49 十字架の道行き
神父 
上に十字架をつけた絵が十四枚、聖堂の壁にグルッと飾りつけてあるのをご覧になったことがありますか。
青年 
ええ、あります。あれは何にするのですか。
神父 
それはですね、救世主の御死去、御埋葬に至るまで御受難の十四の光景を表しているのです。そして「十字架の道行」と呼ばれています。この一つ一つの絵を「留」というのですが、それはこの信心を行う人が、一つ一つの前で立ちどまって、暫くの間黙想するからです。
青年 
キリストの御受難を黙想するのですか。
神父 
そうです。そして、普通その絵の前で自分の罪に対する痛悔と、イエズスに対する愛を表します。
青年 
私も四旬節の時に数回このお勤めを見たことがあります。侍者をお連れになった司祭が、祈りの先読みをしていましたが、司祭の言葉に私は非常に心を動かされました。でもなんだか御絵を拝んでいるように思われましたね。一つ一つの御絵の前で膝を折っていらしたものですから・・・
神父 
ですが、あなたは、跪いて礼拝をする時に、司祭が「ああ、キリストよ・・・我等主を礼拝し、主を讃美し奉る」というのに気がおつきになりませんでしたか。礼拝の行為は天主にましますキリストに向けられるもので、絵そのものに向ってするのではありませんよ。
青年 
私は動作の方に注意しすぎて、言葉の方にはあまり注意をしなかったので・・・
神父 
十字架の道行はひとりで或いは共同で、いつでもすることができます。そして、これは非常に豊かな贖宥のいただける信心です。初代のキリスト教信者は非常な犠牲を払って聖地パレスチナの訪問をし、重い十字架を負うて救世主がお歩きになったカルワリオ山への道を歩いたのですが、トルコ人や回教徒が聖地を占領したものですから、熱心な信者はそこへ行けぬようになりました。それで、教会はキリストの御受難の光景を表すものを、聖堂内に作ることを認め、このうるわしい信心を聖地巡礼に代えたのです。
青年 
信者が迫害のために霊的な苦しみを受けるのを、教会がそのままにするということはありませんね。
神父 
ありません。教会にはキリストの御功徳という宝がありまして、いろいろな方法を以てこれを信者に施しています。
青年 
留の前では黙想の祈りといっしょに、どういうお祈りをしなければなりませんか。
神父 
公けの信心の場合は、普通、黙想の祈りの後で「主祷文」「天使祝詞」「栄誦」などを唱えるのですが、これを必ず唱えなければならないということはありません。
青年 
それで、現に聖地に行って「十字架の道行」ができる人は、ほんの僅かしかありませんが、病人でない限りカトリック信者は誰でも自分達の教会で「十字架の道行」をして実際の巡礼と同じような御恵みがいただけるのですね。
神父 
病人の場合、これに代る御恵みが与えられています。すなわち、病人は正しく祝別された十字架を手に持って、「主祷文」などを二十回となえることによって、十字架の道行の贖宥をいただくことができます。
青年 
すばらしい恩典ですね、実際! しかし、お祈りをどうして二十回もとなえるのですか。
神父 
十四回は十四の留に相当するもので、五回はイエズスの五つの御傷に合わせるためで、一回は教皇の御意向に従ってとなえるのです。
青年 
どんな贖宥がいただけるのですか?
神父 
十四留全部の信心業をした場合には、全贖宥が授けられます。途中で中断したような場合は、各留毎に七年の分贖宥が授けられます。
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