第四部 信心業と信心会
48 ロザリオ
神父 
多分あなたはロザリオのことをお聞きになったことがあると思いますが・・
青年 
ええ、あります。そして、私も一つもとめました。これはどういうふうに用いるのか教えていただけませんか。
神父 
その前に、ロザリオは特別の形式をもった祈祷であるということをお話しましょう。珠(たま)はお祈りの数を教える仕掛に過ぎませんが、特に信心の用具に使われますので、「ロザリオの珠」といわれています。ロザリオのお祈りの全体は、天使祝詞のグループ十五でできていまして、一グループ毎に十の天使祝詞があります。普通これを「一連」と呼んでいます。このお祈りのグループの一つ毎にイエズスと聖母の御生涯の特別な玄義がついています。ところで、あなたの持っていらっしゃるロザリオには五連分しか珠がありませんから、十五連全部祈るには三度くり返さなければなりません。
青年 
そうですね。小珠が十個ずつ五つあって、大きな珠で区切られています。そのほか、十字架と大珠が一つ、それから小珠が三つと大珠がもう一つ付いたものがロザリオの環につながって附属していますね。
神父 
どの珠の上でも、また十字架の上でも祈るのですが、あなたが今おっしゃいました附属物の十字架と五つの珠のところであげるお祈りは、ロザリオの準備のようなものであって、ロザリオの祈りそのものではないのです。
青年 
十字架や珠の一つずつにさわりながら、どんなお祈りを唱えるのですか。
神父 
最初に十字架のところでは、「使徒信経」を唱えて信仰を宣言します。大珠のところでは主祷文を、小珠のところでは天使祝詞をとなえます。
青年 
ロザリオを全部お祈りするには、天使祝詞を百五十辺あげるということになるわけですね。
神父 
そうです。これは聖書の一部であるダヴィドの詩篇の篇数百五十に一致しています。
青年 
それはまたどういう関係になっているのですか?
神父 
それはですね、初代キリスト教の時代から、詩篇が、修道院の修道士や、その他字の読める熱心な信者のおもな祈りになっていました。字の読めない人達は、詩篇の代りに、教会の認めている別のお祈りを、それは大抵主祷文なのですが、となえることになっていました。この人達は小石や珠を使ってその数を勘定したのですが、小珠が百五十箇あるというのは、こういうためです。その後この念珠は聖母のためにするお祈りになって、「天にまします」の代りに「めでたし・・」になりました。十三世紀の初めに聖ドミニコが聖母の御出現により、私達が今日使っているようなロザリオを、主としてその時代の異端を妨ぐために、世に広めるようにというお勧めを受けたのです。それで教会は、このお祈りを採り上げて形式を改良し、これを黙祷、声祷の二つにし、贖宥をつけ、カトリックの世界に広く用いるように勧めました。
青年 
教会はその形をどういうふうに改良したのですか。
神父 
教会はロザリオのお祈り全体を、各々五十の珠からなる三つに大別し、この五十の珠を五つの連に分割し、そして各連の初めに、主祷文を唱える大珠を一つ付けました。それから、ロザリオのお祈りを始める前に信仰を宣言するため使徒信経を唱えることとし、また信、望、愛の徳を増すために、天使祝詞を三度唱えることになりました。この部分がロザリオのお祈りの声祷、すなわち声を出していうところになっています。
青年 
ですが、神父さんは、ロザリオは黙祷と声祷の両方であるとおっしゃいましたが?
神父 
そうです。各連のお祈りを声を出してとなえながら、信仰の重要な玄義を黙想します。心の中でキリストの御生涯を思い浮べて、その中から有益な教えをとるのです。 
青年 
すみませんが、もう少しくわしく説明して下さいませんか。
神父 
よろしいです。救世主と聖母の御一生における重要な出来事を十五にまとめて、これを各々五つからなる三つの部分にわけ、初めの五つを喜びの玄義、次の五つを苦しみの玄義、終りの五つを栄えの玄義とよぴます。ロザリオのお祈りを全部唱える場合は、この全部の玄義を黙想します。しかし、私達は普通ただ五連だけの環しか持っていませんので、この三つの玄義の中どれか一つを黙想に選びます。ロザリオを毎日あげる人は、五つの喜びの玄義を月曜と木曜日に、五つの苦しみの玄義を火曜と金曜日に、五つの栄えの玄義を水曜と土曜日に黙想します。
青年 
日曜日が抜けました。
神父 
日曜日は普通その時の教会暦に一致した玄義を黙想することになっています。たとえば、待降節の間は五つの喜びの玄義を、四旬節中は五つの苦しみの玄義、それ以外の時は五つの栄えの玄義を黙想します。
青年 
実に見事な組合せですね! 神父さんのお話で実際「カトリック信者はロザリオの時にただ珠をつまぐっているだけのことだ」という非難がまとはずれだということがわかりますね!
