36 祭壇の司祭
神父 
あなたは毎日曜日御ミサにお出でになるというお話でしたが、まだ、わからないことが多くて見当がおつきにならないでしょうね。なぜって、司祭は会衆のほうに背を向け、信者にも聞えない低い声で御ミサの大部分を唱え、しがもそれがラテン語ですからね。そして、信者は立ったり坐ったり膝まずいたりしますが、こういうことが新しい信者を面くらわせるのです。そのため、御ミサにあすかる方法を憶えられるだろうか、動作を皆に合わせてゆけるだろうか、と心配します。
青年 
私もそうだったものですから、説明をしていただこうと思っていたところです。
神父 
司祭は全能の天主を御相手にして、キリストを代表する者であるということを、一度御了解になれば、ミサは理解しにくいものではありません。先ず司祭がああいう服装をするのも、それだけの理由からです。司祭はアミクツス、アルバ、チングルム、マニプルス、ストラ、カズラという種々なものを身につけます。司祭のまとうこの衣服を祭服と云います。初代キリスト教時代には、この服装は平信者の日常生活の服装だったのです。その後、流行は変りましたが、この服装は初代教会や、最後の晩餐の様子を想い出させてくれますので、教会はこの衣服をそのまま用いています。祭服にはそれぞれ意味がこもっていて、司祭と信者に対する教訓を含んでいます。これを一つずつ身につけながら司祭の唱えや祈りの言葉によって、その意味がわかります。
アミクツスは白い布地で、司祭はこれを頭にかむり、それから、おろして、肩の上と首の周りにおきます。昔はこれで戸外では頭を保護し、室内ではこれを肩に垂らしました。これを着ながら、司祭は「ああ我が主よ、悪魔の攻撃に抗せんがために、救霊のかぶとを我が頭に置き給え」と祈ります。アルバは白い麻の長い衣で、体全体をおおいます。これは昔普段の外出衣だったのです。司祭はそれを着ながら「ああ我が主よ、我を白くし、・・・我が心を清くし・・・」と祈ります。チングルムはアルバを胸の周りにしっかり結ぶ太い紐です。これを結びながら「ああ我が主よ、純潔の帯を以て我を結び、我が心の淫慾の火を消し給え・・・」と祈ります。マニプルスは、色を染めた布の帯で、左手につけます。これは昔、汗や汚れを拭うハンカチの代りに使っていました。司祭はこれを腕に結びつけながら「ああ我が主よ、痛悔と償いのこのマニプルスを携うに我をふさわしくし給わんことを」と祈ります。ストラは、染めた長い布製のきれで、頸の周りにかけます。以前これは頸飾りで、義務と名誉の特別のしるしになっていました。司祭はこれを着ながら「ああ我が主よ、人祖の罪のために、我が失える不死のストラを再び我に与え給え・・・」と祈ります。一番しまいに着る祭服はカズラで、これは大きな外衣ですが、昔は袖なしマントに使われていました。大抵その背中に大きな十字架が描かれています。司祭はこれを頸からかぶる時に「我が軛は甘く、我が荷は軽しと宣いし我が主よ、我、主の聖寵に価いせんがため、これを持つを得しめ給え」と祈ります。
祭壇そのものはカルワリオ山をかたどっています。祭壇はどれほど質素なものでも、又立派なものでも、その主な要素はその真中にある聖石です。この聖石の中にある小さな容器に、殉教者の遺骨が納められています。これは、キリスト教の初代三百年間は迫害のために、信者はカタコンブ(地下墳墓の中で御ミサにあずかり、司祭は殉教者の墓の上で御ミサをあげたことに基づいています。司祭は、信者の方に向って「ドミヌス・ヴォビスタム」(主、汝等と共に)という言葉を述べ、「オラテ・フラトレス」(祈れ、兄弟たちよ)とお祈りをするように勧める前に、聖油で司教により聖別された聖石に、屈みこんで接吻します。この聖石内の容器に、殉教の聖人の遺骨が入っているから司祭は接吻するのです。
