53 黙想、九日間の祈祷
神父 
あなたは黙想というのはどういうことか御存じですか?
青年 
いいえ、神父さん、知りません。
神父 
キリストが公生活にお入りになる前に、四十日の間、祈りと黙想のために荒野へ御出になりました。又、主は霊魂と永遠という重大な問題を黙想するために、暫く休んでいっしょに「寂しき所」(マルコ六ノ三一)に行こうと使徒達におっしゃいました。教皇は多忙な御方ですが、毎年丸一週間、御自身と全世界の人達のために、天主に親しく御話し申しあげるために或る静かなところへ引きこもられます。司教は、数日を黙想と祈祷と沈黙の中に過させるために、期間を定めて司祭達を担任の小教区から或る場所に招集します。それから、教区の附属学校や慈善団体で働いている修道女も、四日乃至八日間を集団の祈祷や黙想、霊的な勤めを送るために、本院の方へ行きます。これと同じように、多くの平信者は毎年数日間、自分の仕事から離れて、自分の聖化に関係のある問題について、全心全霊を注ぎます。こういう霊的な勤めを「黙想」というのです。
御存じのように、事業家は去年の事業に比べて今年の事業はどうだったろうか、ということを確めるために、毎年帳簿の決算をして、財産目録を作ることになっています。これによって事業家は事業を改善する標準を考えます。これと同じように、すべて人は天主に関係した損益を時々決算して、救霊の事業において、自分は前進しただろうか、それとも退歩しただろうか、ということを確めなければなりません。
或る町に、「黙想の家」というのがありまして、週末の反省、祈祷、心の決算をし、更に大きなカを以てそれぞれの聖化を進めて行くことができる霊魂上の励ましを受けるために、男も女もそこへ行きます。
青年 
聖職者の方々や立派な修道女、それから教皇でさえも毎年の黙想をお守りになるのでしたら、俗世間の人達とまじって毎月を送っている人には、こういう黙想はなお更必要ですね。
神父 
すべての人が家庭を離れて黙想の場所に行くことはできませんので、普通、司祭は特別の教育を受けた宣教師を招いて、一週聞かそれ以上その小教区で、引き続いて朝晩のお勤めを指導してもらうことになっています。この期間中は、教区の信者は全部、主な御説教やお勤めにあずかることができるように、仕事の整理をして、極めて熱心に悔悛と聖体の秘蹟にあずかり、今後はこのお恵みによって自分の強力な欠点に打ち勝とうという決心をするようにします。
青年 
教会は色々の身分の人達の信仰と信心を強める用意があるのですね。「ノヴェナ」という信心業もあるようですが、あれはどういうことですか?
神父 
あなたも御存じと思いますが、救世主が天に御帰りになられるすぐ前に、使徒と弟子達に向って、或る場所に集って九日間聖霊に祈っておれといわれました。主は彼等に聖霊を遣わすという約束をなさったのですが、十日目にこれを果されました。この使徒達の例にならって、カトリック信者は九日間の祈りと信心を守るのです。これを「ノヴェナ」といっています。「ノヴェナ」という言葉はラテン語の「ノヴェム」(即ち、九)という言葉から出ていまして、「九日間の祈祷」という意味を持っています。
「聖霊に対するノヴェナ」は使徒にならってするのですが、これは一年の主なノヴェナになっています。これはキリスト御昇天の祝日の次の日から聖霊降臨の祝日まで、全世界のすべての教会で行われます。
その他、聖主、聖母の大きい祝日とか、聖人の特別の記念日を迎えるに当り、よくノヴェナが行われますが、具体的に何の祝いのために行うかは各教区、各教会の意向によることですから、一概に申せません。
この前に一度あなたにくわしくお話したので、今更くりかえして申しあげる必要はないのですが、私達が聖人にお願いするのは、何か祈りを聞き入れて下さいということではありません。聖人は「祈りを聞き入れる」という権能は全然ないのですからね。全能の天主は聖人の功績をお考えになって私達の願いを聞き入れ給うであろう、という希望の下に、聖人に、私達といっしょに天主に祈って下さいとお願いするのです。このことは個人的な友人を通じて公けの地位の高い人のところへ近づくのと非常によく似ています。
《ページ移動のためのリンクはにあります》
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