神父 
少しでも考えてみれば、カトリック教会が馬鹿らしい信心をこしらえるほどの阿呆でないことはわかるはずですよ。
青年 
ロザリオのとき黙想するキリストと聖母の御一生の出来事というのは、どういう出来事ですか。
神父 
五つの喜びの出来事は、(一)天使の御告、(二)聖母の訪問、(三)イエズスの御誕生、(四)聖殿におけるイエズスの御奉献、(五)御年十二才の時の聖殿におけるイエズスの御見出しです。
五つの苦しみの玄義は、(一)ゲッセマの園における主の御心痛、(二)むち打たれ給うたこと、(三)茨の冠をかぶせられ給うたこと、(四)十字架を担い給うたこと、(五)十字架につけられ給うたことです。
五つの栄えの玄義は、(一)御復活、(二)御昇天、(三)聖霊の降臨、(四)御母の被昇天、(五)聖母が天国で元后に立てられ給うたことです。
青年 
私はこれまでロザリオのお祈りは、無教育な人のするお祈りの形と思っていましたが、これが正しく唱えられるまでは、その前に教えの教育を受けなければならないということがわかりました。
神父 
そうです。教育を受けるほど立派な黙想ができるのですから、このお祈りによって、大きな利益をいただくことができます。ロザリオは教皇や、王様や学者、司祭などの愛するお祈りです。
青年 
しかし、そういう玄義の出来事に一心になって黙想をしますと、声祷の方は単なる機械的なものになりますね。
神父 
いや、そうとは云えません。この声祷は私達の一番よく知っているお祈りですから、注意を玄義のことに向けながらも、今まで全然知らなかったお祈りをあげるようなふうにはならずにすみます。
青年 
わかりました。しかし、子供や無教育な人も、ロザリオのお祈りを唱えれば御恵みをいただくことができましょうね。
神父 
それは勿論です。教会はキリストの御功徳を施し、また信者の力に応じて条件を加減しています。しかも、限りなく公平で慈悲深い天主と、極めていつくしみ深い聖母とは、子供や無教育な人達の祈りをお聞きになって十分に報いて下さることは間違いありません。あなたも御存じのように、一番信心のまじめな、そして熱心な人はそういう人達です。
青年 
ロザリオは贖宥のついているお祈りであると、神父さんはおっしゃいましたが・・
神父 
大きな贖宥が与えられます。コンタツは祝別されています。引続いて五連をあげますと、主祷文と天使祝詞毎に、最小百日の贖宥が与えられます。
青年 
お祈りを唱える時は、珠に手をふれていなければならないのですか。
神父 
そう、自分ひとりでするロザリオの場合は、そうしなければなりません。しかし、一人がお祈りの先き読みをして、他の大勢の人がこれに従う場合は、先き読みをする人がこのロザリオを手にしている、ということが少くとも必要です。
青年 
一番いい黙想のしかたは、どんなことですか。
神父 
考えようとする玄義の絵を、想像で心に描いて、それと自分との関係を考えます。そうしますと、気が散りましても、すぐ心をその絵に引き戻すことができます。
青年 
カトリック信者は毎日ロザリオをとなえるのがいいのですね。
神父 
そうしなければならないという義務は、信者にはありませんが、まじめなカトリック信者は毎日となえています。多くの家庭では、一家の夕のお祈りの一つになっています。殊に「ロザリオの聖母」に奉献された十月にはそうします。この月の間は、毎日教会で公けにとなえられています。聖体の奉安されている聖堂でロザリオをとなえますと、全贖宥をいただくことができましょう。
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