聖石のすぐ向う側に、聖櫃 至聖所 がありまして、その中に聖別されたパン、即ち聖体が、いつでも信者がこれを礼拝できるように安置されています。
どの祭壇の上にも、十字架が置いてあります。カルワリオの十字架上で、キリストの犠牲が献げられたからです。蜜蝋でできているローソクは、私達のために苦しみ給うたキリストの清い御体を現わしています。又、これによって私達は、昼間でも祭壇を明るくするためにローソクを必要としたカタコンブ時代を想い出します。
司祭の使う本は「ミサ典書」といわれます。そいてその大部分は新旧両約聖書からとった句や、その日に祝う聖人の名において、そして必ず「我が主、イエズス・キリスト」を通じて、全能の天主に申しあげる祈祷文からできています。又、この本の中には、ミサ聖祭の場合に使う一切の祈祷がのっています。
青年 
今のお話で非常によくわかりました。ですが、祭服を着た子供が司祭の手伝いをして時々鈴を鳴らしたり、又、司祭が金色のコップを使って、御ミサの或る個所でこれを高く上げたりしておられましたが・・
神父 
司祭の手伝いをする「侍者」は、そこに集まっている信者の代表で、その人達に代ってお祈りするのです。司祭が祭壇に登る前に、その下で司祭と侍者は交るがわるお祈りをします。こうして、「われ神の祭壇にゆかん・・」という聖句のある詩篇第四十二篇を誦え終ると、司祭は「告白の祈り」をしながら、自分はこの偉大なる犠牲を献げるにふさわしからぬものであるということを告白します。そのすぐ後で、侍者は、会衆にかわって、全能の天主に、司祭を憐みてその罪を赦し給わんことを祈ります。それから侍者を通じて会衆は、自分達はこの尊い犠牲を共に捧げるにふさわしくないということを表わすために、「告白の祈り」を唱えます。
鈴を鳴らすのは、お祈りに心を奪われている信者に、ミサ聖祭の三つの大事な部分、即ち奉献、聖変化、聖体拝領が近づいたことを知らせるためです。
あなたのいわれる金色のコップは、聖杯(カリス)とよばれています。これは普通銀製で、金をかぶせてあります。内側は必ず金をかぶせてなければなりません。奉献の時に、このコップの中に葡萄酒と数滴の水を入れ、これが後でキリストの御血に聖変化されるのです。コップの上には、恐らくあなたはまだ御存じでないでしょうが、金をかぶせたお皿のような板金があって、その上に、パン種をいれてないパンを置きます。それもまたキリストの御体に聖変化されるのです。
青年 
司祭の着ておられる祭服の色はいつでも同じではありませんね?
神父 
ええ、五つの違った色を用います。希望を表わす緑、御公現後、七旬節の前までの主日、並びに、聖霊御降臨後、待降節の前までの主日に着ます。
白の祭服は、御受難に関係ないすべての主の祝日と、殉教者以外の聖人と聖母の祝日に着ます。
赤の祭服は、殉教者と使徒の祝日に着ます。但し、聖ヨハネの祝日は白です。
紫の祭服は、待降節と四旬節に、それから、大祝日の前日に着ます。大祝日の前日は普通、信者は祝日を守るために、痛悔をしてその準備をしますから。
黒の祭服は、聖金曜日と、死者のための御ミサの時に着ます。
青年 
カトリック信者が御ミサを重要視していることは私も知っていましたが、祭壇や祭具や祭服などのような、ミサ聖祭に関係のあるものに、それほどの意味があるとは、私は全然知りませんでした。
神父 
ミサ聖祭そのものに比べれば、そういう品物は、ずっとその価値は劣りますが、あなたはこれで御ミサの重要性がよくおわかりになったのですから、毎日曜日と守るべき祝日に御ミサにあずかることを教会が信者に命じているのを、びっくりなさることはないと思います。毎日、御ミサにあずかることのほうが当然なくらいですから。
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