40 痛悔と告白
神父 
私達は、天主が一つの秘蹟を以って原罪をお赦しになると同じように、一つの秘蹟を以って自罪もお赦しになる、ということを学びました。それから、聖霊が霊魂にお降りになり、これに成聖の聖寵を授けて原罪を除くためには、赤ん坊でも洗礼を授からなければならない、ということを学びました。原罪を告白したり、痛悔したりするような必要は全然ありません。原罪は、これを洗礼によって除くことを願う人が自分で犯したものではないからです。
しかし、これは「自罪」即ち私達が自分で犯す罪になりますと違って来ます。この罪はこれを犯した人が自らそれを認めて痛悔し、改めようという決心をしなければ、取り除くことはできません。
青年 
お話によりますと、単に告白するだけでは罪は、除かれないのですね。
神父 
そうです。司祭や司教、教皇のもとで告白をし、天主に背き奉ったことをいろいろとくわしく申し述べましても、やはり罪は許されずに残ります。
青年 
その告白はどういうところがまだ足りないのですか?
神父 
超自然的な意味で痛悔し、改心を固く決心する必要があるのです。罪を全然痛悔しないとか、生き方を変えようとする気持を持たない場合は、天主はこれをお赦しにならないことは明らかです。痛悔は「超自然」でなければなりません。これは、天主に背き奉ったということ或いは来世で天主の罰を受くべき身になったということを、聖寵に促がされて、心から痛悔したのでなければならないという意味です。私達はキリスト教的信仰からほとばしり出た動機によって動かなければなりません。
「痛悔」という神学上の言葉がこの気持を表しています。これは「心を引き裂く」という意味を含んでいます。痛悔に、完全なものと、不完全なものとがあります。天主に対する愛によって動かされた場合は「完全」です。これは、当然愛し奉るべき天主に背き奉った故に罪を歎き、不忠忘恩にして天主の御掟をないがしろにし奉ったことを悲しむという意味です。罪のために天国を失い地獄で罰せられるものになったということだけで悲しむのは「不完全な痛悔」です。こういう種類の痛悔の中には、あなたもおわかりのように、かなり利己心が入っています。しかし、それでもそれは、天国は天主がましますので天国であり、地獄は天主がおいでにならないからこそ地獄なのだ、と信じているわけですから、やはり「超自然的」な痛悔です。
痛悔が単に口先からではなく、心から出た誠実なものである場合、又、不幸にして犯してしまった大罪を悉く悲しむ場合、今後天主に背き奉るよりはむしろいかなることも喜んで堪え忍ぼうと思うような場合は、これは、純粋のものであるということがわかります。
不完全な痛悔でも、告白には十分ですが、あなたは真の完全な痛悔をするように努めなければなりません。実際、大罪を犯した人は誰でも、直ぐ完全な痛悔をして、できるだけ早く告白をしなければなりません。聖体を拝領する人は、先ず告白をしていなければなりません。
青年 
小罪の場合はどうですか?
神父 
小罪は天主の御心に逆らい、大罪に至るおそれのあるものでありますから、告白をする場合は、これを痛悔するようにしなければなりません。小罪は告白する必要はありませんが、するにこしたことはありません。もし、告白するのに小罪しかない場合は、今後は少くともその一つを避けようという固い決心をしなければなりません。しかし、どの告白の場合におきましても、将来大罪を避けようという確固たる決心をなし、罪に近づく機会をも避けられるだけ避けようという決心をしなければなりません。
青年 
カトリックでない人達は告白につきまして、たしかに誤解していますね。悔悛の秘蹟が罪を赦すのが本当であるのに、世間の人は、むしろ告白で赦されるのだというふうに勘違いしています。改めようとする気持があろうがなかろうが、司祭に罪を告白すれば、間違いなしに許されるというように誤解しています。
神父 
そうなのです。不幸なことですが、世間の人はその点を十分に知らないので、最も慰め深いこの秘蹟に対して、根もない偏見を抱いています。司祭は自分の力で信者の罪を赦すことができるとか、信者は司祭に罪を告白しただけで罪の赦しが得られるということを聞かされましたら、誰だってカトリックに対し偏見を持つでしょうよ。
丁度、洗礼前に犯した罪を全部除き去る秘蹟があるように、洗礼後に犯した罪を除き去るものも秘蹟です。洗礼は、罪を犯した度毎にくり返すものではありません。しかし、悔悛の秘蹟は何度でも用いるように定められました。告白は、この悔悛の秘蹟の一部分に過ぎないのです。悔悛の秘蹟をふさわしく受けるためには、五つのことが必要だといわれています。即ち、心を調べること、超自然の悲しみを喚び起すこと、遷善の固い決心をすること、罪を告白すること、司祭から命じられた償いを果すことです。
青年 
念のため伺っておきますが、心を調べるということはどんなことですか。
神父 
それは、悔悛の秘蹟を受けようとする人は、反省をして記憶をよぴ起し、この前にこの秘蹟を受けてから、どういうふうに天主に背き奉ったか、大罪の場合ならば何回ぐらいその罪を犯したか、ということを決めるために、天主の御助力をお願いしなければならないということです。
