もしあなたがデスクワークをする人なら、一日中手近なところに一つの小さな物を置いて下さい。小さな十字架でもいいですし、キリストや聖母の御絵でもいいです。あるいはまた、あなたにとって意味のある普通のものでもいいです。その物が視界に入るたびに、短い間それに触れ、そして短い祈りを唱えて下さい。
  • もしあなたが電話をよく使う人なら、電話が鳴るたび、神を思い出す機会として下さい。電話が鳴るたび、神があなたを「呼んでいる」ことを思い出すことができます。サムエルの言葉を使って下さい。「私はここにいます。お呼びですか?」(サムエル上 3:8)「主よ、お話し下さい。あなたのしもべは聞いています」(サムエル上 3:9)
  • もしあなたが学生なら、本を開くたび、あるいはノートの新しいページを開くたび、主を思い出して下さい。「主よ、私に知恵の霊を送って下さい」(知恵の書 7:7)
  • もしあなたが一日に多くの人に会う人なら、人に会うごとに神の存在を思い出して下さい。「主よ、この人の外観をまとったあなた様にお仕えさせて頂くことに感謝します」
  • もしあなたが子供たちを相手に仕事をする人なら、「主よ、あなたは、私が神の子供となれるよう、一人の子供としてここに来られました」(ヨハネ 1:9-14)
一つのものから、簡単なものから、始めて下さい。ゆっくりと、それを習慣にしていって下さい。二、三日、それを実行して下さい。そうすれば、あなたはそれを信頼するようになるでしょう!
シンプルで、ほとんど人目につかないこのような実行は、終日、あなたに多くの利益を運ぶでしょう。それは、内的平和と、あなたの言葉と行ないの全てが大きな意味を持つということへの理解を増大させる、素晴らしい助けです。
そして、ひとたびこの習慣を始めたなら、あなたは、自分が次のことも始めたのだと気づくことでしょう。
しばしば神の方に振り向くこと
神の存在に絶えず気づいているようになっている今、あなたは、全てにおいて彼の方に振り向いていることは自然である、と分かることでしょう。
  • その日に起きた全ての良い事について彼に感謝して下さい。
  • 自分が犯した悪い事について申し訳ありませんと言って下さい。
  • 彼にあなたが必要とするものを願って下さい。
  • 自分にとって「真に」必要なもの、それが何かを知ることができるよう、彼に助力を願って下さい。
  • あなたの心配事について彼に話して下さい。
  • 彼に美しさについて感謝して下さい。「われらの主、あなたの御業は何と素晴らしいのでしょう!」
  • 忍耐、理解、信仰を求めて下さい。
もし必要なら、各時間を短くして下さい。もしそれに割く時間がそれしかなければ、たとえ2〜3秒でも構いません。もし祈りを言った後で沈黙の内に彼と留まる時間があったなら、そのぶん時間を長くとって下さい。
  • これらの短い祈りにあなたの務めを邪魔させないで下さい。それらをあなたの仕事と調和させて下さい。仕事をしながら、まるでハミングで歌うかのように、あるいは友人のことを思い出すかのように。
あなたは常に神の御前にいます。彼は実際、あなたを限りなく愛し、あなたのために最良を望んでおられます。
ですから、あなたの認識するところに従って生きて下さい!
(So live like you mean it!〔誤訳かも知れません〕
その日一日、彼に話しかけて下さい。小さな事であっても、彼に話して下さい。
〔小さな事でも・・・参考
信仰と生活を結びつけること
一つの大きな危険は、あなたが、自分の信仰と生活が二つの違った事柄であるかのように生きることです。あなたは日曜にミサに行き、しかし他の週日では、神など存在しないかのように生きます。
そのような罠にかからないで下さい!
信仰と生活を統合するための最良の習慣の二つは次の通りです。
  • 神の現存についての気づきを増大させること
  • あなたの日々の既存の構造の中に二、三の短い祈りを織り込んで下さい。これについて更に知るために記事「毎日のカトリックの祈り」を見て下さい。
このようにすれば、あなたの一日を通して流れる素晴らしい祈りの習慣が形成されるでしょう。あらゆるものが、神に対するあなたの深い愛と、彼と結ばれていたいというあなたの願いとで、骨組まれる(be framed)でしょう。
今やあなたは、主と共に沈黙のうちに(あなたが神に聞くことを学ぶ精神的な祈り──念祷──のうちに)数分間を費やすことは容易であると知ることでしょう。
全ては、私たちが私たち自身を神の御前に押し出すことから始まります。実際、カトリック教会のカテキズムは、次のように強調することによって主祷文についての考察を始めています。「私たちが父なる神の御前に自分を置く時、(…)私たちを神の子としてくださる霊は、私たちの心の中に、七つの嘆願と七つの賛美を掻き立てます」(Catechism 2803
あなたが神の現存の中に生き始めた時、聖霊があなたの心の内に大いなる愛を掻き立てて下さいますように!
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