カトリック以外では看過し勝ちな聖句
されば一人に由りて罪此の世に入り、又罪によりて死の入りし如く、人皆罪を犯したるが故に死総ての上に及べるなり。
(ロマ五ノ一二)
我れ汝と婦(おんな)の間・・・に怨恨(うらみ)を置かん、彼は汝の頭を砕かん。
(創世記三ノ一五)
人は水と霊とより新に生るるに非すば、神の国に入ること能わず。
(ヨハネ三ノ五)
両人信者の上に按手しければ、皆聖霊を蒙りつつありき。
(使徒行録八ノ一七)
我が記念としてこれを行え。
(ルカ二二ノ一九)
是れ我が体なり・・・是れ・・・我が血なり。
(マテオ二六ノ二六〜二八)
又何処にても香と潔き献物を我が名に献げん。
(マラキヤ一ノ一一)
息吹掛けて曰いけるは、聖霊を受けよ、汝等誰の罪を赦さんも其の罪赦されん。誰の罪を止めんも其の罪止められたるなりと。
(ヨハネ二○ノ二二、二三)
汝等のうちに病める者あらんか、其の人は教会の長老たちを喚ぶべし、彼等は主の御名によりてこれに注油し、これが上に祈るべし。
(ヤコボ五ノ一四)
蓋今より万代までも、人我を福なる者と称えん。
(ルカ一ノ四八)
教会にも聴かずば、汝に取りて異邦人、税史(みつぎとり)の如き者とみなすべし。
(マテオ一八ノ一七)
一の檻、一の牧者となるべし。
(マテオ一○ノ一六)
汝は磐(ペトロ)なり、我れ此の磐の上に我が教会を建てん。かくて地獄の門是に勝たざるべし。我れなお天国の鍵を汝に与えん。すべて汝が地上にて縛がん所は、天にても縛がるべし。
(マテオ一六ノ一八、一九)
我が汝をクレタ(島)に置きしは・・・我が汝に命ぜし如く町々に長老を立てしめん為なり。
(チト書一ノ五)
故に神の配(あわ)せ給いしもの、人これを分つべからず。
(マテオ一九ノ六)
是大いなる奥義なり、我れはキリスト及び教会に就きてこれを言う。
(エフェゾ五ノ三二)
是は汝等において最も聖き者なり。
(出埃及記三○ノ三六)
祭司は瓦(やきもの)の器に聖水を入るべし。
(民数紀略五ノ一七)
四十日四十夜断食し給いしかば、後に飢え給えり。
(マテオ四ノ二)
我に主よ主よと云う人皆天国に入るには非ず。
(マテオ七ノ二一)
我誠に汝に告ぐ、最終の一厘を還すまでは其処を出でざるべし。
(マテオ五ノ二六)
詛われたる者よ、我を離れて、悪魔と其の使等との為に備えられたる永遠の火に〔入れ〕。
(マテオ二五ノ四一)
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