心の中で、又は祈祷書を使って、十誡や公教会の掟、私達のいろいろな義務や責任、たとえば、傲慢、怠惰、飲食時の不節制、貪慾というような罪を調べて、そういう点で自分は罪を犯しはしなかっただろうかと自問しますと、心の調べを立派に行うことができます。
青年 
回数を正確にきめることは、難しいことではありませんか。
神父 
そうです、困難です。しばしば告白をして、めったに大罪を犯さないような人の場合は別ですが。しかし、正確にきめることが実際できない場合は、できるだけ近い回数を見込むことが必要です。たとえば、或る定った罪を犯す習慣を持っていて、三ケ月間悔悛の秘蹟から遠ざかっているような人は、およそ一週間に何回ぐらい罪を犯したかということをいわなければなりません。
青年 
最後の告白以来の自分の行いをひろく顧みて、糺明した後に、自分は非常に悪かったという痛悔の念をよび起すようにすれば良いのですね。
神父 
そうです。司祭が赦しを与える時に痛悔の祈りを唱えさえすればよいと思っている人が中にはいますが、痛悔は、告白場に入る前に実際に起していなけれはなりません。痛悔の祈りはただこの悲しみを現わしているだけです。真心がこもっておらず、たんに記憶しているからというのであれば、何にもなりません。
告白場では、司祭からの赦しを受ける前に、へり下って自分の罪を包みかくすところなく、完全に、即ち罪の種類と回数と、更にその罪の性質に影響あるかもしれないその場の事情を、告白しなければなりません。
青年 
もし人が過失なしに、大罪を云うことを忘れた場合はどうですか?
神父 
故意にそれを省いたのではありませんから、その罪は赦されます。御聖体を拝領してもかまいません。しかし、次の告白の時にこれを云い表わさなければなりません。万一知って大罪を隠すようなことがありますと、その人の罪は一つも赦されません。そして、その人はこの秘蹟を冒涜します。これは、それだけで涜聖の大罪になります。そういう人は自分の行った悪い告白を告白し、そういう状態で受けた秘蹟があればそのことを打ち明け、その前の良い告白以来犯した一切の大罪を告白しなければなりません。
青年 
罪の赦しといいますと、それはどういうことですか。
神父 
痛悔者が告白を終り、司祭がこれに、その生き方を改める一番いい方法を勧めたり、忠告をした後で、「我、聖父と聖子と聖霊の御名によりて汝の罪を赦す」というキリストの御名における赦しの正式の言葉が司祭によって述べられます。これが「罪の赦し」というものです。
青年 
告白の後で償いを果さなければならない、ということでしたね。
神父 
そうです。普通、司祭は告白者に、果すべき罪の償いを命ずることになっています。これは大抵割にやさしく果せることなのですが、「秘蹟の償い」でありますので、天主の御前におきましては、私達の罪の償いとなり、又、罪の結果当然受くべき有限の罰の償いとなって、大きな価値があります。天主はその正義を満たすために、又、罪の大きな害を私達に教えて再び私達が罪を犯すことのないように御戒めになるために、罪に有限の罰をつけられます。
青年 
この償いはいつするのですか?
神父 
もしそれが或るお祈りを唱えることでありましたら、教会を出る前に、告白のすぐ後で唱えるように心がけなければなりません。時には一週間の間毎日或るお祈りをするように言われることがあります。その場合は、指図通りに償いを果さなければなりません。
青年 
神父さん、すみませんが、告白をどういうふうにしたらいいのか、教えていただけませんか。
神父 
良心を糺明して、罪に対する痛悔を喚び起してから、告白場に入る準備をします。告白場はどういう構造か御存じですか?
青年 
告白場は、一人の人が司祭のそばで告白をしている間、もう一人の人が片方のところで待つようにできていました。
神父 
いつも一人の人が待っているわけを御存じですか。
青年 
次の告白者が来る場合手間取らないように、でしょう。
神父 
その通りです。そこでは一時間に何十人という人が告白をしようとすることが再三ありますので、間隔をあけるとこまります。
青年 
告白はどういうふうにして始めるのですか。
神父 
常に十字架の記しを身に切り、「われ、霊父の祝福をこいねごう」と言って、司祭の祝福を求めます。それから、前の告白の時からどれぐらい日が経ったかを告げます。こういう前置きの後で、自分の犯した掟の順序に従って、告白を始めます。天主の掟に背いて犯したことや怠ったことを告げます。又、前にお話しましたように、犯した回数をできるだけ正確に述べます。告白をすましますと、普通、司祭から忠告の言葉と果すべき償いが与えられます。もし何か解決したい問題がある場合は、この機会を利用して司祭に尋ねると宜しいのです。これに引き続いて痛悔の祈りを唱え、その間、司祭は罪の赦しの言葉を宣べるわけです。
《ページ移動のためのリンクはにあります》
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